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2006年9月12日 (火)

象徴天皇制を考える

以前、河合隼雄の著作で日本神話の中空構造の話を読んだ時、なるほどなぁ、と感心したことが合った。アメノミナカヌシ、イザナギ、イザナミの3柱の神々、あるいはアマテラスオオミカミ、スサノウノミコト、ツキヨミノミコトの3柱の神々など重要な関係の中に必ず無為の存在がいる、という指摘である。確かに、日本の国を作ったイザナギ、イザナミの2柱の神々に比べてアメノミナカヌシの印象は薄いし、伊勢神宮内宮の主神で世界でも珍しい女性の太陽神にして天皇家の祖先とされるアマテラスオオミカミやヤマタノオロチを退治してオオクニヌシノミコトに娘を与えたスサノウノミコトに比べるとツキヨミノミコトの影も薄い。そうした空の存在が、日本人の精神に大きな意味を持っているのではないかという話である。

それを頭に入れながら日本の歴史を振り返ってみると、中心の存在を空洞化して周辺部にいるものが実権を握ると形が古代から繰り返して現れているように思われる。

例えば、聖徳太子から天智天皇、天武天皇といった流れの中で天皇中心の国づくりを目指していたものが、いつの間にか摂政や関白が実権を握ったり上皇(法皇)が実権を握ったりする形になり、天皇の存在が権威だけを残して空洞化していった。

さらに、摂政や関白なども、やがて武士が政治の実権を握っていく中で空洞化し、征夷大将軍が中心になる。それも時代が下っていくと執権という《周辺》、あるいは三管領や四職に、あるいは老中や大老の合議制に、と政治の実権は移動していく。

こうした流れを見てくると、日本では中心を空洞化してその周辺部が実権を握る形が繰り返し現れてきているように感じられる。

そこで、象徴天皇制である。確かに、この言葉は現行の日本国憲法の規定からきている。けれども、明治政府において直接政治を動かしていたのは誰だったのかを考えれば、戦前、あるいはそれ以前から、日本の伝統として《象徴》天皇制の実態があったのではないか、と考えられなくもない。

ただ、中心を空洞化し、周辺部が実権をにぎるという形は、責任の存在をあいまいにしてしまう危険が非常に高くなる。これだけ国際化が進んでくると、「責任をとる」ということをあいまいにしていては対外的に理解を得られにくく、交渉の場では不利になることも少なくない。そうした点も含めて、歴史を見つめ、参考にしながら、未来への道を模索する必要があるかもしれない。

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