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2007年4月29日 (日)

『なんとなく、日本人』を読む

この本は、対米売国小泉「改革」によって日本社会の持っていたセーフティ・ネットが次々と壊され、「改革」の欺瞞や英米式「グローバル・スタンダード」の嘘が、強力なメディア・コントロール(あるいはメディアの自殺)にも関わらず、徐々に見え始めた昨今の政治・経済情勢の中で、色々と納得できる提言も書かれているけっこう面白い「日本人論」である。

 

例えば、日本語そのものの特性からのアプローチは、外国人のための日本語教育に関わる立場からも非常に納得できる記述があり、楽しいばかりでなく興味深く読むことが出来た。また、若い世代に対する分析も、表面的な差異に目を奪われずに、歴史的な事実とも比較しながら見ていく語り口には納得できることが多かった。

 

そうした記述も楽しかったが、何よりも興味深く読むことが出来たのは「場」という視点だった。

以前、フレネ教育研究会のレポートで何度か「場」の問題を取り上げたことがあったが、教育の現場にあっても、安定したお互いの共感が成立する「場」が形成されていれば、学習、精神の安定や自立、成長の面で大きな効果が上がることを指摘したものだった。この著者の分析は、教育の場ではなく社会や製造の現場でのことを取り上げているのだが、その分析や指摘は、私自身の考えていたことと共通する部分を多く持っているように感じられた。

 

この「場」との関わりでおもしろかったのは、「自我」の問題である。

著者は「自我」を「場」との深い関わりの中で安定する「日本的自我」と「西洋的自我」(旧来の意味での「自我」)を対比させ、必ずしも「西洋的自我」を「確立」させなければならない必然性があるのか、という主張を展開している。

私自身も自我の確立については自分自身もけっこう悩んだし、また教育相談などの現場でも問題とせざるを得ない場面を何度も経験した関係上深く考えてきた方だが、個人的には、「自我を確立し、さらにその自我さえも自由自在に捨てられるようになる事が理想ではないか」と考えていた。が、「自我」そのものが実は「西洋的自我」であり、日本では日本の歴史的背景や社会の状況にあった「日本的自我」の確立で良いし、「西洋的自我」の特徴や発想を理解した上でならば、真の意味でのグローバル化にもプラスになる、という考えにはけっこううなずけるものがあった。

自分の属する「場」での安定が「日本的自我」の安定につながり、それが能力を発揮させたり開花させたりすることにつながっていく。またそればかりでなく、それがお互いの共感を育て豊かにしていくのであれば、そうした面は大切にしていくことが、確かにグローバル化の進展という歩みの中でも大切になるだろう。けれども、「個」の弱さは、ある意味では弱点にもつながりかねない部分を持っている事もまた事実である。要は、それぞれの違い・長所・欠点を意識しながら付き合っていくしかないし、それさえきちんと出来れば、グローバル化の中でもやっていけると思われる。これは、ある意味では今後の方向性をも示唆してくれている本だといえよう。

ただ、具体的にはセーフティー・ネットをどのような形で再構築し、様々な「場」での安定性を回復していくかが政治的にも経済的にも社会的にも大きな課題となってくる。外国人労働者や移民に関しての考えでは相違点もあるが、当面の課題は大いに共感できる形でまとめられている。

一市民の立場として出来ることは少ないにしても、読んでいて希望が膨らんでくる一冊であったと思う。            〔完〕

 【TEXT】

  『なんとなく、日本人』

        小笠原 泰 作 

            2006年  PHP新書

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コメント

グローバル化する現代社会で勝ち残って行く為には、今一度日本人を徹底的に探求する必要がありますよね。世界からいつも弱いイメージを持たれているのが悔しいです。それには言葉の問題や、日本の文化、歴史、教育制度、国民性などが影響しているのでしょうが、実際には日本人にだって底力はあります。でも我々がグローバルな環境に置かれた時、他国が概して抱くイメージをそのまま受け入れて、弱い日本人を演じているところが問題なのです。東京に引越したら私にも就職のチャンスはたくさんあります。経験や語学力を重視すると必然的にグローバルな職場環境で働くことになるでしょう。でも私はこの弱い日本人を打破して、日本人にしか出来ないことだってあるのだという底力を発揮したいと思っています。

投稿: アサヒ | 2007年4月30日 (月) 12時20分

何も日本が英米式「グローバリズム」に付き合う必要はないわけで、日本なり「グローバリズム」を考え、環境破壊や格差拡大に歯止めをかけようとしない英米式「グローバリズム」を修正、もしくは破棄してしまうべきだと思います。

そのためには、歴史をきちんと見直し、修正しなければならない点はごまかさずに勇気を持って修正し、国としてのアイデンティティーを確立して世界に発信していくべきなのです。今の政府・与党のやっていることとは正反対の選択ですが……。

投稿: TAC | 2007年4月30日 (月) 12時58分

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