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2007年8月31日 (金)

久しぶりの【くら】

忙しかった8月がようやく終わる。明日からは、少なくとも毎日7:00に起きる必要はなくなるので、久しぶりに泡盛なぞを飲もうという気になった。夜型人間にとって12:00前に寝るのは難しいが、睡眠時間が少ない日が続くと身体が辛くなり、酒を飲もうとする気もなくなってしまう。そんな訳で、久しぶりに酒を飲んだ。

だが、あまり急に大量のアルコールを飲むと身体の調子もおかしくなりかねない。そこで、今夜は自重して大人しく【くら】を飲むことにした。開けさしのビンが残り少ないので、空にすれば終わりになる。もちろん、新しいボトルもあるのだが、身体の疲れ具合からすれば新しく開封するほどの体力もないだろうという判断からである。

といっても、【くら】は品質の良い泡盛の古酒(クース)である。数杯も飲めば、舌は十分に納得する味わい深い泡盛だ。久しぶりにアルコールを楽しむチョイスとしては悪いものではない。1口含むだけで独特の【くら】の個性が口いっぱいに広がる。さらに2口、3口と飲めば美味しさが体中に広がる。

これまた久しぶりにDVDを見ながら【くら】を飲む。こんな時間を過ごすのは何日ぶりだろうか。ほろ酔いで見る昔の作品もなかなか楽しい。明日は9時頃までは寝ていたいものである。

 

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2007年8月30日 (木)

仮面ライダーSPIRITS…1号・2号・V3

「俺たちのフィールド」という熱血サッカーマンガを描いていた実力派の漫画家・村枝賢一が10人目の仮面ライダーZXと歴代ライダーの物語を「マガジンZ」という月刊誌に連載している。現在は12巻まで単行本が発行されているが、その1巻を飾っているのが仮面ライダー1号(本郷猛)、2号(一文字隼人)、V3(風見志郎)の活躍である。

物語は、ニューヨークでFBIの窓際族となっている滝和也の周辺で吸血鬼騒動が起こることから始まる。本郷猛や一文字隼人と共にショッカーと戦った滝が物語の中で大きな役割を演じているのも往年のファンとしては嬉しいが、村枝賢一のペンが往年のライダーたちのイメージを熱く伝えてくれるのが魅力的である。

さて、滝の前に現れたコウモリ怪人に対し、周りの人々のために滝は「ライダー」として立ち上がるが、力及ばず倒れる寸前まで追い詰められた時仮面ライダー1号・本郷猛が登場する。そして、滝と共にコウモリ怪人を追い詰め、トドメは電光ライダーキック。立花藤兵衛(おやっさん)との特訓で編み出した、非常に珍しい必殺キックである。

続いて、東南アジアに飛んだ滝は一文字隼人との再会を果たし、内戦の影でうごめく謎の組織が改造したクモロイドと戦うことになる。一度はクモロイドの吐く糸に全身を締め付けられて敗北した仮面ライダー2号・一文字隼人だったが、子どもたちの危機に傷ついた身体で変身し、必殺のライダー卍キックでクモロイドを撃破する。これもまた特訓のシーンを思い出すレアな必殺技である。

一方、エジプトでは単身で謎の行方不明事件を追っていた風見志郎が謎の組織が改造したタカロイドに遭遇。死者を蘇らせて兵士に改造する実験プラントをタカロイドとの戦いに勝利して叩き潰す。空中を自在に飛ぶタカロイドを倒したのは、数あるV3の技の中でもツバサ大僧正/死人コウモリを倒した空中を旋回するV3マッハキック。命がけの特訓を付き合った「おやっさん」の顔が浮かぶ珍しい必殺キックである。

ところどころ、こうした細かい楽しみが満載だが、懐かしい姿をそのままマンガにした村枝賢一の迫力とストリーの面白さが非常に心にくい。血沸き肉躍る、という言葉は、このマンガの面白さを語るのにピッタリの表現である。

その後、滝は仮面ライダーX・神敬介と出会い、さらには謎の組織バダンを裏切ったZXや他のライダーたちと共にバダンと戦い続けるが、その面白さは、直接マンガを手にとって味わって頂きたいと思う。

 

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2007年8月29日 (水)

時には辛いもので…

暑い夜と忙しい毎日が続いてくると、胃が重くなる。そんな時には、辛いものを食べると、けっこう眠っていた胃がめをさます。睡眠不足は、昨夜、久し振りに12時前に寝たのである程度解消されたが、胃がすっきりしない感覚があったので、今夜は久し振りに辛いものを食べに出かけた。

お目当ては、豚珍県の坦々麺。元々は志摩スペイン村ホテルの中華料理レストラン・四川でコックをしていた人が作っているので、本格的な四川料理の味わいを楽しめる。坦々麺は、その中でもおススメの一品である。強烈な辛さと鼻をくすぐるゴマの香りが、暑さのためにサボタージュを決め込んでいた胃が動き出す。今夜は特に「大辛で」と注文をしたこともあり、特別に辛い坦々麺を楽しめた。だが、ただ辛いだけではなく、ラー油から手作りの拘りが、一層味わいを深いものにしてくれている。

早起きが続いていたこともあり、ここ二週間ほど足が遠のいていたが、久し振りに辛い坦々麺を食べて元気になった。忙しい8月も、残りはあとわずか。この刺激を元気に変えて、何とか乗り切っていきたい。

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2007年8月28日 (火)

やさしさとして想い出として…変わったのは?

【ふきのとう】の最後のアルバム「ever last」の冒頭を飾っている歌が、この「やさしさとして想い出として」である。その歌詞を生かした編集が心憎いが、この歌自体はもともと「風待茶房」という初めの頃のアルバムにも入っているきれいな歌であり、9月前のこの時期にカラオケに行くとついつい歌いたくなる歌である。

もうあなたと逢えなくなる 2人で夢に見た 手さぐりの 

青春は通りすぎた 昨日の風のように

もう あなたは冗談も云わずに 九月のことにかかりきりみたいで

夜の街は 淋しすぎて その上 冷たすぎて

爪の伸びた小指をかみながら こぼれる涙に言い訳していた

知らないこととはいえ 短すぎた ぼくが1年離れて いるうちに

あなたが あなただけが こんなに変わるなんて

解散に際してのアルバムで「もうあなたと遭えなくなる…」というフレーズの歌を冒頭に置き、最後の「山のロープウェイ」という歌の終わりのフレーズ「…いつかまた会えたらと思います」で結んでいるところに、【ふきのとう】の思いを感じる。

それはそれとして、この歌に描かれている別れのシーンで、男の方が女の変化を悲しんでいるが、1年も会わなければ、お互い、変わっていて当然であろう。一年分の体験・経験が人間を変えていくのだから「あなただけが」「変わる」というのはおかしい。でも、変わって欲しくない部分の変化が心の距離を開き、別れへとつながっていったのだろう。

そうした別れのシーンの心情を澄んだ声で歌い上げているこの歌は、高音の伸びが特に美しく、聞いているとしっとりとした思いを味わえるが、その音の高さと音域の変化の巾の大きさゆえに、歌い上げるのは難しい。それでも、上質の小説の一部を読むような感じがあって、残暑も忘れさせてくれるような歌である。

 

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2007年8月27日 (月)

すばる望遠鏡

宇宙には昔から興味を持っていたが、ここ数十年の技術革新によってそれまで見られなかった宇宙の姿が明らかになってきた。新たな技術がもたらした映像によって「宇宙はこれ程美しかったのか…」という感動を与えてくれたのはハッブル宇宙望遠鏡であった。だが、ハッブルでは捉えられない映像を捉える力を持つ望遠鏡が存在する。その1つが、日本の誇るすばる望遠鏡である。

すばる望遠鏡は、ハワイのマウナケアに設置されている口径8.2mの巨大望遠鏡である。特に日本の技術力を結集して作られた1枚鏡の巨大望遠鏡は、1枚鏡という特性と巨大な口径によって、観測を邪魔する雲や大気のない条件で宇宙の光を捉えるハッブル宇宙望遠鏡でも捉えきれない光を捉えることが可能である。

実際、ハッブル宇宙望遠鏡の天体写真は非常に美しいが、すばる望遠鏡による天体写真もそれに勝るとも劣らないほど美しい。例えば、こと座のリングネビュラの映像でも、中心の白色矮星の周囲を取り巻くガスの微妙な構造までくっきりと映し出している。その映像は、宇宙の美しさと神秘の広がりを、直接心に伝えてくれる。

日々の仕事に追われていると、なかなかゆっくりと星空を眺めることはできない。その心のゆとりがないのである。けれども、星空を眺めていると、日常のトラブルも小さなことのように思えてくることが少なくない。さらに、最新の技術の力によって捉えられた宇宙の姿は、小さなことに悩むことそのものを忘れてしまう魅力を持っている。

夜空の星を眺めていても、何か得をするというわけではない。ましてやすばる望遠鏡が宇宙の姿を明らかにしていっても日常の生活への影響はほとんどない。それでも、すばる望遠鏡とそこに集う人々の業績を日本人として誇りに思う。

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2007年8月26日 (日)

講師を使い捨て?

知人の非常勤講師が、1学期で学校を辞めることになったという話を聞いた。能力のあるベテランの講師であり、私が学校長か市教委の管理主事ならば、現場にとって大いなる損失ではないか…と考えるところである。

その人以外にも、能力のあるベテランの講師に「辞めろということなのか」という思いを抱かせているような扱いをしている例を幾つか聞いている。長い間【期限付き講師】としてがんばってくれた人に対し、年度が変わった途端に掌を返すような形で講師採用の話を切り、学校長の尽力にも関わらず学校現場を去らなければならなかったという高校での事例…その講師は、今はコンビニで働いているという。

派遣やパートなどの非正規雇用について、様々な問題点が指摘されるようになったが、実は、教育現場にも古くから非正規雇用の労働形態がある。一般の教諭とほとんど同じ仕事をしていて厚生年金などの社会保障がある程度はある【期限付き講師】、厚生年金などの社会保障は十分ではないが毎日学校に出勤して担任を持つようなこともある【臨時講師】、社会保障はなく契約している時間で授業を担当したりする【非常勤講師】……。最長でも1年契約…ということだが、それを続けて何年もくり返す人も少なくない。ある意味では、現場での指導に熱心なあまり十分な勉強時間が確保できず、何度も教員採用試験を受験しながらも合格できないような、能力のある講師も多数いる。

だが、社会保障や収入の面から考えると基本的には、いつ切られてもおかしくないような雇用形態であり、東京の【非常勤講師】の中には生活保護の対象になるような収入しか得られないような例もニュースで取り上げられたりしている。同じ仕事には、同じ賃金を、そして連続している非正規雇用については本人が望むならば正規雇用への道を開く、というのが格差が社会問題化した中で進められている労働環境改善の方向である。にも関わらず、まったく同質の問題を抱えている教育現場での非正規雇用問題がなかなか表に出てこないのはなぜだろう。公的機関こそが、率先して労働環境改善の実例を示すべきだと思うのだが……。

教育現場での荒廃が進む中、政府や文部科学省のミスを教職員組合や現場に押し付けて責任転嫁し、間違った教育改革を推し進めても状況が改善しないのは明らかである。それに加えて、力量のあるベテラン講師という人材を邪険に扱えは、ベテラン講師たちが現場に見切りをつけて次々に学校から去っていくだろう。そうした中で、様々な問題が深く静かに進行していく。日本全体から見ればほんの一部に過ぎない大企業の利益や党利党略、目先の収支に目を奪われて愚かな選択を続ければ、やがて大きな問題となって爆発する時が来る。そうなる前に、方向転換をすることを願うばかりである。

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2007年8月25日 (土)

ウルトラセブン印象記…悪魔の住む花

ウルトラセブンと言えば、身長40メートルの赤い巨人ということになっているが、実は小さくなって人間の体内で戦う話もある。ウルトラシリーズ全体で見ても非常に珍しいパターンだが、ウルトラセブン31話の「悪魔の住む花」は、人間の体内で宇宙細菌ダリーと戦う話である。ちなみに、この時、宇宙細菌ダリーに侵された少女を演じているのは、後の大女優、松坂慶子である。

色とりどりの花が咲き乱れる花畑で、突然、1人の少女が倒れる。少女は宇宙細菌ダリーに操られて、深夜、血を求めて彷徨う。地球の医学ではなす術もない宇宙細菌ダリー。セブンは、身体をミクロ化させ、少女の体内に突入する。人間の体内を視覚化し、そこを舞台に戦うウルトラセブン。非常に珍しい試みである。

人間の体内の視覚化。ダリーは肺の中に潜んでいる設定なので、セブンは鼻から気管を通って体内に入り込む。体内の拒否反応を突破するも、ダリーの攻撃によって危機に陥るセブン。一方、体外でも医師たちの努力は続く。そして、エネルギーが尽きる寸前で、セブンはダリーを倒すことに成功する。

もはや40年も前の作品となるウルトラセブンだが、巨大な怪獣や等身大の宇宙人を相手に戦うばかりでなく、ミクロの世界にも挑む。それは、セブンにとっての冒険であると同時に、製作の側にとっても大冒険であったに違いない。日本では初の試みだったであろう人間の体内の表現も、材料を工夫しながら美しく表現しているセンスは、ストリーや戦闘シーン以外にも多くの見所を提供してくれている。このような冒険に勇気を持って乗り出した当時の円谷プロの工夫のすばらしさと熱意が感じられる作品であると言えよう。

 

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2007年8月24日 (金)

ハードだった夏も…

8月も、残り一週間ほどとなった。お盆休みは無く、土日も研究会などでつぶれ、「私のささやかな休みはどこへ?」状態となったハードな夏も、あとわずかで終わろうとしている。とは言っても、明日は津に行く用があるし、日曜も別の仕事があるので、この土日も、完全休養日には程遠い。ただ、日曜はいつもよりは少しゆっくり寝ていられるし、午後ももしかするとウダウダと昼寝するくらいは何とかなりそうである。

さすがに、完全休養日がずっと取れていないために、身体に疲れがたまっているのが実感できる。辛うじて、blogの更新はしているが、より深いレベルの集中が要求される詩を書く作業は、本来の締切が過ぎて5日になろうとしている今もまったく目途が立っていない。困ったものである。

明日の用は2時頃までには終わるので、道路が混んでいなければ、帰りに映画館にでもよってみようかと思う。そう言えば、映画も5月から見に行っていない。そういう「ゆとり」をなくしていたのかと思うと、詩が書けていないのも当然かもしれない。今日は早く寝て、少し長めに睡眠を取り、明日の午後と夜はゆったりと過ごそう。

何よりも、自分自身の心と身体のために……。

 

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2007年8月23日 (木)

話すことと伝えること

「言ったやん」

「聞いてないよ」

時々、こんなやり取りを耳にすることがある。本人は言ったつもりでも、相手にはきちんと伝わっていない。日常生活の中でよくあることだ。どうも、人間というものは、面と向かって相手に発言した内容は、それで伝わったと誤解することが多いようである。けれども、よく考えてみると、自分が言ったからといって、相手がそれを100%理解することなどまずない。音声として耳の鼓膜を震動させてはいても、それが必ずしも「意味のある大切な内容」として相手に伝わっているとは言えない。考え事をしていて、適当に相槌をうっている事だってあるし、声が小さいなどの条件できちんと聞き取れなかったが、自分にとって大切な内容だという判断をしなければ、あえて聞き返しもしないし当然、何を聞いたのかも覚えておらず、数日経てば完全に忘れてしまうことなど日常茶飯事だからである。

だから、きちんと伝えたいと思っていることならば、相手の反応をよく観察し、話に集中しているかどうかを見極め、必要に応じて確認をしたりすることも大切になってくる。それをせずに《言いっ放し》でいても、話した側の都合にいつも相手が合わしてくれる訳はないので、結局、きちんと伝わらないことになっても、ある意味では当然なのである。

では、どうすれば伝わるか。相手にとって自分が《大切な存在》となっている時は、ちょっとした言葉や軽いお喋りであっても、割りと真剣に聞いてくれる。利害関係の問題で《大切な存在》となる場合ばかりでなく、利害を超えた《大切な存在》である場合もある訳で、特に両方の条件があれば、話は丁寧に聞いてくれるだろうし、理解できなかった部分は質問したり確認したりしてくるだろう。

忙しい時などは、「話した」=「伝わった」と誤解してしまうことが多いが、話すことと伝えることは決してイコールではない。そして、話したからと言ってそれが確実に相手に伝わったと考えること自体が判断として甘いし、ある意味では「分かってくれて当然」というような相手に対する甘えや誤解が存在していると考えた方が良いだろう。

特に身近な人や、相手との関係において自分が優位に立っている場合は、きちんと伝わっているかを吟味しないまま話しっ放し、「伝えた」気になっていることは多い。それが後になってトラブルの原因となったり、相手との関係をギクシャクしたものにしてしまったりする。話すことは伝えることとイコールではないということを意識して会話や対話や議論を楽しみたいものである。

 

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2007年8月22日 (水)

冷たい水の中をきみと歩いていく

《冷たい水の中をきみと歩いていく》…初めて見て、これが歌の題名だと分かる人はほとんどいないと思うのだが、実は、これは谷山浩子の歌であると同時に1990年に発表された15枚目のアルバムのタイトルでもある。アルバムのタイトルと同じ歌である…ということは、それなりに思いの強い歌なのだろう。

確かに、個人的にも11曲収録されているアルバムの歌の中でも印象深いものの1つである。ただ、この歌はあくまでもイメージの中を漂いながら楽しむ歌であり、歌詞の意味を考え始めたら頭が痛くなるかもしれない。

冷たい水の中をきみと歩いていく なんて青くあどけない夏の1日 グラスの底を

誰かの読んでいる小説の挿絵の 湖の中に ぼくは今沈んでる  誰も見えない

みのらずに終わった恋は 重さもかたちもなく

みのらずに終わった恋は 思い出も影さえなく

あんまり静かに輝くので ぼくのからだはこわれていく

あんまり静かに輝くので 音楽ももう聴こえない

あんまり静かに輝くので ぼくのからだはこわれていく

あんまり静かに輝くので ぼくの命も奪っていく

谷山浩子の高く透き通る声が、透き通る歌詞のイメージをさらに増幅させて生と死の狭間を漂う不思議な世界へと心を誘う。その美しさに魅せられてしまったら、命までも透明になって消えてしまいかねない怖さがある。その不思議な魅力を湛えた世界は、ローレライかシレーネの歌声のように妖しい誘惑のまなざしを送ってくる。だが、その微妙なイメージの世界がまた楽しい。

暑い夏の午後、例えばこんな歌を聞きながら、日常のわずらわしさを忘れてイメージの世界での散策を楽しみたいものである。

 

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2007年8月21日 (火)

宇宙戦艦アンドロメダ

松本零士のマンガやアニメには魅力的なメカが多く登場するが、それ程活躍できなかったにも関わらず海賊戦艦アルカディア号やクィーン・エメラルダス号、宇宙戦艦ヤマト、超時空戦艦まほろば…といった主役を張る宇宙戦艦と同じくらい魅力を感じるのが、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」やTVシリーズ「宇宙戦艦ヤマト2」に登場する宇宙戦艦アンドロメダである。

設定によれば全長275m、艦首に拡散波動砲2門を備えた、地球防衛軍・連合宇宙艦隊の旗艦であり、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」では、地球に帰還する古代進艦長の宇宙駆逐艦とすれ違う形で登場する。映画では、白色彗星帝国の宇宙艦隊は愚か小惑星群なども簡単に破壊する白い渦巻にあっけなくやられてしまうが、TVシリーズでは映画で2代目ヤマト艦長を務めた土方艦長がアンドロメダの艦長を勤めており、白色彗星の渦を拡散波動砲によって消滅させることに成功するも、その後の白色彗星帝国の攻撃によって撃沈する。

だが、その洗練されたデザインと拡散波動砲2門という強力な装備は魅力タップリで、映画やテレビにおける宇宙戦艦ヤマト中心のストリー展開を無視して、もっともっと活躍して欲しかったように思われる。ただ、特に映画での醜態は、拡散波動砲2門という武装を過信して、安易に正面から相手を撃破しようとした作戦ミスが祟っている。

結局、どれ程優れた道具も、使う人間が使い方を誤ればその能力を発揮できない。ステルス戦闘機やステルス爆撃機、イージス艦などの最新・最強の装備を誇るアメリカが中東での戦いに多くの犠牲者を出しながらも「勝利」し得ないのは軍事力を過信して外交や人道支援に力を尽くさずに欲望に踊った結果である。

宇宙戦艦アンドロメダの戦いは、道具よりも人間の使い方の重要性を教えてくれているのかも知れない。

 

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2007年8月20日 (月)

死の天使…死者を導くものは

オラース・ヴェルネという画家がいる。1789年にパリで生まれ1863年に亡くなっている画家である。一般の人々にはそれ程馴染み深い画家ではないだろうし、私自身も、「死の天使」という1851年の作品以外の絵は知らない。けれども、この「死の天使」という作品が強く心に残っている。

死の瞬間を迎え、天に召されようとする若い娘。そのベッドの側でうつむき、絶望している男。彼は、この娘の父親なのだろうか。それとも婚約者だろうか。そして、娘の背後にいるのは黒いフードを被り猛禽の翼を持つ存在。天使というイメージはないが、娘は穏やかな顔で目を閉じ、右手の人差し指を天に向けているし、娘の頭上には彼女を導くように一筋の光がさしている。

愛する者を失う、残された者の悲しみと絶望は深い。その視線から見れば、死という形で愛する者を奪っていく存在は、光に満ちた神々しい存在とは必ずしも思えないだろう。けれども、現世の苦しみを離れて天に召されていく者を導く存在は、導かれる者にとっては、やはり天使なのだろう。

そう信じることが、残される者の悲しみを和らげるだろうし、死を前にした者の恐怖を薄れさせてくれるのだろう。その意味で、【死】は人間という存在にとってとてつもなく重い。その重さから逃げることなく、今の生の瞬間を大切に過ごしたいものである。

 

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2007年8月19日 (日)

ベルとティーチャーズを空けながら

17日から19日までの3日間、東京で行われた全国研究会に出かけた。三重県の事務局長と全国委員をしている以上、忙しくても簡単には欠席できない。そういう立場である。3日間の全国研究会は、色々と興味深い講演や発表があり、今年はけっこう《学び》を楽しめたように思う。

さて、全国研究会に宿泊して、けっこう楽しみにしているのは寝るまでのひとときを仲間たちと酒を飲みながら語り合う時間である。ワインやビールの持ち込みは多いが関西のTさんが私と同じウィスキー党の同志なので、今回も2人でウィスキーを楽しんだ。Tさんが持ってきていたのはベル。最近はちょっと飲んでいないが、一時期は良く飲んだブレンデッドのスコッチである。電車の中で飲んできたのか、ボトルの半分ほどしか残っていなかったが、こちらがウィスキーを持って行くのを当然のごとく予想している。ただ、銘柄が何か…というだけの話である。

今回は、ティーチャーズを持って行ったのだが「おっ、いつも飲んどるウィスキーや」とのこと。さすがに、ウィスキー党。値段が手ごろだが美味しいというのを良く知っている。ウィスキーの味が分かる人間とウィスキーの話をしながら飲むのは楽しい。Tさんの存在が何ともうれしい夏の全国研究会である。

他の参加者はビールやワインを飲みながらいろいろと話しているのだが、ウィスキー党は2人だけ。それでも、ベルは11時過ぎには空になり、ティーチャーズを開ける。ハイランドのモルトをブレンドした味わいは、気の合った仲間たちとの会話を肴にして、一層豊かになる。そんな時間を過ごせば、1本半ほどのウィスキーであっても残るわけがない。帰りのカバンが軽くなるだけである。

研究会そのものは熱気溢れる発表や討論が続くマジメなもので興味深いものだったが、ウィスキーを片手に過ごした仲間たちとの時間もまた楽しいものだった。とは言っても、寝たのは午前2時半頃。危うく朝食を食べ損ねそうになる時間まで寝過ごし、帰りの電車でもシッカリ寝ていた。

 

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2007年8月14日 (火)

ビルマの竪琴…鎮魂と平和への願い

8月になるとどうしても見たくなる映画がある。「ビルマの竪琴」である。市川監督が2度映画化しているが、私にとってなじみの深いものは水島上等兵を中井貴一が演じたものである。もちろん、原作は小学校の頃から読んでいたが、イギリス民謡を効果的に使った原作の感動を映画はそのまま伝えてくれている。

「埴生の宿」「庭の千草」「故郷の空」「蛍の光」など、明治や大正の頃から日本人に愛唱されてきたイギリス民謡は多い。敵味方の枠を超えてそうしたイギリス民謡を歌うことで話し合いが可能となり、停戦の情報を知って石坂浩二演じる隊長が降伏を決断する前半の山場は本当に感動的である。そこで一心に「埴生の宿」を伴奏する水島の姿はその歌と共に強く心に残っている。

だが、物語はそれで終わらない。三角山に立てこもって抵抗を続ける日本軍部隊の説得を依頼された隊長は、その任を果たすべく水島を三角山に送る。だが、部隊の指揮官は降伏を受け入れず、わずかの生存者を残して部隊は壊滅する。たまたま死を免れた水島であったが、三角山の死者たちをはじめ、多くの日本兵の亡骸が放置されている現実と、現地の人々やイギリス人たちが日本人の死者をも弔おうとしている姿を目の当たりにして戦争で亡くなり野ざらしになっている多くの日本軍兵士の弔いと鎮魂のためにビルマに残ることを決意する。

それを知らない、部隊の戦友たちの「一緒に日本へ帰ろう」という温かな思い。それが、歌となって水島に届いた時、水島は思わず竪琴を手にして演奏を始めるのであった。だが、水島との再会に喜ぶ戦友たちの前で、水島は「仰げば尊し」の演奏を始める。戦友たちの思いを胸に、水島は、その曲によって彼らに別れを告げるのだった。

戦争さえなければ、水島たちはビルマに来る事はなかったろう。いや、水島ばかりではない。三角山で戦死した兵士たちも、ビルマの森や川岸で亡くなった兵士たちも、戦争さえなければ、そしてインパール作戦など軍上層部の間違った作戦計画さえなければ、命を落とすことはなかったのである。この物語は「史実」ではないのだが、アジア各地にうち捨てられた多くの日本人兵士の屍の存在はまぎれもない事実である。そして、その兵士たち以上に多くの一般の人々が敵味方を問わず命を落としている。

このような悲劇をくり返さないように、日本が行うべきこと、行わなければならないことがある。それは、決して戦いを支援するために自衛隊を海外に送ることではない。それを改めて考えるために毎年「ビルマの竪琴」を見たくなる。風化させてはならない「歴史」が、二本にはある。「ビルマの竪琴」は、それを改めて確認させてくれる映画である。

 

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2007年8月12日 (日)

精霊流し…亡き人への思い

派手な花火の音に始まったイントロはヴァイオリンとギターのメロディーへと変わりC#mの高い歌声が夏のイベントをしっとりと歌い上げる。作られたのは30年以上も前になるが、この歌によって、グレープ・さだまさしと出会い、高校から大学を通じてグレープ・さだまさしの歌をもっとも多く弾き、歌ったのではないかと思う。《精霊流し》はそんな、思い出深い歌である。

今でも、お盆前後のこの時期になるとカラオケで歌ったりもするが、さだまさしによれば、カラオケの映像では「灯篭流し」を使っているものが多く、実際の長崎の「精霊(しょうろう)流し」はもっと派手らしい。長崎のお盆の伝統だが、8月9日に原爆を落とされた後も、「精霊流し」は行われたとか。悲しみを胸に抱いているからこそ、より一層、派手でにぎやかに行われるのかもしれない。グレープの1stアルバム『わすれもの』の《精霊流し》のイントロでの花火の音のは、それを表しているのだろう。

 去年のあなたの思い出がテープレコーダーからこぼれています

 あなたのためにお友達も集まってくれました

 2人でこさえたおそろいの浴衣も今夜は1人で着ます

 線香花火がみえますか 空の上から

 約束通りにあなたの愛した レコードも一緒に流しましょう

 そしてあなたの舟の後をついて行きましょう

 私の小さな弟が 何も知らずにはしゃぎまわって

 精霊流しが華やかに 始まるのです

《椎の実のママへ》という後のさだまさしの歌によれば、この歌にはモデルがいるようである。《極光(オーロラ)》や《風に立つライオン》など、さだまさしが出会った魅力溢れる人々の生き様を歌にした作品がいくつかあるが、この《精霊流し》については、そうした後の作品の先駆をなすものであると同時に、表面的な華やかさの奥に流れるしっとりとした日本情緒をさりげなく織り込んだすばらしい歌だと思う。

「レコード」や2番の歌詞にある「浅葱色(薄い藍色)の着物」といった歌詞が、それなりに時代も感じさせるが、それもまた美しい情緒を伴って胸に迫ってくる。これまで生きてくると同級生をはじめ、何人かの身近な人たちをなくしている。この地域のお盆の行事は長崎とは違うが、日常生活の慌しさの中で意識の表面には出てこない亡くなった人々を思い出すこの時期、しんみりと《精霊流し》を味わって聞きたいものである。

 

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2007年8月 4日 (土)

グレンモーレンジ、シングルトン、そして…

久しぶりに津に泊まる事になったので、少し遅めの夕食を終えてから、Joe's Barに足をのばした。もちろん、ウィスキーを飲むためである。取り敢えずの1杯目はグレンモーレンジのシェリーウッドフィニィッシュ。柔らかな味わいのシングルモルトである。マスターがまだ出てきていなかった事もあり、店の女の子に無理難題を言うのも何なので、一応、1杯目はメニューに出ているものを注文したのである。

それを空けるころにマスター登場。早速、メニューには出てないシングルトンをオーダーする。シングルトンを飲むのは久し振りである。1度は閉鎖したモルトなので、味がどうなっているかが気になったが、シングルトンのまろやかで豊かな味わいは受け継がれていた。ただ、微妙に雰囲気が異なるのは、閉鎖の際の空白の影響なのだろう。それでも、シングルトンの味わいは健在なので、多少は安心した。

次に飲んだのはブッシュミルズ。基本的にはスコッチ党だが、このアイリッシュ・ウィスキーは素朴な味わいが魅力である。小さい頃の故郷の風景を思い出すぼくとつな味わいは、飲んでいてほっとする。ススキが揺れる空き地。夏の日差しを浴びてたわわに実るとうもろこし。そんな風景が心に蘇る。たまには、こういうウィスキーも楽しい。

そして最後は、もっとも愛飲するグレンフィディックの弟分バルヴェニーのダブルウッド・フィニッシュ。グレンフィディックと同じ製造元のものとは思えない独特の個性が魅力である。グレンフィディックの洗練された味わいとは異なり、愛すべきやんちゃ坊主という雰囲気がこのバルヴェニーにはある。

明日の予定を考えるとそれ以上グラスを重ねるのには躊躇せざるを得なかったが、ショット・バーで様々なウィスキーを味わえる楽しみを満喫した。月に1度行けるかどうか…というところが残念でもあるが、忙しい8月を何とか乗り切って、またゆっくりとウィスキーを楽しみたいものである。

 

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2007年8月 2日 (木)

しばらくは…

いつの間にか記事数が400を越えていた。とりあえずは、よく続いたものだと思う。だが、最近、昼夜の仕事が忙しくて体調も今ひとつなので、事務局をしている文芸同人誌の編集の仕事が滞っている。発行すれば50号となるので、しばらくそちらの方を集中したい。

1週間か、2週間は編集作業を行い、時間がなければこちらのblogは「お休み」ということになろう。ただ、TAC文芸樹の方は、SF小説を連載中のため、毎日の更新は欠かさずにしておきたいと思う。

一応、構想10年あまり、現時点では150億光年ほどの広がりを持つ世界を舞台にしているが、未だに第二部の草稿も完成していないやっかいな作品である。何とかこの小説を完成させてから死にたいと思うのだが、イメージの広がりに知識と文章表現力が追いつかない。人間の心は、もしかすると宇宙よりも広大かもしれないが、その広がりにもてあそばれている。困ったものである。

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2007年8月 1日 (水)

上杉鷹山…民のための改革

江戸時代、米沢の上杉家の藩主に上杉鷹山という人物がいた。米沢藩は上杉謙信の流れをくむ名家ではあるが、いわゆる「忠臣蔵」の事件の悪影響(赤穂事件の際に、上杉家の藩主は吉良家の出身で吉良上野介の実子であった)もあって、藩の財政は火の車だった。鷹山は九州の三万石ほどの小さな大名家の次男であったが、その才能を見込まれ、上杉家の養子となる。

そして、財政を立て直すために藩政改革に着手し、倹約と殖産興業に務めた。鷹山が上杉家を継ぐことになった時、次のような歌を詠んでいる。

受け継ぎて国の司の身となれば 忘るまじきは民の父母

これはまさに「人民のための政治」を目指すものであり、鷹山は上杉家ゆかりの春日神社に誓詞を捧げてこれを誓っている。そして、実際に、そのように行動したことは、天明の大飢饉に際して、米沢藩では1人の餓死者も出さなかったという話からも明らかである。

内村鑑三は代表的日本人の1人としてこの上杉鷹山をあげているし、新渡戸稲造も鷹山を高く評価している。かのJ.F.ケネディー大統領も「もっとも尊敬する日本人」として上杉鷹山をあげている。日本の歴史を紐解けば、このようなすばらしい政治家も存在しているのである。

その一方で、自殺者が3万人に高止まっていても平気な首相がいる。格差が拡大し、生活保護を打ち切られ餓死をするような「改革」を進め、国政選挙で惨敗しても「改革が否定された訳ではない」などと訳のわからない妄言を吐き、不信任をごまかして権力にしがみつこうとする醜い政治家である。

私たちは、上杉鷹山のような政治家の存在こそを望む。今の政治家たちに鷹山のことをしっかりと勉強させ、その1万分の1でも本当の徳を身につけて、政治に反映させてもらいたいと思う。

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