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2006年7月22日 (土)

ジェラシーの向こう側

嫉妬/ジェラシーは恋愛の過程ではつきものだが、その内実を考えてみると、けっこう奥深いものがある。

まず、ジェラシーの感情がおこるということは、口では「キライ」などと言っていたりしても、普通以上に好きだからこそジェラシーを感じるのだということを指摘できる。だから、ジェラシーを感じてもらえないとしたら、それは、それほど激しい感情は持たれていないということになる。身も蓋もない表現をすれば、どうでもいい相手に対してはジェラシーを感じないのである。

が、その一方で、自分自身がジェラシーを感じるのは、自分の心の中に相手を信頼しきれていない部分もしくは相手に愛されていると自信を持てない部分がある、という場合が考えられる。とすれば、ジェラシーは、ある意味では哀しい。自分の愛する人がジェラシーに苦しんでいるのであれば、その心の深い部分までも強く抱きしめてあげたいと思う。あなたは、存在するだけで私にとって意味がある。あなたは、確かに愛されているのだ、そのことをきちんと伝えてあげたい。

けれども、普通の人間はテレパシー能力を持っているわけではないので、想いを100%伝える、あるいは100%理解することは不可能である。それに、ある意味ではジェラシーは、本人の心の中の問題なので、どれ程愛し合っていても、パートナーが相手の心から完全に嫉妬の感情を消すことは不可能である。けっきょく本人が自分の心ときちんと向き合いながら、自分の中の嫉妬心とも付き合っていくしかないのだ。

そういった意味では、真実の恋愛は哀しい。そして哀しいがゆえに深い。人間の心が不完全である以上、ジェラシーに苦しまなければならない…というのは自然であり、当然ともいえる。しかし、その苦しさやつらさと向き合ってこそ、深い喜びも得られる。そして、お互いの関係も、心の交流も深まっていくのである。

ジェラシーを暴走させて簡単に関係を壊してしまうのは、ある意味では、とても楽である。けれども、それでは深い実感や体験が経験できないままに終わってしまう。ジェラシーの苦しさや辛さから逃げずに、深い恋愛を味わいたいものである。

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