« 象徴天皇制を考える | トップページ | まやかしの「現実主義」 »

2006年9月13日 (水)

内向きの危うさ

最近、人々の視線が内向きになっているように感じられることが少なからずある。もちろん、それも大切なのだが、過ぎたるは及ばざるがごとし…で、外もある程度きちんと意識しておかないと、返って問題を抱えてしまったり、問題を大きくしてしまったりするような事態になってしまうことがままある。だから、内を振り返ることも大切だが、あくまでも外への視線とのバランスも考えた上で…という点は意識しておきたい。

例えば、イラクやレバノンでの戦闘に対して、どこかしら傍観者的な意識が社会にはある。もちろん、遠い国の話には違いないのだが、ある意味では石油価格の高騰や、憲法改正の論議とのつながりなどもあり、グローバル化の進む時代において外への視線を失ったり、外からの視線を意識しなくなったりするのはけっこう危険である。

憲法改正にしても、日本の国の憲法だからと日本の国だけを考えてすむ問題でもない。別のところでも書いたが、国際常識からすれば憲法は政府の国民に対する約束であると同時に、諸外国に対しての約束でもある。そういう視点からすれば、9条の平和主義は、国家の指導者レベルからすれば侵略戦争を行わないという主張の信頼性の根拠足り得るのである。それを変え、自衛隊を自衛軍にしようとする動きは、一つの根拠やある程度の歴史的信頼性を持った重要な外交カードを自らの手で放棄するに等しい。

外からどう見えるのか。日本人は豊かさを実感していなくても、他の国々から見れば充分に豊かである以上、日本で働きたいと考える他国の人々は多い。そして、少子高齢化の問題や単純労働の現場での人手不足の問題などを含めて考えれば、もっと外からどう見られているのかを考え、ある意味ではそれを利用して、どのような方向に進んでいくかを模索することが大切である。

にも関わらず、そうした意識が全体的に欠如しているように感じられる。個人のレベルでなら「それだけの余裕がない」という場合もあるかもしれないし、それは多少は仕方がない部分もある。けれども、政府やマスコミ、といったレベルでは、それは許されない。目先の利益、一部の利益ではなく、より大きな視点での動きを期待したいものである。

|

« 象徴天皇制を考える | トップページ | まやかしの「現実主義」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/120394/3431108

この記事へのトラックバック一覧です: 内向きの危うさ:

« 象徴天皇制を考える | トップページ | まやかしの「現実主義」 »