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2006年11月12日 (日)

教育を荒廃させる教育行政

教育基本法の「改正」と併せて、教員免許の更新が議論されてきている。その際の比較の対象が、何故か運転免許である。制度的に言うのであれば、同様に医師や弁護士なども比較されて叱るべきであり、何よりも公務員、とくに官僚が比較の対象でなければおかしい。

それについて言及できないマスコミの無能も問題だが、「問題教師」がいるのと同様に、「問題医師」や「問題弁護士」、「問題官僚」も十分に事件を起こしているではないか。それに言及しないで、「教員」だけを議論しようとしているのは、現行教育基本法に規定されている「教育への不当な支配」に当たらないのか? 今日の時点で、現行教育基本法は廃止も改正もされていないのだが……。

議論の問題点は、力量のない教師の資格剥奪を判定する立場のものの恣意性を制限する条件が整っておらず、将来的に国家の不利益になっても、現行政府・与党の利益に適うならば、それだけであらゆる「教育」への支配が強化されることを可能とする流れの中に「教員免許の更新」制度が利用される危険が高い、ということである。共謀罪の文脈も同じ流れの中にあり、「今の政府・与党」の利益のために、国民の利益や未来の利益が削られ続けていこうとしているのだ。

未履修問題における「学習指導要領」の問題点の議論も進んでいない。現場の状況を無視した「学習指導要領」の押し付け(法律ではないものの【法的拘束力】の問題、しかも現場の実態を無視している)が問題の背景にあり、それをきちんと是正しなければならないのに、「現場」に責任をおしつけて言い訳とゴマカシに終始して、現実を見ないようでは、教育行政がさらに教育現場を荒廃させていくことにもなりかねない。

いや、戦争へと至った歴史の真摯な反省の上に立っていたからこそ、政府の教育への不当な支配を制限し子どもたちの能力の開花と成長を実現するために、教育基本法が作られたのである。それを空洞化し続けた結果としての教育の荒廃は、現場を無視して教育を政府の都合のいい形で捻じ曲げ続けてきた教育行政に、それなりの大きな責任がある。教育基本法の「改正」を議論しようとする最中に、いじめ自殺の事件や未履修事件が表面化したのもある意味では当然なのかも知れない。

教育は「国家百年の計」である。未来の日本のことを真剣に考えれば、反省もないまま目先の小さな利害を目的とした教育行政をこのまま継続しては絶対にいけない。それは、日本の未来を閉ざしてしまうことにもつながってしまう。机上の空論をもてあそんでいる時間はない。現場の問題点をきちんと見据えて、教育行政を転換しなければならない時期に来ている。

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