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2007年1月 9日 (火)

まず自分から愛さなければ…「ペリーヌ物語」より

風邪のために寝正月を決め込んだ年末から三が日の休みの間に見ていたビデオの一つに「ペリーヌ物語」がある。「アルプスの少女ハイジ」や「あらいぐまラスカル」、「ムーミン」などで有名なフジTV系列の《世界名作劇場》シリーズの一つで、1978年の1月1日から12月31日まで放映された作品である。

 

原作はエクトル・マロの『アン・ファミーユ』、日本では『家なき娘』という題名で訳されたりもしているが、同じ作者の『家なき子』ほど有名ではない。けれども、まじめに、そして正直でけなげに生きていくうちに周りの人々に愛されて幸せになる、という筋立ては共通しているかも知れない。

 

現代社会では、何が「幸せ」かということ、つまり幸せの質や中身が問題になってきている。が、このシリーズが最初にTVで放映されていた30年ほど前の時代であれば、経済的・物質的豊かさが大きな意味を持つと感じられていた。

 

確かに、それらがなければ、必ずしも「幸せ」とは感じられない人は少なくないかも知れない。けれども、お金持ちで物質的に豊かであっても「幸せ」だとは限らない。この物語の主人公であるペリーヌの祖父ビルフランも、ペリーヌが現われるまではそうだった。

 

ビルフランは、マロクール村でフランス一の織物工場を経営し、多くの使用人に囲まれて大きな家で生活していても、たった一人の息子(つまりペリーヌの父親)とは結婚をめぐって対立したために音信不通となっていた。周りの人々から「ビルフランさま」と呼ばれ、傅かれたり、羨望されたりしていても、ビルフラン自身は、本当に心を許し、愛することのできる人を周囲に持っていなかったのである。

 

その孤独な心を開かせたのは、ペリーヌだった。ペリーヌは最初、オーレリーと名乗ってビルフランの工場でトロッコ押しをして働いていた。けれども英語ができたことから通訳に抜擢され、さらにビルフランの個人秘書として信頼を得て、一緒に屋敷で暮らし始めていた。

 

マロクールへ向かう旅の途中、パリで亡くなったペリーヌの母マリは、死ぬ間際にパリでペリーヌに、人から愛されるにはまず自分から人を愛さなければならない、と言い残した。

 

ペリーヌはその言葉を守り、母マリのことを誤解し憎んでいるビルフランを心から愛した。そして父エドモンの死を知って悲しむ祖父ビルフランを一晩中看病した。

 

そんなペリーヌの思いは次第にビルフランにも伝わり、やがてビルフランはオーレリ―と名乗る少女が自分の孫ではないかと思い至る。そして、弁護士に息子が死んでからの足取りを調べてもらい、オーレリ―=ペリーヌが孫であることを確かめる。ビルフランは、孫のペリーヌの存在が新たな生きがいとなって生きる意欲を取り戻し、目の手術にも耐えてペリーヌと共に幸せになる。

 

だが、ペリーヌやビルフランがすばらしいのは、自分たちの幸せだけではなく、保育所や労働者住宅なども整備して、みんなの幸せを考えて生きていこうとするところである。

 

確かに、誰もが愛されたいと思うだろう。けれども、誰もが深く愛されるとは限らない。ただ、これまで出会った多くの人々のことを考えると、多くの人を愛している人ほど周囲から愛されているように思われる。愛とは、与えれば与えるほど返ってくるものなのかも知れない。

 

例えば、「愛国心」を強制しようとする人々がある。けれども、政治家や官僚がまず国民を愛し、大切にしていれば、愛国心など勝手に育まれるだろう。自分を愛してくれる存在を愛せない人間などいないのだから……。

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コメント

ペリーヌ物語懐かしいですね。大人になってから知ったのですが、ペリーヌがはじめにいたところはボスニアだったんですね。この地名はユーゴスラビア崩壊で初めて知ったはずなのですが、そんな懐かしいアニメがらみと知って驚きました。
 ところで、自分を愛してくれる人を愛せないはずはない、ということはないと思います。なぜなら人間関係は、ある種のトレーニングと相互関係で育まれる面があるからです。つまりこの点で恵まれなければ周囲に心を開かないんですね。「個人は社会から信頼を失い得るが、社会は個人から信用を失い得ない。アンフェアだ」と私が時々主張するのはこのためです。

投稿: かじか | 2007年1月10日 (水) 00時11分

「愛」とは何か…ということと関わってきますので、どういうレベルで「愛する」のか、ということになろうかと思います。

自己愛を投影した形で、自分を変えたり相手を受け入れたりすることなしに「愛する」のであれば、当然、どれ程「愛して」いても相手からの愛は得られないでしょう。

「周囲との相互関係」という部分は確かにありますが、コミュニケーションが閉ざされておらず、それが共感関係にまで育っていくような「愛し方」であれば、ほぼ「愛すれば、愛される」のではないかと思われます。

実は、「愛する」という言葉の中身のズレがありますので、どちらがどう…という問題ではないのですが。そして、「愛」というのは、人によってこのズレがとても大きい言葉ですからねえ。

ご意見、感謝します。また機会を見て「愛」について書いて見たいと思います。キルケゴールにはとても及びませんが・・・(笑)

投稿: TAC | 2007年1月10日 (水) 00時43分

愛という言葉に神経質にならなくてもいいのではないかと思ってしまいました。
昔から以心伝心という言葉もありますが
人間にある伝達物質(脳波??)があって
感じるものなのでしょう・・・
好意があるのか無いのかを。好意は心地いいものです。心底褒められて嫌な人はいないでしょうし。
それも総じて愛といえば愛でしょう。
同化を求めると拒絶にあうかもしれないし、認め合うことが愛???

外国に暮らす日本人は思っているそうです。
国の冷たさを・・・・。
もっと日本は国民を大事にして欲しいと思いますね。

アニメはみましたよ。家なき子とか王子と乞食とかは嫌いなんですが、これは好きですね。小公女セーラも。

投稿: みき | 2007年1月10日 (水) 10時36分

ごぶさたです。拘っている…というよりも、言葉を楽しんでいる部類です。まあ、その言葉への執着があるからこそ、詩や小説や童話が書けるのですが……。

日本の国の冷たさは、海外で事が起こったときに、日本大使館よりもアメリカ大使館に駆け込む…という話も聞いたことがあります。『闇にうごめく日本大使館』などのルポルタージュを読んでいると、その悪質さが良く分かりますね。

国民に「愛国心」を説く前に、まず国民を守る責任からきちんと果たしてもらわなければね。そうすれば、普通の「愛国心」は自然に培われますから。それをしないからこそ、こんなに酷くなってるんです。だいたい、国民を大切にしない国は、政府が「愛国心」を口にしますよね。歴史的に…。

投稿: TAC | 2007年1月10日 (水) 18時38分

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