« 自殺の痛み | トップページ | 5000を越えて… »

2006年11月22日 (水)

自分であること

日常のボランティア活動に取材が入り、新聞に出てから、色々と新しい接触が入ってきている。結果として、日頃の活動で支えている人々のプラスになれば…と思っているので、少しでもSOSを受け止める機会が増えれば良いと思う。

人間として当たり前と思うこと、例えば、自分よりも弱い立場や苦しい状況にいる人々に手を差し伸べるのは当然だと思うのだが、最近のニュースを見聞きしていると、それが「当然」ではなく、弱者の生き血を吸って贅沢三昧…という卑劣な例が以前よりも目に付く。嘆かわしい限りである。

ただ、結局、そういう人たちは自分に自信がないのかもしれない。自信がないから、心にゆとりが持てず、感性も鈍化して、他者の痛みが分からなくなってしまったのだろう。そして、そのような自分をごまかすために、暴力や権力の鎧を被り、他者の目と自分自身の目を眩ましているのかも知れない。

他者から注目を浴び、一目置かれる…というのは、虚栄心をくすぐられる。けれども、その甘美さに浸るうちに自分を見失ってしまうことも多い。今、自分は、きちんと「自分」のままでいるのだろうか。他者の痛みに鈍感になっていないだろうか。時々は、わが身を振り返ってみる必要があると思う。

特に、忙しい時はそのような余裕を失ってしまうことがある。明日は、勤労感謝の日。少し時間的な余裕をもらえそうなので、ゆっくり休んで、今の自分を見つめ直してみようか。

|

« 自殺の痛み | トップページ | 5000を越えて… »

コメント

今日は教育のカテゴリーなど、読ませていただきました♪

投稿: bbuker | 2006年11月22日 (水) 21時43分

要は、他者の注目を浴びることを目的化しているかどうかでしょうね。

投稿: かじか | 2006年11月23日 (木) 00時02分

bbukerさん、かじかさん、お越しいただきありがとうございます。

他者との関係を実感できる、というのも精神的な安定には大切な要素です。「見て欲しい」「注目して欲しい」という思い自体は、必ずしも否定する必要はないと思います。

ただ、その為に何をするのか、そして注目を浴びることそれ自体を究極の目的にしてしまい経過や結果に無頓着になってはいないか、という点には注意しておく必要があるのでしょうね。

自分と言う存在も、他者との関係の中で成立するものですし……。

投稿: TAC | 2006年11月23日 (木) 12時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/120394/4276518

この記事へのトラックバック一覧です: 自分であること:

« 自殺の痛み | トップページ | 5000を越えて… »