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2006年9月 8日 (金)

仮面ライダーのすたるじい

子どもの頃、毎週テレビの前にかじりつき見ていた「仮面ライダー」……。そしてそろばん教室での待ち時間にむさぼるように読んでいた「仮面ライダー」……。その当時はそれ程意識していなかったが、今思い返してみると、テレビ版とマンガ版との作品世界は微妙に違っている。テレビ版、特にサボテグロンの襲来と仮面ライダー2号/一文字隼人の登場以降のシリーズではテンポのいいアクションとライダーのヒーロー性に魅せられて毎週見ていたが、マンガ版を後で読み返してみるとところどころに見える社会への視線が物語への深みを与えているのが理解できた。

なぜ、仮面ライダーは風をエネルギーとするのか、それは仮面ライダーが「自然」の使者でもあるからだ。そして、彼が戦い続けるショッカーとは……。例えば、マンガ版で出てくるコブラ男は、公害反対運動のリーダーたちの暗殺を行っている。高度経済成長期の社会の闇とアクセスしている存在、そうした面も持っているのだ。

そして、仮面ライダーがサイボーグであることの異人性も、マンガ版ではより強調されることになる。それは、激しい怒りを覚えると顔に改造手術の傷跡が浮かび上がるといった場面から象徴的に読み取ることができる。だからこそ、普通の人々との距離を感じざるを得ず、孤独を胸に戦い続けるのである。

しかし、テレビ版では、そうした部分を描ききれぬまま終わってしまったところがある。以降のシリーズにしてもヒーロー性を追及するあまり、社会への視線が弱かったのかなあ、と思う。もちろん、それゆえに繰り返し制作され、平成の今でも続くほどの大ヒット作品となったのだろう。それはそれで悪くはないのだが、マンガ版に描かれていた背景や異人性は、大人になった今でも充分に楽しめる深みを持っている。さすがに、平成の新しい仮面ライダーまでは見ていないが、時には古いビデオやフィギアの存在を楽しみたい今日この頃である。

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