« 8月15日に思うこと…小泉売国奴総理 | トップページ | 戦火の拡大と共感する心の喪失 »

2006年8月16日 (水)

「わからない」ことの意味

「わからない」ということは、ある意味では幸福である。

人と人との関係において、相手のことがわからなければ、簡単に怒ることができる。けれども、相手のことがある程度以上に理解できるようになると、一見すれば腹の立つ言動であったとしても、その背景にあるものが理解できてそうした言動をとる理由がわかってしまうと、安易に怒りをぶつけることが出来なくなってしまう。特に相手が自分より弱い立場にいる場合は特にそうなる。相手に対する理解や共感が怒りを止めてしまうのである。

つまり、相手との関係において、理解や共感が深まれば深まるほど怒りの爆発・暴走は回避できる可能性が高くなり、悪意や暴力の応酬などという事態は起こりにくくなる。そして、そのような関係が広がれば、多くの人々とおだやかで優しい時間を過ごすことができるようになる。

しかし、相手に対する理解や共感が深まれば、必然的に自分自身のこれまでの見方や考え方を修正する必要も生じてくる。それが、人間を成長・成熟させていくことにつながるのだが、それは実は、今までの自分を変えていくことでもある。自分を変えていくという過程は、実は、辛く苦しい部分も含んでいる。その痛みや苦悩から逃れるのは実は易しい。相手を理解せず、共感もしない、つまり「わからない」ままにしておくことである。

「わからない」ままでいるということは、その時点ではとても楽な選択である。けれども、それをそのまま放置しておくと、後でとんでもないツケを払わされる場合が少なくない。けれども、それは当然かも知れない。「わからない」ままにしておくことは、人間としての成長・成熟の道を自ら閉ざすことであり、後になって問題がより大きな形になって自分の人生に巡ってきても、対処する力がついておらず、結果としてより大きな苦しみや辛さを味わうことになりかねないのである。それが、自分1人の人生だけに降りかかるのであれば、ある意味では自業自得、ということになる。けれども、地位や権力を持つ人がそれをすれば、自分1人だけでなく、周囲の人々にも苦痛を与え、迷惑をかける。

靖国神社参拝の意味をわかろうとしないで勝手気ままに行動する小泉純一郎(神道とは異なる宗教の信者の痛みや侵略戦争によって大きな被害を受けた国の民衆の痛みをわかろうともしないし、共感もできない)という男の行動によって、国民には多大な迷惑がかかっていることを彼は考えもしない。考えることは、これまでの自分を否定することになるかもしれないが同時に成長・成熟させることにもつながる。彼は、(もしかすると無意識に)それを恐れているのかも知れない。

確かに、人間である以上、「わからない」ことがあるのは仕方がない部分もある。それに、「わかる」までにはそれなりに時間がかかる場合も少なくないので、「わからない」ことそのものが悪いわけではない。問題は「わからない」をどうしていくか……ということである。

「わからない」を放置しないで心にとどめ、少しずつでも理解や共感が可能になるように努力を続けること……。そのことが人間としてのステップを1つ進めることにもつながってくる。「わからない」を認めつつも、それがさらなる理解や共感を深めることにつながるようにしていければ……と思う。

|

« 8月15日に思うこと…小泉売国奴総理 | トップページ | 戦火の拡大と共感する心の喪失 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/120394/3083779

この記事へのトラックバック一覧です: 「わからない」ことの意味:

« 8月15日に思うこと…小泉売国奴総理 | トップページ | 戦火の拡大と共感する心の喪失 »