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2006年8月28日 (月)

国家権力の【約束】としての憲法

ポスト小泉ダービーの報道がマスコミを賑わしている。その報道を見ていても、今後の日本の行方は見えてこない。1つは、候補者の未来を語る能力の欠如の問題もあるのだろうが、マスコミの側も、それを追求できずに競馬やペナントレースの勝者を予測する程度の掘り下げしか出来ない能力の低下の問題もありそうだ。

ただ、現状からすれば憲法をどうするのか、という問題も、日本の未来を考えていく上で重要な視点を提供してくれる。その際に、忘れてはならないのが、憲法とは最高法規であり、1つの国の国家権力がその国民および他国政府に対して「力の濫用をしない」と誓った破ってはならない約束である。

与党の憲法論議などを聞いていると、時々、憲法改正によって国民の権利を制限し義務を強化しようという19世紀レベルの不勉強な輩がいる。そういう連中に限って、公務員や国会議員の「憲法遵守の義務」を口にしない(多分、知らないのであろう)のみならず、靖国神社参拝の行動でもわかるように、神道以外の宗教を信じている国民の信教の自由を平気で侵害してはばからない。人権は、政治権力を持つ強者よりも持たない弱者の方を尊重しなければならない、という世界常識すらわきまえていないのである。

そうしたレベルでしか考えていない(あるいは考える程度の能力すら持ちえていない)から、憲法が他国に対しての約束でもある、という発想はないのだろう。例えば、批准したはずの人権関係の条約を平気で踏みにじることのできる法改正や法運用を行ったりしている例がある。悪質なものでは、入管難民法をたてにして国連が認めた難民を追い返そうとしたこともあった。9条の平和主義も、解釈改憲の積み重ねによって近隣に勝るとも劣らない装備を持つ「自衛隊」が存在し、イラクにまで派遣されている。さらにこの9条を変えることは、他国に対して平和主義の撤回を示すことにもつながりかねず、「先制攻撃」の口実を与えることにもなりかねない、という可能性には誰も言及していないようである。

憲法改正に言及する前に、まず憲法とは何なのか、そして国家権力の側が、それを最高法規として遵守しているのかをよく考えてみる必要がありそうである。私は、主権を有する国民の一人として、それが為されているのかを注意深く見ていきたいと思っている。

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