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2006年10月30日 (月)

ヒステリックな「強者」

連日、信じられないような「いじめ」事件が報道されているが、実は小泉「改革」以降、政治や社会の場での弱い立場の人々への「いじめ」が常態化しつつある中での出来事であり、そうした背景の下、精神的に影響を受けやすい子どもたちの「いじめ」も深刻化しているのではないか…という気がしないでもない。

ある意味で、本当に強い人々は、「いじめ」をする必要がない。その強さを自他ともが認めているから、無理に力を誇示すれば、逆にその「力」そのものに疑いを生じさせかねないからである。だから、本当は力のない人々は、自分より弱い立場の者を「いじめ」ることによって周囲に力を誇示しようとする。そうする事で、自らの力のなさをごまかそうとするのである。自分に対しても……そして他人に対しても……。自信のなさがそうした行動に駆り立てるのだろうが、つまりは「弱い犬ほどよくほえる」の類であろう。

それは、日露戦争後の日本の姿や現在のアメリカの姿とも重なってくる。本当に強いならば、ある程度相手の主張や要求も受け入れられる度量がある筈なのだ。それがないからこそ、その弱点を見破られないように必要以上に力を誇示しようとする。正々堂々と強い相手と勝負できないから、小ズルク立ち回り、弱い相手のみにケンカをふっかけようとするのであろう。

ブッシュ政権によるアフガニスタンやイラク侵略もそうである。充分な外交力があれば、実際に侵略戦争に突入するような不経済な選択はする必要がない。その力がないからこそ、軍事力をひけらかして意思を通し、一部の利益だけを守ろうと画策したのである。それは、真の意味での「強者」としての自信・力量の欠如を示している。本当の意味で強くなくなっているからこそ、「外」に対してほえ続けるのである。

小泉前首相のやった郵政解散なども、きちんと中身で勝負できる強さがあったのなら「刺客」などを送って徹底的にメディア・コントロールで相手を中傷する必要などなかった。国民の生活環境や治安の悪化を見れば、その力量のなさは簡単に確認できる。それをきちんと検証しないまま小泉前首相のパフォーマンスに踊らされたマスコミも情けないが、結局、小泉前首相に真の意味での力量がかけていたことの1つの証拠だろう。

だから、「弱者」をいじめる人々には、それを自覚させることが必要となってくる。力の誇示は【自信】のなさのあらわれであり、本当の意味で強くなり自信をつけるには、力を蓄える地道な努力が必要なのだ。それをせずに力を誇示しても【自信】を持つことは出来ないし、その無理な力の誇示が、相手に力の無さを悟らせてしまうことにもつながりかねない。そうなれば、返って不利な事態に自分を追い込みかねないのである。

私たちは、ヒステリックな「強者」になる必要はない。本当の実力と心の余裕を持った人間になればいいし、そのように後に続く世代に伝えていけばいいのである。

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コメント

ちょっと微妙ですね。中には強いことをひけらかすのが好きな人もいますし、上位下達を当然視するあまりぞんざいになる人もいます。
 ただ平等意識の高い欧米だと、例えば組織の中での上下関係にしても、あくまでその組織の中のものだという意識があり、組織外ではごく普通にふるまってますし(ロビイストを除く)、部下も対等に接してると聞きます。
 このあたり、「社会の扱いも変わって当然」のように思われている日本との差だなあ、と同族会社(一部上場なのに)にいた者として強く思います。つまりは、実力に応じてふるまうだけの社会ではないということでしょう。そこを変えないといけないのではないでしょうか。

投稿: かじか | 2006年11月 1日 (水) 17時17分

実力もそうですが、矜持の問題でもあるのではないかと思います。あとは精神的余裕ですね。

競争は大切ですが、それに追われていてはゆとりや品位を失っていく。それは、本当の意味での「強さ」ではないと私は考えています。本当に強い人は、実は優しいのではないかと…。

そういう「強さ」は、最近は見かけなくなってますね。

投稿: TAC | 2006年11月 1日 (水) 22時36分

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