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2006年8月11日 (金)

物質というゆがみ…きままに時空論1

物質というゆがみ…きままに時空論1

小説を書きながら、物質や時空について考えた。

 

全ての物質には重力があり、お互い、どれほどの時空を隔てても、またいかに大きさに差があろうとも引き合っている。そして質量が大きくなるほどその力は強いから、人間は自転している地球の上から離れられない。…これが、ニュートンに始まる物理学の見方であり、さらに現代の物理学研究によれば、物質は存在する事により時空そのものを歪めているという。

 

もちろん、時空や原子を構成する素粒子などは、私たちが直接手にとって眺めたり触ったりできる性質のものではないから、「そうなのか」と、教科書や本を読んで自分自身の頭に思い込ませるしかない。ただ、今まで目にした本の印象からすれば、ほとんどすべてが物質の側から書かれていて、「時空」の側からは書かれていないように思える。

 

たとえば、スポンジの上に鉄の球をのせるとしよう。

 

その重さによって当然スポンジは窪む。もっと重い球を乗せるとスポンジはより深く窪む。では重さの違う二つの球を一緒にスポンジの上に転がせばどうなるか。球が近ければ、重い方の球の窪みに軽い方の球は転げ落ちるだろう。

 

万有引力という視点で二つの物質を見た場合、この重さの違う球が二つの物質である。そして、スポンジが時空という事になるわけだが、これをスポンジの歪みという視点から見たらどうだろう。スポンジの窪みが大きければ大きいほど、球は、次々と窪みに集まってくる。もしかして球と感じているのはスポンジの歪みに過ぎないのではないか。…そんな考え方はできないだろうか。

 

つまり、物質というものは時空の歪みそのものであり、歪みが他の歪みと影響しあって動いて行くという動きそのものがエネルギーと考えても良いのではないか。それは、水面を動く波がお互いに影響し合う事で大きくなったり小さくなったりするイメージで見ていくと物質の大きさの違いも説明できるかも…。

 

そんな他愛のないことを、全宇宙を舞台にしたSF小説に取り組みながら考えていた。けれども、費やした時間の割には、まだ第一部しかできておらず、自分なりのイメージの整理も不十分である。表現活動を通して、自分の考えや認識はある程度整理をしていく事ができるが、今の状態では、ほとんど半年前と変わっていない。小説も、時空イメージの整理も、まだまだ先は長そうである。

p.s.ここで述べているSF小説については《まい・ぺん・らい》というブログをのぞいてみてください。http://maipenrai.noblog.net/

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