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2006年11月14日 (火)

欲望との折り合い

少し前から、現代資本主義の経済システムは欲望を煽り続ける事で成り立っているように感じている。欲しいもの・必要なものを安く作って大量に売る、というよりも、欲望を煽って必要でなかったものまで「欲しい」という気持ちにさせ、新たに買わせる…という形になってしまっているのではないか、と思われるからである。

確かに、欲望は生きている証ではあるし、それをエネルギーにして人類は自分を変え、社会を変えてきた部分もある。ただ、そのすべてが良い方向への変化であったとは必ずしも言えず、多くの社会問題も生じさせてきた。

こうした社会・経済システムは、そろそろ限界に来ているのではないか…と感じている人々は、今の段階では、決して少なくないのではないだろうか。私も、その1人である。

欲望を煽り、次々とモノやサービスを生み出してきた人間たちだが、その結果、多くの有害な廃棄物が生じているし、心の荒廃も進んでいるように思える。そうした部分を予感していたからこそ、多くの偉大な宗教家や思想家は、欲望の制御を呼びかけていたのではないだろうか。

現代のグローバリズム資本主義は、その《欲望の制御》という鎖を断ち切ることで地球上の人類社会を席捲したが、荒廃も広範囲に広まってしまった。従って、その修正には、新しい形で《欲望の制御》を位置付け直す必要があるのではないだろうか。人は、1人では生きていけない。そして、人類も人類だけでは生存不可能である。共存と共生…共に存在していることをそれぞれが自覚し、共に生きていくための工夫と努力に目を向けていかなければならない。

そのために、個人としてできることは? そして、皆と力を合わせてしなければならないことは? それを考え、行動に移していかなければ…と思う。

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