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2006年9月 1日 (金)

原作と映画

先週「ゲド戦記」を見に行った。最初は迷ったのだが、先月、挿入歌の「テルーの唄」を谷山浩子が作曲しているのを知り、急きょ見に行くことにしたものである。

原作を読んでいなかったので、映画としてはまあまあ楽しめた。けれども、多分、原作を読んでいたら不満に感じたのではないかと思う。ル=グインは高校生くらいの時に『辺境の惑星』というSF作品を読んでいて、当然『ゲド戦記』の存在も知っていた。けれども、長いのも知っていたので、なかなか読もうというところまではいかなかったのである。

原作と映画の関係では、本から先に入った場合は、読んだ時の自分の強い印象やイメージがあり、それが映像との間に距離を感じると幻滅することが時々ある。その最初の例は、中学時代に何度も熟読した新田次郎の『アラスカ物語』を高校時代に映画で見たときだった。思い入れが強かった分、映画を見た後「金を返せ!」と叫びたくなった。

原作との距離感で、どうも今ひとつ…と感じたのは「ネバー・エンディング・ストリー」などもそうである。やはり原作の『はてしない物語』の深さに映像が追いつけない…という感じであった。「百聞は一見にしかず」という諺があるが、視覚はイメージを固定する作用が強いので、原作の深みを表現しきれないと返って陳腐化してしまうのである。その意味では、同じエンデ原作の「モモ」はイメージを裏切らなかった作品であった。

逆に、原作は原作、映画は映画という感じでそれぞれ別の良さがあり、二重に楽しめたものもある。角野栄子原作の「魔女の宅急便」と宗田理原作の「ぼくらの七日間戦争」である。先に原作を読んでいたが、途中で思い切りよくストリー展開を変えてしまったので、それがそれぞれの面白さにつながったのではないかと思われる。

それでも、映画を見ることで、原作に触れてみようという気になる場合も少なくない。とりあえずは、『ゲド戦記』もほとぼりが冷めた頃にゆっくりと読んでみよう。

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