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2007年1月20日 (土)

存在回帰への祈り…エンヤの音楽表現

精神がささくれ立ち、心が深く傷付いた時に、そっと抱き留めてくれる音楽がある。ただ静かに耳を傾けるだけで、失いかけていた魂の平安を思い出させてくれる音楽がある。身体の上を通り過ぎて行くだけの音楽が全盛である現代日本の音楽環境の中にあって、エンヤの音楽は、心の奥深い場所にまで降りてくる数少ない音楽の一つなのだ。

 

アルバム「watermark」の世界的規模での大ヒットで、一気にトップ・アーティストの座に着いたエンヤではあったが、日本で見られる多くの芸能人たちとは違い、そのことによって彼女は生き方のスタンスを大きく変化させることはなかった。

 

それは、エンヤが自身の生き方と深く関わる音楽表現の位置付けへの拘りがそうさせたのであろうが、一般的な目からすれば「めったにマスコミには登場することがない非常に変わった人」だと写る。けれども、その拘りが「Shepherd Moons」そして「The Memory of Trees」へと続き、「a day without rain」から2005年の「Amarantine」へといたる、新しくかつ変わることのない彼女の音楽世界を造り上げているのである。

 

エンヤとの出会いは、「地球交響曲」第1番というドキュメンタリー映画だった。見ているだけで魂が洗われるような心地好さを感じるその映画に彼女自身も出演していたが、映画全般を支えるBGMはほとんど全て彼女の曲だった。

 

その映画の監督である龍村仁は、「地球交響曲」制作と深く関わるエッセイ『地球のささやき』(創元社 1995年)の中で、次のように述べている。

「エンヤは現代の最先端のテクノロジー、シンセサイザーと出会った。そして、シンセサイザーがもたらしてくれる安易さに溺れることなく、内側から聴こえてくる声にしたがって、シンセサイザーを使いこなした。その結果、初めてあのエンヤ独特の音楽が生まれた。古代の魂と最先端のテクノロジーが、エンヤというメディアを通じて出会った時、はじめて、ケルトの魂が現代に甦ったのだ。」

 

温故知新という言葉がある。

 

「私」という存在の根っこには「私」を育ててくれた家族の存在があり、感性を育んでくれた故郷の風景がある。けれどもそれらは、さらに時間と空間を遡って遥か遠くから続く命の流れと繋がっている。

 

便利ではあるが忙しい毎日の中で、私たちはそのことを忘れてしまいがちだが、ふと日常の歩みを止めて振り返ってみると、そこには、小さな一人の人間の一生の生を越え、時代を越えたものが確かに横たわっているのだ。それを感じる事で、私たちは新しい真実を実感し、自分自身の生をリフレッシュしていけるのである。

 

だが、ミヒャエル・エンデが『モモ』という物語の中で指摘しているように、現代社会のシステムという「時間どろぼう」が、私たちの心のゆとりを奪い、魂の平安を失わせている。もちろん、私たち自身、現代社会を生きる以上、童話のように「時間どろぼう」を壊滅させる事は不可能であり、それなりに「時間どろぼう」と妥協する必要はある。

 

けれども、大切な自分自身の存在を殺すほどに妥協することは、私たち自身にとってはもちろん周囲の人々にも有害となる。精神的なストレスが溜って本人の心を狂わせるだけでなく、周囲の人間関係をも引き裂いて行くからである。

 

だからこそ、「時間どろぼう」の呪縛から逃れ、心の深い部分と対話する事が必要となる。傷付き、疲れ果てた時にこそ、そんな時間が必要なのだ。

 

たとえば海や山の自然に抱かれ、もしくは古い神話や伝説の魂に触れ、あるいは聖なる教えに耳を傾け、または欲望や損得を越えた芸術と向き合って、自分の生き方の上に積もった日常の世界を離れる。そして、「自分」という表層から、人間としての魂の核芯へと降りていく。時間をかけ、意識を集中して、自らのうちにある自分という存在の根源と、自分自身の枠組みを越えた深い意識に触れるのである。

 

そうした内なる対話は、確かに自分自身を出発点にしているが、行き着く先は個人という枠組みを越え、人間という個体をつきぬけて、より大きな存在と向き合う道へとつながっていく。その道を辿る過程こそが、迷いを解き心を癒す奇跡のちからを持つ。

 

それは、欲望を脱した清浄な意思であり、純粋な祈りに限りなく近いように思われる。自分や身近な人々の利益を願うのではなく、そうした「日常」を離れた意識のより大きく深みのある願いであるかも知れない。

 

ある意味では非常に逆説的だが、欲望にまみれた日常の自分を脱することにより、自分自身の心と魂に愛と調和と安らぎを獲得することができる。そしてそれは、単に自分ばかりでなく、周囲の人々や世界にまで広がって行く実践なのだ。

 

けれども、それを貫く事は難しい。私たち自身「日常」を生きている以上、それを拒否することは出来ないし、また、そう願う事自体愚かでもある。「日常」を否定してしまうのは日常まで繋がっている命と意識の流れをも切断するからである。

 

拒否したり否定したりするのではなく、あるがままに受け入れて自在に離れる。不可能とは言いたくないが、そうした境地にまで達するのはほとんど困難と言って良いだろう。けれども、過程そのものに救いがあるのなら、歩みを続ける事が大きな意味を持つ。それを信じる事から始めていけば良いのかも知れない。

 

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コメント

エンヤいいですよねー。
 ただ、私は自然と家族とを同列に置くことは疑問に思っています。家族を「人質」にとられているが故に言いたいことも言えないケースは多いことでしょうし、必ずしも家族が幸せとは限りません。むしろ今やリスクの一つです。学校の教師だと立場上、家族を否定しづらいことでしょうが、この点は直視しないとと思います。
 むろん、家族を含め、精神的支えがどこかで必要だ、というご意見には賛成ですが。

投稿: かじか | 2007年1月21日 (日) 14時08分

家族は、時として「シンドイ」です。特に、小説などを集中して書いている時にはそう思います。さだまさしもステージ・トークで話していたことがありました。「いいところまで集中したか…と思ったら嫁がお茶とか差し入れを持ってくる」と。

でも、それもひっくるめて大切な存在という部分もあります。自分を日常の中につなぎとめておいてくれる【重さ】がありますから……。

ただ、日常と非日常のバランスはとても大切だと思います。現代の日本の社会では、注意しないと、非日常が窒息してしまいかねません。そこが問題だと思います。

投稿: TAC | 2007年1月21日 (日) 22時51分

エンヤの故郷であるアイルランド北西部のドニゴール地方は、
ケルトの古代からの伝統文化が他民族の征服を逃れて今も受け継がれている土地です。
「キリスト教の礼拝」とは言いながらも、純粋なそれではなく、
土着の多神教の神々への祈りもちゃんと行われていました。
ところで、季節の4大祭りは日本で言う立冬、立春、立夏、立秋に当たるものですね。
また、「浦島太郎」や「瘤取り爺さん」に良く似た話も伝わっています。
このようにケルト文化には日本文化との共通点もあります。
ケルトの伝承物語の採集者は、
ドニゴール地方で語り部の話を録音して書き取りました。
ケルト人は元来、文字に残すことを拒んできた民族なので、先祖からのこういった遺伝子が受け継がれているのでしょう、知られていないことがまだ多くあると思います。

投稿: WildChild | 2007年1月23日 (火) 20時19分

ようこそお越しくださいました。

エンヤといえば「ケルツ」というアルバムもありましたね。ケルトの螺旋は心理学的にも非常に興味深いものがあります。日本神話や古い伝説とケルトの妖精物語などとの比較検討をするとけっこう面白いものがたくさん出てくるように思います。時間が許せば、いろいろと戯れたいものです。

投稿: TAC | 2007年1月23日 (火) 22時49分

今迄、エンヤと最先端のテクノロジーやシンセサイザーがイメージで結びつかないでいました。

そっかー。言われてみると使ってるのはシンセサイザー。なのにあの独特の世界観。

すごい人だぁ。

場所と時が違っても、似た様なお話がある事不思議で知っていったら楽しそう♪

今の世界で共時性ってどんな事あるんだろう?って時々考えています。


投稿: TACさんへ | 2007年1月25日 (木) 01時03分

ごぶさたですね。共時性については、確かに、ありえる可能性は否定しません。正しい努力、必要な努力をきちんとしていると、必要な出会いや道を開くきっかけが不意に目の前に姿を現す…という感じがそれなりにあるからです。

ただし、こんなのもかな…てのもあります。年末に少し車をぶつけてしまったら、ご丁寧にわがFEEN(彼女)も単車でスリップしたとか……。飛行機で5時間ほどかかるのに、わざわざ付き合わなくても良いのですがねぇ。…やっぱりこれは違うかな?

投稿: TAC | 2007年1月26日 (金) 01時25分

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受信: 2007年1月22日 (月) 18時54分

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受信: 2007年3月22日 (木) 02時09分

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