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2007年3月12日 (月)

《悪党》としての楠木正成

歴史上好きな武将を聞かれて、まず最初に名前が浮かぶのは楠木正成である。磐石と見られていた鎌倉幕府・北条執権政治が瓦解する流れを作ったのは、やはり楠木正成とその一党の、赤坂城や千早城での奮戦があったからであろう。

では、なぜ楠木正成は後醍醐天皇の側に立って、圧倒的な幕府軍を相手に戦う決断をしたのだろうか。楠木正成の朱子学の教養などもその理由の1つにあげられるだろうが、1つに幕府に集う武士たちとは一線を画した存在であった……ということも大きいだろう。

鎌倉幕府に集う東国の武士たちは、どちらかと言えば《武装農民》というべき存在である。ただ、税金等の対策上、自分達の基盤となる土地「荘園」を有力貴族や寺社に寄進して、現地のまとめ役に任命してもらう形をとったが、それだけでは立場が不安定になるので、「地頭」という形で幕府から一定の「荘園」の軍事・警察権を与えてもらうことによって立場を強化した…と考えるとわかりやすい。

それに対して、当初から鎌倉幕府と戦った赤松一党らと同じように楠一党も、幕府・御家人たちから見れば「悪党」と呼ばれる存在であった。では「悪党」とは何か。楠木一党や赤松一党の経済活動を見てみれば、彼らは武装農民というよりも、武装商人という性格が強かったのではないかと考えられる。

例えば、関所などの存在を考えても、地域内の防衛を第一に考える武装農民と、交易の便を考える武装商人とでは、意味がまったく違ってくる。そうした点を考えれば、楠木正成が鎌倉幕府に忠誠を誓うという意識が薄かったのはある意味では当然なのである。

そうした事も含めて考えれば、楠正成が鎌倉幕府を敵に回して戦う意味はそれなりに大きかったと考えられる。そして、一旦決断を下した後は、十分に準備をした上で幕府の大軍を相手に知略の限りを尽くして奮戦した。

その決断、そして知略…。楠木正成は私にとって魅力の塊である。

 

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コメント

腰もなんとかなおり、今日はまた復帰です。お騒がせしました。

TACさんに家にきて、旦那に日本史を教えてもらいたいです。私は歴史はまったく駄目で、旦那にいろいろ聞かれて答えられず、いつもバカにされてばかりです。

投稿: アサヒ | 2007年3月13日 (火) 20時25分

日本史は【荘園】が1つのキーになります。けっこう、ややこしいのですが、荘園のシステムが理解できると、古代・中世の経済がある程度整理しやすくなります。

それから地方分権と中央集権がいったりきたり…。外圧がからむと中央集権化を取ろうとするのですね。

例えば、聖徳太子以前は氏姓制度(地)だったのが、隋・唐による侵略の危機があって律令制(中)に移行しようとする。が、危機が去ると、荘園制/幕府(地)で、モンゴルの侵略の危機に執権政治の得宗専制システム、室町幕府で地方が強くなって戦国時代になるも、スペイン・ポルトガル侵略の危機に信長・秀吉・家康による全国統一、平和になって地方の独自色が強まるも、欧米による植民地化の危機に明治維新で中央集権化を目指す…てな具合です。流れが理解できるとよく分かってきますよ。

投稿: TAC | 2007年3月13日 (火) 22時07分

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