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2007年10月28日 (日)

検定議論の公開を

社会科の教科書で、偏向した検定意見によって一度は削られた沖縄の集団自決への日本軍の関与の記述がおおむね復活する方向だというニュースがあった。11万人もの人々が集まったという沖縄の怒りが、厚顔無恥な「歴史の隠蔽」を画策しようとする勢力の意図を砕いたということになろうか。民衆の立場に立てば当然の話なのだが、ある意味では呆れた話でもある。こんなことが起きるのは、家永教科書裁判の時代から、権力におもねる偏向した教科書検定がまかり通っているからだろう。

単純な正誤訂正…というレベルでの検定は、「教科書」という事を考えればあっても許容できる。だが、検定の現場で時の権力におもねる偏向の方向での書き換えが日常化すれば、国の未来を損ないかねない。それは、太平洋戦争の歴史を振り返れば明確である。だから、検定の議論を公開し、それを学会などの専門家集団でチェックして、不適切な「偏向検定」があれば、検定審査官を罷免する制度を確立すれば良いのである。議論公開の段階ではA,あるいB審査官などの匿名でよい。文部科学省や政府の影響を受けない第三者機関でチェックして、不適切な審査官は罷免する権限も持たせればよいだけの話である。

ここ一週間ほどのニュースでも、国の機関や政府、社会保険庁などの公務員の不祥事や不法行為が連日のように報道されている。結局、チェック体制の甘さと責任逃れの醜さが国民の信頼を損なっているのである。警察の取調べをすべて録画する話も出ているが、チェック体制を確立することで不祥事は減少するだろうし、仕事もより慎重かつ丁寧になることも期待できる。

人間は、誰しも間違いを犯す可能性を持つし、また知らず知らずに自分あるいは自分の属する集団に有利な一面的な視点で物事を判断してしまうこともある。だが、それを公開して謝罪し、きちんと国民が納得できる形で責任を取った上で修正していけば、信頼感は損なわれない。かえって隠蔽したり、責任逃れをしたりする方が信頼を損ね、傷を大きくする。

今回の事で、「検定制度」の偏向性は明らかになり、制度への信頼感は大きく損なわれてしまった。「検定制度」の維持を考えるなら、きちんとした分析をした上で方向転換をすることが信頼を解決する近道である。まずは、議論を公開して偏向があれば第三者機関によってチェックされ、場合によっては無効や罷免もある、そういう緊張感の中できちんと仕事をしてもらいたいと思う。

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