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2007年6月 2日 (土)

多すぎる宿題

小学校3年生の男の子の母親から相談を受けた。宿題が多すぎるというのだ。親が側にいてさせても午後10時までかかることがあるという。本読みや計算プリント、そして漢字練習にテスト直し……。確かに、9歳という年齢を考えれば、出す方が異常ではないかという量である。

家庭での学習の習慣をつけるのは大事だし、またそのための手段として宿題を出すというのも悪い事ではない。ただ、9歳前後という年齢の子どもの生活の中においては「遊び」も勉強に勝るとも劣らないほど大切だし、その意味において普通の子が普通にやって30分程度で終わる量なら小3くらいの宿題としてはまあまあ…といったところだろうか。出来の良くない子が30分のところを1時間かかってしまった……という形なら、ある程度は仕方が無いだろう。

けれども、ただ、机の前に座らせて漢字の練習を必要以上にさせるような「宿題」や忘れたら極端に増えるような「罰としての宿題」は、1回や2回ならともかく、毎日続けさせれば、子どもにとってはマイナスとなる。集中せずにいやいや長時間やるような宿題は、労力の割に効率は悪く、あまり子どもの身につくものではないし、逆に子どもの学習意欲を殺ぎ、ストレスをため、勉強嫌いにさせるし、最悪の場合は学級崩壊を招きかねない。実際に、宿題のメモに嘘を書いたりするようなこともして来たので、母親が相談してきた訳だが「子どもに嘘をつかせるようなやり方は問題だ」とするこの母親の感性は正しい。

最大の問題は、宿題を出している担任の教師が、1人ひとりの子どもの現実を見ようとしていないことである。方法論的には、子どもが少し努力すれば出来る宿題を積み重ね、「できた」という達成感を味わっていけるように仕向けることで、努力を続けることが苦痛ではなくなり、学習意欲も高まってくる。そのためには、今、目の前にいる子どもが、何分ぐらいでどれだけの量の宿題が出来るか把握しておく必要があるし、出来ない子にたいしては休み時間や放課後にきちんと「やり方」を教えたり、わからないところを様々なやり方で説明したり、子どもたちの間にやり方を教えあうような雰囲気を作ったりしていく必用がある。それをしないで宿題だけ大量に出しても、教師の自己満足と外へのパフォーマンス以外の意味は無い。効果をあげようとすれば、現場での現実をきちんと見据え、それを改善するのに必要な手立てを細かく、きちんと取ることが必要となるのである。

その意味において「教育再生会議」や政府・与党も現場の現実を見ずに暴走している点では、この愚かな担任教師とあまり変わらない。現実だけを見ていては、それに流されることも少なくないが、現実を無視すれば、混乱と荒廃の未来が待っていいるだけである。それすら気付かない愚かな人々ばかりしかいないのだろうか?

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