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2006年7月17日 (月)

暴力と憎悪のスパイラル

東アジアでも、西アジアでもきな臭い動きが加速してきている。いずれにしても問題なのは力(軍事力・暴力)で自らの利権の拡張や要求の実現を図ろうとする姿勢である。それが、組織として動き、武器を手に行われるために、一般の弱い人々の犠牲を出す。結果としてそれは新たな憎悪を積み上げていき、次の暴力を生み出す土壌となる。暴力が憎悪を生み、それが新たな暴力を生じさせ、さらなる犠牲を増やし、次の暴力の原因となって暴力と犠牲をどんどん拡大していく。暴力と憎悪のスパイラルである。

確かに、家族や友人や仲間を傷つけられたり、その命を理不尽に奪われたりしたとき、私たちはその加害者を憎悪し、復習を願わずにはいられない。それは、人間として当然の思いであり、感情である。けれども、それが「正しい」道なのかと言えば、必ずしもそうではない。キリスト教では「左の頬を打たれたら右の頬をさしだせ」というようなことも聖書には書いてあったと記憶しているし、仏教やイスラム教でも争いを肯定している訳ではない。だから、いかなる神の名においても、現在のような暴力と憎悪の応酬は、本来、許されないことではないだろうか。

けれども、自らの欲望に心を支配され、心の弱さを見つめようとする強さを失った人間は、言葉や行動によって粘り強くことを進めるのではなく、暴力によってすべてに決着をつけようとする。暴力こそは、怯え・恐れ・自信のなさの表れであり、当事者たちが勘違いをしているような「強さ」の表れではないのである。

だから、軍事力を前面に出して動いている現在のアメリカは、一時期のような自信を失っている。その原因には内政の貧しさがあるのだろう。経済格差を広げ、貧困家庭の若者を軍隊に入れて対外的な強さを誇示しても、普通に働いて生きていける地域社会を再生できなければ、生活の豊かさ・心の豊かさは取り戻せず、矛盾を拡大していくだけだろう。それは、日本も同様である。なぜ、右傾化・軍事化を煽らなければならないのか。経済政策に失敗を重ね、普通に働いて生きていける地域社会を破壊してしまったからであろう。その矛盾を隠すために外からの脅威を喧伝し、不安を煽って軍事化を推し進めようとする。構造は、共通しているのである。

私は、少なくとも、そのような流れを肯定する気はないし、またそれに乗りたいとも思わない。日本が、本当に自立した強い国になるためには、今の方向性や方法論(もしかしたら、そんなものはなく、ただ流れに合わせているだけなのかも知れない。その方が、実は怖い)は間違っている。すくなくとも、その事だけは伝え続けていきたいと思う。

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