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2006年7月18日 (火)

感性の教育

教育の現場から、どんどんゆとりと豊かさが奪われ、失われている。いくつかの教育現場に関わっていて、最近特にそれを感じる。その中でも、特に危機感をおぼえるのは教育における感性の部分である。

お互いの思いや感情を共感し、分かり合えているか……。それを考えながら現場の様子を見ていると、どうも、その辺りがうまく機能しているようには感じられない。コミュニケーション能力の問題もあるのかも知れないが、お互いの共感や理解が弱いように思えてならないのである。

それを、どうすれば良いのか。もちろん、即効性のある特効薬などは存在しない。けれども、キーワードの一つは表現だろう。

例えば、美術の時間を考えてみよう。子どもたちの中に「写真のようにそっくり」であることが上手い、という思い込みはないだろうか。私は、それがけっこう多いのではないかと思っている。そして、それが「自分は写真のように【上手】には描けないから下手だ、下手な絵は恥ずかしい、だから絵はキライだ」などという思いになり、美術表現の可能性を閉ざしてしまっている。そんな風に見える場面が少なからず見受けられるのである。

けれども、写真のような絵が【上手】なら、ムンクもシャガールもミロも下手だと言うことになる。とんでもない話である。

これは、美術の表現技術以上に深刻な問題にも関わってくる。下手だから描かない、またそれを認めるのがいやだから真剣に取り組まない、ということになると、自分自身の手で表現の可能性を一つ閉ざしてしまうことにもつながっていく。

言葉での表現が苦手であっても、他の表現手段があれば、それによって自分の思いが伝わる可能性がある。それどころか、きちんと受け止めてくれる人がいれば、自分の思いにすらなっていない心の中の混沌としたものをも含めて理解してもらえる場合がある。そして、表現を理解してくれる人の存在を実感できることで表現は洗練され、伝達能力を高めていく。

それが、他の人々からの共感をも引き出すと同時に、自分自身の心の安定や成長にもつながっていくのである。そのためにも、【感じる】こと、【感じ取る】ことは、とても重要である。けれども、そのためには、創作や鑑賞の過程に十分な時間をかける必要がある。ところが、学校をはじめとする多くの教育現場において、それが効率の名の下におろそかにされているように思われる。

日の丸や君が代、愛国心などで遊んでいる余裕は、今の日本の教育現場にはない。それよりも、感性の教育を充実させることが、多くの問題を少しでも改善するための土台として必要だと思う。

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