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2007年2月28日 (水)

はいからさんが通る…笑える純愛コミック

『はいからさんが通る』は、大和和紀が1975年から「少女フレンド」に連載していたマンガである。本編のストリーをきちんと追っていくと、純愛の物語なのだが、失敗しても簡単にはめげずいろいろとチャレンジを続けていく主人公・花村紅緒のキャラクターの成功もあり、随所にギャグのちりばめられたけっこう笑える作品でもある。

シベリア出兵や関東大震災といった史実が、主人公の紅緒とその恋人の伊集院忍の運命を狂わせ、相思相愛の筈が多くの苦難が2人をみまう。けれども、紅緒はめげない。本当に元気である。そして、想いをまっすぐに行動に移す。

その過程に、ギャグがちりばめられる。楽屋オチも時々あるが、その中に「宇宙戦艦ヤマト」や「科学忍者隊ガッチャマン」なども登場し、男が読んでもなかなか楽しい。また、「わいろで決めよう人のあつかい」とか「つっぱるな しょせんあなたは3級品」や「こだわろう1つの善行 忘れよう百の悪行」などのウィットに富んだ《今週のみことば》などもさりげなく背景にちりばめられていたりして、けっこう細かいところも笑えてしまう。

それでも、紅緒をはじめ多くの登場人物の弱者への視線は優しく、それがまた彼女たちを窮地に追い込んだりすることも少なくない。それでも、あきらめず精一杯まっすぐに生きようとする。そして、苦難を乗り越える過程で、様々な人との関係が深まり、やがては幸せが訪れる。その意味で、心にじんとくるマンガでもある。

確かに、生きていればいろいろと大変なことも少なくない。けれども、辛い思いをしたり、シンドイ目にあっていてるのは自分1人だけではないし、あきらめずに行動することで開けてくる道もある。読み終わった後、そういった【希望】をもう一度信じてみたくなるマンガである。多くのキャラクターが時々「酒乱」にもなるが、失敗を笑いに変えてしまう「強さ」も同時に持ち合わせている。差別や偏見も、笑い飛ばして自分の信じた道を進むことで、新しい世界が広がっていく。

苦しみも、笑いとばす事ができれば、新たな力がわいてくる。笑いを忘れずに、行動していきたいものである。

 

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2007年2月27日 (火)

怒りと暴力

怒りの暴走は暴力を生み、暴力は新たな怒りを生じさせ、さらなる暴力の連鎖へとつながっていく。人間の心を見つめ、社会を見つめていると、そんなことを感じる場合がある。

なぜ「怒り」が生じるのかを考えたとき、その前提には「不当に扱われた」とか「酷い目にあわされた」といったように感じられるような事実があったりする。それが度重なれば、ある程度温厚な人であっても、怒りが爆発する。その結果、感情のコントロールを失ってしまえば暴力に発展するだろう。さらに暴力が常態化してしまえば感覚は麻痺し、されにエスカレートしていく。まさに、負の連鎖・闇のスパイラルである。

どうして、このようなことを書いているか…というと、幼児虐待やいじめなどの問題に取り組むときには、加害者の現実や思いにも迫らなければ、問題は根本的に解決しないからである。例えば、いじめている側、暴力をふるってしまう側の心には、抑えきれない怒りが存在している場合が少なくない。それ以前の生活の様々な場で、いじめられたり、辛い思いをしたり、無視されたりされ続けた結果、他者を信頼したり、愛情を持って接したりすることができなくなっている可能性がそれなりにあるからなのだ。

だから、ある意味では、加害者を責めるだけで問題は解決しない。それよりも、安心して辛い思いを告白したり、共感してもらえたり、愛されたりする関係や「場」の存在を保障してやることによって、自分を愛し、自分を見つめ直し、他者を愛情を持って受け入れられるような環境を準備してやることが解決へとつながっていくのである。

幼児虐待の加害者の周囲を見たとき、関係が切れ孤立しているような状況はないだろうか。あるいは仕事や収入の面で酷い扱いを受け、怒りを溜め込んでいるような状況はないだろうか。また、いじめの場合は、安心して自分でいられる家族関係や友人関係があるだろうか。そんなことも見直してみる必要がある。

もちろん、まずは被害者の保護と救済は最優先の課題であるし、それを否定するつもりはない。けれども、「加害者」をその立場に追いやってしまう環境も確かに存在する。「加害者が悪い」と一方的に決め付け、安心してしまうような対応ではなく、それを生み出している環境に目を向け、そこの部分を変えていく努力をする必要もあるだろう。

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2007年2月26日 (月)

サボテンの花…チューリップの歌より

ここ数日、少し寒い日が続いているが、風が穏やかで晴れている日は、目に見えて温かくなってきている。地域によっては、まだ雪が残っているところもあるようだが、春はもうそこまできているようだ。

そんなことを考えているうちに、「サボテンの花」を連想してしまった。2番にある「春は もうすぐそこまで 恋はいま 終わった」というフレーズである。そう言えば、去年の今頃は、離婚して1月あまりしかたってなかったし、家族の入院も重なっていて、心身ともに大変な時期だったのを覚えている。

そういう時には、「サボテンの花」のようなバラード調の歌がフィーリングにピッタリなので、よく車の中で聞いたり、カラオケで歌ったりする。去年の2月もそうだった。

チューリップの歌は、若い頃よく「心の旅」をギターで弾いて歌っていたが、カラオケでは「サボテンの花」や「悲しきレイン・トレイン」を歌うことが多い。割と高い声が出る(裏声/カウンター・テナーで「もののけ姫」を歌える…そして時にはリクエストもされるというレベル)方なので、カラオケで歌っていても、「サボテンの花」はけっこうウケル方だ。

ただ、去年の2月については離婚したばかりでもあり、「恋は今 終わった」のフレーズはそれなりに感慨深かったのを覚えている。元妻は、初めての大ゲンカで家を飛び出し、そのまま帰国してしまった。そして、結局、離婚と相成ったわけである。さすがに編み掛けの手袋や、洗いかけの洗濯物などはなかったが……。

それにしても、「感慨深い」で済んだのは、自分なりにできることはやった、それで終わってしまった以上、仕方がない……と納得できたからである。だからこそ、冬が終わった後、図らずも新しい出会いがあった。自分としては【長い冬】は、思っていたよりも短くて済んだということであろうか。

思いの外、昨年の自分と重なるイメージのある「サボテンの花」だが、相変わらず好きな歌の1つで、車でもよく聞いているし、カラオケでも時々歌っている。多分、これからも聞き続け、また歌い続けていくことだろう。

 

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2007年2月25日 (日)

局地戦闘機・紫電改

旧日本海軍の戦闘機に、局地戦闘機という分類がある。迎撃用の戦闘機で零戦などのように航続距離はそれ程長くないが、B29などの戦略爆撃機を迎撃するために作られたもので、実戦配備されたものでは雷電と紫電改が有名である。

ところが、紫電改、というのは実は俗称で、正式には紫電21型という。もともとは、水上戦闘機という形で設計された【強風】が原型であり、その性能が優れていたので、水上用のフロートをとって陸上用にした【紫電】が作られた。ところが、もともと水上戦闘機であった紫電は、零戦や雷電とは異なって主翼が胴体の中ほど(中翼式)につけられており、引き込み脚の故障も多かった。その翼を零戦や雷電のように胴体の下部(低翼式)に取り付けて大改造をしたのが、紫電21型…紫電改である。

紫電改と言えば、ちばてつやの名作『紫電改のタカ』を思い出す。戦略爆撃機B29や護衛戦闘機P51などとの死闘を繰り返すストリーはまさに現実の紫電改の姿だったろう。けれども、日本の工業力では大量の爆撃機や戦闘機の攻撃には抗えず、まさに刀折れ矢尽きて、敗戦を迎える。

紫電改は、そうした敗戦直前の日本の姿を象徴する戦闘機なのかもしれない。

 

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2007年2月24日 (土)

あらためて…《ぶたないで》

10月にも書いた、大阪在住のシャンソン歌手北岡樹さんから、シングル・カットされた《ぶたないで》が送られてきた。当初、できあがった時には、北岡さんの言葉によれば「あまりにストレートすぎて、悲しすぎて…封印していた」けれども、多発する幼児虐待の報道に、シングルカットする気になったという。確かに、重い歌である。けれども、私たちは大人として、子どもたちが虐待を受けずにすむような社会、子育てに迷ったり悩んだりする若い父親や母親が、思わず虐待してしまう前に踏みとどまれるような地域をつくっていく責任があると思う。《ぶたないで》の歌詞をこちらのblogにも掲載しておこう。

   DON´T SPANK

                        作詞/TAC

 PLEASE DON'T SPANK ME  

 PLEASE DON'T HIT ME

 I PROMIS YOU, DADDY  

 I'LL BE A GOOD CHILD

 

 BUT I CAN'T UNDERSTAND

 WHY I AM WRONG

 

 DO I HAVE TO OBEY EVERYTIME?

 DO I HAVE TO SAY NOTHING?

 DO I HAVE TO WANT NOTHING TO PLAY?

 

 IF I AM HATED, I CAN'T LIVE HERE

 GET ON YOUR BACK TENDERLY

 LISTEN TO MY HEART

 AND LOVE ME PLEASE

 IF YOU ALWAYS LOVE ME, I WILL BE MYSELF

 CAN I DO THAT, DADDY?

 COULD YOU KEEP ME ALIVE?

 

 

 PLEASE DON'T SPANK ME

 PLEASE DON'T HIT ME

 I PROMIS YOU, MAMMA

 I'LL BE A CLEVER CHILD

 BUT I CAN'T UNDERSTAND

 WHY I AM WRONG

 DO I HAVE TO STUDY ALL THE TIME?

 DO I HAVE TO BE QUIET?

 SHOULDN'T I WANT TO PLAY WITH KIDS?

 

 IF I AM HATED, I CAN'T LIVE HERE

 HOLD ME IN YOUR ARMS TENDERLY

 AWAKEN MY HEART

 AND LOVE ME PLEASE

 IF YOU ALWAYS LOVE ME, I WILL BE MYSELF

 CAN I DO THAT, MAMMA?

 COULD YOU KEEP ME ALIVE?

 

 IF WE ARE HATED, WE CAN'T LIVE HERE

 HOLD US IN YOUR ARMS TENDERLY

 LISTEN TO OUR HEARTS

 AND LOVE US PLEASE

 IF YOU ALWAYS LOVE US, WE WILL BE OURSELVES

 CAN WE DO THAT, PAIRENTS?

 COULD YOU KEEP US ALIVE?

 

   ぶたないで 

 

 おねがいだからぶたないで パパ

 きっといい子になるって約束するから

 でもボクどうしてもわからない ボクの何が悪いのか

 いつも言いつけ守るの? 何も言ってはいけないの?

 おもちゃも欲しがっちゃダメなの?

 

 もし嫌われているのなら ボクは生きてはいけやしない

 やさしくおんぶをして欲しい ボクの気持ちを聞いて欲しい

 そしてボクに愛を下さい

 もしも愛してくれるなら ボクはボクでいられるよ

 そうして良い? パパ ボク生きていて良いの?

 

 

 おねがいだからぶたないで ママ

 きっとかしこくなるって約束するから

 でも私どうしてもわからない 私の何が悪いのか

 いつも勉強つづけるの? 静かにしてなきゃいけないの?

 みんなと遊ぶのもダメなの?

 

 もし嫌われているのなら 私生きてはいけやしない

 やさしく抱きしめて欲しい 私の気持ちを見つめて欲しい

 そして私に愛を下さい

 もしも愛してくれるなら 私は私でいられるの

 そうして良い? ママ 私生きていて良いの?

 

 もし嫌われているのなら ボクたち生きてはいけやしない

 パパやママを信じていたい こんな気持ちをわかって欲しい

 そしてボクらに愛を下さい

 もしも愛してくれるなら ありのままでいられるよ

 そうして良い? ねえ ボクたち生きていて良いの?

 

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2007年2月23日 (金)

育てる場としての職場

職場で人を育てる……という視点が弱くなっている。人を育てるためには手間も金もかかる。終身雇用制の時代には、それを各企業・職場が当然のごとく負担していた。けれども、【競争】を煽り性急に【結果】を重視するあまり、それが弱くなってしまっている。

ある意味では、それは当然の結果である。【自己責任】ということで、今まで企業職場での人材育成から手を引き、競争を煽れば、新人の育成に手を貸せば競争相手を育てることにもつながりかねないことになる。それは技術面だけでなく、人間関係の面でもそうである。相互の関係性が弱まれば、職場環境はさらに悪化する。いっそう、育てる力は弱体化するわけである。

そうした視点から、教員免許更新制度の議論を見てみると、大きな問題点が浮かび上がってくる。教員の力量をあくまでも個人の問題に矮小化しているのである。例えば、職員室での若い先生たちへのサポート環境は明らかに弱体化している。研究会で、何人かの若い教師たちと話をしたことがあるが、ちょっとした技術や指導方法など、明らかに前の世代との間の断絶があるのだ。

ただ、その先生たちは、民間研究会に参加したことでそれを知る機会を得た。当然、その先生たちは行政主導の研修会には参加している。にも関わらず、知らなかった……ということは、そうしたことは伝えられていないという現実があるのだ。とすれば、免許更新にどういう【研修】をするのか、その効果がどの程度期待できるのか、その期間の学校現場でのサポート体制はどうなるのか、といった問題点が浮かび上がってくる。

フランスなどの制度では、民間研究会でもきちんと【研修】として位置づける体制は整っているが、日本の現場では行政主導のもの以外は【研修】として位置づけない事例も少なくない。例えば「学級崩壊」に対しての効果もそれなりに上がっているような有意義な研究発表であっても、「民間」というだけで「年休」を取らなければ参加できないような状況であったりもする。「愛国心」議論でもそうだが、現場を無視して勝手に押し付けるだけでの【研修】では、返って教育現場の混乱や指導能力の低下は避けられないだろう。

【育てる】には、手間もお金も必要である。それを軽視したり、ごまかしたりしていては将来の日本の発展は望めない。職場での【育てる】という役割について、再度、検討する必要があるだろう。

 

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2007年2月22日 (木)

もう1つのジャイアントロボ…地球が静止する日

前回の記事で、特撮の「ジャイアントロボ」のラストシーンを取り上げたが、「ジャイアントロボ」と言えば、オリジナル・アニメのシリーズ《ジャイアントロボ…地球が静止する日》も、すばらしい作品に仕上がっている。

敵側のBF団のメンバーに様々な横山光輝の作品のキャラクターやロボットが登場している(仮面の忍者赤影、闇の土鬼、三国志、魔法使いサリー、バビル二世…ロボットとしてはマーズや鉄人28号でおなじみのガイアやモンスターなども)ので、それだけでも楽しめるのだが、実は、物語としても父と子の絆や家族への思いなどシッカリとした芯が通っていて非常におもしろい。

音楽は天野正道が作曲し、ワルシャワ・フィルが重厚な音を奏でてくれているので、それだけを純粋に聞いていても十分に楽しめる豊かさがあるし、草間大作の声優・山口勝平の職人技の声も見事である。

全7巻をすべて続けて見れば軽く5時間を越す長さなのだが、一度見出すと、続きが気になって止まらない。友人に貸したときは、「くれぐれも時間のある時に見るように」と念を押したほどである。そして、彼もその注意に納得していた。どうしても続けて見てしまうので、確かに、忙しいときには無理だ…と。それ程おもしろいのである。

見所、楽しみ方は満載なのだが、敵の攻撃によってロボの顔面の装甲が一部溶け、中の機械が露出しているところに大作が飛び込み、最後の攻撃へと向かうシーンは感動・また感動の連続である。

楽しみながら、父と子の絆とは……約束を果たすとは……そんなことも考えさせてくれる逸品アニメーション、それが【ジャイアントロボ…地球が静止する日】なのである。

 

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2007年2月21日 (水)

心に残るラストシーン/特撮ドラマ編

心に残るラストシーンについて記憶の糸をたどったとき、その双璧が「ウルトラセブン」と「ジャイアントロボ」である。

ウルトラセブンの最終回。数多くの戦いによって身体の不調を感じながらもゴース星人の基地に囚われているアマギ隊員を救うべく、アンヌ隊員の目の前でセブンに変身してアマギ隊員を救い出し、改造されたパンドンを倒して地球を去っていくウルトラセブン。傷付いた体・消耗しているエネルギーゆえに戦うための変身を止められていたにも関わらず命を懸けて戦い、途中で力尽きて死ぬかもしれない帰還の旅へと飛び立つセブンをすべてを知ったウルトラ警備隊が見送るシーンには胸をうたれたのを思い出す。

そしてジャイアントロボの最終回では、心を通わせた大作少年の制止を振り切って、大作少年と地球を守るためにギロチン帝王をかかえて宇宙へと飛び去っていったジャイアントロボ。それまでに、いくつもの大作少年との心の交流のエピソードが重ねられていたこともあり、目頭が熱くなったのを覚えている。

2つのラストシーンには、共に自己犠牲…という底流が流れている。愛するものを守るために何の打算もなく自分を犠牲にする姿は見ていて美しいし、ある意味では、そういう自分でありたいとも思う。

けれども、その一方で、他者には自己犠牲を説きながら自らは安全なところでのうのうと生きていたり、私腹を肥やしたりしている醜い人々も存在する。例えば、太平洋戦争末期に特攻のために飛び立っていった若いパイロットたちの覚悟は美しいが、特攻などというとても「作戦」とは呼べない作戦を立案して実行させた人々はどうか。聖戦や愛国を説く人々の中には、自らの欲望のために他者に死を強いる人々が確かに存在する。

そうした偽善者の言葉に踊らされないような目は持っていたいと思う。その一方で、本当の意味での自己犠牲を実践する人々に感動し、賞賛できる素直な心は、いつまでも持ち続けていたいものである。

 

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2007年2月20日 (火)

疲れたときは…

疲れたときは、好きなスコッチでも飲んでゆっくりしたい。けれども、なかなかそうも行かないことが最近は多い。仕事が多くて、次々にこなさなければなかなか減らないためだ。

それでも、明日は少し朝の仕事が楽なスケジュールになった。今晩は、久しぶりにグレンフィディックでも飲んでゆっくりしたい。美味しいウイスキー、そして、何も考えずにゆったりするひととき……。ささやかな時間をかみしめ、今日は早めに眠りに着こう。

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2007年2月19日 (月)

つばさ…本田美奈子を思いながら

本田美奈子の《ジャンクション》というアルバムの10曲目に「つばさ」という歌が入っている。このアルバムはいろいろとバラエティーに富んだ歌が楽しめるが、中でも一番すきなのがこの「つばさ」という歌である。

作詞は岩谷時子。アイドルの時代、ロック歌手の時代の歌とは異なり大きく広がる詞をしっとりと歌い上げていく。特に、最後に繰り返されるサビの手前のところでは、本田美奈子の高く澄んだ声が延々と伸びる。それがまた、宇宙へと翼を広げて飛翔しようとするイメージと重なり、驚きと感動を与えてくれる。

私には翼がある。そしてあなたにも。本田美奈子の歌声は、その魂が天国へと羽ばたいていった今でも私たちの元に残され、希望をつむぎ続けてくれるのである。忙しい日々、疲れきった身体、日常の雑事に追い立てられて心を見失いそうになった時、本田美奈子の歌声が優しく、そして力強く心に語りかけてくれる。

希望を捨ててはいけない。生きるのだ。前向きに、新しいチャレンジを次々と重ねて、40年に満たない短い生涯を駆け抜けていった彼女の生き方がこの歌に重なる。もっと、生きていて欲しかった。けれども、私は生きている。彼女の分も、何かしらの希望を少しずつでも積み重ねたいと思う。

 

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2007年2月18日 (日)

『拳児』…中国拳法の魅力

『拳児』は、1988年から1992年まで週間「少年サンデー」に連載されていたマンガである。戦争の際に負傷して中国人に助けられたことがきっかけで八極拳を修行した祖父に拳法を学んだ少年が、祖父が中国に渡った後も様々な出会いに支えられて拳法の修行を続けながらやがて中国に渡り、拳法の修行によって広がっていった関係に支えられて祖父とめぐり会い、やがては極意を悟るにいたるまでを描いている。

最初は、単に「強くなりたい」という軽い気持ちで始めた拳法が、精神をも成長させ、それが次々と新しい出会いにつながっていく。試合の場面、修行の場面、私闘の場面などもあるが、師父や兄弟弟子たちから様々な技を学ぶ過程でのエピソードには、深い哲学に通じるような言葉もちりばめられている。

例えば、台湾で行動を共にする兄弟子・蘇崑崙は武術を学ぶ理由を「人間性を高めて宇宙と一体になるため」だと言い、「武術を学ぶ者には武徳が必要」で殺人の目的には強力をしないとまで言い切る。この場合は武術の技で得た力だが、これは科学や技術、経済などの力についても同じことが言えるのではないだろうか。拳児は別の場面で「皆と仲良くするため」に武術を学ぶのだとも言っているが、様々な力をどう使うのか…という問題は、私たち1人ひとりにとっても考える必要があることだろう。

そして拳児の「学び」の姿勢…。今まで学んできたことが一度壊れてしまうことをも恐れずに、素直に指導の根本に迫ろうとする。だからこそ、体力もあり様々な技を知っている大人と試合をしても圧倒してしまう。その試合を兄弟子の蘇は「何を学んでも自分の既成概念で使おうとすれば、優れた武術を自分自身でダメにしてしまう」と評する。【武術】を【知識】や【技能】に言い換えても通じる言葉であり、教育方法学や学習心理学の観点から見ても、鋭い指摘である。

「柔道一直線」や「るろうに剣心」などのようにドラマ化やアニメ化された作品ではないし、〔フェニックス〕や〔天翔龍閃〕などのとんでもない《必殺技》が出てくるわけでもないので、それほど知名度の高い作品とは言えない。が、様々な中国拳法の雰囲気が伝わってくるし、少年の成長物語としても奥が深い。いぶし銀とも言えそうななかなかのマンガである。

 

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2007年2月17日 (土)

大人の「忙しさ」といじめ

「なぜ、《いじめ》に気づかないのか」という問題について、ある新聞の記事に「教師の忙しさ」の問題と、母親「教師だけが忙しいわけではない」という思いが書かれていた。それぞれが、本心からの言葉だと思う。だが、問題の根本にあるのは「大人の忙しさ」ではないだろうか。

豊かな環境(物質的に…という意味ではない)で子どもを育てることができるなら、子どもの多くは健全に育つだろう。しかし、その「豊かさ」を奪われている現実がある。大人が仕事に追われて忙しいのである。だから、直接子どもに接する時間が減少してしまい、丁寧なケアができないし、当然、接する時間が物理的に減少しているから、サインを見落としてしまうことにもつながっていくのである。

その意味では、《教育再生会議》の提言は、今のところ外部から評論的に言うことのできる単なる対処療法に過ぎず、しかも、現場の現実を無視しているために実行すれば返って現場を混乱させてしまう可能性が少なくない。だからこそ、教育委員会などの反発も強まっているのであろう。

結局、【…諮問会議】や【…諮問委員会】のメンバーの中に、ほとんど現場の声や政府と反対の立場や考え方の人々を入れようとしない政府のご都合主義が、本当の意味で本質的な提言や有効な提言を出せなくさせてしまうのであろう。

現状を変え、いじめを減少させるために、政府がまず取り組めば確実に成果が出ることをここで2つあげよう。1つは、教育予算を他の先進国のようにもっともっと増やすことである。そして、もう1つは大人に「生活賃金」という思想を導入し、最低賃金のレベルでも、充分に子どもたちと共に過ごせる時間を保障することである。

この2つを確実にやってこそ、責任を学校現場や家庭に問う資格を持つ。それをしないで「学校が」「教育委員会が」「家庭が」などと口にするのは明らかに責任逃れの口実であり、責任を果たしていない税金泥棒の犯罪行為である。

冒頭の記事の例に戻れば、家庭としては「忙しいのは教師ばかりではない」からこそ子どもを育てるために「教師も親も、もっともっと子どもに関わることのできる時間を保障するのが政府の役割であり、そのためにも最低賃金をもっともっと上げ、大企業過保護の経済政策を白紙撤回する必要がある」と言うべきなのだ。

日本の農業の「保護」政策が、結局は日本の農業の競争力を弱めてしまったという現代史から学べば、今の大企業過保護の経済政策は、結局は長期的に見て大企業の国際競争力を弱めてしまう危険性も秘めている。政府は、もっと長期的なビジョンを持って動くべきであろう。

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2007年2月16日 (金)

ハッブル宇宙望遠鏡のとらえた宇宙

手元に一冊の本がある。『ハッブル宇宙望遠鏡で見る驚異の宇宙』という子ども向けの本だが、ハッブル宇宙望遠鏡のとらえた宇宙の姿を、付属のメガネを通して立体的に味わうことができる楽しい本である。

ハッブル宇宙望遠鏡は、それ以前の天文写真の常識を超える鮮やかで不思議で興味深い宇宙の表情を私たち人類に見せてくれた。ちょっとしたトラブルでイライラしたり腹を立てたりしたときに、ハッブルの宇宙写真を眺めているといつの間にか心が落ち着き、些細なことに怒ったり悩んだりしなくても…という気にさせてくれたりもする。別に、日常生活に役立つわけではないのだが、宇宙という広大で手の届かない存在を意識することによって視野狭窄に陥りかけていた自分が、心のブラックホールに落ちていくのを防いでくれるのである。

オメガ星雲やエッグ星雲の色鮮やかな色彩、ミイラの顔のようにも見える超新星の残骸LMC-N49、ユニコーンの頭部をイメージさせる三裂星雲、宇宙はようやく人類に対してこれだけの表情を見せてくれるようになったのだ、とつくづく思う。

ハッブル宇宙望遠鏡も核兵器も、日常生活には何の役にも立たないが、核兵器は未来への不安や絶望を広げているのに対し、ハッブル宇宙望遠鏡は未来への夢と希望を育んでくれる。人類に智慧があれば、どちらにこそ金をかけるべきかは自明の理であろう。

ハッブル宇宙望遠鏡は、やがて役割を終えて無へと還っていく。けれども、次の「ハッブル宇宙望遠鏡」が、その後を引き継いでいけるような未来であって欲しいと思う。ミサイルや爆撃機、核兵器などはいらない。科学技術は平和と真理の探究にこそ役立てて欲しいものである。

 

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2007年2月15日 (木)

難破船…加藤登紀子と中森明菜

「難破船」という歌がある。中森明菜が歌って大ヒットした曲だが、作詞・作曲は加藤登紀子。そうしたことから、加藤登紀子も同じようにこの歌を歌っている。

「難破船」がヒットしていた当時、中森明菜の恋愛トラブルも週刊誌を賑わしていたように記憶している。そうしたことも背景にあったからだろうか、中森明菜の歌う「難破船」は情感がこもっていて、とても胸に迫る歌だった。だから今でも、カラオケのレパートリーの1つになっている。

けれども、それ以上に味わいが深いのが、加藤登紀子の歌う「難破船」である。中森明菜の歌ももちろん素晴らしいのだが、加藤登紀子の歌は生きてきた人生の歩みの長さと重さをも感じさせる。明菜のそれが「手を差し伸べたい」という気持ちにさせる歌だとすれば、お登紀さんのそれは手を差し伸べることすらできずにたたずむしかない…という感じであろうか。けれども、もうこれ以下はありえないどん底だからこそ、一歩でも踏み出せば少しでも昇るという結果がついてくる…そんな「闇」の果ての「希望」をも予感させる。

どちらの歌も、それぞれの個性を発揮した歌に仕上がっている。明菜の可愛らしさとお登紀さんの奥深さ……。たまには聞き比べるのもおもしろいかも知れない。

 

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2007年2月14日 (水)

2つのアルカディア号

宇宙海賊キャプテンハーロックの乗る海賊戦艦、それが親友の大山トチローが設計し、苦難の末に作り上げたアルカディア号だ。

さて、このアルカディア号、実はイメージの異なる2つのタイプが存在する。1つはプレイコミックに連載し、TVアニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」に登場する青いカラーのアルカディア号、そしてもう1つは映画「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」「わが青春のアルカディア」そしてテレビシリーズ「無限軌道SSX」などに登場するグリーンのカラーのアルカディア号である。

異なるのはカラーだけではなく、前部の形状も違っている。青いタイプは前部にも2つのアンテナが立つ複雑なフォルムだが、グリーンのタイプは潜水艦の前部をイメージさせるすっきりとした形状になっていて髑髏の海賊マークが描かれている。

作品に登場する割合からすれば、圧倒的にグリーンのタイプが多いし、我がdisplay colectionのアルカディア号もそちらになっているが、青いタイプもけっこう捨てがたい。以前に書いた「銀河子守唄」でまゆを救うのは青いタイプのアルカディア号だからかも知れない。

ただ、その両タイプに共通しているところもある。頭脳ともいえるコンピューターにはトチローの魂が宿っているし、後方からのイメージはどちらも共通している。そして、プレイコミックに連載していた原作マンガでは、後方に小惑星基地を連れていて、改造なども思いのままにできることになっている。なかなか便利な設定であり、一応、話としてはつじつまが合う。つまり、マゾーンとの戦いの時期だけは青いタイプ…ということなのだろう。

いずれにしても、アルカディア号は宇宙戦艦ヤマトと共に、乗ってみたい【戦艦】の双璧である。ワープという超光速移動など、今の科学技術では絶対に実現不可能な性能も持っており、それに実際に乗ることなど一生かかっても不可能だが、多感な青春時代に宇宙への夢をかき立ててくれた夢の宇宙船であることには変わりはない。今日は、久しぶりに「キャプテンハーロック」を読み直してみよう。

 

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2007年2月13日 (火)

「怒り」を見つめること

心が「怒り」でいっぱいの人がいる。怒る理由は、それぞれにあるだろう。けれども、それを他者に撒き散らすことしかできない人は不幸である。結果として、他者から嫌われ孤立を余儀なくされてしまうからである。

以前、「自己チュー雑考」という記事を書いたことがあるが、他者に嫌われるから相手を攻撃し、いっそう他者に嫌われる…という悪循環に陥ってしまう。なぜ、病的なまでに、そして必要以上に他者を攻撃するのか。多分、その人は意識をしていなくても無意識のレベルで自分に自信がなく、自分を受け入れることができず、当然、他者を受け入れることもできないから孤立し、砂を噛むような寂しさや辛さを持っているのだろう。

けれども、原因の根本にある「自分」を見つめ直し、弱点をも含めたありのままの自分を受け入れる強さを持てないから、原因を他者に被せ「怒り」や害毒を撒き散らして、いっそう自分自身を追い詰めてしまうのであろう。今まで、そうした悪循環のスパイラルに陥ってしまっている人々を何人か見てきた。可能な場合は、アドバイスを続けたこともあったが、それでも本人がまず「自分の弱さ」を自覚し、自らの決断によって「ありのままの自分」を受け入れ、他者を受け入れる努力を続けるしかない。

それは、本当に、血の滲むような努力が必要となる場合もある。特に、ある程度以上の年齢になってしまってからはそうである。それでも、「気づく」ことから逃げ、悪循環のスパイラルの中をのた打ち回り時間を経過するにつれていっそう不幸を増幅させるよりはずっとましである。

だから、機会があればそういう話・アドバイスをすることもある。そして、努力を続ける相手に対しては自分自身の能力の範囲で可能な限りのサポートができるように……と考えてもいる。けれども、自分の限界もある程度判っている以上、無限にサポートができる訳ではない。相手との関係や自分自身の生活の中で、続けられるサポートしかできないのである。ただ、あくまでもささやかなサポートが可能となるだけで、結局は本人の自覚にかかっている。

「怒り」を見つめられず、自らの弱さに目が向けられない人々は哀しい。自分自身が不幸のブラックホールと化していくからである。だからこそ、願わずにはいられない。一日も早く、自覚することを……。そして、自らの決意を持って、努力の第一歩を踏み出すことを……。「人を呪わば穴2つ」と言う。「怒り」を見つめ直し、その暴走から一歩引くことからすべては始まる。1人でも多くの人が、そのことに気づいてほしいと思う。

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2007年2月12日 (月)

HAPPY BIRTHDAY…さだまさしの歌より

映画「飛べイカロスの翼」の主題歌「道化師のソネット」のシングルのB面に「HAPPY BIRTHDAY」という歌が入っている。「道化師のソネット」も、愛する人にそのまま伝えたいような言葉がちりばめられた大好きな歌の1つだが、この「HAPPY BIRTHDAY」という歌もけっこう良い。

人生には良いこともあれば悪いこともある。懸命に生きていれば失敗もあるが、それも含めてありのままの自分を受け入れればいいのじゃないか。ありのままの自分を無視してカッコウをつけたり、他人と張り合ったりし続ければ疲れるばかりだ。時にはそんなことを気にせずに空でも眺めてみよう。…そんなメッセージがこの歌から伝わってくる。

特に、サビの部分には、最初ドキリとして後でニヤリとしてしまう。

   昨日までの君は死にました おめでとう… 

   明日からの君の方が僕は好きです おめでとう…

小品…という感じは残るが、丁寧に作られた味のある小品、という印象の歌である。

 

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2007年2月11日 (日)

久しぶりのスプリングバンク

2日連続の研究会が大学であったので、駅前のホテルに泊まった。1日目の予定と夕食の後、駅前のJo's barに何年ぶりかで足を運んだ。泊まらないと飲酒運転になるのでここのところずっと行っていなかったが、1000種類ほどの洋酒の品揃えを誇り、時々はライブもしている。お目当ては、当然、シングルモルトのスコッチ・ウイスキーである。

まずは、当然のことながらスプリングバンクをオーダーする。当然、ロックは勿体ないのでストレートである。関西から来た古くからの研究会仲間の息子がイギリスへ行くということで、彼にもスプリングバンクを勧めた。「これはうまい」と好評であった。

ついでに少しワルノリして、関西の若い連中にも味見をさせてみた。1人は山崎をロックでたのんでいたくらいなのでウイスキーを飲みなれているらしく「おいしい」とのコメントだったが、甘い匂いに誘われて軽い気持ちでトライしてみたらしいあとの2人は「喉が熱い…」と絶句。スプリングバンクは普通のウイスキーよりもアルコール度数が高いのでウイスキーに慣れていない人がストレートで飲めば、ある意味では当然のコメントだと言えよう。

イタズラはそれで終わったが、その後、色々な話に花を咲かせつつ、ゆったりとスコッチを味わった。スプリングバンクの次は、グレンモーレンジのシェリーwf。これまたストレートで懐かしい味わいを楽しむ。

フルートの生演奏と美味しいウイスキー、そして気の許せる研究会仲間たちとの語らい……。久しぶりの楽しいひとときだ。さすがに、2日目が予定されていることもあり、その後はホテルに帰って寝たが、久しぶりのスプリングパンクは最高だった。

 

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2007年2月10日 (土)

高橋留美子作品の異界論

15歳の少女・日暮かもめは、神社の隠し井戸に落ちて戦国時代にタイムスリップしてしまう。そして、そこで出会った犬夜叉という妖怪と人間のハーフと共に、四魂の玉のかけらを求める冒険が始まる。現在「少年サンデー」という週間の少年向けマンガ雑誌に連載されている最新の高橋留美子の作品が、この「犬夜叉」である。
 

「犬夜叉」に限らず、高橋留美子の作品には、普通の人間とは異なる存在が登場することが少なくない。例えば、TVアニメや映画にもなった「うる星やつら」には、宇宙人という微妙な設定であるが鬼や雪女、弁天、烏天狗などが登場するし、オリジナル・ビデオアニメとして作られた「人魚の傷」の原作の「人魚シリーズ」には、人魚の肉を食べて不老不死となってしまった人間たちが出てくる。
 

TVアニメやゲーム・ソフトになった「らんま 1/2」でも、水をかけると女の子や小豚や猫に変身し、お湯をかけると元に戻るという、普通ではない人間が主人公や脇役となってストリーを展開する。「めぞん一刻」ではそうした異質の存在は登場しないが、一刻館の住人は年齢・職業不肖の四ッ谷をはじめ、例外なく常人離れをしたキャラクターで固められている。短編で出てくる座敷ぼっこなども含めて考えれば、こうした異者が登場する傾向は決して連載作品にはとどまらないと言えるだろう。
 

だが、高橋留美子の作品世界において、このような異質の存在は、実は異者であって異者ではない。大人気を博した「うる星やつら」の主人公の諸星あたるは、地球人のガール・フレンド三宅しのぶと同じように鬼娘のラムや雪女のユキ、弁天様たちと接しているし、現在、週間「少年サンデー」に連載中の「犬夜叉」でも、ヒロインの日暮かもめは、人間と妖怪の混血少年である犬夜叉や妖狐の七宝と、ある場面においては普通の人間たち以上に親しみと愛情を持って接している。異形のものや特異な能力を持ったものでも、広い意味では「同じ人間」として生きていける世界がそこには存在しているのである。
 

しかし、現在の日本に目を転じてみると、正反対の事例がそこかしこに見られる。同じ人間なのに、わずかな違いやちょっとした差を理由にして、いじめられたり酷い差別を受けたりするという現実が様々なメディアによって至る所で報告されている。
 

例えば、教育関係誌に限らず様々な雑誌や書物で取り上げられ、TVのニュースや特別番組などでも何度も特集が組まれる学校での「いじめ」の問題。真実かどうかは別にするとしても、そのきっかけや背景に挙げられるのは、ほんの些細な差やちょっとした違いである。その背景には、同質性に病的なまでに固執するあまり、本来同等である仲間をわざわざ「異者」に仕立て上げて排除しようとする、余裕のない荒んだ心の風景が見える。
 

そうした「いじめ」は、子どもの世界ばかりでなく、大人の社会でも幅広く見受けられる。南米から日本に働きに来たが職場でいじめや差別にあって心を閉ざしてしまった女性、職員室で孤立し体育館の裏で泣いていた若い講師、自らが差別をされているがゆえに不法滞在のアジア人ホステスを蔑視してしまう男性…。少しアンテナを張っただけで、こんな情景や話をいくらでもキャッチできてしまう現実が今の日本にはある。
 

それは、現在の日本人が心にゆとりを失って追いつめられていることの表れなのだが、そうした心の弱さや醜さをそのまま発散させることは、社会全体が一層ゆとりを失い荒んでいくことにつながっていく。弱者をいたぶり排除を続ければ、次第に自分自身も弱者の側に追いやられ排除される道へと誘導されていくことになってしまうのである。
 

だが、ちょっとした心の持ち方で、そうした悪循環は断ち切ることができる。1人ひとりの「違い」を「個性」として受け入れ、心を通じさせようと努力すれば、時として世代や言葉の壁さえも超えて「思い」を伝えることが可能となる。一方の好意は、鏡のように他方からも好意として返ってくるのである。
 

高橋留美子の作品世界とは異なり、現実の地球には、妖怪や魔物や宇宙人は存在しないかも知れない。しかし、高橋留美子の世界/るーみっく・ワールドの前提にある、「違い」を「個性」として認め「存在」をそのまま受け入れるまなざしがあれば、「異者」も安心して生きていくことが可能となる。そして、「異者」を受け入れることのできる社会は、その視野を拡大し、発想や技術を飛躍・発展させて、社会全体をダイナミックに変革していく力を内在させているのである。
 

私は、自分自身が「異者」であると感じてきたがゆえに、様々な「異者」と巡り合うことができたように思う。そして、彼らとの交流は、私自身の「生」を非常に豊かなものにしてくれたという実感がある。そうした体験から、私は、自分自身を「異者」として生かしてくれる「集団」に対しては、できる限りのことをしてその扱いに応えたいと努力している。その努力は、集団を豊かな形に変革していく力につながると同時に、私自身の人間的な成熟にもつながっている。一方の利害ではなく、双方向の豊かさがその関係には存在しているのである。
 

「異者」をいじめたり排斥したりすると、その一瞬だけは気分が晴れるかも知れない。しかし、そのことによって失われる「豊かな実り」を思えば、そうしたやり方がいかに愚かであるかが理解できるだろう。るーみっく・ワールドの登場人物たちのように、「異者」をありままに受け入れる豊かさを持ち続けたいと思う。

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2007年2月 9日 (金)

『孤独』…スザンヌ・ヴェガの視線

スザンヌ・ヴェガ  『孤独/SOLITUDE STANDING』 A&M RECORDS(1987年 リリース)

ディスクが回り出すと同時に、スザンヌ・ヴェガの歌が流れ始める。ピアノもギターもパーカッションもなく、ただ彼女の声だけが流れていく。始まりから孤独の影が漂うが、それはアルバム全体を通じてイメージの重低音として響き続ける。
 

まだ1,000枚にまでは届かないが、数百という枚数を遥かに越える数のレコードやCDアルバムの並ぶ部屋のラック……。1つの歌や曲として好きなものはたくさんあるが、アルバム全体として100%納得できるものはそう多くはない。
 

例えば、エンヤの『シェパード・ムーン』、TMネットワークの『CAROL』、アグネス・チャンの『美しい日々』、カーペンターズの『NOW & THEN』、谷山浩子の『天空歌集』、さだまさしの『帰去来』……。『孤独』は、そうしたアルバムと共に、10指に入るお気に入りのCDである。
 

慎重に押さえられた音に乗って、スザンヌの乾いたアルトが流れていく。それは、地味ではあるが、確かな存在感に満ちている。1つひとつの歌が、朝焼けの都会のビル街を吹き抜けていく風のようなイメージで心に響いてくるのである。
 

英語のネイティブ・スピーカーではないが、ただぼんやりと聞いているだけでも、カラカラと乾燥した都会の街角のイメージが広がる。それは音の作り方、歌い方によるところが大きいのだが、それぞれの歌詞にも都市生活のシーンが切り取られているので、意味を理解して聞いていると、よりそのイメージは深まってくる。
 

朝方の駅前の喫茶店のスナップ写真のような「トムズ・ダイナー」、今、日本でも問題になりつつある幼児虐待を扱った「ルカ」(ちなみにこの歌は浅香唯が1992年の『ステイ』というアルバムの中でカバーしている)、そしてアルバムの名前にもなった『孤独』など…。1つひとつがの歌がそれぞれに存在感を持ちつつも、全体として聞けばさらに豊かなハーモニーを奏でているのがわかってくる。
 

では、このアルバムが描くのはどんな街だろう。
 

日の当たるところでは、見知らぬたくさんの人々が行き交う。だが、その人々の間の繋がりはどこかしら淋しさが漂うほどに薄い。そこには、確かに自由はあるのだが、それは淋しさに耐えてこそ手に入れられるものなのかも知れない。
 

それでも人は生き続ける。大きな矛盾と隣り合わせに暮らし続ける。そんなシーンをスザンヌの感性が捕らえ、歌詞を、歌を紡ぎだす。メルヘンチックな幻想の入る余地のない生々しい現実の営み。だが、多くの人々がそこで働き、生活し、生き続けている。そのワン・シーンをスザンヌの視線が切り取る。それは写真のようにリアルだが、その視線の奥には押し込んでいてもにじみ出てくるような温かさがある。
 

どうしようもないような現実が確かに存在する。それを前にして孤立する1人ひとりの力は小さい。けれども、痛みを感じる自分がいる。同じように感じる人々も多分いるだろう。だから、希望はある。いや、希望を捨てない。アルバムを聞いていると、その歌の奥からそんな声が聞こえてくるような気がする。
 

もう、すでに20年も前に発表されたアルバムである。当時と比較して、社会の状況は大きく変わり、また彼女の音楽も変化していった。しかし、場所を隔て、時間を隔てても聞きたくなる音楽がある。あるいは聞かずにはいられなくなる音楽がある。少なくとも個人的にはこのアルバムは、そんな思いを抱いて聞いている。
 

毎日ではない。時には何か月も聞かないことだってある。けれども、何百枚ものCDの中から思い出したように手にするアルバムがある。何年たってもついついかけてしまうアルバムがある。日本名『孤独』/原題『SOLITUDE STANDING』。スザンヌ・ヴェガのセカンド・アルバムは、そんな1枚である。
 

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2007年2月 8日 (木)

『ABYSS』…野波浩の幻想写真

写真にも、こんなことが可能なのか…それが、最初見たときの率直な感想だった。確かにそれは写真なのだが、一枚一枚が、まるで象徴主義の絵画のような印象を受ける。下手なヘア・ヌードよりもセクシーで、しかも見ていて飽きない。『ABYSS』に集められた写真は様々なイマジネーションをかきたててくれる。

本来、写真は目に見えるものをそのまま写し撮るものだ…という固定観念がある。だが、シーンをどのように切り取るか、によって見え方がまったく異なってくるのを知っている人間は少ない。少なくとも、自分の撮影技術はともかく、切り取り方によって見る人への伝わり方は変わってくる…ということは分かっているつもりだった。だが、意識の中に、写真そのものも加工ができるし、それによってまったく作品が変わってくるのだ…ということまでは知らなかった。それを教えてくれたのが野波浩であり、彼の写真集『ABYSS』である。

初めて本物のモローの絵を見たとき、こういう表現は絵画にしか出来ないものだ、と思ったし写真の《写実》に対抗せずに絵画しかできない表現を追及していけば良いのだ、と考えたものだった。だが、《写実》だけではない写真の可能性を、この『ABYSS』はおしえてくれた。同じ野波の『EUREKA』とともに、ゆっくり見ていると様々な物語が湧き出し、幻想の中を漂う楽しさを味わうことができる。

手元において、時々、ゆっくりとひたっていたい写真集である。

 

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2007年2月 7日 (水)

ココログ・フリーがおかしい

昨日から、アクセスやコメントなどのチェックに時間がかかっている。ベーシックの方の【TAC文芸樹】は何ともないので、こちらがおかしいようだ。

他のブログでも同じようなコメントを見かけたが…

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2007年2月 6日 (火)

夢をたどって…小室みつ子のアルバムから

TMN(TM network)に多くの詞を提供している小室みつ子が、あまり有名ではなかったアイドル(?)時代に出したアルバム【見知らぬ恋人】の中に《夢をたどって… I've never been to me》という歌がある。もともとはシャーリーンという歌手が歌ってアメリカでヒットした歌(日本では「愛はかげろうのように」という題名でも知られている。歌詞はもちろん英語)をそのままのイメージで小室みつ子自身が訳したものである。

ところが、日本においては、そのメロディー自体を生かして椎名恵が《LOVE IS ALL~愛を聴かせて~》という歌にしてヒットさせたので、どうしてもこちらのイメージが強い。例えば、カラオケで探しても「LOVE IS ALL」や「愛はかげろうのように」はあっても、「夢をたどって」はない。もちろん、シャーリーンのオリジナルは素晴らしいし、それとはまったくかけ離れた歌詞であえて歌った椎名恵の歌も、椎名の澄んだ高い声とあいまってきれいな仕上がりになっている。

けれども、歌として聞いた場合には歌唱力や声の質の差でオリジナルや椎名には水をあけられるにしても、その詞はなかなか味わいが深く、よくできている。例えば、今は亡き本田美奈子などにこの歌詞で歌ってもらったりしたら、さぞ、すばらしい【歌】になったであろうと思う。椎名恵の「LOVE IS ALL」は結婚を前にした女性の想いを伸びやかに歌い上げているが、シャーリーンのオリジナルの歌詞は様々な恋の遍歴を繰り返し華やかに見られながらも心に孤独を抱えた女性の思いをしっとりと描き切った見事な作品であり、「夢をたどって…」はそのイメージを忠実に活かしながらも小室自身の感性によって、また違った味わいを持つ歌詞に仕上げている。

その味わいがなんとも言えず好きなので、カラオケに行ったときには、時々「LOVE IS ALL」を入れて「夢をたどって…」の歌詞で歌う…などということもしたりする。できれば高い声のつやのある上手な歌手が歌っているのを聞きたいのだが、なかなかそうもいかない。残念な限りである。

だが、歌詞は、その時点での小室みつ子の歌唱力の未熟さを補ってあまりある見事な出来ばえであり、時々、思い出したように聞きたくなる歌の1つとなっている。今日は、久しぶりに小室みつ子のアルバムでも聞いてみようか……。

 

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2007年2月 5日 (月)

差別政策を続けていいのか?

先日、知人が名古屋入管に拘留された。結婚の手続きを終えて、書類を整え、言われた通りに2回目の出頭をしたにも関わらず……である。人権擁護の観点からすれば、別に逃げも隠れもしていないのだから、拘留しなければならない理由は思いつかない。

それを知ったのは、彼女の友人が突然の拘留に慌てて相談の電話をかけてきたからであり、夜の仕事を終えてアパートに行くとその友人夫婦と交流された女性の配偶者が頭を悩ませているところだった。次の日にも面会に行く…という話だったので、2つのことをアドバイスした。1つは、担当の係官をきちんと確認し、面会にいけない日でも何度でも電話をするように…ということ。そしてもう1つは、配偶者の権利として仮放免申請をすることが出入国管理法及び難民認定法(入管難民法)でも認められているので、すぐにでもその手続きをするように…ということである。

問題なのは、名古屋入管の職員は、通常の市役所や公共施設などの職員が勤務中につけている筈の名札をなぜかつけていない(これは別の事例でも耳にした)らしいことであり、それは責任者をごまかそうとしている可能性がなきにしもあらずである点と、入管難民法にも書かれている配偶者の権利としての仮放免申請の説明をまったくしていなかったという点である。拘留されている女性はアジア人であり、その配偶者も私よりも年上の人で、当然、入管難民法や国際人権規約などの法律はほとんど知らない。無知な市民に対する悪質な人権侵害体質が入管をはじめいくつかの組織にはあるようだ。

けれども、少子高齢化が進む中、そんな事をしていていいのか…という問題が実はある。例えば、自由貿易協定の中でフィリピンから、看護士や介護士の受け入れ枠を拡大することが決まっているが、現地を取材した記事によると、言葉の問題があるため、日本を希望する看護士たちは意外と少ないらしい。

ボランティアの日本語教室で教えているとよく分かるのだが、日本語の構造は非常に特殊で、例えば語順については中国語やタイ語や英語は割りと似ているが、日本語はまったく系統が異なる。だから、アジア人にしろ欧米人にしろ日本語を習得するのは日本人が考えている以上にずっと大変なのである。

そうしたマイナス面があるのに加えて、特にアジア人に対する上級官僚や政治家などの持っている差別意識と関わって、日本人として恥ずかしくなるような人権侵害事件を目にすることも少なくない。そんな対応をされて、外国人労働者が喜んで日本で働こうとするだろうか。そうした点は、もっともっと考える必要はある。

こちらが相手を心から尊重し、親愛の情をもってつきあっていれば、他国からきて習慣や考え方の異なる人々でもたいていは親愛の情を示し、大切にしてくれる。10年、いやもっと先のことを考えれば、差別政策を撤廃し、他国の人々の人権も尊重しつつ信頼関係を構築することは、経済的にも平和を維持するためにも、明らかにプラスになる。

外国人差別はいい加減に止めるべきだ。そして、一般の人々以上に根強い差別意識を持つ官僚や政治家に、徹底した人権教育が必要であろう。

 

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2007年2月 4日 (日)

新しいblog

今日から、もう1つ、新しいblogを始めた。【TAC文芸樹】(http://tac-bungeiju.cocolog-nifty.com/)という名前で、こちらの方は童話や詩や小説を発表する予定でいる。

とりあえずはきのうが節分だったこともあり、以前、友人と始めた別のblogに発表した童話をupした。そちらが個人blogのような状況になってしまたのと、今ひとつ使い勝手が悪いので、新しいblogを開設したのだが、しばらくは両方に載せる作品が多くなることと思う。

が、少し時間をおいて新しい方だけを残し、古い方は閉めるつもりでいる。とりあえず、「もっちゃんのタクシー」という童話のシリーズが終わってから、新作もupする予定でいるので、多少なりとも文学が好きな方は、そちらの方ものぞいていただきたい。今upしてある童話は、編集事務局をしている文芸同人誌に掲載してそれなりに反響があり、また小さいながらもささやかな賞をいただいた作品でもある。その意味では、一応の形はそれなりに整っていると思う。

結婚や離婚のゴタゴタでペンが止まり、その後の多忙な毎日の中で文芸創作に関わる時間が物理的に激減している今、どうしても完成したいSF小説はまだ中断したままである。これを機会に、そちらの方も少しずつ再開していきたいものである。

だが、まだ研究会や確定申告など、多忙な毎日が続く。前途は多難で、先は長い。それでも、あきらめずに少しずつ続けられれば……と思う。

 

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2007年2月 3日 (土)

「ピグマリオ」の味わい

幼児虐待、家庭内暴力、そしてドメスティク・バイオレンス…。家族や親と子の関係が不安定になり、時として破壊的な様相を示す現代社会。胸を痛める様々な事件は、自立に至るまでの苦難に負けてしまった人間たちの姿なのかも知れない。

 

自立とは何か。心理学の世界では、西洋的自我の確立の過程を英雄譚になぞらえながら以下のようなステップでまとめている。旅立ち、そして旅の途上で怪物と出会い、それを倒して美女を救出し、最後に彼女と結婚する。ここで怪物とはあらゆるものを飲み込もうとする悪しき意味での母性と重なる部分があり、その繋がりを断ち切る強さこそ自我の確立にとって重要となる。が、母性…あるいは女性原理を失ってはバランスが崩れるので、新たな出会い、すなわち結婚によってそれを補完するのである。

 

もっとも、このまとめ方はかなり大ざっぱで乱暴だが、ユングや河合隼雄の著作などを丁寧に読んでいくと、それなりに説得力を持っている。そうした事を意識しながら、この『ピグマリオ』という作品のストリーに目を向けてみよう。

 

主人公のクルトは、ルーンという小さな国の皇子だった。父王や周囲の人々に慈しみ育てられていたが、クルトには母親がいなかった。理由は注意深く隠されていた。が、悪神エルゾの娘メデューサによって石像に変えられてしまったのである。

 

その母ガラティアを元の姿に戻すには、母を石にした悪神エルゾの娘メデューサを倒さなければならない。石にされた人々と母のために、メデューサを求めてクルトは旅立つ。母ガラティアの妹である精霊オリエや大地の女神ユリアナに見守られながら。その旅の途上でクルトは、多くの人間や神々、そしてメデューサのしもべ・使徒の妖魔たちと出会う。そして、後にクルトの妃となるはずの星占いの少女オリエとも…。

 

次々と襲いかかるメデューサのしもべ・使徒を、女神ユリアナに借りた大地の剣で倒しながらメデューサ城を目指すクルト。だが、クルトは単にメデューサに近付くために妖魔たちと戦っているのではない。人々と語り、行動を共にしながら、妖魔や悪政に虐げられている人々の願いを背負って戦い、旅を続けるのである。

 

人々と語り、その苦痛や悲しみを背負い、共に生きようとするクルトの額に星が光る。それは、神々から時代を引き継ぎ、人々を導く『創世王ピグマリオ』の証である。共に苦しみ悲しみを背負いながら先へ進むクルトだからこそ、人々は心を動かされて共に生き、戦おうとする。そして、自らの時代の終わりを告げるクルトに、神々も力を貸そうと動きだす。そしてその力を結集してクルトはメデューサの前に立ち、クルトの剣は戦いの中でクルトを育てた闇の母メデューサの胸を貫くのである。

 

翻って、現代の日本の姿に目を向けてみよう。弱者に寄り添い、人々と苦難を共にしながら未来を切り開こうとする政治家や官僚の姿は無く、特権にしがみつき弱者を苦しめ未来を閉ざすようなことしか出来ない族と、国や国民の利益よりも外国と身内の利益を大事にして恥じない売国奴が日本を徘徊する。自ら血を流す勇気もなく、責任の取り方を知らない口先だけの指導者に、国難に対処する当事者能力はない。

 

困難は、それを乗り越えてこそ豊かな実りとなって当事者と周囲の人々に降り注ぐ。様々な妖魔との戦いを越えて、人々の心をつないでいくクルトの旅は、その物語に接する読者に深い感動と、生きる力と、困難に立ち向かう勇気とを与えてくれる。それは、本来、様々な神話が与えてくれたものであり、現在でも優れたファンタジーが私たちに示してくれるものである。

 

ファンタジー作品としての『ピグマリオ』(和田慎二/私は見ていないがTVアニメでも放映されていた)。その中に内包されたイメージには、多くのかぎが隠されている。政治の問題、親子の関係、自立の課題、愛というもの…。いくつもの読み方ができるこのマンガを読みながら、そうしたことに思いを巡らし、未来に立ち向かっていくきっかけを探るのも良いかも知れない。

 

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2007年2月 2日 (金)

資質に欠ける厚労相の更迭を!

柳沢厚生労働相の「失言」で政権が揺れている。新聞記事を詳細に読めば、本人もすぐに失言を自覚して言い直したようだが、そもそも厚生労働相という立場を考えれば許されるレベルの「失言」では済まされない。

なぜ少子化傾向が改まらないのか…という根本に着目すれば、過酷な労働環境による家庭生活の破壊と子育て環境の悪化の問題に目が向かざるを得ない。一連の小泉政権から安倍政権へと続く「改革」の中で、多くの労働者の収入が伸び悩んだり減少したりした結果、家計に余裕が失われている。それは、パートの掛け持ちなど、家計を支えるための女性の労働時間の増加やぶつ切り状況を生み、家族生活に関わる時間を男性はもちろん女性からも奪っている。

柳沢厚生労働相は前政権時の役職も含めて考えた時、そうした家庭を破壊する構造変化を生み出した大きな責任の一端を担っていると言えよう。だが、厚生労働相という立場を考えれば、前政権時の役職から発想を転換して、労働環境や家庭環境の改善・向上を財界・企業の意向を無視してでも真剣に考えなければならない立場である。それが、財界・企業のワガママを受け入れてホワイトカラー・エグゼンプションを労働環境の悪化を深く考慮せぬままに導入しようとした責任もある。その点から考えてみても、真にその役割を自覚して国民の福利のために行動していたとは言えない。その意味で、本質的な部分で国民軽視の考えを持っており、そのことが女性蔑視「失言」の背景にあったと考えられる。

そうした経過からすれば、柳沢厚生労働相に厚生労働相としての資質はない。「失言」そのもののマスコミの取り上げ方は必ずしもフェアとは言えないが、そうした発言をしてしまう背景を考えれば、そもそも首相の任命そのものが眼鏡違いだったということなのだろう。

いずれにしろ、少子高齢化はどんどん進んでいる。それを止めるには、政策として家計収入を安定させるとともに労働時間をある程度抑制してでも一人ひとりの家族と関わる時間をきちんと保障する必要がある。それをするだけで、過労死やウツ、子どものいじめ問題や学力低下についての、あるいは高齢者の家庭でのケアが可能になったり充実したりする物理的条件を整えることにつながる。

日本社会の荒廃がこれ以上進む前に方向転換をし、本当の意味での「美しい国」を作る必要があると思うのだが……。

 

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2007年2月 1日 (木)

「銀河子守唄」…宇宙海賊キャプテンハーロックより

TV版《宇宙海賊キャプテンハーロック》の34話「銀河子守唄」は、キャプテンハーロックのアニメの中でも、特に好きな作品の一つである。プレイコミック版の原作マンガには1ページの中の台詞にしか登場しないハーロックの親友トチローとエメラルダス(TV版のこのシリーズではエメラーダ)の一人娘大山まゆ。この34話では、マゾーンにさらわれたまゆをハーロックが仲間と共に取り戻すのだが……。

このマンガ版には登場しない少女・大山まゆは、ハーロックが命がけで守ろうとするものの象徴だが、それは決して国ではない。未来なのだ。だからこそ、地球政府と敵対し、犯罪者として追われていても、まゆの暮らす地球を守るためにハーロックとアルカディア号の仲間たちは強敵マゾーンと戦い続ける。

この34話に使われている音楽の中で特に好きなものが「まゆのテーマ」とこの34話の題にもなっている「銀河子守唄」である。

まゆのテーマは、まゆがオカリナで吹き続けている曲なのだがどこか哀愁を帯びたそのメロディーは放映(1978年)から30年近く経った今でも心に残っており、携帯電話のメールの着信音にしている。このオカリナの音をアルカディア号の心となったトチローが追って、まゆのもとに辿り着くのである。

「銀河子守唄」は「星の子守唄」の記事でも触れたが、さらわれた恐怖のせいで眠らずにオカリナを吹き続けるまゆを眠らせるためにアルカディア号=トチローが歌う子守唄のシーンに流れる。トチローの歌によって、まゆもようやく眠りにつくのである。その使われ方はもちろん、その歌詞からも、父親の子守唄として相応しいものである。そして、このたった1回使われただけの挿入歌を30年近くたった今も歌うことができる。残念ながらカラオケには入っていないが……。

ストリーはもちろん、その中に使われている音楽も印象的な作品。わずか30分ほどの話だが、松本零士アニメの中でもおススメの逸品と言えよう。

 

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