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2007年12月14日 (金)

忠臣蔵…討ち入りの日に

12月14日という日付は、忠臣蔵の赤穂浪士討ち入りの日である。もっとも、深夜から未明の事だし、当時は太陰暦を使っていたので、厳密に言えば来年の1月22日未明が討ち入りの日(旧暦12月15日)…ということになるようだが。

この話を初めて知ったのはひょんなことから三船敏郎主演の「大忠臣蔵」見てからだった。浅野と吉良の対立の原因を藩の特産物としての塩の製法の問題ということで設定したリアルさや三船敏郎をはじめとする俳優たちの熱演に魅了され、以後、眠いのをガマンして毎週10時まで寝ないで見ていたのを覚えている。その後、いくつかの忠臣蔵のドラマや映画を見たが、個人的には大石内蔵助を三船敏郎が演じた「大忠臣蔵」が一番好きである。今、ちょうどテレビ愛知でお昼の時間にこの「大忠臣蔵」を放映しているが、見る時間がないのがとても残念である。

さて、忠臣蔵というのは元禄時代に起きた「赤穂事件」を題材にして作られた物語だが、早くから浄瑠璃や歌舞伎で上映され、何度も何度も映画化やドラマ化されている大ヒット作品である。物語の上では浅野家側が善、吉良家側が悪という事になるが、史実として検証すると必ずしもそうとは言えないところもある。吉良上野介は、地元では善政をしいた名君だったようだし、また武断政治から文治政治への転換期という元禄時代の状況を考えれば、浅野家側はそうした空気を読めなかった時代おくれの連中…という評価もあり得る。しかし、赤穂浪士の行動が、当時の人々の琴線に触れたからこそ「仮名手本忠臣蔵」が書かれ、人々の圧倒的な支持を受けて現代に至っているのだろう。

今日は、久しぶりに泡盛でも飲みながら、『大忠臣蔵』を読み直してみよう。

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コメント

久々にお邪魔致します(^^ゞ
そう言えば赤穂浪士討ち入りの日ですね。
忠臣蔵の討ち入りに至るまでの経緯には諸説があるようですが、どうやらTACさんが仰いますように吉良上野介は良君で地元の民からの信頼も厚かったようですね。ということは浅野内匠頭は単に辛抱の足りない我儘殿様ということで、その汚名を後世に残すことに我慢ならなかった浪士の愚行が忠臣蔵ということになってしまいますね。
なにはともあれ、歴史の実際と娯楽物語とは必ずしも一致する必要はないのかもしれません。

投稿: うるとらの音 | 2007年12月14日 (金) 22時39分

三国志と三国志演義の例もありますから、面白ければいい演劇や小説と史実はまた別物ですね。ただ、赤穂浪士の行動自体は、日本的な朱子学からすれば必ずしも愚行とはいえないだろうし、あまり日をおかず仮名手本忠臣蔵が書かれ、大ヒットしたことを考えれば人々の支持もあったということになるでしょう。刃傷事件の原因は、歴史的にはまだまだ藪の中ですけどね。だから、創作意欲もそそられ、新たな忠臣蔵が次々生まれるのでしょう。

投稿: TAC | 2007年12月15日 (土) 13時05分

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