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2008年1月31日 (木)

もう1つのblogも…

このブログを始めたのが2006年6月だが、もう1つのブログ【TAC文芸樹】を始めたのは2007年2月。最初の作品「もっちゃんのタクシー/第一話」のupがもたついて日が変わってしまったので2月4日の日付の作品が2つになったが、いずれにしてもそろそろ1年となり、明日の作品で365番目となる。その区切りに、ちょうど8月から毎日連載を続けていた小説が終わる。別に意図してそうした訳ではなかったのだが、意外なことと感慨深い。

この【TAC雑想記】の方は、社会時評やエッセイ、雑文などを書いているのだが【TAC文芸樹】の方は、童話や小説、詩などをupしている。もともとは小説や童話にこだわりがあって、長年文学をやってきて、同人誌の編集などもしているのだが、読み手の評価は、エッセイや評論の方が高い。それでも、好きな小説や童話を書きたくて、文学を続けてきたので、別のブログを作ったのである。

ただ、この1年は忙しく、雑想記の方の毎日更新は途絶えてしまったが、文芸樹の方は、何とか毎日更新が続いている。今回の小説の後についてはまだ思案中だが、詩や作詞などもはさみながら可能な限り毎日更新は続けたいと思っている。思っているのだが、忙しさの中で、なかなか集中して小説や童話を書く時間が取れない。辛いところである。ストレスもたまっているので、1週間ぐらい仕事を放り出して、小説だけを書いていたいと思うときがある。けれども、なかなかそうはいかない。

新しい年を迎える毎にどんどん忙しくなっているように感じるのは気のせいだろうか。それとも、それだけ歳をとったということなのだろうか。何とか、小説を書ける程度に集中できるまとまった時間を確保したいと思うのだが……。

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2008年1月30日 (水)

タンタン麺でも食べに

寒い日が続いていたので、気がつくと時間が遅くなり、出て行き損ねる…という夜が続いていたが、今日はいくらか温かいので、久しぶりにタンタン麺が食べたくなった。行くのはもちろん、市内の豚珍県。大将はちょっと変わった男だが、味は間違いがない。出来上がったタンタン麺の豊かなゴマの香りと強烈な辛さ、そしてしっかりとした麺が美味しい。

子どもの頃は、あまり辛いものは好きではなかったが、何の因果か、1度、タイ人と結婚した事もあり、強烈な辛さを誇るタイ料理と出会い、慣れ、そして辛いものも好きになっていた。タイ料理となると、さすがに地方都市では簡単には味わいにくいのだが、辛い料理となると中華の四川料理がなかなかの辛さを誇る。

豚珍県の大将も、元々、四川料理のコックなので、辛い…けれども美味しい中華はお手の物である。この時期なので普通のタンタン麺をオーダーするが、夏場などは、汁なしタンタン麺も美味しい。それから、麻婆豆腐。この辛さも、また逸品である。隣の町に住む高校時代の同級生はここの麻婆豆腐が好きで、買って訪ねると、とても待遇が良くなる。辛さは半端ではないが、豆板醤やラー油、豆腐への拘りがこの味を支えている。

最近、忙しさと寒さのために少しご無沙汰だったが、今夜はちょっと出かけていって、美味しいタンタン麺を味わおうと思う。

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2008年1月29日 (火)

ウルトラセブン印象記…700キロを突っ走れ!

ラリーを利用して、新兵器スパイナーを運搬する、謎の敵の執拗な妨害にも関わらず、ダンとアマギは他のウルトラ警備隊の隊員たちのサポートを受けて、その任務を無事に果たす。ところが、その作戦は、おとりで、別のルートで本物は輸送されて無事に実験場に届く。そこへ敵が送り込んだのが恐竜戦車だった。

ウルトラセブンに登場する怪獣たちの中でもユニークなのが、この恐竜戦車である。巨大な戦車の台座に恐竜を乗せ砂塵を巻き上げながら動き回る。目から発射される破壊光線、セブンを苦しめるシッポチョップ台座前方に設置された3門の大砲……。そのパワーと重量感溢れる動きは魅力いっぱいである。

戦争は絶対反対だが、それでも子どもの頃はゼロ戦や隼、雷電や飛燕などの戦闘機と共に戦艦大和や武蔵、長門などの戦艦、そして4号戦車やパンサーなどのプラモデルをよく作っていたものだった。戦闘機や戦艦は日本軍のものが好きだったが、戦車はタイガーをはじめ、4号戦車やエレファント、パンサーなどのドイツ戦車のフォルムに魅力を感じていた。

そうしたドイツ戦車の重量感溢れるイメージに、恐竜戦車のイメージは重なる。セブンとの戦闘でもケガをした作業員を救おうとするセブンを翻弄する恐竜戦車の動きは圧巻である。セブンは片腕を轢かれ、さらにシッポによる打撃を受けて苦しみながら、一瞬の隙をついてスパイナーにビームを発射し、恐竜戦車を破壊する。少年の心をくすぐるストリー展開で楽しませてくれる作品である。

 

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2008年1月28日 (月)

歳の重ね方

しばらく、純粋に休みとなる土日がなく、昨夜はある程度睡眠時間を確保したにも拘らず、どんよりとした疲れが心身に残っているようだ。20代から30代半ば頃までは、一晩寝れば回復したのだが、今はそうもいかない。歳をとったということなのだろう。

若くはないな、と感じるのは、他にも集中力の低下を実感した時や集中が長時間持続しない時などもそうである。体力が衰えれば、精神力もその影響を受けるので、これもまあ、仕方がないことである。

ただ、そのこと自体が悪いと思っているわけではない。歳を重ねる中で身についてきた知恵や経験によって、若い頃には見えなかったものが見えてきたり、感じられなかったものが感じられるようになったことも多いからである。歳をとることで深く味わい、楽しむことができるようになったものも多いのである。

巷ではアンチ・エイジングが流行っているようである。けれども、何を無理に若作りする必要があるのか…という思いもある。落ち着きや品格などは、上手に歳を重ねることによって身についてくるものだし、歳相応の落ち着きや品格を身につけられずに若作りをしてもがいているような姿は、見苦しいばかりでなく、見ていて哀しい。無理をして老け込む必要はないが、自分の年齢を素直に受け入れ、かつそれを楽しみたいと思う。その前提にたっての【年齢不詳】はおもしろいと思う。そういう【アンチ・エイジング】なら大賛成である。

800歳の宇宙人を自称する私だが、誕生日の13月43日も近づいている。もう少しすれば、1つ歳をとることになる。歳をとった分だけ経験や知恵も重なり、若い時のように体力勝負に持ち込まなくても知恵と経験である程度勝負はできるようになった。上手に手を抜けるようになったとも言えるのだが……。それによって節約した時間を、年齢に相応しい形でものごとを深く味わうための時間にしたいと思う。

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2008年1月27日 (日)

砂塵の彼方…弱者は戦争へ

「冬の稲妻」が入っているアリスⅥのアルバムの3曲目に「砂塵の彼方」という歌がある。作詞は谷村新司、作曲は堀内孝雄、学生時代は時々ギターを片手に1人で、あるいはサークルの仲間たちと歌っていた歌である。

 

外人部隊の若い兵士は いつも夕陽に呼びかけていた

故郷に残してきた人に 自分のことは忘れてくれと

不幸を求めるわけじゃないけど 幸福を望んじゃいけない時がある

いつも時代は若者の 夢をこわして流れてゆく

もうすぐ私も死ぬだろう それは祖国のためにではなく

思い出だけを守るために 愛する人を守るために

不幸を求めるわけじゃないけど 幸福を望んじゃいけない時がある

私は明日を信じない 今日がなければ明日も来ない

 

ここに描かれたシーンに、アメリカの貧困に苦しむ若者たちの姿が重なる。《テロとの戦い》でイラクやアフガニスタンの戦場に送られている若い兵士たちは、産業の空洞化によって職がなかったり、教育予算の切捨てのために高騰する学費の返還や大学の卒業のために兵役についたり、国籍や永住権の取得のために兵役についたりするような貧困層がほとんどである。こうした現実は、マイケル・ムーアの映画【華氏911】や堤未果の『ルポ    貧困大国アメリカ』(岩波新書1112)などに詳しく描かれている。

ブッシュ政権の遂行する《テロとの戦い》だが、それを推進し、あるいは積極的に協力しようとする人々は、なぜか危険な戦地には足を運ばない。【華氏911】でも、ブッシュ一族や上院議員の家族が誰一人として軍人として中東の土を踏んでいないという事実がマイケル・ムーアのインタビューによって暴かれていく。それとは逆に、戦地に赴く兵士たちは、国策として削減された福祉予算や医療費・教育予算の削減によって、多額の借金を背負い、生存権を奪われて、戦地へ赴く以外の選択肢を奪われている。

軍需産業や多国籍企業のみが肥え太り、国民が生活を破壊され、未来を奪われていく現実がそこにはある。少し前にアメリカ軍兵士の捕虜や現地人への虐待がニュースになったが、そのような形で痛めつけられ自ら人権侵害を受けた人々が、さらに弱い立場の人々を虐待し人権を侵害する行動に走ってしまう…という例は、歴史を紐解けば、今までも世界各地で何度も繰り返されたものである。

それを考えれば、経済格差の放置は自国のみならず世界全体を破壊し不幸の種を撒き散らすことに直結していることが分かる。「民営化」という名の下に削ったり売り渡したりしてはいけないものがある…と、堤未果は警告する。小泉改革、安倍政権そして福田政権と進めてきた「改革」の成果が弱者の切捨て、セーフティー・ネットの縮小、そして格差の拡大という形で「実」を結んだ現実が日本にもある。この流れを放置した時、日本も、国民のためではなく企業の利益のために戦争をする国、社会的弱者が生存権を奪われて戦争に追い込まれていく国になってしまう。

日本を、若者の夢を壊して、一部のものだけが肥え太る国にしてしまってはいけない。

 

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2008年1月26日 (土)

古い友人との会話

津の帰りに、久しぶりに伊勢在住の友人との会話を楽しんだ。小学校からの長い付き合いで、高校は群制度だったために別々になってしまったが、それでも共に伊勢に下宿していたこともあり、今でも最も仲の良い男である。いつもの店で、向こうは焼酎のお湯割りを飲んでいたが車で帰宅しなければならないこちらは、残念ながら紅茶だった。

さて、今日の会話だが、ガソリン高の話から石油の方へと話題が移った。石油資源自体は、あとどれくらい持つのか。50年、いや中国などの状況を考えればあと数十年だろうか。そして石油が枯渇する寸前に戦争が起こるのではないか、というのである。

確かに、そうなる可能性はある。だからこそ、ヨーロッパは代替エネルギーの開発に力を注ごうとしているのだろう。それに対し、アメリカの動きは鈍い。自国領に石油資源が豊富にあることから、その辺りを甘く見ているのだろうか。そして、日本は……。欧米に比較しても非常に資源の乏しい日本の現実を考えれば、潮力発電や地熱発電、風力発電、太陽光発電などの研究は、本来、ヨーロッパ以上に熱心でなければならない筈である。だが、そうした面でも無批判にアメリカに追従するばかりで未来の方向性が見えてこない。それを語るのが政治の大切な役割の一つだと思うのだが、未来のビジョンを考え、語ることすらできないのが日本の政治の現実である。情けない限りだ。

他にも原子力や核融合の話などもしたが、こういう話をするのは珍しい。日常は、なかなか安心して様々な会話を話せるような相手は少ないし、そんな機会すら無い場合もある。それでも、たまにはこんな会話も良いものだ、と思った。もっとも、こんな会話をするには、それなりの知識も必要になる。改めて、頭の引き出しをひっくり返して整理しなおす機会にもなった。やはり、友人と話す時間は楽しい。

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2008年1月25日 (金)

社会保険庁の「自己責任」は?

「ねんきん特別便」がさらに見直しだという。多くの時間と経費を使って、まだこんな体たらくである。混乱の責任は、すべて社会保険庁の杜撰な仕事にある。したがって、社会保険庁がきちんと責任をとる必要がある。それこそ、バブル崩壊以降、政府・与党が国民に対して言い続けた「自己責任」ということである。

まず、現在までの経費についてだが、どこの新聞・テレビも何故か指摘していないのだが、いったいどこから出ているのだろうか。「自己責任」ということから考えれば、これだけのミスをやらかし、しかもそれを放置・隠蔽しようとした現在に至るまでの社会保険庁職員およびそのOBの責任だから、費用負担はすべて社会保険庁職員とOBで持つのが筋である。当然、莫大な費用がかかっているわけだか、退職金や給料をはたいて、それを補填すべきだろう。ただし、社会保険庁の職員にも「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利は日本国憲法で保障されているので、生活保護水準の給与は受け取っても良いと思われるが。

もちろん、社会保険庁のみならず、政府・与党にもその責任はあるというように社会保険庁が主張するならば、政府・与党議員が生活保護水準の給与を残して補填に加わるのは悪いことではないと思う。それこそ、自らが主張し続けた「自己責任」ということである。まさか、国民のみに「自己責任」を押し付け、自らは責任逃れを続けるというような言行不一致は、言霊を重んじる日本の伝統と矛盾する。愛国心を口にしてはばからない人々だから、まさか日本の伝統を自ら踏みにじるような行いはしないだろう。

岐阜県庁の裏金問題では、職員がその全額を返済した。地方公務員でもそれだけのことをしているのだから、国家公務員がそれをできないはずがない。ただ、それを一度に短期間で行うのは難しいから、見直し作業への税金の投入は、多分、一時の肩代わりと言うことなのだろう。

ところで、マスコミが、こうした年金の見直し作業に使う財源について言及している話を寡聞にして聞かないのだが、これは、最近、仕事などで忙しくて朝晩のTVニュースや朝刊の斜め読みのために見落とし・聞き落としがあるためなのだろうか。

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2008年1月24日 (木)

寒い夜は

ここ数日、寒い夜が続いている。こんな時は、こたつに入ってホット・ウィスキーでも飲みながら、ぼんやりとビデオを見ていたいところだが、最近は忙しくて、あまりそういった時間的余裕が無い。昨日なども、こたつで仕事をしていて、十分には睡眠がとれなかった。

今日は、少し仕事も一段落というところだが、もちろん、やる必要のあることはそれなりにある。ただ、この数日の疲れで、やっても能率も上がらないだろうし、早めに風呂に入って寝た方が良さそうだ…ということで手を着けていないだけなのだ。あまり褒められたものではないが、昔のように若くはないし、無理をして体調を崩してしまっては元も子もないので、体を休めるのを優先にしようというところである。

そんな訳で、今日もウィスキーや泡盛を飲む元気もなく寝る事になりそうである。それでも、ある程度体を休めないと、心のゆとりも失われてしまう。心のゆとりを維持するために、今日は大人しく寝るとしよう。

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2008年1月23日 (水)

ガソリン税廃止の効用

政府・与党は無能にもガソリン税のさらに10年の延長を画策している。バカ高いガソリンを放置することの経済的損失や財政的なマイナスにはまったく頭が回らないようである。安倍政権もそうだったが、それに続く福田政権も、経済オンチという面では変わりが無いようだ。

まず、このガソリン価格の高騰によって流通業界は大きな負担を強いられ続けている。そればかりではない。輸送のコストが跳ね上がっているために、結局は様々な商品の製造費用のコストが上昇する圧力にもなっている。さらに、家計においても通勤のコストが高くなることから負担が増えているし、それは観光業などにも悪影響を与えている。

だから、逆に言えば、ガソリン税を撤廃することによって、それらのコストがおよそ6分の1ほど削減可能となる。それによって製造コストが下がり、家計にも余裕が生まれる。当然、それは内需拡大にもつながるから、企業の業績はそれなりに好転するところも出てくるだろう。それは、取りも直さず、所得税や法人税の増加にもつながってくる。

そうした点からすれば、ガソリン税の撤廃が、その分の完全な税収の悪化にはつながらないのである。逆に、日本経済、特に内需に与える効果を考えれば、経済の状態がそれ程良くない時に経済効果に疑問の残るような道路を無理して整備を急ぐ必要はない。それよりも、株価の低迷による外需の陰りが心配される状況において、明らかに内需を拡大できる選択肢を封印しようとするのは、失政どころか国を傾ける選択だろう。

損して得をとる、そういう発想がより大きな利益につながっていく。ガソリン税の問題も、刻々と状況の変化する経済情勢の中で、10年もの延長を画策するなど、信じられない愚行である。それほど長くガソリン高を容認してしまえば、流通・製造業への負担は、限界を超える恐れが出てくる。それとも、目先の利権に目が眩んで、そんなことすらも考えられないほど愚かになってしまったのだろうか。

政府・与党への不信は今に始まったことではないにしろ、この愚かな選択によってより深いものとなった。だが、それだけではない。一介の市民が考えられることを、なぜ、マスコミが考えられないのかが理解できない。ガソリン税の廃止によって得られる経済的効果は、丁寧に議論して、主張すべき重要な問題である。そして、マスコミには権力の監視という重要な責務がある以上、政府・与党や野党の主張を垂れ流すだけであってはならない。日本のマスコミも、その真価が問われているのである。

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2008年1月21日 (月)

小さな質問…君の言う枯葉どこにあるの?

アグネス・チャンの昔の歌に「小さな質問」というステキな歌がある。もう25年以上も前の「小さな質問」というアルバムの冒頭を飾っていた歌で彼女自身の作詞・作曲だったような記憶がある。しっとりとした良い歌で、この「木」のような人間になりたい、と初めて聞いたときにしみじみ思ったものだった。

心の中に鍵かけては生きていけませんね 

自分がみても素敵な娘になるのが大切な事

ヒュルヒュルルール風に舞う1枚の枯葉のように 

あてもなく回り続けたそんな悲しい若い日

大きな木にぶつかってポトンと座りこんだ

見上げれば優しい顔 言葉より胸に響いた

傷つけられたと言いながら自分で直せなくて

もどかしいから不器用だと逃げて走り続けた

ヒュルヒュルルールいつだって正しいと言いたかった

けれどもそれは無理だね自分で気づいたくせに

大きな木に聞いてみる小さな枯葉の未来

答える前に1つ聞こう 君の言う枯葉どこにあるの

君の言う枯葉どこにあるの

 

人は時として、自信をなくし、悩み、迷い、自分が取るに足らない、価値の無い小さな存在だと感じてしまう事がある。そして、自分が、ここにいても良いのか、生きていてもいいのかと考えてしまう。そんな時に、ただ、側にいて冷えきった心を温めてくれる、そんな存在があれば救われる。「小さな枯葉に未来はないでしょ?(私はその小さな枯葉のようなものなの)」…「君の言う枯葉どこにあるの(君は枯葉じゃないよ)」そんな風に応えられる大人になりたいと思った。もう四半世紀ほど前のことだから、昔むかしの話である。

さて、それなりの年月を重ねて、今ここにいるわけだが、自分は「大きな木」になれただろうか。それとも、また「小さな枯葉」のように木枯しにまかれてフラフラと漂っているのだろうか。たまには、木の真似事が出来ることもあるかもしれないが、まだまだ「大きな木」には程遠いような気がする。それでも、さらに年齢を積み重ねて「大きな木」になりたいものである。

 

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2008年1月20日 (日)

法治国家か否か…新テロ特措法

新聞報道によると、まともに両院協議会も開かずに再議決した新テロ特措法に関わって、アメリカ政府が使い道の明文化を拒否するとの連絡があったらしい。(08,1/20中日新聞)つまり、日本側の法律の要件を満たせない…ということなのだ。せっかく、議論を封じ、憲法を捻じ曲げた末に成立させた、というのに、である。

法律は、国民だけでなく、政府をも縛るものである。したがって、この事実は、日本が法治国家であるか否かを、現政権/政府与党につきつけていることになる。もし、政府与党がアメリカの要求を認め、結果として転用防止のチェックができないにも関わらず給油活動をするのであれば、政府与党自らが、自ら決めた法律を破ることになる。行動によって、政権・政府が自ら法治国家であることを拒否することになるのである。

まともに問題点の議論もせずに、遮二無二「給油再会」を目指した結果がこれである。いいかげんに見苦しく政権にしがみつくのをあきらめて衆議院を解散してはどうだろうか。そして、きちんと民意を問うことで、選挙に勝てば、政権の正当性は確保できる。最新の国政選挙によって民意を反映した参議院の議決を無視した再議決によって、与党は、民主政治をほぼ放棄した。これで法治国家であることを放棄してしまえば、近代国家ではなくなってしまう。日本の法律そのものが信頼できなくなるからである。その際の内外の混乱や損失は計り知れないだろう。加えて、自民党そのものも再建が著しく困難となる。そんなことすら理解できない政府・与党だとは思いたくないのだが…。

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2008年1月19日 (土)

今宵はアイラで

今日明日と津で用があるため、駅前でいつものように1泊することにした。当然、いつものJoe's Barに顔を出す。お目当てはもちろんウィスキーである。ただ、今夜は、ホテルに戻ってしなければならない仕事を持ち込んでいるので、ゆったりと時間をとって楽しむ余裕はない。マスターもマッカランの美味しいのを薦めてくれたのだが、ボトルを見てみると53%。もちろん、スプリングバンクなどを飲んでいるので、それ自体が苦痛なわけではないし、度数に関係なく美味しいモルトは美味しいし、すっと入ってくる。けれども、今日は持ち込んでいる仕事のことも考えて自重した。それでも、マスターは味見をさせてくれた。

確かに度数の割にはまろやかで、すっと入ってくるし味わいも深い。ただ少しまろやかさが勝っている感じで、好みとしてはもう少し荒々しい癖があっても良いかも知れないと思った。時間の余裕がある時に、ゆったりと楽しみたい味であった。

ただ、持ち込んでいる仕事を無視するわけにもいかない。そんな訳で今夜は、度数の高いものは自重した。そこで、まずはラフロイグ10年。度数は43のアイラ・モルトである。適度な癖は、シングル・モルト好きにはちょうど良い。口に含んで香りを楽しみながら、ゆっくりと味わう。好みのサッカーチームの試合を楽しみながら味わいたいような雰囲気があり、ストライカーのモルトという感じか。

続いてのチョイスは、ボウモアの12年。アイラ・モルトの個性を生かしながらも割りと上品にまとめられた味わいは、ジャス・ピアニストの風情だろうか。橋本一子でも聞きながら、一口一口を楽しみたいところである。ひととき、仕事を忘れてアイラ・モルトのワールドでの散歩を楽しむ。この心地良さを堪能できるささやかな幸せがここにある。

もう1杯…という悪魔の囁きも心をよぎったが、この一週間の疲れや、ホテルに持ってきている仕事のことも考えて、さすがにそれは自重した。それでも、ささやかな幸せを感じたひとときであった。

 

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2008年1月18日 (金)

こたつでひとねむり

いろいろと忙しい一週間だった。週末を迎え、つくづくそう思ったのは、けっこう疲れがたまっているという意識があるからだ。加えて、昨夜は少し睡眠不足気味だったので、Eメールのチェックと送付を終わった後、コタツでのうたた寝を決め込んだ。だが、30分ほどウトウトしていたと思ったら、携帯電話の着信音に起こされてしまった。まあ、最初からうたた寝のつもりだったし、それゆえ、あまり長時間になっても風邪をひきかねないので、ちょうど良いというところか。

それでも、目の疲れは多少楽にはなったので、こうしてblogの記事を書くことにした。政治や経済のニュースはあまり心表れるようなものはないし、忙しいせいで好きな映画からも遠ざかっている。読書も、このところぶつ切りになる時間のせいで小説をあえて封印し、新書が多い。それでも、何冊かは面白い本に出会えたので、そんなに悪い一週間でもなかったようである。

ただ、来週からも多忙な日々が続く予定である。特にほとんど土日に何らかの予定が入っているので心身の疲れが気になるところである。1日でいいから24時間何も考えずに好きなことができる「休日」が欲しい。できれば、数日、ゆったりと温泉にでも入ってゆっくりしたい。そう思うのだが、1,2月は夢でしかない。困ったものである。

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2008年1月17日 (木)

新造人間キャシャーン

タツノコ・プロのアニメ「ヤッターマン」がリニューアルされ、放映が始まったが、「宇宙エース」「マッハGoGoGo」「紅三四郎」「ガッチャマン」「タイムボカン」など数あるタツノコ・プロのアニメの中でも特に好きだったのが「新造人間キャシャーン」である。オープニングの主題歌の冒頭で次のような台詞が流れる。

たった一つの命を捨てて 生まれ変わった不死身の体 

鉄の悪魔をたたいて砕く キャシャーンがやらねば誰がやる

父の東博士が作った優秀なロボットが落雷のショックで狂い、ブライキングボスと名乗ってアンドロ軍団を組織し、地球の征服に乗り出す。その暴挙を阻止するために東博士の息子鉄也は二度と人間には戻れないことを知りながらも新造人間となってアンドロ軍団に戦いを挑む。必殺技は電光パンチと流星キック、そして頭部のソーラメットから発射する超破壊光線。そしてキャシャーンと共に、愛犬のボスを機械の体に移したフレンダーと、ロボットのみを破壊するMF銃を持った幼馴染のルナがアンドロ軍団と闘う。

子どもの頃に熱中したオリジナルのTVシリーズは白いボディに黒いラインの入ったシンプルかつ精悍なデザインのカッコよさにひかれた。また、スピーディーな空手アクションと孤独の影を宿すヒーロー像にも心奪われ、都合で毎回見ることが出来たわけではなかったが、TVの前に座ると、いつも胸を躍らせて見ていた。

後に、オリジナル・アニメ・シリーズとして4話くらいでリニューアルされ、小説もでた。また、近年、実写の形で映画化され、その小説も出ている。ただ、オリジナル・アニメの方の小説版は、地球の環境を守る目的で作られたブライキングボスが、人類を環境破壊の元凶として滅ぼそうとする形になっている。なかなか、胸にグサリとくる設定である。

さて、オリジナルのTVシリーズだが、最初は「人間」のヒーローとして戦っていたキャシャーンだったが、人間を捨てて機械の体になったことを知られて人々の信頼を失い孤立するようなシーンも出てくる。また、ブライキングボスに捕えられている東博士が、キャシャーンを凌駕するロボットを作らされ、こっそり作った弱点をキャシャーンに知らせるために苦心する場面もある。それでも、最後では、様々な苦難を乗り越えた末にキャシャーンはブライキングボスとの死闘を演じ、とうとう超破壊光線でブライキングボスを倒す。

人々は、アンドロ軍団から解放され、復興へと向かう。喜びと希望に満ちて。だが、二度と人間に戻れないキャシャーンは……。その余韻の残るラストが胸を打ち、未だに忘れることのできない作品となっている。

 

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2008年1月16日 (水)

反民主主義 ! 福田政権

リンカーン大統領は、有名なゲティスバーグの演説で民主政治を「人民の人民による人民のための政治」と定義した。また、日本国憲法前文には「…国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある。したがって、選挙の洗礼を受けていない衆議院が、選挙の洗礼を受けた後の参議院の議決を無視して、両院協議会もまともに行わずに衆議院で再可決するなど、そうした民主主義・民主政治・日本国憲法の精神を踏みにじる行為である。

だが、新テロ特措法で反民主主義の道への歩みをさらに進めた福田政権は、安倍政権での強行採決連発と同じ様に、違憲の衆院再議決を連発するのではないかと危惧する。小泉政権以降、ずっと一般国民の痛みに目をつぶり、大企業とアメリカ・ブッシュ政権の利益を守る政治を推し進めてきた自公連立政権は、今度は、ガソリン税の長期延長をもくろみ、高価なガソリンによって苦しむ国民の声には耳を貸さずに、恥も外聞もなく道路利権を守ろうとしているらしい。

野党の声や世論調査に目を向けず、耳を貸さないのは、あるいは、自らの行為が、国民の声や国民の利益に背を向けるものだと自覚しているからだろうか。だからこそ、野党との論戦も回避し、民意を問う選挙も可能な限り引き伸ばして、民意とねじれた衆議院の力を悪用しているのかも知れない。話し合えばボロがでる。だからこそ、耳を貸さず話し合いを回避して進めようとしているのだろう。つまり、問答無用という姿勢である。

ただ、以前の記事にも何度か書いたように、この「問答無用」の姿勢は、マイノリティの怒りと恨みを増幅させ、テロを育む土壌となる。大切なのは話し合いの精神であり、マイノリティの苦難を可能な限り減少させて歩み寄ることなのだが、その道が閉ざされてしまえば行動しかない。それが破壊行動となったとしても、その責任の大きな部分は「問答無用」の姿勢を続ける側にあるということになる。そうした点から見れば、人権の侵害、特にマイノリティに対する対話拒否と人権侵害は「テロをしてください」と挑発するのに等しい。

その意味では、ブッシュ政権はイスラム世界との対話を怠り、マイノリティの苦難から目を背け、その声に耳を塞ぎ続けた。「対テロ戦争」が拡大し、死傷者・犠牲者が増え続けるのは、その結果だとも言える。そして、福田/自公連立政権も、同じ様に反民主主義の道を進んでいこうとしている。残念ながら、いつ「テロ」が起きても不思議ではない……と思わざるを得ない。福田/自公政権は自業自得だが、その過程で、必ず一般の被害者が出る。だからこそ、そうならないための対話が必要となる。

対話は、民主主義の基本であり、憲法の規定からしても、国民の声を聞かない政権に国民の代表者としての資格はない。それを自覚するだけの羞恥心があれば、当然、早期に衆議院を解散するべきだろうが、解散を回避しようとする動きを見れば、現政権にはそれすらないことが理解できる。これ以上、国民に痛みを押し付け続けて、この国は持つのだろうか? 国を愛していれば、胸の痛む話である。

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2008年1月15日 (火)

自分流・ストレスとの付き合い

年末に、エンカウンター・グループの合宿に参加した。カウンセリング関係の実習の1つで、何人かが長時間にわたっていろいろと話をする中で、自分を見つめなおそうというものである。その中で、小説や童話を書いていないことが、思っていた以上に自分のストレスになっていることに気付いた。

きちんと童話や小説を書こうとすれば、かなりの深さで集中し、自分との対話をしていかなければそれなりに納得できるものができない。けれども、それだけ集中するためには、それなりにまとまった時間が必要となる。ところが、そのまとまった時間がなかなか取れないのである。

だから、作詞や詩を書いてお茶を濁していた。もちろん、詩や作詞でも、それなりのレベルの集中は必要なのだが、それでも、小説や童話を書いていた時ほどではない。まとまって数日とか1週間とかの時間が取れなかったので、1日に数時間取れれば何とかなる場合もある詩や作詞、エッセイなどで多少のバランスをとっていたのである。

ところが、昨年の夏と秋の詩の締切では本当に苦労した。もしかすると、それも1つのサインだったのかもしれない。だが、何やかやと忙しさに追われ、そのサインに気付かない振りをしていたのである。だが、気付き、意識化いてしまった以上何とか工夫する必要がある。ただ、仕事やいろいろな場での立場上、今の時点で忙しさを極端に減らすことは難しい。それでも、心と身体のために、何とか工夫しなければと思っている。

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2008年1月14日 (月)

ポインター…U警備隊の超メカ

ウルトラセブンでウルトラ警備隊の隊員が乗っていた自動車、それがポインターである。ウルトラ警備隊の乗り物と言えば、まずウルトラホーク、そしてマグマライザーなどが思い浮かぶ。だが、シークレット・ハイウェイを疾走するポインターの姿はとてもカッコよかった。最初のTVシリーズでの話である。

その後、ウルトラセブンは「太陽エネルギー作戦」や「地球星人の大地」などのTV特番やカザモリ隊員の変身する3部作、1999シリーズ、evolutionシリーズが製作されるが、ホーク1号やホーク3号がかつての勇姿を再び見せてくれたのに対し、ポインターは名前が残っているだけで、普通の乗用車になってしまった。

最初のTVシリーズでのポインターと言えば、レーザーやミサイルを敵に発射したり、水上を移動したりする優秀な車両で、まさにウルトラ警備隊の超メカの1つという印象だった。けれども、後のシリーズでは、設定として通常のものよりも改造されているという形であっても、敵を攻撃したり水上を移動したりというシーンはなく、一般の乗用車と一線を画する超メカという印象はなくなってしまった。まあ、ホーク1号やホーク3号も登場することだし長期のテレビシリーズでもなかったので仕方がない部分もあったのだろうが、ちょっと残念な感じである。

だから、ポインターと言えば、ウルトラセブンでは最初のTVシリーズでの印象を大事にしたい。合体・分離するホーク1号や3号、宇宙へ飛び立つホーク2号、地底戦車マグマライザーなど、ウルトラ警備隊のメカのデザインは直線や平面を基本にしたスッキリとしたデザインになっていてそれゆえにスピード感も感じられた。最初のTVシリーズにおけるポインターも、その枠内にあり、科学特捜隊やMAT、TACの乗用車と比較しても非常に未来的なデザインだったように思う。あのポインターも、1度は乗ってみたい車である。

 

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2008年1月13日 (日)

グレンフィディックの味わい

この連休は、久しぶりにグレンフィディックを飲んだ。スペイサイド・モルトのグレンフィディックは、この10年ほどの間では、もっともよく飲んでいるウィスキーであると同時に、もっともよく飲んでいるお酒でもある。そのグレンフィディックを12月はまったく飲んでいなかったのだから、ストレスがたまるのも分かる。

去年、最後にグレンフィディックを飲んだのが11月の22日。数えてみると1ヵ月半ほどグレンフィディックから遠ざかっていたことになる。もちろん、ウィスキー自体は12月にも1月にも飲んでいたのだが、1月半ぶりのグレンフィディックの味わいはまた格別であった。五臓六腑に染み渡るという言葉があるが、最初に一口含んだ時の味わいは、その言葉を実感した。

グレンフィディックは、スコットランドのスペイ川の周辺で作られているシングル・モルトだが、その豊かな香りと口の中に広がる味は温かな包容力と押し付けがましくない個性が感じられる。通常はロックで楽しむが、グラスを軽く回して少し氷が解け始めた時にほのかな甘味が感じられる。あまり、ウィスキーが強くない人には「水割りにすると甘味が出るから」と言って水割りをすすめたりもするが、自分が飲むときにはやはりロックかストレートが良い。もちろん、身体のため、そして1口1口を丁寧に味わうためにはチェイサーが必需品である。行きつけの店は、何も言わなくても用意してくれるので安心してグレンフィディックを楽しむ。だいたい、3,4杯、多くても5,6杯が味わいを楽しみつつ飲める量だろう。

仕事や原稿などの予定はつまっていても、さすがに連休ともなればグレンフィディックを楽しむ時間くらいは作れる。さすがに久しぶりだったこともあり、3杯ではすまなかったが、グレンフィディックを前にして数時間、楽しい時間を過ごすことが出来た。次の土日も予定は詰まっているが、できれば少し、ウィスキーを楽しむ時間は作りたいと思っている。

 

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2008年1月12日 (土)

強行採決と再可決

11日に衆議院での再可決によって新テロ特措法が成立した。安倍政権における強行採決の乱発と同じ反民主主義・憲法無視の独裁・売国政治をさらに推し進めようという事らしい。あまりにも不快だったので、記念の500回目の記事にはしたくなかったから昨日は書かなかったのだが、1日たっても不快感は変わらない。

衆議院と参議院が異なる議決をした時に開かれると憲法でも規定のある両院協議会はいつ開かれたのか。手続きそのものが違憲であるし、国民の間でも賛成よりも反対や疑問の声の多い内容になぜ審議も尽くさずに再可決しなければならないのか。自由民主党とは名ばかりの羊頭狗肉政党であり、非自由反民主党…がその実体であることを行動で示している。独裁国家北朝鮮や議論を拒否しているテロリストとまったく同じであり、民主政治に対するテロ政党が「新テロ特措法」を成立させるという話は、ギャグにしても寒すぎる。米ブッシュ政権に祖国を売り渡して恥じない売国・ファシズム政権の実体を自ら証明してしまう行動である。

だが、ある意味では、きちんと説明できないし矛盾だらけである事を政府・与党が熟知していて議論すれば簡単に化けの皮がはがれ、一層、国民に不利益を押し付ける事が分かっているからこそ、憲法に反するような手順で再可決に逃げ込んだのだろう。再可決を許してしまった野党も情けないが、死に体に近いブッシュ政権に何の戦略もなく尻尾を振り続ける自公連立政権には愛国心と言うものがないのだろう。学校よりも、自民党と公明党の議員にこそ愛国心を培う研修や教育が必要である。非常に情けなく、また国民として恥ずかしい事だが……。

それにしても、国民の信任を得ていない衆議院での開き直りと横暴をどこまで続ければ気が済むのだろうか。引き際をわきまえない行動は日本の伝統的な美意識にも反するし、未来を不幸にする。それを追求できないマスコミの問題も大きいが、志も戦略もない酷い政府になったものである。

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2008年1月11日 (金)

再び「海の時間」…恋人と眠りたい夜

冬の雨の夜、コタツに入っていてもどこか寒いように感じられる。それでも、愛する人と一緒に過ごせば、その時間は永遠にもにた豊かさを持つ。谷山浩子の高い声とピアノの音に抱かれて、「海の時間」を漂いたい。

 

ずっときみとこうしたかった 寒い夜にベッドの中で

頬と頬をくっつけあって 雨の音を聴いているよ

きみの中指にキスをして きみの髪に顔をうずめて

きみをほんとにダイスキだよ 何度言っても言いたりない

あかりを消して 息をひそめて はじまるよ 静かにね

ぼくたちのベッドの船が 今 すべりだした 時を超えて

ごらん とてつもなく背の高い 不思議な樹が伸びていくのを

不思議な樹の大森林が 胞子の雨を降らせている

遠い昔の植物たちの 淡い夢が空をうずめて

とても小さなぼくときみは 空を見ている水の岸辺

それから時を さらにさかのぼり たどりつく 船は今

海の底 気の遠くなるような 長い長い 海の時間……

 

時を超えて愛し合うことが幸せになるかどうかは分からない。けれども、永遠とも感じられるような充実した一瞬一瞬を積み重ねられるような愛し合い方ができたら、多分、幸せなのではないだろうか。「海の時間」という歌に抱かれ、そんなことを考えている。

 

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2008年1月10日 (木)

地図遊び

中学生の頃、クラスメイトと地図帳を広げて、交代で地名を言って探し合う遊びをした時期があった。最初のうちは、ページの端の方や折り目の近くにある小さな都市などが探しにくいだろうと思っていたが、やってみると間を置いて書いてある大きな字もけっこう探すのに時間がかかったりした。ただ、こうした地図遊びによって、けっこう楽しみながら、いろいろな地名を覚えていったようなところもあった。

他にも、座標を利用して爆撃ゲームなどをしたり、グラフ用紙で五目並べをしたりするなど、けっこう、学習に使うものを利用して休憩時間や昼休みに遊んだ記憶がある。遊ぶことによって、それに馴染み、親しむ。その過程で学習に生かせるような知識が身についたり、理解が深まったりしていたのではないか、と思う。

今日、中学1年生の子どもたちと地図帳を使って地名探しをした。ところが、最近の中学校の地理は以前ほど細かく各地の地誌を扱わない。ペルーやチリ、コロンビアなどは、まともに教科書を使って授業をしていると目にする機会もないような編集になっているのだ。そこで、地図帳では南アメリカ大陸のページを開いて【勝負】とあいなった。

ところが、セルバやパンパやマゼラン海峡を探すのに手間取ったりする。昔は必死になって覚えた記憶のある場所も、今の教科書では意識的に取り上げていないところなので、割りと知らなかったりするのだ。それでも、地名探しで地図帳を眺めるので、後になる程「あっどこかにあったなぁ」という声が漏れ、探す時間が早くなってくる。使って遊ぶことで地図に親しみ、探すのもうまくなって来たということなのだろう。

初めのうちは、遊びとしてでも良い。楽しみながら触れることでそれなりに、土台が育ち、それが学習の場面でも生きてくるのである。

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2008年1月 9日 (水)

国民には高い石油を、アメリカにはタダの石油を

新テロ特別措置法案が、参議院で可決されても衆議院で再可決されて11日にも成立するらしい。国民にはガソリン税や消費税など多重の税をかけた高い石油を買わせても平気だが、石油のためにイラクを侵略したアメリカにはタダの石油をどうしても供給したいらしい。対米売国奴の自公連立政権らしいやり方である。

「テロ」という言い方をすることで背景となる思い現実を隠蔽しようとしているが、多くの一般市民が犠牲になっている「テロ戦争」は、犠牲になっている市民の側から見れば侵略者へのレジスタンスと言えなくもないところがある。その意味で、市民は、侵略者と本当のテロリストの両方に利用され、捨てられているのではないか。そうした背景を考えれば、アメリカのブッシュ政権に尻尾を振るために、安易に新テロ特措法案を通すのは、長期的に見て日本や日本国民のためになるかどうかはかなり疑わしい。そうした点を鑑みれば、どうしても議決したいならば、衆議院を解散して国民に信を問うのが筋だろう。

一方で、高騰する石油によって流通のコストは上がり、車を利用した通勤の費用も上がり続けている。石油の価格は世界的に上昇しており、もちろんアメリカでも高値を更新しているのだが、それでもガソリンはリッター100円にも満たない。全国平均でリッター150円を越えるガソリンを買わされている国民の側からすれば、なぜアメリカにタダで石油をくれてやらねばならないのか理解できない値段である。

「盗人に追い銭」という諺がある。石油高騰の原因は、かつては支援さえしていた反民主的独裁国家をアメリカのブッシュ政権が自国の一部企業の利益のために侵略をして中東情勢を不安定化させたことが大きい。その意味で責任はアメリカのブッシュ政権にあって、高いガソリンを買わなければならない日本国民の側にはない。その日本国民の税金で、アメリカにタダの石油を供給する理由はどこにあるのか。自公政権は、その説明できないからこそ、民主主義の精神を踏みにじって暴走するしかないのだろう。

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2008年1月 8日 (火)

平和の縄文・戦乱の弥生

弥生時代の遺跡、という言葉を聞いてまず頭に浮かぶのは登呂遺跡である。平和な農業集落…というのが登呂遺跡のイメージであり、そうしたイメージから、弥生時代は平和な時代という印象を持つ人は少なくないだろう。けれども、矢尻などの武器の研究によると、縄文時代の武器はあくまでも狩猟用であるのに対し、弥生時代の武器は人の殺傷を目的として作られたものが数多く出土しているという。つまり、弥生時代は戦乱の時代であり、それに比べれば縄文時代は多くの人々が争うことが弥生時代ほど頻繁には起こらなかったということになる。

意外に感じるかもしれないが、以前はエスキモーと呼ばれたイヌイットやアメリカ・インディアンと呼ばれたネイティブ・アメリカンの生活は狩猟や採集に重きを置いていたが、もともとの宗教や風俗習慣から見ればかなり平和的なものだったらしい。アメリカ大陸に殺戮と暴力を持ち込んだのは、コルテスやピサロの例を見てもヨーロッパ人の側である。同様に、十字軍の歴史を紐解いてみても、野蛮だったのはキリスト教国であるヨーロッパ人の側であり、イスラムははるかに高度な文明を誇っていた…ということは、ある程度歴史を学んだ人間にとっては常識である。

狩猟や採集の生活は、天災を含めた自然の状況に左右されることが多く、その分、人間同士が助け合う必要があるので、争いなどしている余裕はない。だが、農業が始まり、ある程度富の蓄積が可能となると水利や土地の争いも生じる。その意味で、稲作が広まった弥生時代に、縄文時代よりも戦乱が多いということは当然と言えるのである。

富の蓄積が欲望を刺激し、より多くを求めるようになる。現在のグローバル資本主義の姿もそれと同じではないだろうか。とすれば、平和への道は、過度の富の蓄積を制限し、欲望を制御することだとも言える。人類に、その英知はあるのだろうか。

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2008年1月 7日 (月)

欲望の暴走が世界を破壊する

現代資本主義の経済システムは人間の欲望エネルギーを利用することによってここまで来た。「必要だから買う」社会で「必要なものを安く」提供する時代から、「必要でなくても買わせる」時代へと変化したと感じたのは80年代後半くらいだろうか。その辺りから、資本主義の強さは欲望の強さなのかも知れないと思ったものだ。

ところが、最近、上座仏教関係の書物を読んでいく中で、「欲望」が自分自身ばかりでなく周りをも破壊していく…とする内容の文章を目にした。若い頃もいくらか仏教関係の本は読んでいたので、こうした記述は初めて目にしたわけではない。けれども、人生経験を重ねる中で実感として深く感じるようになっていたからこそ、あらためて印象深く感じた…ということなのだろうと思う。

そうした意識で、今のグローバル資本主義を見つめてみると、神を殺して欲望の暴走に歯止めが効かなくなったからこそ、これ程までに人々と環境を痛めつけ続けるのではないかと思われる。1人の人間が生きていく上で、富が際限なく必要なわけではない。けれども、「競争」が富の集中に拍車をかけ、それが弱者の生存権や環境を痛めつけても見えなくなるほど心のゆとりを奪っているのではないか。そんな風にも感じられる。

過度の競争は、競争の渦中にあるものばかりでなく、それに関係ないものまで巻き込んで破壊と荒廃を広げていく。なぜ、イラクが戦場にならなければならなかったのか。なぜ、労働者の賃金を下げ、人件費を下げなければいけないのか。「競争に勝つ」ことは人生の究極の目的とは言えないだろうし、社会生活に不可欠のものでもない。「競争に勝つ」ことを目的化してはいけないのだ。

「競争に勝つ」事を目的化してしまうと、手段を問わなくなり、勝ち続けなければならなくなってしまう。それは、「超兵器R1号」でのモロボシ・ダン(ウルトラセブン)の言葉を借りれば「血を吐きながら走り続けるマラソン」になってしまう。かつての東西冷戦の時代の軍拡競争も「血を吐きながら走り続けるマラソン」だった。人類は、経済でも「血を吐きながら走り続けるマラソン」をしたいのだろうか。

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2008年1月 6日 (日)

お酒の歌

高石ともやとザ・ナターシャセブンの歌はほのぼのとして好きな歌が多い。だが、初めて聞いたときに思わず笑ってしまった歌がある。ウィスキー党としては少し不満が残るが、これだけお酒の名前が並ぶと、ちょっと壮観であり、また、酒をたしなむ男にとっては少し耳の痛い歌でもある。

瞳のきれいなあの人が好き 彼は私よりお酒が好き

白雪 白鹿 北の誉 キリン アサヒ 純生 サッポロジャイアント

昨日も日暮れに遊びに来て そのまま朝まで酔いつぶれ

大関 剣菱 金杯 月桂冠 福娘 あけごころ 小町娘

私の父さん呑み助だった 酒飲みの女房にゃなりたくないの

黄桜 松竹梅 菊正宗 加茂鶴 白鶴 沢の鶴

もうすぐあの人と結婚します 彼よりもお酒に泣かされるでしょう

富翁 美少年 男山 オーシャン ニッカ サントリー 日本盛 爛漫

 

この歌詞は、記憶に頼って書いたもので、もしかすると間違っている箇所があるかも知れない。それでも、仲間と酒を飲みながらギターを手にすると、ついつい歌いだしたくなる歌なのである。自分の好みからすれば、ウィスキーの名前を並べて、こんな歌を作ってみたいと思う。ただ、酒で家族を泣かせる…つまり、酒に飲まれるような飲み方はしたくない。酒の味わいを楽しみながら、余裕をもって飲んでいたい。ただ、軽快なリズムとバンジョーの音が楽しく、とにかく、酒好きにはたまらない歌である。

 

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2008年1月 5日 (土)

内需軽視のツケ

昨年からの株安が新年にも持ち越し、景気に対する見方が厳しくなりはじめている。きっかけはサブプライムローンの悪影響ということになろうが、構造的に言えば、「国際競争」の口実によって労働者の賃金を抑え、内需を軽視・無視して外需依存の短期の利益を追求し続けたツケが回ってきたと言えるだろう。

成長過程の経済においては、ある程度外需に頼らざるを得なかった部分は確かにある。けれども、「国際競争」という口実によって労働者の賃金を抑制し続けたことにより、生活の土台となる家計の収入が悪化し、内需の安定や拡大を困難にしてしまった日本の現状は、政策の失敗と財界の方針のミスと言うしかないだろう。

以前、「生活賃金」について述べた記事も書いたが、「生活賃金」という考え方に立って家計の収入を安定させれば内需は安定する。そして内需さえ安定していれば、サブプライムローンなどの国外の要因によるリスクは、これ程までに日本経済に悪影響を与えることはなかっただろう。その意味において、政府与党と財界の責任は大きい。だが、誰も責任をとろうとしていないし、マスコミにもそうした責任を追及する声は寡聞にして知らない。おかしな話である。

少し前から「自己責任」なる言葉が声高に叫ばれるようになった。だが、財界のミスリードや政府与党のミスリードの責任をどこの誰がとったのか。他者に責任を押し付け、自らの責任をごまかそうとする連中にエリート・指導者の資格は無い。そして、それを追求できないマスコミ……。きちんと責任をとってもらいたいものである。

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2008年1月 4日 (金)

仕事始め

短かった年末年始の休みが終わり、仕事始めと相成った。とりあえず、8:30から17:00頃まで一つの仕事、さらに19:00から21:00まで二つ目の仕事をしたが、仕事へ行くまでの布団の中での気分はともかく、やり始めたら、それほど億劫なこともなく、何とか乗り切った。例年よりもゆったりした時間の少ない年末年始だったが、仕事の再開状況はまあまあといったところか。

ただ、明日は昼間の仕事はないが会議の予定が入っているため、やはり、ゆったりとした時間が取れない。そうした時間は大切なのだがいくつかの立場が、ゆっくりと休む時間を削ってくれる。お陰で小説や童話はなかなか書けないし、ストレスや体の疲れもたまるので、少し頭の痛いところである。

以前に比較すると、年齢のせいもあって、体力や気力は確実に落ちている。けれども、それをカバーできる知恵や経験も、重ねてきた年月によって多少は身に付いているようである。良い意味で、上手に手を抜けるところもあるのだ。ただ、知恵や経験も、様々な仕事に物理的に時間を吸い取られてしまっては知恵や経験で手を抜く所を作っても、全体としては足りなくなってしまう。少し、自分の時間を整理する必要はありそうだ。

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2008年1月 3日 (木)

今日は泡盛

昨日は高校の同窓会で、久しぶりの再会を楽しんだが、二次会ではウイスキーを飲んでいた。サントリーのロイヤルだったようで、残念ながら好みのスコッチのシングルモルト…とはいかなかったが、久しぶりに懐かしい人との会話を楽しめたので、ロイヤルの水割りもいつもより美味しく感じられた。

酒を飲んだ都合もあり、その夜は友人の家に泊めてもらって午前3時頃まで話し込んだので、帰宅は昼頃になった。日中はサッカーやビデオを見ていたが、正月休みも今日で終わりかと思うと、少し酒を飲みたくなった。昨日はウイスキーだったし、明日は朝から仕事なので、今日は、軽く泡盛数杯で押さえておこうと思って、素焼きの容器に氷と泡盛を注いだ。最近は、【くら】を買うことが多い。今晩も、もちろん【くら】である。

泡盛は、久米仙や琉球王朝など、美味しいものが多いのだが、良くも悪くもけっこう癖がある。そのため、遠距離恋愛の恋人はあまり好まないのだが、この【くら】だけは割りと「おいしい」と言ってコーラや水で割って飲める。そのこともあって、どうしても【くら】を買うことが多いのだ。もちろん、【くら】は美味しい古酒(クース)だし、これを飲むのに何の文句もない。明日からの仕事に差し支えない程度にしておかねばならないのが多少残念である、という程度である。

1日に、友人に頼まれてホテルの皿洗いを手伝ったり、30年ぶりの同窓会があったり、と今年は今までにない珍しいことが続いた正月だった。最後の3日目くらいは、ゆっくりと泡盛を楽しんで、明日からの仕事のための英気を養っておこう。高校サッカーでは津工業がベスト8まで勝ち進みがんばっているが、石油や環境、年金、格差など昨年噴出した問題については、今ひとつ明るい展望は見えてこない。自分のできることを積み重ねつつ、良い1年にしていきたいと思う。

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2008年1月 2日 (水)

同窓会

今日は、高校の同窓会がある。30期の卒業生、およそ450人のうち、100人以上が出席するという話を耳にしている。卒業してから30年。卒業以来顔をあわせる機会もなかったクラスメートも多いので、けっこう楽しみにしている。

この同窓会が実現したのは、母校で30期の卒業生が何人か教師をしていることにもよるらしい。これほどの人数ともなると、きちんと世話をしてくれるメンバーがいないとなかなか集まるのは難しいからである。中学校の同窓会では事務・会計をしているが、50人ほどでも、連絡をとったりするのは大変である。それを思えば、世話をしてくれた幹事さんたちに感謝・感謝…というところだ。

卒業してからも毎年あっている仲の良い連中もいるが、高校時代は仲が良かったけれども、その後は顔をあわせる機会もなく、ずっと会っていない人も少なくない。およそ四分の一程度の出席ということになるが、それでも、懐かしい顔と会えると思うと心が躍る。今回は、幹事ではなく一般の参加者でもあり、精一杯楽しみたいと思っている。

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2008年1月 1日 (火)

パスカル・シティ

20年ほど前の新谷かおるのマンガに『パスカル・シティ』という作品がある。新型のスペース・シャトルであるサラトガが初飛行のミッション中に事故をおこす。当初は月面への追突の危険を回避し、乗組員は全員生きていたのだが、NASAの必死の努力も空しく、太陽に突入する軌道を進んでいく。その時に、乗組員の子どもたちが、シャトルを乗っ取って発進し、父親たちを救おうとするのである。

問題は、新型のシャトルであるサラトガのスピードで、救助船との0.00001秒のシンクロの誤差によってドッキングに失敗し、大人たちは絶望してしまう。けれども、子どもたちは諦めず、NASAや国防総省のコンピューターをハッキングし、シャトルで宇宙に飛び出すのである。そして、サラトガのミッションのために設置してあった燃料コンテナで燃料を補給し、子どもたちを救出するために発射されたシャトルを振り切って、サラトガの救出に向かう。

当時としては難しかったためか、少年ビッグコミック誌(「みゆき」や「エリア88」などを連載していたが現在は廃刊)の連載も早く終わり、単行本としても2巻で完結している。そのため、サラトガに追いつくまでの宇宙飛行の間のエピソードも少なくて残念なところもあるが、子どもたちの柔軟さは宇宙での生活に適応し、様々なトラブルもお互いの協力によって乗り越え、ギリギリでサラトガとのドッキングを果たし、父親たちを救出して地球に帰還する。

もちろん、本当の宇宙飛行には体力も必要だし、多くの訓練も受けなければならない。けれども、子どもの発想の柔軟性と適応力の高さは、未来を切り開く大きな力となり得る可能性を秘めている。それを大切にし、子どもたちの力を伸ばしていく環境を整えるのが大人の役目だろうし、それによって人類の未来は開かれるのではないかと思う。

ただ、現代の社会は、必ずしも子どもたちを本当の意味で大切にしていないのではないかと感じることが少なくない。子どもを大切にすることは未来を開く道につながる。人類の未来を守るために、身近な子どもたちを大切にすることから始めていきたいものである。

 

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