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2006年8月23日 (水)

幻のユートピア

人は誰でも、自分だけのインナー・スペースを持っている。そこは、親や友人であっても、また、どれ程の力を持った権力者であっても、侵すことの出来ない場所である。しかし今、その大切な場所が緩やかな侵略の危機に晒されている。マス・コミニュケーションの発達が、大切なイメージの世界を広げると同時に、1人ひとりの独自性を次第に奪おうとしているのである。 情報の洪水。イメージの氾濫。一見、それは人間の内的世界を豊かにするもののように感じられる。しかし、氾濫した河川が全てを飲み込んでしまうように、多すぎる情報の渦の中で、人は、自分自身の感性を鈍化させられ、やがてはそれを見失ってしまうのである。

 

例えば、生活。

 

肥大した鮮やかな(しかし、良く見れば毒々しい色彩を持った)イメージの世界は、一種のユートピアである。自分の精神をその中にまどろませてさえいれば、人は幸福を感じていられるのだから。いや、幸福というよりも、単なる快楽といったほうが正しいだろうか。しかし、その状態は心地好い状態であり、決して不幸を感じないことだけは確かなのである。だから、そこは、ユートピアと言っても差支えがないと思われるのである。

 

だが、そのユートピアからは、日々の生活が抜け落ちてしまっているのが普通である。いや、その中に没入することによって、人は日々の生活を忘れようとすると言った方がいいかもしれない。いずれにしろ、そのユートピアは、日々の生活、つまり日常を否定することによって入ることを許される夢の世界なのである。例えば……。

 

何気なく入れたテレビのスイッチ。次の瞬間、画面は、日常とは別の世界を映し出す。光の中で歌い、踊るアイドルたち。あるいは日常的にはありえない、ハンサムや美人ばかりが出てくるドラマ……。その映像そのものが、美しい夢の世界……ユートピアである。

 

何気なく開いた漫画雑誌。そこにも、一見、日常を装った全く別の幻想世界が潜んでいる。日々の生活の中にそこに登場するような「素晴らしい仲間」や「素敵な恋人」は現れないし、また、自分自身も、主人公のようには行動出来ない……そんな度胸も、優しさも、勇気も、純粋さも持ち合わせていないのだから。そこも、美しい夢の世界……ユートピアなのだ。

 

何気なくスイッチを入れたTVゲーム。そこにも、多様な別世界が広がっている。1度や2度死んでも(ゲーム・オーバー)3度、4度とやり直しの出来る別世界となっている。いくつもの命を持って冒険を楽しめるアドベンチャー・ワールド。ここもまた、楽しい夢の世界……ユートピアと言って良いだろう。

 

いくつかの例をあげてみたが、いずれも大変日常的な、どこにでもある、しかし、日常の生活から遊離することによって入っていくことを許される夢想世界としてのユートピアである。

 もちろん、私は、この様な夢想世界を全面的に否定しようと言うのではない。日常とは違う美しい夢の世界もまた必要なのだ。それが人々の新しい活力となって、日常の中にある様々な矛盾を切り開き世界を変えていく出発点となるのであれば……。

 

しかし、現状を見てみると、どうもそうではないらしい。子どもたちや若者たちは、日々の生活を忘れ、幻想のユートピアの中に自分自身の心を閉じ込めていく。他の人々との交流を嫌い、自然や生き生きとした生活を忘れ、一見雑多な色彩を持った、しかし、他の誰かの手による安易な幻想世界に落ち込んでいくのである。

 

溢れるリズムとメロディーの中に、氾濫する色彩と映像の中に、生々しさを失ったケイタイやマイクを通った電子音声の中に、人や自然とのつながりを失った若者たちが漂う。そこは、自分1人だけのユートピア。アクセスしてくる相手は在っても、この閉ざされた世界に土足で踏み込み、花園を蹴散らす者はいない。いや、彼等は、そのような存在は自分の方から拒否してしまうのである。無視、反抗、暴力という言葉を使って…。

 

そうして、彼等は自分だけのユートピアの中に閉じこもる。やがて、現実が見えなくなり、現実に対処し、それを変えていく力を、未来への可能性を放棄してしまう。権利を主張、擁護し、義務を果たす責任と自覚を持った大人になりきれず、シンデレラとして、ピーターパンとして、青い鳥を求めて自らの幻想によって空洞化されてしまった現実を彷徨い歩く。シンデレラ症候群、ピーターパン症候群、青い鳥症候群などがそれである。

 

彼等は、結局、現実の世界ではユートピアに到達することは出来ないのである。自らの幻想の中にあるユートピアを破壊しない限り…。そして、そんな彼等が到達出来るのは、自らの内にある幻想の世界……幻のユートピアだけしかないのである。

 

そこには、確かにユートピアが在る。しかし、それは、何と悲しいユートピアだろう。余りにも不確かな、シャボン玉のように脆い、幻想のユートピア。無数にあるがゆえに、はかなく、淡く、それゆえに美しいのだが、未来への可能性を浪費してしまう仇花として咲き誇るユートピアなのである。

 

こんなユートピアなど要らない。そう、叫ぶことが出来たらどんなに幸福だろう。しかし、私自身、自らの内にある幻のユートピアをどうしても捨て去ることが出来ないでいる。麻薬のような、美しきユートピアを……。

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