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2006年12月 5日 (火)

他者を思いやれる豊かさ

「情けは人のためならず」という言葉がある。一部に「情けをかけると相手のためにならない」と誤解している人もいるようだが、本来は「他者に情けをかけると巡りめぐって結局は自分にも恩恵がくるので、相手のためではなく自分のためになる」という意味である。まあマンガ『はいからさんが通る』(大和和紀)に出ていた〈今週の御言葉〉の1つにある「見返り期待し、いつも親切」という部分も含めた諺と言えば良いだろうか。

だが、心理的・仏教的な視点から見れば、より直接的に自分自身に返ってくる部分もある。具体的に例を挙げて説明してみよう。

まず精神的な面から考えれば、「他者に情けをかける」などという行為自体が、他者を見つめることの出来る時間的・精神的な余裕を必要とするので、それだけの余裕・ゆとりを持った状態に今の自分がいる…という証拠・証明となるからである。実際、その余裕・ゆとりのない人は、自分のことで精一杯である。それは、それだけ精神的に追い詰められているということなのである。

仏教的には、布施、喜捨などがあるが、相手に施しを与えることで優越感に浸る…ということではなく、相手に受け取ってもらうことによって自分自身の心に豊かさを与えてもらう…という発想になる。それを考えれば、受け取ってもらうことに感謝の念も芽生える。そういうことから考えれば、直接自分に返ってくる行為…と言うことになるのである。

さて、現代の日本社会を振り返ってみよう。自分が得をするためならば他者が苦しもうが悲しもうが何とも思わない…という人が増えていないだろうか。それは、その人自身が心の余裕・ゆとりを失っている、ということでもある。確かに、心身ともに追い立てられて疲れ、安心して安らげる居場所を持てないような状況では、なかなか他者には目が向かないかもしれない。

けれども、そこで敢えて他者に目を向けてみる必要があるのではないだろうか。自分より辛い人や苦しんでいる人、あるいは悲しみの中にのた打ち回っている人がいるかもしれない。そんな人に手を差し伸べる事ができたとき、同時に自分の中に何かを受け取ることが出来る筈である。シンドイ中でも、そんな部分を持ち続けていられれば…と思う。

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コメント

おっしゃることはもっともですね。
「情けは人のためならず」ですが、「ならず」とは「ならない」という意味ではなく、断定の「なり」に否定の「ず」がついてるんですよね。古語だと分かっているのならばこれくらい見破れそうな人が多いでしょうに・・・。古語を含め高校の成績が散々だった私ですら見破れるんですから。

投稿: かじか | 2006年12月 6日 (水) 00時27分

それだけ教養の剥落が深刻なんですよね。私の姉も20代の頃は誤解してました。学力の低下も深刻です。やはり、「勉強しなければ…」という意識の弱さからくるものだと思います。

結果として、自分を相対化する力が弱まり、他者と共感しにくくなり、関係を結ぶ力も弱まっているように思われます。

気づいている人間が心がけていくしかないのでしょうが、けっこう疲れますね。でも、続けることで輪は広がるのですから……。

投稿: TAC | 2006年12月 6日 (水) 22時02分

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