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2006年8月21日 (月)

短歌雑考

十数年前、初めて自分の意思で短歌を作ってみた。というよりも、心に沸き上がる想いを言葉にしてみたら、それが自然に31文字の形をとっていたと言ったほうが正しいかもしれない。それをノートに書いて、あらためて読んだとき私は思いもかけなかった驚きを味わった。凝縮した自分の言葉が、ある人への想いと重なり合ってとてつもなく愛しかった。遥かな過去から日本の中で受け継がれてきた短歌。それを守り、そして作り続けてきた人々の気持ちが、ほんの少しだけ分かったような気がした。

 

遠い遠い昔、言葉には重みが在った。人々の想いが、人々の願いが、そして、人々の祈りが言葉に込められ、それが、1首の歌となって結晶した。それは、単なる作品ではなく、行動を、生き様を、そして未来までも内包したものだった。……言魂信仰である。

 

倭武命(ヤマトタケルノミコト)の古事を見てみると鎮魂のための、そして哀切の感情を込めた歌の存在が確認される。また、柿本人麻呂は壬申の乱の後、近江の都を旅してたくさんの戦死者のために挽歌を詠んでいる。祈りや感情が歌という形に結晶し、それが死んでいった人の魂を鎮める。歌、すなわち言葉の持つ神秘的な力を人々は信じていた。誰もが心の内に持つ願いや祈りを歌にして、祟りなどの不幸から救われることを、希望がかなえられることを望んだ。日々の生活と未知なるものに対する信仰が溶け合っていた時代。1つひとつの言葉が、そしてそれが練り上げられた歌そのものが人々にはとても大切なものだった。

 

このような時代の歌の中で私が好きなものを何首かあげてみよう。

  君が行く道のながてを繰り畳ね焼きほろぼさむ天の火もがも

                        狭野茅上娘子

  我が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に我が立ち濡れし

                        大伯皇女

狭野茅上娘子の歌には、鎮魂というような意味合いはないが、それでも、恋人の中臣宅守の配流による別れの悲しみ、そしてかなうべくもない願いがひしひしと伝わってくる。はっきり言えば恋の歌である。しかし、その恋は、すべての想いを、そして一生を賭けることをもいとわない程の恋である。今の時代でこそ「たかが恋」かもしれないが、流行りのアイドル歌手の歌とは比べものにならないほどの重みが1つひとつの言葉に感じられる。

 

一方の大伯皇女の歌はもっと重い。何気なく見れば恋の歌の1つというような感じもするが、「我が背子」が謀反の疑いをかけられ大和に帰れば殺されるであろう弟の大津皇子だということを知っていれば、その哀切の想いが挽歌の色彩さえ帯びて悲しく伝わってくる。歌は、このような重みを持った言葉の結晶だった。だからこそ、その神秘の力も信じることが出来たのだろう。

 

その後、時代は下って平安の貴族文化が咲き誇る。そんな中で多くの恋の歌が生まれる。様々な技巧が発達する一方で、真摯なまでの色合いは薄れてはいったが、それでも、歌に託された想いには真実が含まれていたように感じられる。例えば、こんな歌が好きである。

  玉の緒よ絶えなばたえねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

                        式子内親王

やがて新古今の時代が過ぎ、歌はかつての勢いを失っていく。そして明治。近代に入って短歌の勢いを蘇らせた人の1人に与謝野晶子がいる。何気なくこの1首を選んだが、彼女の激しい想いが伝わってくる。その激しさが好きである。

  やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

                        与謝野晶子

そして現在。爆発的に売れていた時はどうしても読みたくなかったのだが、少ししてから読んでみた俵万智。言葉の中に狭野茅上娘子の時代のような重さは感じられないが、それでも、さらりとした素直な想いが伝わってくる。

  母の住む国から降ってくる雪のような淋しさ 東京にいる

                        俵 万智

世は軽薄短小の時代。政治家の言葉も嘘で塗り固められていて、軽い。そんな中で日常的な言葉も重みを失ってシャボン玉のように漂っている。俵万智の歌のさらりとした感触は、そうした時代の影響かもしれない。それでも、彼女の歌には素直な想いがある。事実とは異なっていても、その中に現実の生活があり、現実の言葉がある。その言葉を詠み込むために、時として五・七・五のリズムが崩れるものもあるがそれに拘らない素直さが彼女にはある。俵万智の歌は、正直な想いの中から生まれる真実の夢である。だから、彼女の歌が嬉しい。

 

8ビート・16ビートのリズム、早口で捲し立てるラジオやテレビ。その中で軽薄な言葉が流れ、漂い、使い捨てられて消えていく。たくさんの嘘によって貶められ、その場限りのイメージと効率だけで寸断され、歪められ……。祈りどころかささやかな願いや想いすら乗せることも儘ならず、シャボン玉のように生まれては消えていく言葉。もはや、そこには言魂信仰の影すら無い。そんな時代だからこそ、1つひとつの言葉に想いを凝縮させた歌を詠みたい。1つひとつの言葉に言魂を結晶させた歌が読みたい。

 

結局、歌とは「想い」の結晶なのだ。1人ひとりの大切な「想い」を吟味された言葉の中に詰め込んだ心の結晶なのだ。「想い」のこもった言葉は、自然に人間の思いや行動と絡み合い、その重みを増していく。そんな過程を通して新しい歌が生まれていくのではないだろうか。時代を越えた新しい歌が…。

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