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2006年8月12日 (土)

エネルギーという意思…きままに時空論2

エネルギーという意志…きままに時空論2
 
最近、心理学に関係する本を読んでいて目につく表現に、「…に、エネルギーを使う」というものがある。と言っても、物質が動いたり熱を発したりするのではなく、「憎しみ」や「心の中の葛藤」と言ったものが目的語の部分に入るのだが…。
 

この表現は、物理学的には奇妙なニュアンスがあるが、感情的には納得できる。そうした実感からすると、心に強く思う活動にはエネルギーが必要であり、また、それが現実の関係を動かすエネルギーとなる…という前提を無意識的に感じている事になる。
 

この実感を物質に延長すると、物質の「思い」がエネルギーなのではないかという推論を進めることができる。もちろん、物質に人間と同じ心がある訳ではない。しかし、物質にも、人間とは異なる心があると仮定すれば、その「思い」がエネルギーという形で現れていても不思議はないのである。
 

この推論を荒唐無稽と感じる人は多いだろう。けれども、バラモン経典にはブラフマンというあらゆるところに存在する「宇宙の最高原理」が出てくる。聖書でも「光あれ」という「神の意志」がすべてを創造していく。

時空そのものが高次の絶対的存在の意志によって作られ、維持されているのであれば、その「思い」も時空や物質に応じて現れ方が変化していても不思議はない。たとえ、個々の物質や生命のレベルでは、そうした現れ方の違いを認識できなくても…である。
 

このように考えていくと、日常的な現象ばかりでなく、超常現象も説明できるように思われる。試みに、少し例示してみよう。
 

物質の「思い」が時空を歪めて物質を動かすのに加え、人のさらに強固な「意志」が時空を歪めれば物質の「思い」を越えるサイコキネシスとなり、時空をねじ曲げてつなぎあわせてしまえばテレポーテイションとなる…などといった解釈も成立しそうである。
 

幽霊なども、亡くなった人の強い思いが物質を離れて時空に残ってしまった…などと考えられるだろう。そして、すべての「思い」はブラフマンなり神なりの一部分にすぎないので、「個人」の執着から離脱できれば新しい輪廻転生へと向かうということだろうか。 おっと、少しばかり悪ノリしすぎたようである。
 

イメージ的にはこういう形でまとまりつつあるが、このイメージ世界が論理的・客観的に読者を説得し得るかどうかは大いに問題が残っている。もう少し厳密に細かい部分を整理して、矛盾や飛躍のなくなるような形にまとめていきたいものである。もう一人の自分が「無理、無理!」とシニカルに笑っているのが気になるところだが…。                            

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