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2007年10月31日 (水)

電車…あなたをなくしてまでも

岡村孝子の3rdアルバム『リベルテ』の3曲目に【電車】という歌がある。イントロの電車に揺られているようなリズムが、心地よく耳に馴染むが、しっとりと歌いこまれる歌詞に耳を傾けていると、胸に響くフレーズがある。

 

誰もが自分の生き方を見つけて歩いてゆくけれど

私は変わらずに私でいるしかできない

あなたを失くしてまでも決めた道を悔やむほど弱くなった私をしかって

あなたを失くしてまでも決めた道を進むほどずるくなって明日を変えたい

 

日々の仕事に追われ、自分を見失いかけたとき、ふと心に浮かぶ人。荒井由実/ハイ・ファイ・セットの【卒業写真】という歌もそうしたイメージを歌っているが、この【電車】は、思い出に抱かれるという感じではなく、自分の選択した「現実」にのたうちながらも、生きていこうとする思いがいっそう生々しく感じられる。

恋を選択する道もあった。だが、恋とは違う選択をした。でも、あの時に恋を選択していたら、今とは違う人生があったのだろう。けれども、実際には、恋を選ばなかった。だからこそ、今の「現実」がある。その「現実」の中で、ふと、疲れを感じてしまった時……。

もちろん、この歌は女性の立場・視点で書かれている。だが、男にもそんな瞬間がある。それでも、歩みを止めることなく進まなければならない「現実」を感じながらこの歌を聴くと、何となく励まされる。

自分の選択によって傷ついた人がいる。かけがえのない大切な人を傷つけた選択。けれども、そんな犠牲を払ってまでも納得できるような生き方をしてきただろうか。必ずしも、yesと言えない自分の今に、心は傷つき、疲れきっている。だけど、明日も生きていく。そんな、自分の中のしたたかさを信じたい。

聞いていて、こんな思いにさせてくれる歌である。

 

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2007年10月29日 (月)

星を見る時間

天文学にそれ程詳しいわけではないが、ぼんやりと星を見るのはけっこう好きである。この時期は、オリオン座が出ているので風呂へ入る前後などに空を眺める事があると、東から南東をまず眺める事が多い。三ツ星はとても探しやすいので、すぐ、オリオン座の輪郭をとらえる。

オリオンが見つかると、次は冬の大三角形に目を移すか、カシオペア座を探すことが多い。どちらにしても探しやすいからである。冬の大三角形は夏の大三角形とは異なり、ほぼ正三角形になっている。それで探しやすいのだ。一方のカシオペアは北天に変形したWの形に並ぶ。オリオンとは違って、ほぼ一年中楽しめる星座である。

特に天体望遠鏡が欲しいという事はないし、星座を1つひとつチェックしたい訳でもない。ただ、ぼんやりと星空を眺める時間そのものが楽しい。それに、星空を眺めていると仕事をはじめとするさまざまな場でのトラブルやストレスが小さく感じられる。宇宙の広がりに比べれば、ちょっとした感情の行き違いなど小さなものだと思えるのである。

星だけではない。少し身の周りに目を向けてみれば、私たちはさまざまな美しさに囲まれて暮らしている。その美しさを感じ取れない事が多いのは、私たち自身が心に余裕を失っているからなのだろうか。日々の生活や仕事は、人間社会で生きている以上おろそかにできないものには違いないが、身の周りのさまざまな美しさを毎日感じられるような心のゆとりは失いたくないと思う。

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2007年10月28日 (日)

検定議論の公開を

社会科の教科書で、偏向した検定意見によって一度は削られた沖縄の集団自決への日本軍の関与の記述がおおむね復活する方向だというニュースがあった。11万人もの人々が集まったという沖縄の怒りが、厚顔無恥な「歴史の隠蔽」を画策しようとする勢力の意図を砕いたということになろうか。民衆の立場に立てば当然の話なのだが、ある意味では呆れた話でもある。こんなことが起きるのは、家永教科書裁判の時代から、権力におもねる偏向した教科書検定がまかり通っているからだろう。

単純な正誤訂正…というレベルでの検定は、「教科書」という事を考えればあっても許容できる。だが、検定の現場で時の権力におもねる偏向の方向での書き換えが日常化すれば、国の未来を損ないかねない。それは、太平洋戦争の歴史を振り返れば明確である。だから、検定の議論を公開し、それを学会などの専門家集団でチェックして、不適切な「偏向検定」があれば、検定審査官を罷免する制度を確立すれば良いのである。議論公開の段階ではA,あるいB審査官などの匿名でよい。文部科学省や政府の影響を受けない第三者機関でチェックして、不適切な審査官は罷免する権限も持たせればよいだけの話である。

ここ一週間ほどのニュースでも、国の機関や政府、社会保険庁などの公務員の不祥事や不法行為が連日のように報道されている。結局、チェック体制の甘さと責任逃れの醜さが国民の信頼を損なっているのである。警察の取調べをすべて録画する話も出ているが、チェック体制を確立することで不祥事は減少するだろうし、仕事もより慎重かつ丁寧になることも期待できる。

人間は、誰しも間違いを犯す可能性を持つし、また知らず知らずに自分あるいは自分の属する集団に有利な一面的な視点で物事を判断してしまうこともある。だが、それを公開して謝罪し、きちんと国民が納得できる形で責任を取った上で修正していけば、信頼感は損なわれない。かえって隠蔽したり、責任逃れをしたりする方が信頼を損ね、傷を大きくする。

今回の事で、「検定制度」の偏向性は明らかになり、制度への信頼感は大きく損なわれてしまった。「検定制度」の維持を考えるなら、きちんとした分析をした上で方向転換をすることが信頼を解決する近道である。まずは、議論を公開して偏向があれば第三者機関によってチェックされ、場合によっては無効や罷免もある、そういう緊張感の中できちんと仕事をしてもらいたいと思う。

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2007年10月23日 (火)

少しウツっぽい?

ここ数日、朝起きたときに、今ひとつ気分が乗らず仕事へ向かう意欲が弱くなっている感じがしている。blogの文章なども、どうも気分が乗らず集中力に欠ける感じもあるので、多少、ウツ傾向が出てきたのではないかという感じがしないでもない。

確かに、今日たまたま車でかけていたCDの中に森田童子の歌が何曲か入っていたのだが、それが心地よく感じられたこともウツ傾向を疑う理由の一つとなった。やはり、様々なところで忙しい毎日が続いていて、何も考えずにゆったりと寝ていたり、気ままに映画などにいけないこともあり、心がそろそろ休憩を欲しがっているのだろう。そういう意味では、ウツ傾向も心からのメッセージである。ここ数日は肩の凝りも感じているので、ついでに身体からのメッセージも出ているということだろう。

もちろん、こういう時にジタバタしても良くないので、日常と折り合いながら可能な限り休みやストレス発散の機会を入れて地味にやっていくだけである。この程度であれば、数年前も経験しているので、多分何とかなるだろう。

ただ、きちんと心の声に従うならば、本来、ちゃんと休むべきなのだろう。知識があるから、ある程度だましだましやっていける部分もあるが、逆にそれゆえにきちんと休むことができないでそれなりに時間がかかるという事もありそうだ。それでも、他でもない自分自身の心なので、たまにはジックリとワガママに付き合ってやりたいと思っている。

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2007年10月21日 (日)

テープおこし

久しぶりにテープ起こしをする事になった。以前やったシンポジウムなどとは違い、たかだか15分程度なのだが、けっこう時間がかかる。録音がそれ程クリアでないからである。

それでも、書き言葉にすれば短くてすむことが、会話の中では澱んだり、つっかえたり、止まったり…となかなか全体像がつかみにくかったりするそれ自体がけっこう面白い。以前、シンポジウムのテープ起こしをやった時には、話の流れからいっても当然肯定すべきところで否定の言葉が出ていた事があった。ただ、話す側も、聞いている側も、その部分は肯定していると判断しながら話が進んでいたので、原稿としては確認の上で肯定の表現となった。そのことから、話し言葉のいいかげんさを知った体験でもあった。

さて、今回のテープ起こしだが、15分と言う短い時間とはいえ、話す側はそれなりに慎重に言葉を選んでいるところがあり、繰り返したりすることはあっても肯定するところで否定の表現が出てくるようなところはなさそうである。それでも、なるべく丁寧にテープ起こしをしようとすると何度もテープを聴いて慎重に進まざるを得ない。それだけに集中できる状況であれば別に文句はないことなのだが、けっこう忙しい中でのテープ起こしであるため集中できる時間を確保することが難問になるかもしれない。

期限は、今週の土曜日。多分出来ると思うのだが……。

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2007年10月20日 (土)

やさしくしないで…リューズの歌

映画「銀河鉄道999」で、機械伯爵の愛人である時間を自由に操る機械化人の女リューズが、惑星ヘビーメルダの酒場で歌を歌うシーンがある。その際にリューズが歌っているのが【やさしくしないで】という歌である。

 

何が欲しいというの 私 それとも愛 つばさいやす鳥たちも 私を欲しいとさわがしい

こわれたおもちゃ箱を 子供みたいに 抱えこんで 涙ぐんで それでどうなるの

何が欲しいというの 私 それとも愛 疲れはてた心には やさしくしないで させないで

誰でも昔話 ひとつやふたつ 大事そうに 語るけれど それでどうなるの

 

若さゆえに出来るチャレンジがある。それを諦め、また諦めして歳をとってしまうと、わずかな思い出を抱えこんで後悔の涙を流すだけなのか。そんな大人たちを尻目に、鉄郎は先へ進もうとする。リューズが最後の最後の土壇場で機械伯爵を裏切るのは、鉄郎の熱い意志に深く心を動かされるものがあったからなのだろう。けれども、自らの時間を戻して人生をやり直すことはできないし、機械伯爵との時間もまた彼女自身の選択の結果でもあった。そして、機械伯爵と共に滅ぶ時間城と運命を共にするリューズ。そんなリューズの哀しさを歌い上げるように、【やさしくしないで】のメロディーが流れる中、リューズの身体が錆びて崩壊していく。忘れられないシーンである。

だが、30年ほどの時を経た今、リューズの歌に涙を流すような齢の取り方をしていないだろうか。少し気になるところである。

 

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2007年10月19日 (金)

背の高さの災い

数日前から頭痛が取れない。…と言っても、原因は分かっている。頭にできたこぶである。庭の物干し竿が、いつもよりも少し低く渡してあったので、それをくぐる時何度か頭をうってしまったのだ。その結果がこの頭痛(!?)である。

一応、身長は180cmを越えているので、高いところのものを取ったりするには便利なのだが、時々こうして頭をうつ。今回のように、何度も…というバカは珍しいのだが。週の半ばまで忙しく、少し寝不足気味だったこともあるのだろうが、こういう時は、背の高さが多少は恨めしくもなる。だが、それを言っても始まらないし、重宝することもあるので、良い事もあれば悪いこともある…と受け入れるしかない。

それにしても、今回のこぶは痛かった。まあ、昨日よりは痛みもひいたので善しとしておこう。

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2007年10月18日 (木)

戻り鰹を食べながら

刺身の中でも一番好きなのは鰹である。新鮮で大きなものを刺身にひいて、そのまま食べるのも良いが、醤油に生ワサビをおろして刺身につけ、熱いお茶をかける鰹茶漬けも美味しい。今日は、姉が鰹を持ってきてくれたので、夕食は鰹の刺身とあいなった。ところが、夕食にあわせて従姉も鰹のタタキを持ってきてくれた。戻り鰹の季節、美味しい鰹を味わえば1日の疲れも吹っ飛んでしまう。

とは言うものの、さすがに鰹のタタキの方が少し残ったので、そのまま部屋に持ち込むことにした。もちろん、酒の肴にするためである。では、酒は…ということになるが、肴が鰹のタタキとなると、やはりスコッチよりも泡盛を飲みたい。ということで、今晩は【くら】を開けることにした。

グレンフィデックにグレンモーレンジ、シングルトンにブローラと、このところスコッチばかり飲んでいたので、泡盛は久しぶりである。それでも、鰹のタタキには、やはり泡盛の方が美味しい。毎日酒を飲む訳ではないが、酒は人生の友であり、その楽しみは心を豊かにしてくれる。

戻り鰹のタタキと泡盛の古酒(クース)の味わい。やはり故郷は良い。

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2007年10月17日 (水)

冠位12階と足高の制

改革の時代において、人材の登用がその成否を握る鍵となる。実際、日本の歴史を紐解いてみても、改革の時代において人材の登用に苦心した例はそれなりに見受けられる。例えば、聖徳太子の冠位12階の制定というのも、氏姓制度の只中にあって人材の登用を図ったものである。

氏姓制度の時代において、どこの誰を親に持つかによってその仕事はある程度決まっていた。豪族のステータスと身分によって能力がなくてもある程度の地位につくことは可能だったのである。だが、隋が勃興し、大和朝廷の利害に深く関わる朝鮮半島への中国の圧迫は強まっており、場合によっては日本も拡大を続ける中国に飲み込まれる危険があった。そのような状況の中で独立を確保するには、豪族の家柄などに寄らない人材登用の道を作ることが必要であった。冠位12階は、このような情勢の中で作られた人材登用のシステムなのである。

時代は下って江戸時代の半ば、8代将軍となった吉宗は幕政の建て直しに着手した。享保の改革である。だが、江戸時代と言えば強固な身分制の社会であり、幕府の役職もその家柄によってある程度決まっていた。しかし、人材登用のシステムを作らなければ改革の成功はない。そこで、必要な能力を持つ者が役職についている間は、その役職には届かないような家柄の出身者であっても石高を加えて相応しい家柄にする、という制度を作った。これが足高の制である。足高の制により本来は近畿地方の狭い地域の役人に過ぎなかった人物が江戸町奉行となり、最後には勘定奉行にまで出世した。名奉行として知られる大岡越前である。彼は、言わば地方都市の市長から東京都知事を経て財務大臣にまでなったということであり、身分の壁が厚かった江戸時代においては考えられないような出世だったと言えよう。

格差社会が問題になりつつある現在、本当の意味で改革に必要な人材をきちんと登用できるようなシステムは存在しているだろうか。ある意味では、業績が好調であるにも関わらず労働者の賃金を上げられない経営陣は、本当にその収入に見合うだけの能力を持っているかどうか非常に疑わしい。自らの目先の利益だけを追って労働者や下請けの会社を圧迫し続けていれば、人材の能力の開花を阻害し、やがては潰してしまうことにもなりかねない。そしてそれは、長期的にはその企業の未来だけでなく社会や国の未来を閉ざしてしまうことにもつながりかねない。

人材の発掘と登用……。今の日本にも、切実な課題である。

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2007年10月16日 (火)

シングルトン、そしてブローラ

週末からずっと忙しい日が続いていたが、唯一の救いは、シングルモルトだった。

12日の夜は睡眠不足を押して職場の人とグレンフィデックとグレンモーレンジを飲んでいたのだが、相手の方がそれ程強くなくて、量的にはグレンフィデックをロックで1杯、あとは薄めの水割りとあいなった。そこでこちらも、気持ちだけ遠慮してグレンフィディックをロックで2杯とグレンモーレンジをストレートで1杯飲んで止めて置いたが、楽しい時間を過ごすことができた。

ところが、12日と13日は津で演習と講義があり、津に1泊する事にしたのだが、12日の夜は伊勢の大祭の屋台で夜間に教育相談が設定されていたこともあって、演習を終わってからホテルにチェックインして荷物を置き、すぐに特急に乗って伊勢に向かった。夕食は哀れにもサンドウィッチと紅茶である。そこで、教育相談を終えて津に戻ってから、ホテルには帰らずにいつものJoe's barへと向かった。

さすがに、疲れと前日のシングルモルトおよび翌日の講義を考えてあまり多くは飲めないと思い、まずはシングルトンの18年をオーダーした。以前も書いたが、シングルトンは一時期の中断があるため、昔飲んだ味とは微妙に異なっている。それでも、シングルトンの味の個性は維持しているので、飲むつもりになった。上品な味わいと18年物のまろやかさは疲れた身体にも心地よく染み込んでくる。ジャズのライブを聞きながら文庫本のページをめくりつつ、ささやかな時間を楽しむ。満足の1杯だが、ストレートで頼んだのに、チェイサーを忘れていたのは、まだなれないボーイのご愛嬌だろう。チェイサーがないことにまったく動じていない自分が怖くもある。身体のためにはきちんとチェイサーを頼むべきなのだが……。

そんなこんなで、ストレートグラスに注がれたシングルトンを楽しんだのだが、それでも、グラスの魅惑の液体は無限には存在しない。15分ほどで飲み終えた後、次の選択を考える。疲れ具合と朝からの講義のことを考えればもう1杯が限度だろう。少し迷った末にブローラを注文する。「真の貴婦人」というコピーを捧げたい味わいは、最後の1杯を締めくくるのに相応しい。今度は、チェイサーもきちんと頼む。身体のため…というより、1度水を飲んで口の中のシングルトンを洗い流してからブローラを楽しみたかったからである。ブローラの味わいは、そうさせるだけの気品を持っている。それに敬意を表しての行動である。

水を飲んだあと、軽くブローラを口に含む。口いっぱいに魅惑の貴婦人の味わいが広がる。水曜日から続いた寝不足と、水曜日まで続くであろう忙しさを忘れさせてくれる魅惑の時間がそこにある。心を亡くしそうな時間にゆとりを取り戻してくれる値千金の1杯。こうしたひとときに拘る間は、忙しさに負けずにやっていけるのだと思う。

我が愛しのシングルモルトたち。私は幸福だとしみじみ思う。

 

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2007年10月 9日 (火)

テストの役割

関わっている複数の子どもたちによれば、市内のいくつかの中学校では中間テストのテスト期間に入っているらしい。テストと言えば、成績をつけるためのもの…という見方が一般的だが、必ずしもそれだけではない。10年以上前の話になるが、ある中学校で数学を教えていた時、生徒たちにテストについての話をしたことがあった。その内容は、だいたい次のようなことである。

テストには、三つの意味がある。1つは、みんなが知っているように成績をつけるための参考にする。けれども、その他にも、1人ひとりが学習内容をどこまで理解できているか、ということを自分で確認する意味もある。それから、先生が1人ひとりがどこまで理解できているかを知ってそれをこれからの授業の参考にする、そんな意味もあるのだ。

こうした話と共に、単元ごとに【単元テスト】を実施し、中間テストや期末テストには単元テストからも問題を出すという事を宣言し、それを実行した。また、授業中に練習問題が早くできた子に対して【問題カード】を作ったり、友達の作った【問題カード】を自由にしたりする…という活動を組織し、教科委員を中心にテスト前に【問題カード】などを参考にして【予想問題】を作らせ、その一部はテストの問題にも採用する…という形をとった。

こうした形で、テストを学習に利用した結果、数学への学習意欲は高まり、テスト反省もおざなりではなく真剣に取り組む子どもたちが増えていった。きちんと復習すれば、それがテストの点のアップにもつながる、という実感がさらに学習意欲をたかめ、学習に積極的に取り組もうとする姿勢は理解を深める。日を重ねるにつれて子どもたちの中にそうした実感が広がっていった。そして、年度の初めには「数学が苦手」「数学がきらい」と言う反応がけっこう多かった子どもたちの苦手意識や嫌悪感は年度末にはかなり改善されていたのである。

確かに、テストと成績は切っても切り離せない関係にある。それは否定できない。けれども、テストを成績をつける道具に限定してしまうのは勿体ない。テストも、学習に利用できる有効な道具にできるのである。テストの意味や役割を【成績】のためだけに限定せずにうまく利用していくことは可能である。そして、少しでも1人ひとりの学習につなげていければ……と思うのだが。

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2007年10月 8日 (月)

乙女のワルツ…なくしてしまった情景

伊藤咲子のヒット曲の1つに「乙女のワルツ」という歌がある。作詞/阿久悠、作曲/三木たかし…。告白もかなわぬまま、破れてしまった少女の初恋を、伊藤咲子がその歌唱力で情感豊かに歌い上げた歌。現代の街角には似合わぬシーンだが、忘れられない印象を持つ歌でもある。

  

好きといえばいいのに いつもいえぬままに 月が上る小道を 泣いて帰った

白く咲いてる野の花をつんで願いをかける どうぞ愛があなたにとどくようにと

好きな人はいつしか 他のひとをつれて 遠い町へ旅立つ 何も知らずに

駅のホームのはずれから そっと別れをいって それで 愛が悲しく消えてしまった

小雨降る日はせつなくて ひとり涙を流し つらいだけの初恋 乙女のワルツ

 

この歌の題にも使われている「乙女」という言葉は、現在はほとんど若い子たちの間では日常的には使われていないだろう。けれども、伝えきれない思いの情感が胸に迫る美しいシーンがここにはある。歳を重ね経験を積んで、伝えるテクニックと言葉にする図太さをある程度見につけたお陰で、シンポジウムや講演を引き受けられる程度にはなったが、もしかすると、伝えずにいる時間の中で味わう情感を失いかけていないだろうか。ふと、そんなことを考えてしまう。

せめて、美しいメロディーにのって歌い上げられるこの歌に心を開き、失いかけているものを思い出したいものである。

 

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2007年10月 7日 (日)

「ドラえもん」を使って

ドラえもんの好物はドラ焼きである。では、ドラえもんは、ドラ焼きのあんと皮のどちらの方が好きか? というクイズを子どもたちに出す事がある。で、「あん」と答えると「アンアンアン ! とっても大好き」という歌のフレーズを使って「あんを取っても大好きだから皮だよ」と答え、逆に「皮」と答えると、同じフレーズを使って「あんがとっても大好きだから皮だよ」と応じる。なかなかイジワルなクイズである。だが、声優とともに歌も変わったようなので、そろそろこのクイズも賞味期限が切れそうである。

それから、1月に講演をした時に、いじめの構造についてドラえもんのキャラクターを利用しながら説明した事があった。「なぜ、スネオがいじめをとめないのか」ということを「とめたら今度は自分が標的にされるかもしれない」という怖さがある…という点から説明したら、けっこう分かってもらえたようである。

私も、子どもの頃に親しんでいたドラえもん。長い間愛され続けている作品だけあって、色々な場面に応用する事ができる。そして、それがまた、相手との距離を縮めていく。最近はTVを見る時間がなかなか取れないので、声優さんたちが変わったドラえもんがどんな風になったのかは、まだこの目で確かめてはいない。それでも、これ程人々に愛されているドラえもんはすごいと思うし、大人になってパラパラとマンガをめくってみてもけっこう楽しい。やはり、名作という事なのだろう。

 

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2007年10月 6日 (土)

加害者と被害者

自分自身の罪ときちんと向き合い、それを認めた加害者は、意識や考え方が大きく変わるので、再び同じような罪を犯すことは少なくなる。彼らはまた、被害者に対してもきちんと向き合おうと努力をする。一方、自らの罪と向き合わずに目を背け続ける加害者は、その罪をごまかしたり、矮小化したりして、なかなか本心から認めようとはしない。したがって、意識や考え方は変化していないので、2度3度と同じ罪を犯すことがある。当然、被害者の訴えには目を逸らし、被害を矮小化しようとして返って被害者の怒りと反発を買う。

被害者の方は、簡単に被害を忘れることはない。たとえ、加害者の事を許したとしても……。日本人は、広島・長崎の原爆投下を忘れない。それは被害者だからである。では、沖縄のことはどうか。集団自決の記述に対しての教科書検定で、沖縄の怒りが爆発した。当然のことだと思う。命令書や「個人の命令」の有無といった問題ではなく、相せざるを得ないような状況に日本と日本軍が追い込んだのである。だから、沖縄戦においては、日本と日本軍も加害者である。

個人的な命令の有無、は確かに裁判でも争われている。だが、それを根拠に記述を削除するのは、明らかに罪・問題の矮小化を図っている。罪にきちんと向き合えない加害者の心理としてはあり得る反応だが、それが根本的な解決にはつながらないのは自明である。それでは、被害者である沖縄は許す事はできない。当然の事だろう。

沖縄だけではない。従軍慰安婦問題をはじめとする第二次世界大戦/日中、太平洋戦争に際しての日本の罪と、政府は…そして国民はきちんと向き合ってきただろうか。人間としての存在の質が問われている。

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2007年10月 5日 (金)

無理をせずにサボらずに

忙しさもあって少し睡眠不足となり、昨日と一昨日はこのblogの更新をしなかった。今日もどうしようか迷ったが、止めてしまうと、ズルズルと続いてしまいそうなので日付が変わる直前になって更新をする気になった。

自分自身の現実を無視して毎日更新にこだわり過ぎるのもおかしいと思うが、その一方で更新しない日が続いてしまうとそのままズルズルといってしまいかねない弱さも自分自身の心にはある。その辺りのサジ加減はある意味、けっこう難しい。

無理をしない程度に自然体で更新を続けるのは、社会の動きや自分自身の心の動きを見つめなおすきっかけとなる大切な作業でもある。だからといって毎日更新を目的化してしまっては、疲れのために必要な感覚が鈍ってしまい、緊張感に欠ける文章や視点の甘い分析を垂れ流し続けてしまう事につながってしまう。

無理をせずにサボらずに…自然体で続けられるまでにはまだまだ至っていないが、その辺りを目標に続けて生きたい。

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2007年10月 2日 (火)

ライダーを改造したのは…

石ノ森章太郎が原作の仮面ライダー。現在のシリーズは原作者の石ノ森が亡くなってから作られたものだが、平成の「仮面ライダーBlack」までのシリーズは、石ノ森が関わっていた作品である。

そのうち、ライダーの敵である悪の組織が改造し、ライダーがその組織を裏切る形になったのが仮面ライダー1号と2号(ともにショッカー)、仮面ライダーストロンガー(ブラックサタン)、そしてスカイライダー(ネオショッカー)にZX(バダン)、仮面ライダーBlack(ゴルゴム)…ということになる。

では、その他のライダーはというと、ライダーV3は1号と2号の手で改造されている。そして、Xライダーは父親によって、アマゾンライダーは一族の長老バゴーによって改造されている。そしてスーパー1は、アメリカ国際宇宙開発局による改造という事になる。ライダーマンは、自ら開発した義手を装着する。

ブラックゴーストに改造されたサイボーグ009たちのように悪の組織に改造されたイメージの強いライダーたちだが、実際に見てみると、必ずしもそうとは言えないことがわかる。もちろん、V3とXは悪の組織のデストロンやゴッドによって瀕死の重傷を負わされた風見志郎や神敬介の命を救うためにWライダーや父親が改造手術を施す…という形だし、アマゾンもゲドンという悪の組織がなければ改造される事はなかっただろう。

その意味で、悪の組織が存在したからこそ改造人間という宿命を背負う事になったわけだが、直接、悪の組織に改造されたわけではない。人間とは異なる存在になってしまった苦悩はそれぞれに背負っているのだが、こうした誕生にまつわる微妙な違いは、それぞれのライダーたちの個性を考える上でけっこう興味深い。

 

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2007年10月 1日 (月)

風のいたみ

オリジナルを聞いた事はないのだが、心に残っている歌がある。それが【風のいたみ】である。記憶をたどって歌詞を再生してみる。次の通りである。

風のいたみ

電話の中のあなたの声に心もはずむの 電話の中のあなたの姿思い浮かべるの

ああ あれはいつだったでしょ あなたと愛しあえて幸せだったのに

あなたの中に私が見えた時が過ぎてゆく

オレンジ色の涙に溶けた2人の心だったけど 風のいたみをわかっていたのあなたと私

つよがりばっかりであなたを困らせた 私の悪い癖

あなたの影をふみこえていった時が過ぎてゆく

記憶に間違いがなければ、このような歌詞になる。多分、高校時代に聞いた歌だと思うのだが、その頃のヒット曲ではなく、もう少し前の歌だと思われる。メロディーもきれいだったが、詞の感性にも強く惹かれた。だからこそ、今もこうして覚えているのだと思う。若い頃は、ギターを片手に何度も歌ったこの歌…。オリジナルを聞いてみたいと思うのだが……。

 

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