« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月30日 (月)

公明党の判断ミスと誤算

参議院選挙は与党の大敗という結果が出た。これだけ一般の国民に痛みを押し付け、弱者と地方を切り捨ててアメリカのブッシュ政権と大企業や高額所得者のみに媚を売って「美しい日本」をぶち壊し続けた安倍政権に対する国民の判断としては当然だろう。

主導した安倍・自民党が議席を激減させるのは当然だが、公明党にとってはこれ程厳しい結果になろうとは思っていなかったのではないだろうか。ある意味では、公明党が自民党にババを引かされたと見えなくもない。選挙協力の面では、自民党に対する公明党の協力の効果はそれなりに大きいものであったが、公明党に対する自民党のそれは、結果としては必ずしも満足のいくものではなかったように見える。

安倍政権の暴走は、自民党支持者から見ても「やり過ぎ」だったようだ。しかも、数々の不祥事において「身内」をかばって説明責任を果たさず、うやむやにしてしまおうとした。公明党が安倍政権内にあっても、自民党とは一線を画す強い姿勢で苦言を呈し、暴走は時として党を挙げて反対し連立離脱も辞さない強い姿勢を見せれば、安倍政権を批判的に見つめる自民党支持者や無党派層の支持もある程度得られたかも知れない。

けれども、公明党がやったのは安倍政権の暴走を止めることなく無批判に同調して強行採決の連発を許し、政権に残ることのみに全力を尽くした。結果として、本来の党の重要な指針である「平和の党」「生活者のための党」という看板に自ら泥を塗って、無党派層や一般の国民の信頼を失い、党としての独自性をアピールできずに「与党批判」の波を受けてしまったということだろう。

その意味で、参院選に勝利をした民主党が、今後どのような動きをするのかという点とともに、自民党とは異なる党である公明党が与党としてどのような動きをするのかという点も注目されることになる。安倍・自民党のイエスマンに終始しては、公明党の政党としての存在意義は失われるだろう。今後の公明党の動きは、次の衆議院選挙までに今まで以上に注視されることになる。その視線に、どう対応するのかが興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月29日 (日)

選挙は負けても…鉄面皮の首相

午後10時を過ぎ、ある程度結果が出て、与党の大敗は濃厚な情勢になっているようだ。四国などは、自民党は完全に議席を失うような勢いだが、福祉切捨て、地方切捨て、年金に対する無責任な対応、政治と金の問題に対するいい加減な説明などに対する国民の怒りが爆発したということだろう。

つまり、今までの安倍政権の政治運営に対する国民の「NO !」がはっきりと示された訳である。だが、安倍首相は続投の意向を示し、今までの政策を続けようとしているようである。自民党では片山虎之助氏のような大物まで落選するような結果であっても、国民の声が理解できないようだ。厚顔無恥だけでなく、権力にしがみつこうとする姿は見苦しく、「美しい」日本の伝統に反するのではないだろうか。

先の国会での強行採決の乱発によって、十分な議論を求める国民の声を押しつぶし、勝手に地方や国民の福祉を切り捨てる政策を推し進めてきた与党・安倍政権。他者の声を聞かず、党内の異論や疑問の声も無視して「美しい国」破壊を続けてきたのだから、ここまでハッキリした「国民の声」も聞きたくないのかも知れない。

だが、この選挙の結果、野党さえシッカリしていれば、今までのような暴走はできなくなる。その意味において、野党の責任は重く、その役割は重要さを増してくる。与党の動きと野党の対応を注視していかなければならないと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月28日 (土)

印象的な夢

あまり夢を記憶している方ではないのだが、いくつか、時間がたっても覚えている印象的な夢がある。特に強烈だったのは、たった1人で宇宙空間を漂っている夢である。そこは、宇宙空間だと分かるのだが、もちろん、宇宙服など着ている訳ではない。でも、体内の血液が沸騰する訳でもないし、大気圧の圧迫を失った体表が膨れ上がるわけでもない。それが、夢たる所以である。

さて、宇宙空間にたった1人で投げ出されてしまったら、どのように感じるだろうか。我々はこの地球上に生を受け、何の疑問もなく地表で暮らしているが、地球や太陽から、そして周囲の人々から様々な恩恵を受けて生きている。だから、本当に宇宙空間にたった1人で投げ出されてしまったら、我々は一瞬のうちに死んでしまうのである。

当然、夢とはいえ、1人で宇宙空間に投げ出されてしまっているのだから、生命が終わってしまう怖さは感じた。それと併せて、重力を感じない心細さ…というのもあった。足の裏に地面があることの安心感・安定感は、普段、まったく感じることはないが、考えてみればこれは大変な奇跡なのではないだろうか。もし、重力によって地表にくっつけられていなければ、我々はいつの間にか大気圏を越え、酸素を失い、オゾン層を越えて強力な紫外線や電磁波の雨を全身に受けて死んでしまうだろう。その意味では、重力は私たちを守ってくれるゆりかごのような存在なのかも知れない。

だが、その一方で、まったく重力に縛られない開放感をも私は味わっていた。あらゆる視界を闇が包み、彼方の星星は見ることはおろか、近づくことも出来ないほどの遠くにある。だがそれは、星の影響をほとんど受けないという事でもある。その意味では、本当に自由なのである。

ただ、自由には、必ず責任が伴う。そのことも、夢の中では当然意識されていた。好き勝手なことをするのは別にかまわないが、その結果他者に酷い損害を与えたり多大の迷惑をかけるようなことになるのなら、それは自由ではなくワガママなのである。

ところで、夢は、無意識からのメッセージでもある。それを上手く解読して、日常生活に役立てることが出来ればよいのだが……。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年7月27日 (金)

月光の夏

特攻を前にして鳥栖国民学校のグランドピアノで『月光』を弾いて行った特効隊員がいた。その事実がラジオで紹介され、その反響が1つの映画となって結実した。それが、この『月光の夏』という映画である。その制作費の40%が市民の募金によって集められ、名優、仲代達矢の重厚な演技によってすばらしい作品となった。

事実を元にして作られたこの映画は、特攻を前にわざわざピアノを弾くだけのために小学校を訪れた2人の青年たちの思いを描き出す。もし、戦争がなければ、彼らは特攻することなどなかっただろう。しかし、特攻という運命を受け入れた時、家族よりもピアノを選んだ青年たちの思いが胸を打つ。平和な時代に生まれていたら、彼らは音楽家となる夢を追い続けていたことだろうと。

だが、そのうちの1人が、エンジンの不調のために引き返した時、純粋な青年たちの思いを信じない…というよりも自分たちがそうした純粋な思いを持っていないがゆえに邪推をして不運なパイロットたちの心を傷つけた愚かな上官たちが彼の心に深い傷を与える。

若者たちの純粋な思いを利用して特攻へと追い込みながら、敗戦に際しては自ら責任を取ることがほとんどなかった上層部の軍人たち。その卑劣さをも、この映画は暴き出す。一方で、心に傷を負いながらも敗戦と戦後の混乱を生き続けた残されたパイロット。仲代達矢は、その老人を好演している。

現場で一生懸命働く人々の思いを無視して理解しようとせず、自らが卑怯で恥知らずな言動しか取れない連中が多くの人を苦しめる安倍内閣の姿を見ていると、時代は変わっても、こうした卑怯で恥知らずな輩はのさばっているなぁと感じることが少なくない。「月光の夏」の悲劇をくり返してはならない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月26日 (木)

冨田勲の【展覧会の絵】

ムソルグスキー作曲の【展覧会の絵】という組曲がある。クラッシック音楽のファンには、元のピアノ組曲によるものよりも、オーケストラ用に編曲されたもの、特にラヴェルの編曲のものが馴染みが深いだろう。

私のCDコレクションでも、カレル・アンチェル指揮/チェコ・フィル演奏のものをはじめカルロ・マリア・ジュリーニ指揮/シカゴ交響楽団演奏のもの、リチャード・ウィリアムズ指揮/ロンドン交響楽団演奏のものなどをピック・アップできる。もっとも、ストコフスキー編曲・指揮/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団演奏のものなどもあるが……。

そうした演奏を知った上で、この冨田勲の【展覧会の絵】を聞いてみると非常におもしろい…というか楽しさを感じる。その時点でのシンセサイザーの特徴を生かしながら、非常にコミカルで新鮮な印象に原曲を仕上げているのである。

私自身と冨田勲の音楽との出会いは、日本初のカラー・アニメ《ジャングル大帝》のオープニング・テーマであろう。その当時は当然小さかったので、その音楽が冨田勲だとは知らなかった。でも、あの壮大な音の世界は今でも鮮やかに思い出せる。他にも、映画《風の又三郎~ガラスのマント》や《学校》など、強く印象に残っている音楽は多い。

それゆえに、冨田勲の名前を知り、ある程度お金に余裕が出来た時期に冨田勲のCDを何枚も買っている。この【展覧会の絵】も、もともとはレコードで発売されていたものである。CDではなくレコードの時代からこのような電子音にこだわり、様々な作品を発表していたのだと思うと、その感覚の新しさは感動的ですらある。

もちろん、21世紀を迎えた現在においては、当時とは比べものにならないほどシンセサイザーも精緻になっている。だが、当時として最高水準の機械にこだわりこのような形に仕上げた冨田勲のすばらしさは、この1枚を聞くだけでも十分に堪能できる。

少し疲れ気味だったが、久しぶりに聞いた冨田勲の【展覧会の絵】の楽しいサウンドに心が晴れやかになってきた。今夜は、良い夢が見られるかもしれない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月25日 (水)

暑さも忘れる眠気

梅雨明け宣言を出し渋っている間にも晴れの日が続き、日中ばかりでなく夜もけっこう暑いが、今夜は夜の仕事が終わるとすぐに、枕を頭に1時間ほどウトウトとしてしまった。理由は…それなりに艶っぽい話でもあるといいのだが、単なる寝不足である。

今週から、日中の仕事が8:30スタートとなって、今までのようにゆっくり寝ていられなくなった。ところが、夜型生活を満喫していたこともあり、身体が午前0時前に寝る形に慣れておらず、少し油断するとすぐ午前1時を越えてしまう。それどころか、うかうかしていると2時になってしまうこともあり、結局、寝不足になってしまうのだ。

あまり体力に自身のない中年とはいえ、1日や2日なら何とかならないでもないが、さすがに3日以上続くと偏頭痛の兆候が出てきて、身体の方も眠くなる。で、暑さにも拘らず、仕事が終わった途端、ウトウト…となってしまったのである。さすがに、クーラーやエアコン、扇風機も無しでは多少暑かったのだが、今夜に限っては睡魔の方が勝った。少し、やっておきたい事もあったので、1時間ほどの仮眠(うたた寝)はちょうど良いくらいである。

メールの送信や帳簿の整理など、やっておきたいことも終わったので、そろそろ風呂に入って寝ることにしよう……と時間を見ると、もう午後11時半である。下手をすれば、今日も午前0時を過ぎてしまう。早く寝なければ……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月24日 (火)

華氏911…いて欲しくない政治家

この映画はドキュメンタリーである。ニュース映像や取材で撮影した映像を編集したものである。USA人民と世界の人々にとって、これがヤラセであったり、フィクションであれば、多分、もう少し幸福であったであろう。しかし、不幸なことにこれはドキュメンタリーである。元になる事実や映像がなければ作れない映画なのである。もちろん、編集によってある事実や出来事を印象的にしたり強調したりすることは技術的には可能である。だが、元になる事実がまったくないなどと言う事はありえない。

その意味で、この映像をある程度信じるとしたら、J.ブッシュ大統領はアメリカの大統領としての資格と資質に欠けるのでないかという疑問が生じる。こんなにも愚かで判断力と決断力のない大統領がトップで良いのか。

確かに、御輿(みこし)に担いでおく人物は、あまり利口でない方が良いかもしれない。その方が、影で操るのは容易だからである。だが、御輿に担いだトップが最低限の判断力や常識や決断力がなければ、陰で操る人々(あるいは企業やグループ)の期待する「演技」にさえ齟齬をきたし、不正や犯罪の尻尾が見えてしまうのではないか。けれども、それをメディア・コントロールによって隠蔽すれば多少はごまかせるだろう。

だが、一般の人民は……。

アメリカ大統領の映画と言えば、【DAVE】を思い出す。大統領は人民の幸福を増進するために雇われた臨時雇い、と大統領の影武者Daveは語り、議会での発言の途中で倒れる。その後、Daveは地方議員の選挙に立候補し、人民のために政治の世界に身を投じようとする。このような大統領ならば……と思えるような人物、それがDaveだった。だが、Daveはフィクション、架空の人物である。

さて、我が祖国日本において、「愛国心」を広げることに熱心なA首相。アメリカ人民と日本の国民のいったいどちらが多少なりともマシだろうか。なかなかの難問である。悩まずにすむように、A首相は1日も早く退場願いたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月23日 (月)

仲間の信頼、他者からの信頼

人間である以上、誰もが欠点を持っているし、失敗もする。それは当たり前のことである。だが、そうした欠点や失敗を受け止め、フォローし、守ってくれるような相手は、仲間や友人として本当に信頼できる。辛い時、苦しい時にこそ守り、支えてくれるような仲間や友人がいたら、それはまさしくかけがえのない仲間であり、得がたい親友と言える存在だろう。

大切な仲間や友人のために身を挺して動けるような人は素晴らしいし、本当に大変な時に逃げずに側にいてくれるような人なら、ぜひとも損得を越えた仲間や友人として末永く続く関係を作っていきたいと思う。けれども、なかなかそういう相手にめぐり合う機会はない。ある程度人生経験を積んでくると、その事が分かってくる。特に、仕事やお金が絡んでくると、なかなか損得を越えて動けなくなる。だからこそ、損得を越えて付き合える学生時代の仲間が大切な友人となることが多いのだろう。

さて、仲間の失敗を受け止め、それを守ろうとする…というと、例えば、安倍晋三がやっていることもそれではないか、と見えるかも知れない。だが、我が売国総理は、「仲間」はかばっても自ら責任は取っていない。自らを犠牲にして仲間をかばっているのであれば、安倍晋三は総理としての資質は欠けるにしても、友とするには良い存在と言えるかもしれない。だが我が売国総理は、「仲間」をかばっても、その責任は取らず、全てをうやむやにしようとするだけである。そのことから、この連中は身内の損得だけしか考えておらず、逆に、身内であっても結局は自分に損害を与えるならば切り捨てるだろう…と思われる。修羅場で踏み止まる覚悟がないのである。

その意味では、自殺した前農相は、政治家としてはともかく、友人にするのには良い男だったのかもしれない。彼は少なくとも、自らの死によってそれなりの責任を取ろうとしたのかもしれないし、永遠に口を閉じたことで救われた「仲間」が確かに存在するのだろうから。だが、その「仲間」は、その信頼に足るような人間だったのだろうか。安倍売国総理のその後の言動を見聞きしていると、とてもそうは思えない。そうした意味では、信頼に値する「仲間」にめぐり合えなかった前農相は哀しい男なのかもしれない。

利害が絡む間は、たいていの人間は行動を共にする。それは、大人として生き、生活していく以上仕方のない選択だろう。だが、嘘やゴマカシで自分達の利益だけを追求していては他者からの信頼は得られない。安倍政権にとって、国民の多くは「仲間」ではなく、どれほど苦しんでも関係のない「赤の他人」に過ぎないのだろう。そうした行動は、見る人が見れば、どれ程空虚な言葉で言いつくろっても、心の内や人間としての小ささを見抜かれてしまう。当然、様々な交渉の場においてその言葉を軽んじられ、信頼を得られないから余計な譲歩をしなければならなくなるだろう。

他者からの信頼を得られないような人物が首相である国・国民の不幸や損失は、もしかしたらマスコミ等が報道している以上に深刻かもしれない。少しでも早く、資質に欠ける我が売国総理にダメ出しをしたいものだが……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月22日 (日)

棄権も白票も信任と曲解される

地方や福祉を切り捨て、一般国民への増税をたくらみ、大企業やアメリカ権力者の利益を追求する偽愛国者安倍総理と安倍政権への審判となる参議院選挙の投票日まであと1週間となった。安倍政権・政府与党が自画自賛をするのは勝手だが、これほどウソツキで無責任な「責任ある政党」はなかったのではないかと思われる。

さて、今日の新聞を読んでいたら、読者からの声に「白票を投じるつもり」という記述があった。だが、現政権のやり方を分析していれば、選挙に際して投票率の規定がないため、白票や棄権は、現政権への白紙委任であると曲解されてしまう危険が非常に高い。

例えば、投票率については、一部先進国では投票率が基準よりも低い場合は選挙が無効となる規定があったりする。こうした状況においてなら、棄権や白票は「現政権には反対だが、代わりとなる候補者もいない」という投票者の意志を正確に反映する。しかし、日本の現状では、逆に【組織票】に有利に働く可能性があり、結果として政権与党の議席を増やし「信任された」との言い逃れを許し、暴走を助長する恐れがある。

確かに、「野党が頼りない」とか「誰がやってもかわらないのではないか」といった思いは分かる。私自身、心底、この人(あるいはこの党)に投票したいと感じる立候補者はいないからである。また、他の党が政権を握ったからと言って、政治が劇的に変わるとも思えない。しかし、安倍政権・政府与党の暴走を許せば、国民の心は一層荒廃し醜く汚い日本になってしまう危険が非常に高い。

だからこそ、与党ではない党に投票することで、与党・安倍政権に【NO!!】をつきつけなければならないと考えている。強行採決の連発は、重要法案の問題点を隠蔽し、後でそれが明らかになった時にさらに対策を立てなければならなくなる状況を生み出す。今回の年金問題もそのパターンであり、小泉政権での採決の前に十分に審議を尽くし、修正さえ加えていれば起こらなかったことである。つまり、強行採決は、大いなる税金の無駄遣いにもつながるのだ。

もし、野党が力を伸ばし、政権をとることがあっても、おかしな事をすればまた落とせばいい。それによって各政党に緊張感が生まれ、多少なりとも愚かな行為は減るだろう。そのためには、【NO!!】を突きつける必要がある。それが、未来を守る道ではないかと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (5)

2007年7月21日 (土)

るろうに剣心…力は市井の人々のために

明治という新時代を創るためにその剣を振るった1人の維新志士が、権力を求めずにさすらい、市井の人々のために戦う。TVアニメ化もされたこのマンガは1994年から1999年まで週間少年ジャンプに連載されていたものである。

主人公の緋村剣心は、幕末の動乱期に長州側の剣士・緋村抜刀斎として最初は暗殺に、後には護衛に活躍した過去を持つ。だが、明治になっても多くの志士たちのように政界に入ることなく、峰と刃が通常の刀とは逆になった逆刃刀をふるい、市井の人々の幸せを願って「殺さず」の戦いを続けていく。

だが、江戸幕府の初期に大名の取り潰しによって浪人が増え、由井正雪の乱となって爆発したように、鍛え上げた剣術によって世をひっくり返そうと画策する男たちが次々と登場する。権力者の側からすれば、そうした勢力が力を持てば権力の座から引き摺り下ろされるので、それを何とか阻止しようとするのは当然である。

だが、一般の市民の立場からすれば、よりよい暮らしが出来れば、権力者が変わっても別にかまわない。だが、剣心が許せないのは、それによって市井の人々が苦しむことが見えたときである。だからこそ、剣心は、権力の側とは一線を画しながらも人々のために逆刃刀をふるい続ける。その結果、剣心の身体がぼろぼろになっていくとしても……。

剣心の戦いにおいて「殺さず」の誓いは、幾度となく彼を危機に追い込む。だが、それでも「殺さず」を貫くのは、維新前夜に、彼のために命を失った人々への思いがあるからだろう。理想のため、何かを守るため戦った人々に対しての憎しみは剣心の心には無い。だが、自らの欲望のために人々の幸福を踏みにじる者たちに対しては、虐げられた人々を守るために剣を抜く。

その視線で今の日本を見たとき、彼の逆刃刀の先にはどういった連中が並ぶだろうか。普通の人々が安心して幸福に暮らすことのできる日本が「明治維新」の目標だとすれば、剣心の目は、「まだ明治維新は達成されていない」と見えるのではないだろうか。

だが、剣心も、1人だけの力で敵と戦い続けた訳ではない。彼と関わる中で様々な「仲間」ができ、仲間たちと共に戦うことによって「敵」を退けることが出来たのである。1人ひとりの力は小さいかもしれないが、力を合わせれば可能になることは増えてくる。仲間たちと共に、今やれることをきちんとやって、未来へと希望をつなぎたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月20日 (金)

ストコフスキーの幻想交響曲

レオポルド・ストコフスキーの名前を知ったのは、ストコフスキー指揮/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏によるベルリオーズの幻想交響曲を聴いた時だった。その後、幻想交響曲とストコフスキーの両方に興味を持ち、CDを集め始めた。

そして現在……。手元にはヘルベルト・ケーゲン指揮、サー・ゲオルグ・ショルティー指揮、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の幻想交響曲と「新世界より」や「四季」、「展覧会の絵」「火の鳥」をはじめとする10枚ほどのストコフスキーのCDがある。

我がクラッシックのCDコレクションの中では20枚を越えるドヴォルザークの「新世界より」が群を抜いているが、それに次ぐのがこのストコフスキーである。それ程に、ストコフスキーの幻想交響曲の印象が強烈だったとも言えるだろう。

ストコフスキーの幻想交響曲は、カラヤンやショルティーらの幻想交響曲と比較すると、時にはおどろおどろしさを感じるほどに濃密で重い感触がある。それゆえに強烈に印象に残ったのだといえるかもしれない。それは、他の指揮者の幻想交響曲と聞き比べる中でわかってきた事であり、その事がストコフスキーの指揮する他の作品への興味もかきたてて、ストコフスキー・コレクションにつながっていったのである。

音楽の演奏について言えば、楽譜通りの演奏と演奏者の感性による解釈をプラスした演奏がある訳だが、より魅力を感じるのはやはり後者である。ただ、楽譜をまったく無視してしまっては別の作品になってしまう。その辺りのギリギリのせめぎあいの面白さがストコフスキーの指揮には溢れている。もちろん、それを嫌う人もいる訳だが、私としてはそのギリギリのせめぎあいに面白さと魅力を感じ、ストコフスキーにはまったのである。

ストコフスキーは、今から30年前の1977年、95歳でこの世を去っている。私がストコフスキーの音楽と初めて出会うのは、それよりも少し後の80年代である。それでも、良いものには時代を越えて共感できる。それが芸術というものの魅力なのであろう。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月19日 (木)

少し頭痛が…

昼間の仕事の始まりが早くなった。この6月からの新しい仕事だが、今までは早くても11時過ぎに出勤すればよかったので、ついつい遅くまで起きているパターンが続き、夜型の生活が定着していた。しかし、明日は9時、来週からは8時半の出勤となる。8月いっぱいという予定だが、今までのように深夜の時間を満喫できなくなるのが痛いところである。

昨夜もそうだったのだが、寝るのが午前3時前後になってしまうと、最低でも9時までは寝ていたい。身体の状態という事で限定すれば、あまり強くて体力がある方ではないので、7~8時間は寝る方が調子はいい。6時間を切る日が続くと、偏頭痛が始まり、胃が何か思い感じになって、身体も動きが悪くなる。

感性的には6時間くらいだとけっこう敏感になっていることもあるのだが、偏頭痛が始まるとそちらも鈍ってくる。そうしたことから、たまの6時間睡眠くらいは良いが、それが続くと心身ともに調子が悪くなってくるということになる。

昨夜は、ウィスキーを数杯飲んだ後、少し本を読んでいたら寝るのが午前3時を過ぎてしまったので、少し睡眠時間が少な目である。偏頭痛の前兆の感覚もあるので、今日は夜更かしはなるべく避けたい。今のところは無理をする立場や状況でもないので、「身体の声」に耳を傾け、それに従いたいと思う。まずは、早く早起きに身体を慣らさなければ……。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年7月18日 (水)

早起きは苦手だが…

来週から、仕事の関係で7時ごろには起きなければならなくなった。基本的に、夜は強いが朝は弱い…という夜型人間なので、午前4時まで起きているのは別に苦にならないが、朝の7時に起きなければならなくなるということになるとけっこう気が重くなる。しかも、しばらくはそれが毎日続くとなるとなおさらだ。

幸いなことに、この1ヵ月少々はほとんど午前11時以降の仕事が多く、午前2時や3時まで起きていても朝はゆっくりで良かった。そうした生活に身体が馴染んでしまったので、また早起きに戻すにはそれなりの努力が必要だ。とりあえず、早く寝る癖をどうつけるかである。抵抗なく出来そうなのは、寝酒だろうか。

ウィスキーや泡盛は好きだが、毎日飲む訳ではない。飲み出せばロックなら3,4杯は軽いし、水割りならさらに量は増える。特に、仲の良い連中と飲めば、翌日の憂い(仕事の予定とも言う)さえなければ、午前3時や4時でも平気で飲んでいたりもする。しかし、飲まないとなれば、1,2週間飲まなくても平気である。

ということで、寝酒なら「無理をする」感覚はないし、別にそのように意識して飲めば量を過ごすことは絶対にないので、何日か続けて、早く寝る癖をつけるのが良いかも知れない。1部の知り合いや友人たちから強烈なツッコミを暗いそうだが、早く寝る癖をつけるために、寝酒などをしてみよう。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月17日 (火)

学力テストの不正

足立区の小学校で学力テストの不正が行われていたらしい。新聞報道によれば、校長が指示し、複数の教師が関わっていたようだが、背景にはテストの点数(学校の順位)が教育予算の増減に関係するシステムがあったようだ。教育に市場主義の競争原理を持ち込みたい人々がこうした現実を生み出した訳だが、子どもたちにとっては迷惑な話である。

いや、迷惑だけではすまない。法理論からすれば、公権力による人権侵害の疑いも濃厚である。というのは、日本国憲法26条の規定は、義務教育を受ける側の子どもたちにとっては権利であり、保護者や公的機関の側に子どもたちの義務教育を受ける権利を保障する義務がある。だから、点数の悪い学校の予算を大幅に増やして教育環境を改善するというならわかるが、逆にそれを削るなどという行為は、悪質な人権侵害なのである。加えて、公務員には【憲法を遵守する義務】がある。教育基本法は強行採決によって改悪されても日本国憲法は改正されていない以上、足立区/東京都のシステムそのものに欠陥があると言えるだろう。

この事件によって、逆に犬山市教育委員会の慧眼と、勇気ある決断が正しかったことが一層ハッキリしてきたのではないかと思う。学力テストはかつて旭川学力テスト裁判で問題になり、最高裁の判決も出たこともあって、一度は廃止された経緯がある。それを十分に吟味もしないまま政府与党/文部科学省が全国一斉学力テストを復活させたが、それについて様々な疑問や意見があるにも拘らず、政府与党/文部科学省は十分な説明をせずにごまかし続けている。この事件を見れば、文部科学省と犬山市教育委員会のどちらの主張に説得力があるかは明らかだろう。

教育環境を改善すれば、子どもたちの可能性はさらに広がる。そのためには、口を出す前に予算をしっかり保障すべきなのである。予算を削って、現場を無視した命令を押し付ければ教育現場はますます荒廃し、子どもたちの未来を圧迫する。政府・与党が強行採決を繰り返して行ってきたことは、26条違反、義務教育を受ける権利の公権力による侵害につながりかねないのである。

日本の未来を思えば、こうした現実を放置することは出来ない。とりあえず、選挙権を行使して「NO」の意志を伝えなければならないと思う。それが、子どもたちの未来を守る大人としての責任である。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年7月16日 (月)

「責任ある」政党の無責任

参議院選挙まで、あと2週間を切った。当然、選挙に関する報道を見る機会が増えるわけだが、特に怒りを覚えるのが、安倍売国奴総理の年金に対する言い訳である。年金について言えば、小泉政権の時にすでに年金記録の不備の問題は指摘されていた。それを強行採決したのは現在の与党である。

従って、問題点が指摘されていたにも関わらず、審議から逃げて強行採決した「責任ある」政党が、今回の責任をきちんと取るべきであるが、姑息にも、与党議員は国民の税金を投入して「対策」にあたっている。それで、党首みずから「責任ある」などと口にするのだから呆れてしまう。今回の後始末にかかる費用の全ては、当然、仕事をしなかった社会保険庁の職員(岐阜県の裏金問題の後始末の経過を参考にすれば、当然、OBと言えども必要な費用をきちんと負担すべきである)と、強行採決に賛成票を投じた与党国会議員が負担すべきである。それをしてこそ「責任ある」という言葉を使う資格がある。

この年金問題の経過から見ても、強行採決は法案の問題点を隠蔽する役割を果たしており、後でそれによる国民の不利益が生じれば、それなりの後始末が必要となるばかりか、法律を改正したり新たな法律を作って対処する必要も出てくる。その際にも国会での審議や採決の時間が必要となるので、返って二度手間となり、税金の無駄遣いにも通じてくる。その点から考えれば、衆議院だけで14回もの強行採決を繰り返した与党は、非常に無責任な政党である。

そんな酷い政治状況にある日本を台風、地震と続けざまに天災が襲った。多くの被災者のことを考えると胸が痛む。だが、能登半島沖地震の被災者がすぐに救援物資を送るなど、一般の人々の温かな行動が胸を打つ。1人ひとりの国民のレベルで考えれば、日本はまだまだ捨てたものではない。

だが、権力者の方はどうか。古代中国では、天変地異は為政者が徳を失った政治を行う時に起こる「天の声」であり、それが革命(王朝の交代)の理由にもなったという。まさか、政権与党が悪徳政治を行っているから天変地異が起こったとまでは言えないと思うが、地球温暖化は目先の利益を優先して環境問題に対処する金は何とか理由をつけて可能な限り削ろうとする大企業優先、開発/経済成長優先の政治によって深刻化しているし、その地球温暖化の影響が台風の早期発生や大型化の要因として考えられなくもない。

安倍政権の腐敗は、1つの政党が長期にわたって政権にしがみついた結果でもある。本当に心から政権を託したいと思える政党は残念ながらないが、それでも、現政権の暴走は、絶対に止めなければ日本は滅びかねない。消去法としての選択になるしかないのが残念ではあるが、投票の権利、No!!という権利はきちんと行使したいと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年7月15日 (日)

ウルトラセブン印象記…U警備隊西へ

発端は、観測ロケットだった。知的生命体の存在を知らぬまま発射した地球の観測ロケットを侵略と受け取ったぺダン星人は、その報復としてスーパーロボット・キングジョーを地球に送り込む。そして、このキングジョーは、TVシリーズにおいて、最初から最後までセブンが勝つことの出来なかった唯一の敵である。

最初は、スパイ戦の緊迫感でドラマは進む。ワシントンの頭脳の異名を持つ女性科学者ドロシー・アンダーソンが謎の男に狙われてウルトラ警備隊に助けを求める。ところが、彼女こそがペダン星人のスパイであり、謎の男は本物のドロシー・アンダーソンのボディー・ガードだったのだ。

セブンはキングジョーと2度戦うことになるが、エメリウム光線は体表のバリアーに阻まれ、アイスラッガーも跳ね返されてしまう。そして、格闘もキングジョーの圧倒的なパワーによって押され気味である。ちなみに1999シリーズにおける戦い(「模造された男」)では、必殺のワイドショットも一瞬の分離合体でかわされる。その時は、アイスラッガの連続攻撃によって胸部を破壊し、キングジョーⅡを倒すことになるのだが……。

とにかく、最初のキングジョーとの戦いの後、偽ドロシーは、ダンに手を出さないように、と忠告する。最初に侵略したのは地球人じであり、これは報復だと。ダンは、それは誤解であり、観測ロケットだったと説明するが、「観測」も利用するためだから、侵略ではないか…と反論する。だが、その場ではペダン星人も折れ、ペダン星攻撃の研究を中止すれば本物のドロシー・アンダーソンを返すと約束する。

その後、本物のドロシー・アンダーソンは解放されたが、彼女は記憶を失っていた。さらに、ペダン星からは地球攻撃のための戦闘機群が発進し、キングジョーも再び港を襲う。セブンは、身体を張ってキングジョーの進攻を止めようとする。その間にアンヌ隊員の努力で記憶を取り戻したドロシー・アンダーソンがライトンR30爆弾を完成し、それによってキングジョーは破壊される。

セブンとキングジョーの戦いやウルトラ警備隊の活躍など、様々な見所が満載のストリーだが、観測・開発と戦争についてや、外交についても色々と考えさせられる。身内や周囲の利益だけを考えるのではなく、大局的な目でものごとをとらえることが本当の意味での平和や発展につながっていくのだろう。現首相をはじめとする多くの政治家に欠けている資質ではあるが……。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月14日 (土)

上野市…故郷の風景

上野市、少し前まで三重県にあった市だが、平成の大合併で周辺の町村と一緒になって伊賀市となってしまった。が、かつて上野市の風景をほのぼのと歌い上げてヒットした歌があった。五つの赤い風船のメンバーの1人、西岡たかしの【上野市(うえのまち)】という歌である。

江戸時代の城、上野城がそのまま残り、忍者屋敷もある。休日にチンチン電車に揺られて出掛け、ぼんやりと歩き回るのには最適のほのぼのとした町。そのイメージをそのまま歌にした【上野市】はギターを手にすると、ついつい歌いたくなる歌の1つである。サビの部分は、チンチン電車に揺られていると良く分かるのだが、終点までの最後の4つの駅をそのまま使っている。それもまた、のんびりとした電車に乗っていく雰囲気を楽しませてくれる。

 

私が訪ねた 上野まち  忍者屋敷の 上野まち

小さなお城の 伊賀の町 静かな暮らしの 上野まち 

くわ町 かや町 広小路 もすこしゆられて 上野まち

 

伊賀市になってからはまだ行っていないが、上野市には何度か訪れた事がある。伊勢志摩から出かけるには交通アクセスが少し不便だが、それでも、ほのぼのとした雰囲気を楽しめる。海の町とは一味違う味わいの「故郷の豊かさ」を数多く持つ歴史ある街並。その柔らかく温かな風景は、そのまま4番まであるこの歌の歌詞に閉じ込められている。

だから、この歌を聞くと楽しくなるし、この歌をギターを弾きながら歌っていると何となく元気になってくる。【上野市(うえのまち)】は、とてもあったかく、ステキな歌である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月13日 (金)

雨の1日

台風の接近の影響もあり、ここしばらく雨の日が続いている。気分的には今ひとつスッキリしないが、その前に梅雨とは思えないほどの晴れた暑い日が続いていたので、水不足の心配は多少なりとも減少したようだ。だが、こうした天気は小さい頃の梅雨のイメージとはかなり違っている。地球温暖化の影響が天候のバランスを崩しつつあるのだろうか。

ただ、ここ数日に関して言えば、その前の晴天続きの暑さでダウン気味だったので、気温がそれ程上がらないのは結構ありがたい。寒さにもそれ程強くは無いが、暑さにはけっこう弱いのだ。暑い日が好きではないのは、頭がぼ~とする感じがあるからである。元々、体力には自信がない方なので、せめて頭の回転や反射神経くらいは人並以上を目指したい。だが、頭がぼ~としていると、記憶力や集中力が低下し、時々、ボケをかましてしまう。だからこそ、暑さは寒さよりも苦手なのである。

とは言っても、明日は仕事はもちろん、会議や講義などの頭を使う予定もない。天気の方も雨が続くようなので、のんべんだらりと過ごすのも良いかも知れない。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月12日 (木)

BLOW UP ! …夢への階段

『BLOW UP !』細野不二彦が80年代末に描いた作品の1つである。主人公の菊池オサムは、大学を中退してジャズミュージシャンを目指しているサックス奏者である。そのため、実家から勘当され、アルバイトをしながら生活している。

生活に追われて、楽器さえも触れぬ日々が続き、バーをしている先輩に紹介されたキャバレーのバック・バンドやスタジオ・ミュージシャンを経験する。だが、ジャズへの情熱を持ち続け、アイドル歌手のバック・バンドをしながら昼休みの公園で仲間たちと共にカルテットを組み演奏を始める。

そのカルテットの活動が、何度か会っていたジャズ評論家の耳にとまり、やがて、一流の店でジャズの演奏を依頼されるようになる。そして、本当の意味でのライバルと呼べるサックス奏者の出現と、彼の突然の死……。

のた打ち回りながらも、夢を捨てずもがき続けることで見えてくるステップがある。だが、そのステップを上がる事と引き替えに、捨てなければならないものも出てくる。それを捨てることでまたステップを上がれるが、その事によってまた何かを失う。その痛みや辛さに耐え、それを引き受けることによって夢への階段を1段、また1段と上がっていけるのではないか。

最近の長いマンガと比較すれば、わずか2巻の短い作品である。けれども、そこには青春の夢と苦悩が凝縮されている。1人の人間にとって捨てられない夢、そしてその夢のために失わなければならないもの……。それは、人によって様々だろう。だが、夢を追い続ける事を選択し、捨てる痛みをきちんと引き受けた人間には、濃厚な生の時間が与えられる。それは、夢を追い続ける喜びでもある。

だが、必ずしもその道を選択する人は多くない。ある意味では、夢を捨てるのは楽だからである。ただ、夢を捨てた人間には平凡な生の時間が待っている。だが、それも1つの選択である。平凡な日々の積み重ねは、安定した強さをも併せ持つ。それは、地にしっかりと根を下ろし、自分の夢を別のものに変えて納得した力強さでもある。

どちらの生き方が幸福なのか……。その選択は、難しいかも知れない。だが、捨てる痛みをきちんと引き受けた夢を追う生き方は、それなりに納得できるものだし、また非常に魅力的でもある。読んでいる間にそんなことを考えさせてくれる、魅力に満ちた作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月11日 (水)

イチローの快挙

仕事の都合で早めの昼食をとろうとしてTVをつけた。適当にチャンネルを回して大リーグのオールスター戦をぼんやりと眺めていたら、打席にイチローが立った。そして、とんでもないシーンを見せてくれた。

イチローが打った打球は外野の頭を越えて、フェンスを直撃……。あ~惜しかったなぁ、あと少しでホームランなのに…と思って見ていたら、野手がもたついている間にイチローはベースを回るスピードを上げ、3塁ベースを蹴る。おっ、もしかしたら…という期待に胸が躍った次の瞬間、俊足のイチローは滑り込みすらすることなく余裕でホームベースを踏んでいた。

さすがに、仕事があったために最後まで試合を見ることは出来なかったが、大リーグ史上初となるランニング・ホームランの感動シーンだけはしっかりと見ることが出来た。試合はどうやらアメリカン・リーグの勝利に終わり、イチローはMVPを獲得したようである。

政治腐敗のニュースや売国奴総理の顔を見るだけで気分が悪くなる毎日が続いているが、イチローのランニング・ホームランのニュースは聞いただけで気分が晴れやかになる。しかも、ちょうど、そのシーンをシッカリと見ることが出来たのは、ウツウツとした気分を吹き飛ばす清涼剤であったとも言える。特に、目立って良い事もなかったが、今日は、イチローのランニング・ホームランが見られただけで、十分に良い一日であったと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月 9日 (月)

さそりとオリオン

最近は曇った日が続いていることもあり、なかなかぼんやりと星を眺めていた記憶がない。望遠鏡など持っていないので、それ程星座には詳しくないが、それでも、ぼんやりと星を眺めているのは割りと好きだ。中でも、一番好きなのはオリオン座である。

中央に並ぶ三ツ星、赤く輝く赤色巨星ベテルギウス、青白く冬空を照らすリゲル。オリオン座の一番明るい星/α星がベテルギウスで2番目に明るい星/β星がリゲルである。非常に見つけやすく、また美しい星座である。また、オリオン座を見つけると、大犬座と子犬座のα星とで形作る冬の大三角形も簡単に見つけられる。夏の大三角形とは異なり、冬の大三角形はほぼ正三角形に近いので見つけるのはいっそう容易である。

だが、オリオン座と言えば、少しギリシャ神話の知識があれば、すぐさそり座も連想するだろう。強かったオリオンもさそりの毒によって命を落とす。だから、天上に上げられた今でも、オリオン座はさそり座を恐れて逃げ回り、絶対に同時に夜空には存在しない。そう、オリオン座が冬を代表する星座のひとつなら、さそり座は夏を代表する星座のひとつと言えるだろう。

今の時期ならば、さそり座はけっこう見つけ易い。南の空にSの字形にならぶ星たちを探せばいいからである。その中でひときわ鮮やかな赤い光を放つ星がある。さそり座のα星アンタレスである。

だが、8月の下旬ともなれば、実はオリオン座を見ることも可能になる。実は、さそり座の沈んだ明け方、オリオン座は東から昇ってくるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月 8日 (日)

ウィスキーか泡盛か

6月以降、仕事の都合で、朝ゆっくりと寝ていられる毎日が続いていた。おかげで、すっかり夜更かし・朝寝坊の癖がついてしまったが、明日は久々に8時前に家を出なければならない。となれば、早く寝なければならないのだが、どうも夜更かしの癖がついてしまっていてあまり早いと眠くならない。とは言っても、睡眠不足で仕事に支障が出ても困るので、軽く酒でも飲んで布団に入るべきかなと考えている。

ただ、問題は、そのチョイスである。我が部屋には、ウイスキー、ブランデー、バーボン、ワイン、泡盛、焼酎があるのだが、さすがにワインは1人で1本を開けるほど飲んでは寝酒にならないので、泡盛かウィスキーあたりを数杯飲んで布団に入るのがbestだろう。

ただし、どちらを選ぶかは少し迷うところである。今空いているのは山崎とくら。ウィスキーならば、樽出しの山崎だから、ショット・グラスにストレート、泡盛ならばくらなのでストレートでも良いが、季節柄、氷を入れてロックというのも悪くはない。数杯ならば、どちらでも美味しく味わって、しかも二日酔の心配もない。ここ数日はアルコールを口にしてもいないので、その分も含めて、楽しく味わえるだろう。

おっと、迷っていても時間が過ぎてしまう。いっそのこと、両方を1杯ずつ……というのも1つの手かも知れない。早く寝て、明日に備えなければ……。今夜の目標は、12:00前に寝ることとしておこう。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2007年7月 7日 (土)

七夕の夜に

今日は7月7日、七夕である。だが、雨こそ降っていないものの空はどんよりとした雲に覆われている。残念ながら、牽牛と織女の年に一度のデートは天の川の増水のためにお流れ…となりそうである。

ただし、これって元々は中国に起源を持つ日本の伝承なので、太陽暦で考えるのはおかしい気がする。旧暦で考えれば、今年の七夕は8月19日である。これくらいの時期なら梅雨も明けているし、秋の長雨にも間がある。年に1度のデートも楽しめるのではないかと思う。

以前、TVドラマに週末婚を扱ったものがあったように記憶しているが、年に1度とまではいかないにしても、離れている期間がそれなりにあれば、自分のアラをつくろいやすくもなるし、トキメキもけっこう持続しやすいのではないか……という気がしないでもない。それに、自分の時間…もそれなりに確保することが出来る。1対1の異性関係であれば、恋愛感情は持続しやすいかもしれない。

ただ、アラをつくろっている間は、自分自身をさらけ出しているわけではないので、当然、不安も心の隅にくすぶっていることだろう。ある意味では、安心して自分のすべて(嫌な部分や欠点など)をさらけ出せるということは、それだけ相手を深く信頼しているという証でもある。となれば、安心して側にいることが出来る相手…ということになろう。

恋人としての関係、家族としての関係…。それぞれに魅力があるし、また味わい深いものもある。その両方を感じることのできるパートナーを持っている人はとても幸運な人である。けれども、その一方だけでも実感できるパートナーのある人もそれはそれで幸せである。身近にいる幸せの青い鳥を大切にしたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月 6日 (金)

ウルトラセブンTVスペシャル版印象記…地球星人の大地

94年の春と秋に2つのウルトラセブンのTVスペシャル版が放映された。1つ目がエレキングとピット星人が登場する「太陽エネルギー作戦」そして2つ目がメトロン星人の登場する「地球星人の大地」である。この時のウルトラ警備隊は、フルハシが隊長を務め、彼の下でカジ、トーゴー、リサの若い3人の隊員がウルトラセブンと共に奮戦する。

この2つともに、環境についての問題定義がある。「太陽エネルギー作戦」では地球温暖化の問題が取り上げられ、エレキングが二酸化炭素を放出して温暖化を加速させようと企てたりもしている。一方、「地球星人の大地」では、ゴミを原料にしてメトロン星人が地下都市を作り、環境破壊を続ける地球人をゴミとしてオゾン層破壊のミサイルで人類抹殺を企てる。

ウルトラセブンに登場する怪獣や宇宙人の中でもっとも人気の高いエレキングとメトロン星人の登場するTVスペシャル版だが、この成功が後の3部作~1999シリーズ~EVOLUTIONシリーズへとつながっていくことになる。

さて、「太陽エネルギー作戦」では登場しなかったダンだが、「地球星人の大地」では、TVシリーズの第1話と同じ黄色いブルゾンを着て登場し、メトロン星人の暗躍に挑む。そして、ゴミを原料にエコ・シティーを作り上げたことでトネザキ教授を魅了して味方につけるメトロン星人の陰謀を暴き、メトロン星人と対決する。だが、最後にエコ・シティーとミサイルの爆発に巻き込まれたセブンは、生死不明となってしまうのである。

10年以上も前に作られた作品だが、今、深刻さを増す地球の温暖化やゴミの問題を取り上げ、人類そのものが地球のゴミではないかとするメトロン星人の問いかけはいろいろと考えさせられてしまう。その意味では、楽しむだけでは終われない作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年7月 5日 (木)

まぼろしのつばさと共に…若き情熱

《五つの赤い風船》というフォーク・グループがあった。〔遠い世界に〕を作って歌っていたグループだと言えば、「ああ、彼らか…」と思い出す人もいるかも知れない。ある意味では、民主主義国家である日本にとって〔君が代〕よりも〔遠い世界に〕の方が相応しいのではないかと思うような歌詞の歌である。

〔まぼろしのつばさと共に〕という歌も、その《五つの赤い風船》が歌っていた歌である。作詞・作曲は〔遠い世界に〕と同じ西岡たかし。ハーモニーも素晴らしいが、その歌詞がじんと胸を打つ。だから、時々、ギターを片手に歌ったり、カラオケで歌ったりする。そこには、命をかけた若者への鎮魂の思いが感じられる。

 

今でもぼくは 思い出すのさ あの頃の事 あの日の人

ぼくと同じ 学生だった 国のためと 死んでいった

君は若くたくましく 短い命だったが

まぼろしのつばさと共に 炎の中に消えてしまった

 

他人に愛国心を説く政治家や老人がいる。だが、彼らはその言葉に命をかけているだろうか。例えば、安倍首相の近い身内に自衛隊に入ってイランやアフガニスタンの最前線で活動している人がいるだろうか。日露戦争で2人の息子を失った乃木大将は、その作戦立案能力や指導力がどうだったかはともかく、愛国心は心から信頼に値する。乃木大将と比較して、愛国心を口にする政治家たちの言葉はとても軽い。

だが、この国の近代史・現代史において、「国のため」に死んでいった若者たちは確かに存在する。彼らの思い、彼らの遺産を、本当の意味で大切にできるような生き方をしたい。この歌を聞いていると、いつもそう思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月 4日 (水)

防衛相は辞任したが

原爆に対する「しょうがない」発言が問題になり、防衛相が辞任した。世論の怒りに抗えず…ということだが、当初の本人の居直りと首相の擁護姿勢を考えれば、単なるトカゲの尻尾切りに過ぎないし、国会議員は辞任していないことも合わせて、問題の本質を無視してごまかそうとする姿勢だけが明らかになったに過ぎない。

田中芳樹の書いた小説『銀河英雄伝説』の3巻(徳間書店)において、主要人物のヤン・ウェンリーは、戦争を賛美する御用学者オリベイラ自治大学長やネグロポンティー国防委員長に対して、次のような言葉を投げつける。〔p.153~154〕

 

すばらしいご意見です。戦争で生命を落としたり肉親を失ったりしたことのない人であれば、信じたくなるかもしれませんね。まして、戦争を利用して、他人の犠牲の上に自らの利益をきずこうとする人々にとっては、魅力的な考えでしょう。ありもしない祖国愛をあると見せかけて他人をあざむくような人々にとってもね。…あなたがたか、口で言うほどに祖国の防衛や犠牲心が必要だとお思いなら、他人にどうしろこうしろと命令する前に、自分たちで実行なさったらいかがですか…………人間の行為のなかで、何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは、権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強調して戦場に送り出すことです。

 

この批判は、そのまま安倍総理や小泉前総理、久間前防衛相に対してもあてはまる。今も生きている被爆者の痛みや将来起こり得るかも知れない核戦争の被害者の痛みに鈍感だからこそあのような「失言」が出てくるし、任命権者もそれを安易に擁護してしまう。それは、彼らがヤン・ウェンリーの言う【もっとも卑劣で恥知らずな人間】だからである。

『銀河英雄伝説』は今から20年以上も前に書かれた小説である。だが、ここにおいて展開されている腐敗した民主政治への批判の言葉は、今なお輝きと有効性を失ってはいない。そして、ヤンの言葉によれば、民主政治の腐敗は国民の責任なのである。

月末には、参議院選挙が予定されている。そして、私は日本の国民である。一国民の責任として【もっとも卑劣で恥知らずな人間】たちを喜ばせるような選択は避けたいと考えている。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007年7月 3日 (火)

昼寝ならぬ…

昨夜が暑かったためになかなか寝付かれず、布団の中で遅くまで本を読んでいた。当然、睡眠不足ということで、昼間の仕事を終えて帰宅し、夕食を取った後、そのまま部屋で寝てしまった。熟睡…とまではいかなかったが8時前から9時半ごろまで、およそ1時間半、ウトウトとした勘定である。

もちろん、それくらいで起きる予定だったので、ほぼ予定通りだが、わずかな時間でも眠気と疲れはマシになったようだ。車の運転の時もそうである。少しでも時間の余裕があれば、眠気を感じた時は車を止め、5分でも仮眠をした方が良い。それで眠気がおさまるからである。

さて、今宵だが復活したあと何気なくDVDをかけたら、けっこうはまってしまった。流しながらパソコンを開いて仕事をしようとしていたのに、ついつい見てしまったのは〔ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟〕。意外に丁寧に作ってあったのと、挿入されていた懐かしいシーンが上手く生かされていて、ストリーとしても無理が無かった。また機会があればコメントをするかも知れない。

お陰で、今晩の仕事の予定は狂ってしまった。でもまあ、こんな夜があってもいいかもしれない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月 2日 (月)

加害者は忘れても…

加害者は忘れても、被害者は忘れない。それゆえに、日本人は「広島・長崎」を訴え続ける。だが、首相や防衛相は、【加害者】なのだろう。だから、従軍慰安婦や沖縄の歴史を矮小化して葬り去ろうと画策する。日本の歴史から真摯に学ぼうとしない彼等に日本の政治家たる資格はない。特に、長崎から選出されたにも拘らず原爆投下を容認できるような発言ができる防衛相は、長崎県民ですらないのだろう。

心理的には、加害者は自らの罪を矮小化したり忘却したりする傾向がある。だが、被害者は違う。やられた仕打ちを簡単に忘れることなど出来ない。心や身体に深い傷を負い、それゆえにさらに辛く悲しい出来事に耐えねばならないことも少なくないからである。そうした拘り/執着が、さらに被害者を追い詰めてしまう場合もあるが、人間である以上、理性では抑えきれない思いも存在する。だからこそ、加害者の真摯に罪に向き合う態度が、被害者の心を多少なりとも鎮める。

だが、加害者が自らの罪を矮小化したりごまかしたりする態度に終始すれば、被害者の怒りはさらに燃え上がる。「歴史問題」を生み出すのは、与党為政者の愚かな行動なのである。重慶無差別爆撃や南京大虐殺、従軍慰安婦や強制連行、そして沖縄での自決強制など、安倍首相や久間防衛相は直接関わっていない。けれども、それを矮小化したり姑息にごまかそうとしたりする言動をすること自体が「加害者」と言われても仕方の無い行動である。

日本の現在の国益のためにも、そして未来の「美しい国」を守るためにも、加害者としての首相や防衛相はいらない。「美しい国」を作るというのであれば、武士道の精神からすれば切腹しても不思議ではないのだが、恐怖を煽り戦争を賛美する偽善者にはその勇気も無いのだろう。日本の国民が悪夢の未来を望まないのなら、次の参議院選挙でそれなりの結果を出すだろう。もちろん、私は与党にだけは絶対に投票しない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月 1日 (日)

アワビと【くら】

津が混んでいたために、帰宅時間が遅くなり、ゆっくりと夕食を食べる暇もない時間帯になってしまい、鰹の茶漬けを食べてすぐ夜の仕事にはいった。そのため、せっかくのアワビを夕食で食べられなかった。

ようやく夜の仕事が終わったので、さっそくアワビを楽しんでいる。アワビの横には【くら】。やはりアワビとなるとウィスキーよりも泡盛の方が好ましい。そんな訳で、今日は昨日のスコッチ三昧とはうって変わって【くら】の出番となった。

コリコリとした歯ごたえ、あっさりとした味、久しぶりのアワビに【くら】はよく合う。地元の新鮮な魚介類を生で食べる時は、やはり泡盛に限る。昨日と別の意味で贅沢な夜である。とは言っても、長時間の運転と仕事でけっこう疲れていて、それ程杯を重ねられる体調ではない。今日は、おとなしく、早めに寝ようと思っている。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »