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2006年9月19日 (火)

姑息な「審議会答申」

政府が、国民や関係地域の住民に都合が悪いかも知れないことを押し付けようとする時に「…審議会」や「…諮問会議」などをつくり、「有識者」や「専門家」を集めて議論をさせ、答申を出させる、という方法がよく使われている。けれども、その際の参加者の人選を良く見てみると、政府の主張や考え方に近い人たちばかりを集め、その上で政府の方針に箔をつけて進めていく根拠としている傾向が最近は特に強まっているように思われる。

BSE問題で揺れたアメリカ産牛肉再開の際にも、明らかに最初から「再開」という結論ありき、で、結局少なくない委員が辞めている。これでは、審議や諮問自体が問題点の発掘や新しい可能性を生み出す提言にはなり得ず、時間や金の無駄遣いである。

政治家にしろ、上級官僚にしろ、異なる意見に対してもきちんと耳を傾けることによって、様々な可能性やリスクを深く検討できるようになるので、審議会に諮問をするならば、少なくとも半数は政府の出した方向性に疑問を持ったり反対したりする人々も委員に選出することが議論を深いものにし、万が一のときの方向転換も視野に入りうるので、リスクに対しても強くなる「答申」が期待できるようになる。

なぜ、それが出来ないのだろうか。国民のことや国の将来よりも、身内の目先の小さな利益しか目に入らないのだろうか。そうであれば、政治家として官僚としての資質を欠いていると言わざるを得ない。

日本の社会も、国際社会も多くの問題を抱え、様々な矛盾に満ちている。そんな厳しい環境の中では、広い視野と遠くまで見通すビジョンが必要である。厳しい環境の中で、それを養うには、小さな世界の中に閉じこもっていては不可能である。それを開く鍵が、意見の異なる他者の話を良く聴き、方向性に矛盾や問題点が出てきた時には潔く修正できる強さを身につける事である。

御用学者ばかりを集め、政府の方針に沿う「答」の用意されている「答申」を並べ立てても未来は開けない。そういう姑息な「…審議会答申」などはさっさと廃止して、より多くの立場の人々や本当の意味での専門家の意見に耳を傾けることが必要だろう。

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