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2006年10月14日 (土)

「時間通り」の怖さ

外国人と関わっていると、必ずしも「時間通り」にものごとが進まない場合がある。日本的な感覚では、少しでも時間がずれてしまうと違和感を覚えるが、そうした「日本的な感覚」から少し距離を置いてみると、「時間通り」という「常識」は現代日本の特殊な文化的感覚に過ぎない、という事実が見えてくる。

確かに、あらゆることが「時間通り」に進むと大変便利で効率が良い。細かいところまで予定が立てられ、仕事にしろ日常生活にしろ、「効率よく」進めていくことが出来る。

けれども、そうした感覚が「幸福」につながっているだろうか。一週間ほど外国旅行をした時、時間単位で予定が決まっていて次々に仕事をこなしている「日常」から自由になり、まったく予定のない1日をぼんやりと過ごす「楽しさ」や「面白さ」を経験した。経験してみると、それまで「常識」であった「時間通り」という感覚が現代日本の特殊な「感覚」に過ぎないことを実感できた。そして、時間に追われる生活は、非常に慌しくて精神的に余裕を失ってしまいかねないものであることも……。

「時間通り」に進むことは、確かに便利である。けれども、それによって失われているものがあることを私たち日本人は意識する必要があるのではないだろうか。それを知ることで、自分の世界認識が少し広がっていくように思う。

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はじめまして。面白そうなブログなのでお気に入りに入れさせていただきました。よろしければ私のブログもお気に入りに入れていただければ幸いです。 [続きを読む]

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