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2006年7月 8日 (土)

信じることと愛すること

愛している人とケンカをする。どんな恋愛にも、よくあること……というよりも、愛しているし、信じている相手だからケンカができる、とも言える。

もし、こちらが恋しているだけで相手が自分をどう思っているかわからない時や、相手に愛されている自信がない時には、関係が壊れてしまうのが怖くて、とてもケンカなんかできない。もし、誤解や理不尽な理由で相手がケンカを売ってきても、愛されている自信がないから、ほとんどの場合、自分の方に非がなくても、相手の言い分や要求を受け入れてしまうのではないかと思う。

けれども、小さなケンカぐらいで壊れる関係ではない、相手に愛されているという実感があれば、安心してケンカができる。お互いが信頼しあっているならば、それはお互いの理解を深めるためにも大切な(けれどもあまりうれしくはない)ことである。…ただし、自分が相手を特に大切に思っていない場合でも、相手に愛されていると判断できる場合は、その弱みに付け込んで、相手を利用するためにケンカをふっかけたり、無理なことを要求したりする場合(こういったやり方は私の趣味ではない)もあるが。

やっかいなのは、ジェラシーである。愛されていなければ、ヤキモチは焼かれない。でも、ジェラシーというのは、本当に相手を信じているのだろうか。相手を信じ、自分が相手に愛されていると信じられ実感できるならば、多分ジェラシーは感じない、と思う。けれども、愛してはいても相手や自分が信じられなければ、ジェラシーの炎に身を焦がすことになってしまう。

もちろん、完璧な人間はいないので、恋愛をしているときにまったくジェラシーを感じたことのない人間はまずいないだろう。だからこそ、時にはジェラシーは恋愛を味わい深くするスパイスとなってお互いの関係を深める形で作用する。けれども、過度のジェラシーは、逆に関係を壊し、自分や相手を滅ぼしてしまうほどの怖さも持ち合わせている。映画やドラマ、文学などで飽きることなく取り上げられ続ける所以である。

このように、愛し合い信じあうことは難しい。けれども、難しいからおもしろいという部分もある。多少の苦しみはあっても、良い恋愛がしたい。

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