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2006年10月10日 (火)

自立ということ…

最近の日本社会は、付和雷同の傾向が強くなっているように感じられる。これは、自分自身をきちんと精神的に確立していない人間が増えている、と云うことから来るのではないだろうか。その意味で、自立や自己主張の必要性を叫びながらも、それに反する押し付け行為が行われているからこそ、精神的に自立できず声の大きい人の言うことを何も考えずに繰り返すことを「自己主張」と勘違いしている人間が増えているのではないか、と思われる。

まず、自分というものを確立することは確かに大事だが、そのためには土台となる知識や判断力が必要であり、それをもとにじっくりと考えることが次のステップとして大切である。けれども、考えるだけでは不十分で、その考えを真摯に表現し、また自分の行動を通して確認してみることも重要となってくる。そうした積み重ねと、その過程の中での他者との関わりにおいて「自分」というものが次第に形成されてくるのではないか、と思われる。

ところが、考えることや自分の考えや言葉に基づいて行動することを疎かにしている人々が多い。それなりに責任のある立場の人々、権力を持った大人たちでもそうである。つまり、責任ある立場にいても、それなりに権力を持っていても、自立している人間は思いのほか少ないようなのである。

自立していない人間にとって、本当に自立している人間の存在は邪魔で、また怖くもある。自分の弱さや虚偽性を見透かされてしまうからであろう。だから、実力も伴わないくせに高圧的にでたり、その身にそぐわない権力を使って他者の批判を押しつぶし、小さな自分の考えや判断の枠内にその言動を押し込めてしまおうとする。そういう大人が、本当にイヤになるほど増え続けているように思われる。

だから、まず自立を促したい。たとえ苦しくても、実際に苦労して自分の頭で考えることを進めたい。そして、自分の言葉に責任を持つことを……。もちろん、私自身、それがきちんとできている訳ではない。けれども、なるべく多くの時間それが出来るように……と心がけている。そして、それを理解し、共に努力をしてくれる仲間や友人もいる。そういう輪を、少しでも広げて生きたいものである。

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コメント

こんにちは。8月に犬山でご一緒した名古屋人です。
 私もまったく同感です。というか、日本人の大多数の生きる目的が、付和雷同そのものにあるように思えるのです。教師ですらそう思ってる人が少なくないような。だから、協調性を必要以上に強調する一方で、子ども各々の発達度合いよりクラス全体でどうかを気にしてしまうのです。もっともクラスが少人数じゃない以上、そうならざるを得ない面もありますが。
 生きる目的は予め与えられた環境においてうまくやっていくことなのでしょうか。そんなことでは、個人が個人としていきいきと生きていくことはできないと思うのですが。そんなふうに生きて何が楽しいのでしょう。いえ楽しいどころか、うつさえ起こしかねません。
 教師も、卒業生の話を聞くと「協調性のある子を社会に送り出さないと」というプレッシャーを感じるのでしょうが、社会でうまくやっていくということはどういうことなのかも、もっときちんと考えたほうがいいと思います。

投稿: かじか | 2006年10月11日 (水) 00時19分

周囲との関係を深めていく中で、自分と言うものを確立し、その上で、確立した「自分」からも自由になる。それが理想ではないかな…と思っています。

けれども、前提は自分という存在をまずきちんと作り上げ、自立すること。それをしないままでは意識しないまま流され、付和雷同を積み重ねるだけでしょうね。そしてその愚かしさ・恐ろしさは、戦前から戦争へ向かった日本の歴史から学ぶことができる人には明白です。

けれども、そんな大人、そんな人は減ってきましたねえ。

投稿: TAC | 2006年10月11日 (水) 01時02分

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