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2006年9月14日 (木)

まやかしの「現実主義」

夢や理想を語ろうとすると「しかし、現実はそう甘くはない、なぜなら…」と口を挟む人が少なからずいる。自称「現実主義」者である。確かに、まったく現実を直視しないで理想を語ることはバカげている。けれども、「現実」を追認しているだけで何も行動せず、当たり障りのないところで文句や不満や愚痴を述べているだけなら、それは現実主義でもなんでもなく、現実に流されるだけの敗北主義だろう。

以前、教育相談の場で「先生から、毎日5時間勉強しなければ、入れる高校はない、と言われた」と言う発言を聞いたことがあった。確かに、今までほとんど勉強らしい勉強をしてこなかったその生徒が、中学校で学習する内容を完璧に身につけようとすれば、毎日5時間勉強しても足らなかっただろう。けれども、全教科で100点をとらなければ高校に合格できない、という訳でもない。その時は、まず毎日1時間以上勉強を続けられる努力をするようにアドバイスをした。その生徒はアドバイスを守り、秋口に骨折で入院するというアクシデントがあったにも関わらず、ちゃんと高校に合格することが出来た。

この例からもわかるように、5時間勉強することは理想でも、勉強の習慣がまったくついていない現実があるならば、まず小さなステップとしての目標を作り、それをクリアする努力を積み重ねることが重要である。もし、この生徒が「自分はどうせ勉強できない」と、今の「現実」にいなおって努力することを放棄すれば、高校受験失敗、という「現実」を経験することになっただろう。結果の分かれ目は、努力を積み重ねる決断をしたか、努力を放棄したか、ということになろう。

ところが、今の日本の社会を見ていると、「どうせ、現実は変わらない」「現実はそんなに甘くないんだ」という言葉を吐いて、努力することから逃げている人間が増えているように思われる。確かに、努力にもコツがあり、ステップの刻み方が大きすぎると続かなかったり、努力が空回りしたりすることはある。ただ、そういう場合は、もう一度現実に立ち戻り、ステップの刻み方を変更することで結果は変わってくる。その意味で、「現実」という言葉を何もしない理由や努力をしない言い訳に使っているのであれば、それはまやかしの「現実主義」であり、ただの敗北主義である。

一方で、美辞麗句だけを並べ立て、現実からのステップをきちんと示さないような人間も存在する。これも「理想主義」でも何でもなく、単なる夢想家かペテン師の類であろう。遠くの理想、つまりビジョンを示すのは確かに大切である。けれども、それだけは足りない。夢を実現するためには、短期および中期の、現実から出発した具体的な目標、つまりステップが必要なのである。そして、現実の変化に応じて、ステップはそれなりに対応し変化していくものである。そうした流れの中で「現実」は変化していく。もちろん、そのためにはステップを実現するための努力が必要なのである。

けれども、まやかしの「現実主義」や美辞麗句を並べ立てるペテン師が跋扈する社会になりつつあるように感じられる。そうした嘘をしりぞけ、努力を復権させることをとりあえずは目指さなければ……と思う今日この頃である。

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