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2006年7月23日 (日)

国民のための教育行政を !

今日の新聞をパラパラと見ていたら、愛国心の評価が小学校の通知表に入っていたという記事が目に付いた。一部の地域のことだが、その中で学校によっては子どもたちの学習に馴染まないということで削除したところもあるらしい。当然のことである。

そう言えば、昨日の新聞には教員免許を10年ごとに更新する制度を導入する方向であるとの記事が載っていた。いわゆる「不適格教員」の問題と関わってのことらしいが、それで、教員の質の向上にどれだけ寄与するかは疑わしい。逆に、その制度自体を、その時点の政府や与党に必ずしも賛成し協力的でない教員のパージに悪用する危険性がある。

「愛国心」についてもそうだが、本当の意味で10年先、100年先のことを考えた上での教育行政ではなく、一部の人間(主にその時点での政府・与党・権力者)にとって都合がいいだけの「教育行政」になってしまっている。それによって、子どもたちにどれだけの力をつけることが出来たのか。矛盾を日教組に押し付けて(もちろん、日教組がすべて正しいという気はないが……)自らの政策の矛盾をきちんと分析、方向転換をしないまま放置し、それがさらなる矛盾や問題を生み出している。結局、現行の教育基本法にある「教育への不当な支配」を推し進めた結果としての教育の荒廃だったのではないかと思われる。

そして、その矛盾をごまかし、さらに「不当な支配」を強化するために、現行の教育基本法を変えようとしている。それで、子どもたちの能力が本当に開花するのか。大いに疑わしい。逆に、本当に子どもたちのことを考えたとき、愛知県犬山市の教育行政に心を惹かれるものがある。

教育行政(だけでなく政治全般についても)に必要なことは、本当に未来の国民としての子どもたちの能力をいかにして開花させていくか、それが子どもたち一人ひとりの幸福や国民全体の幸福にどのようにつながっていくかという視点であろう。愛国心など、国が国民や子どもを本当に大切にしていれば、自然に育まれる。それを声高に叫ばなければならないのは、変えようとする側が、一人ひとりの国民や子どもたちを本当の意味で大切にしていないからだろう。

屁理屈はいらない。20人学級を全国で実現するだけで、教育環境はかなり劇的に変化するはずである。少なくとも、そうした努力を見せ、それなりの成果をあげてから、教育基本法の問題に手をつければならないのではないか。そして、あくまでも大切にしなければならないのは、子どもたち一人ひとりの能力の開花と幸福である。それを守り、支えるための教育行政が実現されることを心から願っている。

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