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2007年12月31日 (月)

イーハトーヴの魔法の歌

寒い大晦日になった。さすがにこの辺りに雪は降っていないが、慌しかった1年があと少しで終わる。思いがけず静かな時間が年が変わるのを前にして訪れた。こんな夜に、ふと聞きたくなったのは、谷山浩子の4thアルバムに入っている【イーハトーヴの魔法の歌】である。

この寒波では、イーハトーヴの現世での位置に当たる岩手県には雪が舞っているのではないだろうか。愛してやまない宮澤賢治の童話世界の登場人物たちも、静かな異界で新しい年を迎えようとしているのだろうか。

 

雪の中 こんなに静かな夜は イーハトーヴの魔法の歌が

白く輝く雪たちが 思い出みんなつつむ夜

しあわせかいって 誰かが聞いた そんな気がして ふりむいても

そこには私の足跡だけ

雪の中 こんな静かな夜は イーハトーヴの魔法の歌が

ほら 本当に聞こえてきます

 

そんなに長い歌ではない。けれども、語りかけるような言葉が、多忙だった1年の疲れをすうっと吸い取ってくれるように感じられる。こんな時間を迎えることができたことが何となくうれしく感じられるひととき。静かに、そしてゆっくりと時間が流れる。谷山浩子の透き通った高い声に導かれ、穏やかに眠りにつこう。

 

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2007年12月21日 (金)

ロイヤル・ハウスホールド

シングル・モルト派になる以前、市内の週一でライブをしていたラテン・バーでウィスキーをショットで頼んで色々と飲み比べていた時期があった。その時に一度頼んだのが、このロイヤル・ハウスホールドである。バランタインやジョニーウォーカー、オールド・パーほどには日本では馴染みのない名前かも知れないが、このロイヤル・ハウスホールドは、ブレンデット・モルトの高級ウィスキーである。

当然、ショットで飲んだ時もけっこう値段は高かったわけだが、その値段に相応しく落ち着いた味わいのウィスキーだった。ロイヤルの名を冠するのは王室御用達のウィスキーであることにも寄るそうだが、確かに美味しいけれども、その値段を払って何度も飲もうというほどの魅力は感じなかった。

やがて、シングル・モルトに手を出し始め、そこではグレンフィデックをメインに、グレンモーレンジやアンノックなどのモルトをキープしていたがその時期に飲んだモルトで最も感動したのがスプリングバンクの23年ものだった。こちらも、王室御用達という話を何かで読んだ記憶があるが、これは、その後、お金に余裕があった時期にボトルキープをしてしまった。その意味では、グレンフィデックとスプリングバンクとの出会いがシングル・モルト派になるきっかけとなったのである。

もちろん、ロイヤル・ハウスホールドはブラック&ホワイト系の上品で美味しいブレンデッド・ウイスキーである。だが、シングル・モルトの個性を味わう楽しみを知ってしまうと、そのまろやかさがどこかしら物足りなく感じてしまう。その意味では、ロイヤル・ハウスホールドを味わったことによってシングル・モルトの面白さに目覚めたと言えるのかもしれない。

12月は仕事などの忙しさもあって、少しスコッチ・ウィスキーから遠ざかった日常を送っているが、年末から年始の休みは、じっくりとスコッチを楽しみたいと思っている。

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2007年12月17日 (月)

キャンベルタウン・ロッホ

12月に入って初めて酒を飲んだ。忙しさのために2週間以上の禁酒となってしまっていたわけで、多少ストレスがたまるのも当然かも知れない。残念ながら、今夜は宴会の席だったので、ビールと焼酎を飲んだだけだが、久しぶりにアルコールが入ったのでウィスキーのことを書きたくなった。

最近はずっと、シングル・モルト派を決め込んでいるが、それでも美味しいと思っているブレンデッド・モルトもある。テーチャーズ、ウシュクベ、ロックランザ、バランタイン、デュワーズ、フェイマスグラウスなどがそうだが、ブレンデッド・モルトの中で特に印象に残っているのはキャンベルタウン・ロッホである。

スプリングバンクやグレンスコシアといったキャンベルタウン・モルトはシングル・モルトの中でも特に愛飲するものだが、そうしたキャンベルタウン・モルトの味わいを生かしたブレンデット・モルトがこのキャンベルタウン・ロッホである。けれども、残念なことに三重の地方都市ではこのウィスキーをもう一度手に入れる術はない。我が家には、空になった空き瓶だけが残るのみである。機会があれば、ぜひもう一度飲みたいのだが……。

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2007年12月14日 (金)

忠臣蔵…討ち入りの日に

12月14日という日付は、忠臣蔵の赤穂浪士討ち入りの日である。もっとも、深夜から未明の事だし、当時は太陰暦を使っていたので、厳密に言えば来年の1月22日未明が討ち入りの日(旧暦12月15日)…ということになるようだが。

この話を初めて知ったのはひょんなことから三船敏郎主演の「大忠臣蔵」見てからだった。浅野と吉良の対立の原因を藩の特産物としての塩の製法の問題ということで設定したリアルさや三船敏郎をはじめとする俳優たちの熱演に魅了され、以後、眠いのをガマンして毎週10時まで寝ないで見ていたのを覚えている。その後、いくつかの忠臣蔵のドラマや映画を見たが、個人的には大石内蔵助を三船敏郎が演じた「大忠臣蔵」が一番好きである。今、ちょうどテレビ愛知でお昼の時間にこの「大忠臣蔵」を放映しているが、見る時間がないのがとても残念である。

さて、忠臣蔵というのは元禄時代に起きた「赤穂事件」を題材にして作られた物語だが、早くから浄瑠璃や歌舞伎で上映され、何度も何度も映画化やドラマ化されている大ヒット作品である。物語の上では浅野家側が善、吉良家側が悪という事になるが、史実として検証すると必ずしもそうとは言えないところもある。吉良上野介は、地元では善政をしいた名君だったようだし、また武断政治から文治政治への転換期という元禄時代の状況を考えれば、浅野家側はそうした空気を読めなかった時代おくれの連中…という評価もあり得る。しかし、赤穂浪士の行動が、当時の人々の琴線に触れたからこそ「仮名手本忠臣蔵」が書かれ、人々の圧倒的な支持を受けて現代に至っているのだろう。

今日は、久しぶりに泡盛でも飲みながら、『大忠臣蔵』を読み直してみよう。

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2007年12月13日 (木)

紅葉の夢…なんとかできた詩

   紅葉の夢

 

鮮やかな紅が

視界につきささる

日一日と深まる秋の道を

色とりどりの葉がにぎわせる

 

十分に生きた夏の日々を終え

その生の終わりを

美しい色彩で装う

最後の祭

 

それを終えれば

後は地面に落ち

土へと帰る

新たな生命を育むために

 

何のために生き

何のために死ぬのか

そんな意識や迷いはなく

ただ

日を浴び風雨に耐え

冷たい空気に終わりの時を知る

 

そして

それぞれの色鮮やかな衣装をまとい

散り逝くために着飾る

役割を果たして

生から解き放たれるために

 

鮮やかないでたちは

苦難の生への挽歌か

あるいは

やがて訪れる死への期待感なのか

 

そんな人の視線を知ろうともせずに

紅葉は

やがて散っていく

その生そのものも

長い長い夢かもしれない

 

 

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2007年12月12日 (水)

再び、新しいケイタイ

今日、ソフトバンクの新しいケイタイが届いた。タイに行く都合でボーダフォンの時代に買ったグローバル対応のケイタイが、08年1月以降、日本では使えなくなるということで無料で機種変更……という連絡があったので連絡を取って手続きをしたからである。

それにしても、無駄な話だ。加えて、以前のメモリーカードが使えないために、結局、ソフトバンクショップにでも行って、アドレス帳を移さなければならない。まあ、古いケイタイは、海外でならそのまま使えるらしいが、せめて以前のメモリーカードも使えるようにしてもらえたら、メモリーカードにとってあるバックアップをそのまま移せば良いので、いちいち店舗まで行ってアドレス帳を移す必要もないのだが…と思う。

たとえ機能的に向上するとしても、日常生活にそれが必要かどうかはまた別問題である。以前のソフトが使えないと切り替えの際に苦労するのは常識で、ワープロがダメになった時もパソコンにアドレスを移し変えるのに苦労をしたし、先日のauの機種変更にしても、結局アドレス帳が完全に移ってなかったので5時間ほどかけてアドレスを確認する必要があった。

新しい技術は便利かもしれないが、それが必ずしも日常必要な人間ばかりではない。今までのTVで満足している人間にとって地上波デジタルは無駄以外の何ものでもないし、DVDなどでも、今までのソフトが使えなければ、ブルーレイは欲しいとも思わない。高度な技術開発は確かに大切だが、それを無理やり社会に押し付けようとするのはおかしい。その辺りは、現在のグローバル資本主義システムの間違いではないかと思う。

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2007年12月 9日 (日)

さらばシベリア鉄道…すれ違う想い

松本隆が詞を書き、大瀧詠一が作曲した「さらばシベリア鉄道」は作曲者の大瀧も歌っているが、個人的には太田裕美の歌っていたものの方が印象が強い。大瀧詠一の方はシングルはもちろんアルバムも持っていなかったのだが、太田裕美の方は「12月の旅人」というこの歌の入ったアルバムを持っていることにもよるのだろう。

この歌は、カラオケのレパートリーの1つだが、太田裕美にも大瀧詠一にも歌えないような形で歌う事が多い。女の言葉の部分はカウンター・テナーで、男の言葉の部分は通常の声で歌っている。声を変えることで、それぞれの思いが少し分かるような気がする。

男と女のすれ違い…そして女はシベリア鉄道に乗る。手紙を読んだ男は…

 

哀しみの裏側に何があるの? 涙さえも氷りつく白い氷原

誰でも心に冬をかくしてると言うけど あなた以上冷ややかな人はいない

君の手紙読み終えて切手を見た スタンプにはロシア語の小さな文字

独りで決めた別れを責める言葉探して 不意に北の空を追う

伝えておくれ12月の旅人よ いつ……いつまでも待っていると

この線路の向こうには何があるの? 雪に迷うトナカイの哀しい瞳

答えを出さない人についてゆくのに疲れて 行き先さえ無い明日に飛び乗ったの

ぼくは照れて愛という言葉が言えず 君は近視まなざしを読みとれない

疑うことを覚えて人は生きてゆくなら 不意に愛の意味を知る

伝えておくれ12月の旅人よ いつ……いつまでも待っていると

 

日本の男たちは、想いを口にするのが下手だった。けれども、それを察してくれる女たちがいた。だが、それは男たちの甘えだったのだろう。女たちはやはり、愛の言葉が欲しい。それは、もしかすると気休めに過ぎないのかも知れないが、愛する男の口から愛の言葉を聞きたいのである。ただ、最終的には、相手を信頼できるかどうか…という点にかかってくる。様々な苦難を乗り越えて、心から信頼できると感じられる相手こそ、かけがえのないパートナーなのだろう。

冬も深まり、寒さが身に沁み始めた。それでも、かけがえの無いパートナーの側で過ごせる時間があれば、寒さもそれほど気にならなくなるかも知れない。

 

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2007年12月 8日 (土)

開戦の日に

12月8日というと、まず頭に浮かぶのが真珠湾攻撃、つまり太平洋戦争の開戦である。もちろん、私自身は戦争が終わってからこの世に生を受けた「戦争を知らない子どもたち」の1人だったのだが、歴史を学んだ中で、なぜ戦争をしなければならなかったのか、ということをどうしても考えざるを得ない。

ハル・ノート、資源の確保など、確かに開戦の決断を導いた背景・要因には様々なものがあっただろう。それでも、彼我の国力を冷静に分析し、きちんと別の「外交」を展開すれば、また別の判断があったのではないかという思いはある。

ただ、別の決断の結果として、大日本帝国の体制が続いていた場合に、日本人が幸福であったか…という点は何とも言いがたい。なぜなら、日本の社会は今とは異なる姿になっていただろうからである。今の日本は、必ずしも国民1人ひとりの幸福のために政治が行われているとは必ずしも思えないが、それでも崇高で輝かしい平和主義の憲法の存在は、日本人として誇らしいものである。

この日本国憲法も、ある意味では多くの国民の命を犠牲にして成立したものである。別の12月8日を再び迎える事がないように、憲法を守る努力は積み重ねたいと思う。

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2007年12月 6日 (木)

またまた、詩が書けない…

詩を書くのは、シンドイけれどもけっこう楽しい。意識を集中して言葉とイメージを吟味していく作業は、何ともいえない緊張感とおもしろさに満ちている。しかし、そうした創作の世界で遊ぶためには意識を日常とは違う深いレベルで集中させ、心の中に眠っているイメージを引き出そうとする際には日常的な忙しさや意識は返って邪魔になる事も少なくない。だから、忙しい日が続くと、なかなか詩はかけないのである。

その意味においては、詩がなかなか書けずあきらめかけたこの夏の状況とあまりかわりが無い。最初のフレーズが出てくると、突然イメージが広がり始める。だが、その最初のフレーズが出るまでの道のりは長いことも少なくない。パソコンや原稿用紙の前に座り、ただ、時間だけが過ぎていくのである。

それでも、時間・場所を確保して集中していくと、思いがけないような言葉やイメージが浮かんでくることもある。まずは、物理的にまとまった時間を確保して、集中して取り組むことが大切だとは思うのだが……。

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2007年12月 5日 (水)

新しいケイタイ

先月下旬にケイタイの機種変更をした。その時に、離婚した妻の使っていた3年ほど前の機種を持っていった。アドレスなどのデータをそちらに入れ替えてもらう方が安く済むだろうと考えたのである。ところが、話を聞いてみると、新しい機種に替えた方が安いという。驚いた話である。

だが、変える前のケイタイはすでに7年以上使っていた。別にそれで支障がなかったのだが、さすがに外装のあちこちが痛んでいたのと、バッテリーが弱ってきた感触があったので変える気になったのである。

機種変更をする際にはデータを移す作業等に手数料が必要であり、新しい機種であろうとなかろうと通常はそれが必要らしいのだが、元のケイタイをあまりにも長く使っていたためにそれが不要となったらしい。何しろ、アドレスのデータは辛うじて移せたが、画像や音楽は移せなかった。何といっても、カメラすら付いていない古い機種である。もしかしたら……という予感はあった。予感は当たっていたのである。

結局、新しいものを求めるあまり古いものを捨てていく、そういう社会だから古い機種に対応するサービスを維持するのは効率が悪くて不経済なので、新しい機種に変更する方が安くなる……なんてことも起こるのだろう。それは、確かに便利ではあるが、どこかしら納得できない部分がある。本当に、こんな社会で良いのだろうか。

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2007年12月 4日 (火)

ねじれ国会は問題?

国会は、国権の最高機関であると共に唯一の立法機関であると憲法に規定されているが、最近「ねじれ国会」という言葉が新聞やテレビを賑わしている。だが、問題なのは小泉政権から安倍政権にかけての議論を圧殺した暴走国会の方なのではないだろうか。現に、ねじれ国会であるがゆえに、様々な議論をきちんと積み重ねなければ先へは進まない。

だいたい、年金問題にしても国会での議論の中でかなり問題点があぶりだされてきたにも拘らず、修正することなしに「多数決」によって議論を拒否して問題の多い法案を成立させてしまったのは小泉内閣である。そのツケが、現在の年金問題になったのではないか。その意味においては強行採決を連発した安倍政権の罪は重い。強行採決をした法案はすべて議論をしなおす必要があるかも知れない。

国会の意味と役割を考えれば、徹底的に議論を重ね、問題点を修正した上で、その時点において最善の法律を作ることが大切である。だから、衆参両院で議決が分かれた場合は、両院協議会を開いて「修正案」を作成し、国民の幸福の増進と国の将来のためによりbetterな法律を作成するのが本来の国会の姿だろう。

そうした点を考えれば、ねじれ国会は問題ではない。修正案を作れないことこそが問題なのである。国会は、話し合いの場であると同時に、党派や一部の人々の利益のためではなく、すべての国民のためになる最高機関としての責任を持っている筈である。衆参の議決が異なることは、問題点を明らかにして議論を深めるチャンスである。国権の最高機関として、その辺りを再確認した上で、慎重に議論を進め、どんどん「修正案」を可決していってもらいたいものである。

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