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2007年1月15日 (月)

「よその子」…谷山浩子《宇宙の子供》より

谷山浩子の《宇宙の子供》というアルバムの冒頭に「よその子」という歌が入っている。夕暮れの街を1人の子がさまよう。帰れる家・家族がないからこそ、街をさまようのだ。窓の中に見える家族の姿にあこがれ、寂しい思いをしながら……。

その痛いような寂しさを谷山浩子が歌い上げる。高く低く流れるピアノが夕闇をあてもなくとぼとぼと歩く子の切なさを描いていく。だが、それは特別な光景なのだろうか。ふと、そんなことを思わずにはいられない現実がある。例えば、「いじめ」の問題にしても、不登校やひきこもりの問題にしても、夕暮れの街をたった1人であてもなくさまようような心細さと重なり合う部分がある。その関係にぬくもりを実感できる人や大人がいない子どもが、以前よりも増えてきているように感じられるからである。

けれども、そんな寂しさに耐えながらも温かい心を失わなければ、そして、その寂しささえも越えていくことが出来れば、人として優しくなれる。夕暮れの街に浮かび上がる家の灯り…そしてそこに暮らすすべての人々の幸せを祈れる強さを、さらには視界には入らない人々の幸せさえも願える強さを持ちたい……。そう歌い上げる透き通った高い声。

自分は、弱く小さい存在かもしれないけれど、それでも、他者の幸福を祈ることができるような強さを持ちたい。それは、とても大切なことだと思う。自分のことしか考えられない弱さが、社会を荒廃させ、自分をも含めた多くの人間を追い込んでいく。だからこそ、それに抗う努力は必要なのだと思う。

今日は、まだ出会えない誰かの幸福や、一生出会うこともできないかも知れない誰かの幸福のために祈りたい。

 

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コメント

この記事の冒頭で、マッチ売りの少女を連想してしまいました(^^ゞ
冗談はさておき、「いじめ」に関する講演会の記事でもそうですが、とても考えさせられる内容に僕自身が反省しなければならないことに気付きました。他人の幸せを願うこと。なかなか出来る事ではないと思ってしまうのは、僕の意識レベルから見た場合のことであって、もしかすると強く豊かな心とはもっと崇高な域にある意識なのかもしれないと思うようになりました。
煩悩丸出しの夫婦生活の中で、なかなか清らかな心を養うのも難しいことではありますが、こちらのブログを通じ少しでも清めてゆきたいと思います(^_^)

投稿: うるとらの音 | 2007年1月16日 (火) 20時36分

宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」のラストが「サウイウモノニワタシハナリタイ」という形になっています。

現実問題として、私も含めた多くの人が、自分のこと(自分自身や家族、仲間たち)で精一杯でなかなか、本当の意味での【他者】には手を差し伸べることが出来ません。時間的にも、精神的にも、時として経済的にも、その余裕がないのです。

けれども、それを口実にしてはいけないんじゃないかな…とは思います。わずかではあっても、出来ることを少しずつ積み上げていきたいものです。

投稿: TAC | 2007年1月16日 (火) 23時02分

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