« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月25日 (日)

Winter Comes Around(冬の1日)

TM NETWORKの「CAROL」というアルバムは、1つひとつの歌が関係しながら、一連の物語を作るような構成になっているおもしろいアルバムである。そして、その物語はメンバーの1人木根尚登の手で小説化され、アニメ化もされた。物語の展開はどことなくミヒャエル・エンデの『モモ』のイメージと重なるところがあるが、「CAROL」の場合は《時間どろぼう》ではなく、《音楽どろぼう》が敵である。

そのアルバムの9曲目に【Winter Comes Around(冬の1日)】という歌がある。作詞の小室みつ子はこの頃のTMNの歌の定番だが、作曲は木根尚登。TMNの歌は小室哲哉の作曲が多いが、木根も時々印象的な歌を作っている。この【Winter Comes Around】もそんな木根のバラードの1曲である。「CAROL」の物語の流れの1シーンとしてピッタリはまる歌なのだが、この1曲だけを取り出して聴けば、上質のLove Songのようにも聞こえる魅力をも併せ持った歌である。

うずくまるハトと 凍る街路樹 急ぎ足の誰か 広場を抜けて

冬がめぐる街のどこかに 君が確かに生きている 

石につまずくようにたやすく 一度は出会った

君を失うはずはない 人混みに問いかけても 分け合えなかった日々は 風にさらわれ

Winter comes around

人は出会い、そして別れ……そんな日々を繰り返しながら人生を歩み続けるが、自分の人生にとって大切な意味を持つ人との出会いは、やはり、運命のようなものを感じる。出会うべくして出会った、そんな必然のような感触なのである。様々な出会いと別れを経ることが、この人との出会いには必要だった、そんな風に思えるような出会いもある。そのような相手との関係は、時間や距離を隔てても信頼の絆で結ばれる。信じる事は大切だが、信じられるということは幸せでもある。

人生の歩みの途上では、何度となく辛く厳しい《冬》を経験することも少なくない。けれども、信じられる人と共に歩いていけるなら、やがてくる《春》を心から信じられる。聞いていて、そんな気持ちにさせてくれる、地味だがしっとりとした歌である。

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月20日 (火)

聴いてくれる人

ストレスがたまったり、精神が不安定になったりすることは誰にでもあるが、そういう時に、【聴いてくれる人】を身近に持っている場合は幸せだ。聴いてもらう事によって、割と自分の心をスッキリさせる事が出来るからである。

ところが、この【聴く】ということがけっこう難しい。あまり注意せずに【聞いて】、ついつい「解決策」を言ってしまう事が多いからである。愚痴の場合は、「解決策」など必要ない。ただ、その心の内にある負の感情に対して共感してくれればそれで十分だし、一見、「相談」しているようでも本人の中にそれなりの「答え」がある場合はそれを相手の口から言ってほしいので別の「解決策」を提示されると返って一層イライラがつのったりする場合だって少なくない。そうした点で、【聞く】ことはできても【聴く】ことはなかなか難しい。カウンセリングに訓練が必要で、商売になる所以である。

ただ、自分の心の中にイライラやストレスや負の感情を溜め込み過ぎるのは良くない。それなりに外に出さないと爆発したりする事だってある。だから、仲の良い友人や家族など身近な人々の中に、日頃から、安心して【聴いて】もらえる人を作る努力も大切となる。当然、場合によっては自分が【聴く】ことが出来るように心がける。「お説教」などしたりせずに、相手の心に寄り添う。それが、【聴く】ことであり、ちゃんと【聴く】ということは、その瞬間、瞬間において相手の存在を大切にしているという事でもある。

相手を大切にしていれば、たいていはその相手も自分を大切にしてくれる。では、【聴いてくれる】人がいる、ということは……。少し心の中で、その顔を思い浮かべてみようか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月18日 (日)

ALWAYS

先日「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見た。前作は以前から気になっていった映画だったにもかかわらず、見そびれていたところ、少し前にTVで「ALWAYS 三丁目の夕日」を放映していたのを見て、見にいく気になったのである。

前作でも、しっかりとしたシナリオと茶川竜之介(ブンガク)を演じる吉岡秀隆や鈴木オート夫婦(堤真一/薬師丸ひろ子)、六ちゃん(掘北真希)、淳之介(須賀健太)らの熱演に魅了されたが、大画面で見る続編は、期待に違わぬ出来だった。

冒頭の【ゴジラ】をはじめ、あちこちで笑わせてもらったが、さまざまな問題を抱えながらも、基本的には前向きに生きようとする1人ひとりの姿勢と、お互いに寄り添い、助け合う姿には胸をうたれた。茶川にしろ、この作品での鈴木家にしろ、困っているとはいえ他人の子をあっさり預かって面倒をみてしまう温かさがあるし、子どもたちも家族のために文句を言ったり悪態をついたりしながらも家事を分担して自然に働く日常がある。モノは必ずしも十分とはいえないが、その中での生活はゆとりと温かさで満ちている。

だが、もちろんそれなりに辛さやしんどさも抱えていて、困ったり迷ったり悩んだりしながら、それでも「今」を肯定していける温かさと希望がそこにはある。時には笑い転げ、時にはしんみりとして、そして見終わった後、じんわりとした温かさが残る。こういう、体温を感じられる日本映画は、最近はあまり見ていない。その点については映画ファンとしては少し悔しい気もするが、それでも日本映画にこういう作品を作り上げる力があることがうれしくも感じられる。

この映画の時代…昭和は【昔】となってしまったが、それを懐かしんで嘆くのではなく、その中にある日本人としての感覚と体温を見失わずに生きていきたいものである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年11月16日 (金)

サイボーグ009

戦うための兵器として改造される目的でさらわれ、自分の意志に関わりなくサイボーグにされてしまった9人。それが、サイボーグ009たちである。彼らを改造したブラックゴーストは、武器を開発して売る死の商人たちが作った組織である。その組織から逃げ出してブラックゴーストと戦う9人の戦士たち。彼らの出身地は、ロシア、アメリカ、フランス、ドイツ、中国、イギリス、アフリカ、日本と非常に多彩である。これは、国際連合への願いがこもっているのだろう。

改造されたブラックゴーストの基地から脱出し、追撃を振り切った9人のサイボーグたちとギルモア博士は、ブラックゴーストの影を追ってベトナムや中東の戦場にも姿を見せる。そうした戦場でブラックゴーストの暗躍を阻止した009たちは、さらにブラックゴーストの暗躍を追っていくうちに地底世界にも達する。彼らの活躍で地底世界のブラックゴーストの基地は壊滅するが、ブラックゴーストの仕掛けた爆弾で地底世界はズタズタにされる。それでも001のテレポート能力によって辛うじて地底を脱出したサイボーグ戦士たちだが、ブラックゴーストの首領でもある巨大魔人像の内部に1人テレポートで送られた009は、後は仲間に託して魔人像とともに死ぬ覚悟を決める。そして宇宙空間で魔人像の破壊に成功するが……。

この地底編のラストは、002が009を救おうと宇宙空間まで魔人像を追って、009と合流するが飛行燃料が尽きて、009と共に地上へと落下していく。その「流れ星」を見ていた少女が、世界の平和を祈る……というシーンで終わっている。

現代の世界の情勢に目を向けると、現実の《ブラックゴースト》たちである産軍複合体が自分達の利益追求のために世界各地に戦火を撒き散らし、兵士ばかりでなく多くの人々の命を犠牲にしている。だが、彼らと命がけで戦ってくれるサイボーグ009たち9人の戦士は、私たちの現実世界にはいないのである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年11月14日 (水)

貧困撲滅というテロとの戦い

アメリカ政府の言う「テロとの戦い」が泥沼化している。貧困の問題を放置し、自国の企業の権益を守るために起こした私欲の戦いが貧しい人々をさらに追い詰め、「テロリスト」をさらに増加させているのである。

そしてブッシュ政権の言う「テロとの戦い」によってアメリカの軍需産業は莫大な利益を得ているが、アメリカ人民はどうかというと、必ずしもアメリカ人民の幸福にはつながっていない。低所得者層の側に立てば、軍隊以外に条件の良い就職先はなく、失業率の高い貧困な地域ほど若者たちは軍に入隊せざるを得ない。荒んだ環境は彼らの心をも荒ませ、それがイラクやアフガニスタンの一般人への対応を荒くして人権侵害を多発させ、さらに対米感情を悪化させて貧しい人々を「テロ」へと駆り立てたり「テロ」を容認したりする風潮を広げている。「テロとの戦い」を決め、それを進めようとしている人々は自分や家族の血を流さずに国内の弱者である低所得者層を死地へと追い込んでいるのである。

このような構造からすれば、「テロとの戦い」は貧困の撲滅に対して、可能な限り手を打つ事が大切である、という事実が明らかになってくる。だが、「テロとの戦い」を声高に叫ぶ人々ほど貧困問題には触れず、ただ恐怖を煽って、背景にある貧困問題から人々の目を逸らさせようとする。卑怯な、唾棄すべき輩ということなのだろう。「テロとの戦い」に効果をあげるためには、まず、この種の卑怯な連中の罪を暴き、彼らにこそ戦場に立って戦ってもらうべきである。と同時に、戦争を煽って利益を得ている企業に対して世界レベルで高額の税をかけ、それらを貧困に苦しむ人々の直接支援に回すシステムを構築する必要があるだろう。

貧困問題が世界レベルで解決に向かえば、「テロリスト」たちの主張に耳を傾ける人々は減少し、彼らは一般の支持を失って孤立する。アメリカが本気で「テロとの戦い」を考えるならばイラクの石油利権を放棄し、イラクの国民のために普通に努力すれば暮らしていける環境を整えるために努力をする事が大切である。そのためにはイスラム/ムスリムの人々の声に耳を傾け、その発想や意見を尊重してさまざまな支援を行う事が大切になる。その意味では、日本も自衛隊の給油活動よりも、平和的・経済的な支援を直接民衆に届くような形で行う事の方が「テロとの戦い」に効果をあげると同時に日本という国の名を高めることにつながっていくだろう。

軍事に偏った「テロとの戦い」は欺瞞であり、偽善である。貧困の撲滅こそが、「テロとの戦い」の本道であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月12日 (月)

高いガソリン

またまたガソリンの値段が上がった。一昨年、愛着のあったシビック・シャトルを諦めてさらに燃費の良いFitに替えたので、給油回数が月4回から月3回になったが、それでもこのガソリンの高騰は痛い。以前は1回に3,000円台で満タンに出来たのが、最近は5,000円札でも足らない事がある。財布も頭も痛い話である。

だが、この高い石油をタダで他国に分け与えようとする法案が議論されている。その恩恵をもっとも受けるアメリカの一般のガソリン代は80円程だとか。一方、日本では平均で150円を越えるという。呆れた話である。先の参院選の結果、中断する前の給油活動の杜撰さ、デタラメぶりが次々に明らかになった。しかも、自衛隊のスキャンダル。装備にかけた金をもっと有効に使っていれば、もっと装備は充実していた筈なのだが……。

日本の政府である以上、考えるのはまず国民の生活が第一の筈である。外国にタダで、しかもまともなチェック体制も作らぬまま石油をやるくらいなら、その分を日本の国内の需要に回せば、もっとガソリン価格は下げられるだろう。せめて、アメリカの平均のガソリン価格と同じレベルにした上で、余分があれば改めて「国際貢献」を議論すれば良い。もちろん、航海日誌の紛失や、規定外の使用が明らかになれば即座に中断、自衛隊による隠蔽工作などが発覚すれば中断した上で関係者を減収に処罰する…といった厳重なチェック体制を確立することが最低条件である。

だいたい、貧困の問題に手をつけない「テロとの戦い」など偽善に過ぎない。貧困の問題にきちんとした成果をあげれば、無差別テロを行う集団への民衆の支持はなくなる。貧困を拡大し、民衆を殺し続けて一部の国内企業の儲けだけを考えているような「テロ国家」にこそ、毅然とした態度で臨み、平和のための外交努力を重ねるべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年11月11日 (日)

せめて【くら】でも

相変わらず、純粋な休日としての日曜日を味わう事ができず、今日もカウンセリング講座のために津まで出かけた。出発が7:50、帰宅が7:00であったので、ゆっくりする暇はなかった。しかも往復で4時間、車を運転していたので帰宅時にはかなり疲れており、少し仮眠(!?)をした。明日の朝は、仕事の都合上、早起きする必要がないので、久しぶりに酒を飲む気になった。

酒自体は好きだが、毎日晩酌をしなければならない訳ではない。自宅では、友人と一緒に飲むとき以外は、気が向いたときに1人で数杯飲む程度である。ウィスキーは先週グレンフィディックを飲んでいるので、今日は【くら】を飲むことにした。

好んで飲むのはシングルモルトのスコッチ・ウィスキーか泡盛の古酒(クース)だが、このところ泡盛は【くら】を買うことが多い。深夜でもコンビニで手に入れられる手軽さもうれしいがやはり美味しいのがつい手が伸びる最大の理由だろう。

DVDを見ながら何杯か飲んで、大人しく寝るとしよう。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月10日 (土)

再び「夢の樹」…岡村孝子の1stアルバムより

以前にも書いたが、岡村孝子の歌の中で特に好きなのが「夢の樹(き)」と「オー・ド・シェル(天の水)」という歌である。2つとも、アルバムのタイトルにもなっている歌だが、今回、あらためて「夢の樹」について書いてみたくなった。カウンセリングなどと関わりを持っている関係で、先日、「夢の樹」の歌詞が頭に浮かんだことがあり、それについての話をする機会があった。そこで今回はその辺りも含め、もう一度「夢の樹」について書いてみよう。

人は、誰かに「わかってもらいたい」と願いながらも、孤独の中で生き続ける。けれども、「わかる」「わかりあう」ということはけっこう微妙な問題を含んでいる。それでもやはり、多くの人は「わかってほしい」と思う。特に、自分が大切に思っている人に分かってもらいたいのである。けれども、それはそう単純でもない。そんな現実を、淡々とこの歌が歌っている。特に、2番の歌詞に接しているとそのことを強く感じる。

 

悲しい顔して生きてる女に 誰かがやさしくする

傷つくことなど知らない人ほど 悲しい顔を見せる

一つの夢見て歩いてきたのに 通じる心もなく

やっとの思いで芽生えた夢の木 つみとり逃げてしまう

今窓の外 木枯しに散った枯葉が舞い上がる

そんなものだとくり返し 落葉は風に消えてゆく

泣きたいよね 泣きたいよね 男だって女だって 立ち止まる時には

からみついた心の糸ほどくような優しいうた あなたにも届け

悲しい恋などしたくもないのに こりずに愛を探す

死ぬほどつらいと言ってる人ほど 悲しい恋におちる

期待はしないと夢など見ないと 何度も誓ったのに

わかってほしいと一人はつらいと 心がつぶやいてる

今この胸に打ち寄せる波の終りはどこだろう

いつか出会うとくり返し 船は沖へとすべり出す

泣きたいよね 泣きたいよね 行く所も帰る場所も 遠すぎる時には

感じたいね 真実(ほんとう)のうた あなたのため 私のため 生きている限り

 

この歌は【あみん】の活動を休止してソロ活動を始めた最初のアルバムのラストを飾る歌である。それまでの過程の中で岡村孝子自身もいろいろと悩み、苦しんだという話を何かの雑誌で読んだ記憶がある。その過程を経て出来た歌だからこそ、味わい深い内容になっているのだろう。もう若いとは言えない年齢になったが、まだ人生の途上……どこへと至るのかは定かではない。それでも、「真実のうた」に近づけるような生き方をしたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 7日 (水)

誇りを失った社会

赤福餅に続いて御福餅、さらに返馬餅に平治せんべいと、三重県下の老舗の和菓子の偽装が次々に発覚した。老舗の暖簾に誇りを持っていたら、絶対に考えられない事だろう。だが、老舗のネームバリューにあぐらをかき、金さえ儲ければいいという形で誇りを売り渡してしまえば、いくらでも起こり得ることなのだと思われる。

だが、こうした現象はこれらの食品会社ばかりではない。年金問題における社会保険庁の考えられないようなふざけた仕事ぶりや、給油活動における杜撰なチェック体制など、誇りと責任感を持って仕事をしていれば絶対に起こらない類のミスである。

いつから日本はこんな社会になってしまったのだろうか。バブルの時期に「金儲け」に狂奔し、真面目に実直に仕事をすることを軽視して、「職人」の誇りでは生きていけない社会を作ってしまった事が原因のひとつなのだろうか。

対人関係能力…は確かに大切である。けれども、昔の職人は必ずしも対人関係能力が優れていたわけではない。それでも、仕事に責任と誇りを持ち人に売り込むよりも人をうならせるような技や技術や芸を磨いた。そして、社会にも一般の人々にもそれを見る目とそれを尊ぶ心があった。

だが、今は優れた腕や技術や芸があっても、口下手であったり人間関係を結ぶ力が弱かったりすると、それを生かしにくく、生きづらい世の中になっている。それが、社会全体が誇りを失い、金に狂奔して迷走してしまう現実を生み出しているのかも知れない。何とかしなければと思うのだが……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月 5日 (月)

聞けない人々

仕事の都合で夕食が遅くなり、午後9時過ぎに夕食を食べながらかかっていたTVのニュース番組を見ていた。民主党の小沢代表が辞表を提出していた関連で、民主党の国会対策委員長がインタビューを受けていたのだが、聞く側のアナウンサーが相手の話を聞かずに勝手に質問をぶつけているシーンが目立った。

普通の人々が、けっこう相手の話を聞いていない、というのは実はよくある話である。だが、ニュース番組でアナウンサーが聞いているシーンである。話をよく聞いた上で、その発言内容をより深くつっこんで聞きだすのがジャーナリストとしてのプロの役目である。既に相手がその前の発言の中で話している内容を、安易に、あるいは無思慮に聞いたりしているようでは突っ込んで話を聞きだすことは出来ない。このような「インタビュー」では、うまく言い逃れられるだけで、その背景にあるものをあぶりだす事など不可能である。

加えて、アナウンサーの力量不足や番組制作の側の甘さを露呈する事になり、9時台のニュース番組であることを考えれば放送局の特定も出来るので、日本の放送局の力量も推測可能となる。この程度の力量のニュース番組しか制作し得ない放送局が日本の国民から受信料を徴収しているのかと思うと暗澹たる気持ちになってしまう。

だが、よく考えれば聞けないのは日本の政権を担っている与党の面々も同じである。だいたい、国会の議論の中で矛盾や問題点が明らかになっているにも拘らず、それに耳を塞ぎ強行採決を繰り返す。参院選で惨敗すれば、今度は反対野党に連立を呼びかける。それによって議論から逃げようとしているのである。

現在のグローバル化が進む社会において、歴史的に見てそれが苦手な日本人であっても自己主張は大切である。しかし、それと同時に相手の話・主張にも耳を傾けないと対話や議論は出来ない。1人ひとりが、もっと聞くという事を大切にしてもらいたいものである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年11月 4日 (日)

「銀河英雄伝説」から文民統制を考える

今夜は少し時間があったので、久しぶりに「銀河英雄伝説」のDVDを見る気になった。この物語に登場するキャラクターの中で一番好きなのは自由惑星同盟の軍人、ヤン・ウェンリーである。歴史研究を志したにも拘らず父親の事故死によって士官学校の戦史科に進学し、軍人になってからはその優れた知略によって時には同盟軍に勝利をもたらし、時には同盟軍を全滅の危機から救い、常に最前線にあって民主主義体制を擁護するために力を尽くした。

だが、そのヤンが必死に養護していた自由惑星同盟の民主政治は腐敗していた。そしてヤンは腐敗した政権やその中心となっていた扇動政治家たちを嫌っていた。しかも扇動政治家たちは、政権維持のために出兵を画策したり、前線の熟練兵を新兵に変えたり、法的根拠のない査問会にヤンを呼び出したりするなど、意識してかどうかは別にして、ヤンの足を引っ張る事ばかりを続けていた。

そうした政治の腐敗を憎んだ軍人たちのクーデターに対し、ヤンは軍事独裁政権を支持せずに、尊敬するグリーンヒル大将が首班となっていた救国軍事会議を倒して民主政治を守るために戦い、決して政権をとる事はなかった。ヤンは、軍隊は道具に過ぎないと考えていて、しかも状況が許せばない方が良い道具だと考えている。そして歴史的には軍隊は民衆を解放するよりも民衆を弾圧する側に回る例が多い「道具」だと……。それゆえに、ヤンを慕って軍人になろうとする被保護者のユリアン・ミンツに対し、民衆に対するなるべく無害な「道具」になれると良い、と語る。現実には大変な不便を感じながらも、民主政治の下の軍の文民統制という原則を守り続けたのである。

ひるがえって、わが国の自衛隊はどうだろう。イラクに駐留していた元前線指揮官が、他国軍が戦闘に巻き込まれた時に「救助」という形に戦端を開く可能性を準備していたり、給油記録の疑惑や航海日誌の紛失など、国会での追及に対して十分な説明責任を果たしえないようなことを行っていたりしている。平和主義の憲法9条を持つにも拘らず、シビリアン・コントロールが十分に機能していない疑いが濃厚なのである。

多国籍軍に対する給油が、本当に国際貢献になっているのか。「テロ」なのか「レジスタンス」なのか、という詳細な独自の検討を放棄して、アメリカの要求を鵜呑みにした給油を続けるよりも、別の平和憲法に即した国際貢献の道をきちんと検討した上で、自衛隊の活動についてはきちんとガラス張りの文民統制が機能するような形で今後の方向性を決定すべきであろう。

アニメや小説から「文民統制」を学ばなければならないような「現実」は情けなくもあるが、民主国家の軍人としてはヤン・ウェンリーのような見識と自制が必要だろうし、政治家はそれを生かす文民統制の能力が必要だろう。現在の政府与党については、文民統制の能力はの判断としては失格である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年11月 2日 (金)

必用なのは丁寧な議論

自民党からの大連立の提案を民主党が拒否したらしい。詳細は知らないが、衆参の多数党が異なる中での政権運営に苦慮する与党・自民党が持ちかけたのだろう。だが、小泉政権以降、驕った自民党の行った強行採決の「結果」が表面化しつつある今、安易な採決の連発が国民の生活と国の未来を損なう危険が一層はっきりとしている。そんな中で、大連立など行えば、国会は一層意味を失ってしまう。

特に、安倍政権の失敗は議論を封じ込める強行採決の連発にあった。小泉政権での郵政民営化、これも議論を中途半端に終わらせることで問題点を封じ込める結果となった採決によって決定されたものだが、当時の議論の中でも指摘されていた通り、今、地方の郵便局の使い勝手は悪くなり、サービスは明らかに低下している。自衛隊の給油問題も昨今のガソリンの高騰と、文民統制の杜撰さを考えれば、とても賛成できない。外国にタダで石油をやるくらいなら、もっと国民生活に石油を回してガソリンの高騰に対処すべきであろう。それに、それこそ「民間」での援助に徹する知恵こそが外交として求められるものなのだ。

必用なのは、丁寧な議論である。そのためには、今のねじれ国会は慎重な議論を行うのにもっとも適した環境だと言えるだろう。「自立支援法」によって自立を阻害される身障者、高止まりからいっこうに減る気配が見えない自殺者数、そして「豊かな国」でなぜか餓死者まで出してしまう現実。それらの事実をきちんと見据えた議論を国会で展開して欲しいものである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »