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2007年4月30日 (月)

厳罰化よりも必用なこと

少年法が「改正」され厳罰化が進む見通しとなった。確かに、日本のマスコミによる現在のニュース報道を見ていると、厳罰化もある程度仕方が無いのかな…という思いは否定しきれない。しかし、過去のデータを詳細に見てみると、戦争前の一時期や戦後の一時期においても現在以上に凶悪な犯罪が起こっていたし、件数も現在を上回っていたという事実が確認できる。ということは、今までの「少年法」においても、それなりの効果は上がっていたという結論になる。

「厳罰化」というのは、ある意味では「脅し」だが、脅しが通用しない相手も存在する。1つは《無知》。その事実を知らなければ、歯止めにはならない。そして、犯罪を犯す青少年の生活環境を考えれば、十分に法律の知識を持たない場合が少なからずある。もう1つ、知っていても実感していない場合。これも、脅しは通用しない。

結局、「厳罰化」というのは、対処療法の一つに過ぎないのである。それよりも、戦後の混乱期から徐々に青少年の犯罪が減少していった背景を考えた方が実りのある議論ができるのではないだろうか。戦後の混乱の中で青少年を支える家族や地域社会の機能が低下していたが生活の安定と共に家族や地域の支える力が強まり、それが犯罪の減少につながっていったのだと考えるのが自然だろう。

翻って、今の現実を考えてみよう。家庭や地域の青少年を支える力の弱まりが指摘されて久しいが、なぜそうなったのか。大企業優遇政策が人々の競争を過度に煽ってつながりを弱め、長時間あるいはぶつ切りの労働時間によって、人々の生活時間を奪っている現実があるではないか。それを放置して「厳罰化」を進めても、根本の背景が改まらない以上、問題は解決しないのである。

教育再生会議もそうだが、今の政府・与党は、口先あるいは表面的な対処療法をパフォーマンスとして表に出すだけで、問題の根本を分析してその解決に努力しようとする強い意思と粘り強い努力に欠けている。それに手を着ける決断から逃げ続ける限り、状況は好転せず、さらに悪化する危険性をはらんでいる。上に立つものが現実を真摯に見つめ、率先して自らの衿を正し、問題に向き合っていくことが大切だろう。

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コメント

ホント、厳罰化って一時しのぎにすぎないってことを多くの人が分かってないですよね。

投稿: かじか | 2007年5月 2日 (水) 23時49分

きちんと現場に関わっている人なら、厳罰化の効果はそれ程でもないことを知っています。「テロとの戦い」も同じで、暴力や力・軍事力では根本的な解決にはならないのです。

ただ、見た目からは「何か対策を実行している」ようには写るので、半分はパフォーマンスなのでしょう。

でも、根本の背景(少年犯罪ならば地域や家庭の支える力の強化、テロならば貧困を撲滅するためのアプローチ)に手をつけない限り、状況は好転していかないでしょうね。

投稿: TAC | 2007年5月 3日 (木) 12時03分

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