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2007年2月13日 (火)

「怒り」を見つめること

心が「怒り」でいっぱいの人がいる。怒る理由は、それぞれにあるだろう。けれども、それを他者に撒き散らすことしかできない人は不幸である。結果として、他者から嫌われ孤立を余儀なくされてしまうからである。

以前、「自己チュー雑考」という記事を書いたことがあるが、他者に嫌われるから相手を攻撃し、いっそう他者に嫌われる…という悪循環に陥ってしまう。なぜ、病的なまでに、そして必要以上に他者を攻撃するのか。多分、その人は意識をしていなくても無意識のレベルで自分に自信がなく、自分を受け入れることができず、当然、他者を受け入れることもできないから孤立し、砂を噛むような寂しさや辛さを持っているのだろう。

けれども、原因の根本にある「自分」を見つめ直し、弱点をも含めたありのままの自分を受け入れる強さを持てないから、原因を他者に被せ「怒り」や害毒を撒き散らして、いっそう自分自身を追い詰めてしまうのであろう。今まで、そうした悪循環のスパイラルに陥ってしまっている人々を何人か見てきた。可能な場合は、アドバイスを続けたこともあったが、それでも本人がまず「自分の弱さ」を自覚し、自らの決断によって「ありのままの自分」を受け入れ、他者を受け入れる努力を続けるしかない。

それは、本当に、血の滲むような努力が必要となる場合もある。特に、ある程度以上の年齢になってしまってからはそうである。それでも、「気づく」ことから逃げ、悪循環のスパイラルの中をのた打ち回り時間を経過するにつれていっそう不幸を増幅させるよりはずっとましである。

だから、機会があればそういう話・アドバイスをすることもある。そして、努力を続ける相手に対しては自分自身の能力の範囲で可能な限りのサポートができるように……と考えてもいる。けれども、自分の限界もある程度判っている以上、無限にサポートができる訳ではない。相手との関係や自分自身の生活の中で、続けられるサポートしかできないのである。ただ、あくまでもささやかなサポートが可能となるだけで、結局は本人の自覚にかかっている。

「怒り」を見つめられず、自らの弱さに目が向けられない人々は哀しい。自分自身が不幸のブラックホールと化していくからである。だからこそ、願わずにはいられない。一日も早く、自覚することを……。そして、自らの決意を持って、努力の第一歩を踏み出すことを……。「人を呪わば穴2つ」と言う。「怒り」を見つめ直し、その暴走から一歩引くことからすべては始まる。1人でも多くの人が、そのことに気づいてほしいと思う。

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コメント

「怒り」は自分で抑えているようでも、それは抑えているだけで「怒り」はやはり心の中に存在するもののようです。そして「怒り」そのものを取り去ることはなかなか難しい。この辺、僕はまだまだ大人に成り切れていないんだなぁ、とこの記事を読んで感じました。喜怒哀楽の表現は人間である証拠ですが、「怒」はほどほどにしておかないと、自分の品格を落とす結果に成りかねませんので、江戸っ子堅気の僕は特に気を付けなければなりませんね(^^ゞ

投稿: うるとらの音 | 2007年2月15日 (木) 22時20分

感情を表現することも大切なのです。でも、暴走させてしまうのは危険です。だから、その感情を見つめる…そのことによって、徐々に暴走を鎮められるようになると思われます。

でも、感情を殺してしまってはダメです。

その辺りの匙加減がほんとうに難しい。だけど、いやだからこそ、人間という存在はおもしろいのです。

投稿: TAC | 2007年2月15日 (木) 23時06分

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