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2008年1月 8日 (火)

平和の縄文・戦乱の弥生

弥生時代の遺跡、という言葉を聞いてまず頭に浮かぶのは登呂遺跡である。平和な農業集落…というのが登呂遺跡のイメージであり、そうしたイメージから、弥生時代は平和な時代という印象を持つ人は少なくないだろう。けれども、矢尻などの武器の研究によると、縄文時代の武器はあくまでも狩猟用であるのに対し、弥生時代の武器は人の殺傷を目的として作られたものが数多く出土しているという。つまり、弥生時代は戦乱の時代であり、それに比べれば縄文時代は多くの人々が争うことが弥生時代ほど頻繁には起こらなかったということになる。

意外に感じるかもしれないが、以前はエスキモーと呼ばれたイヌイットやアメリカ・インディアンと呼ばれたネイティブ・アメリカンの生活は狩猟や採集に重きを置いていたが、もともとの宗教や風俗習慣から見ればかなり平和的なものだったらしい。アメリカ大陸に殺戮と暴力を持ち込んだのは、コルテスやピサロの例を見てもヨーロッパ人の側である。同様に、十字軍の歴史を紐解いてみても、野蛮だったのはキリスト教国であるヨーロッパ人の側であり、イスラムははるかに高度な文明を誇っていた…ということは、ある程度歴史を学んだ人間にとっては常識である。

狩猟や採集の生活は、天災を含めた自然の状況に左右されることが多く、その分、人間同士が助け合う必要があるので、争いなどしている余裕はない。だが、農業が始まり、ある程度富の蓄積が可能となると水利や土地の争いも生じる。その意味で、稲作が広まった弥生時代に、縄文時代よりも戦乱が多いということは当然と言えるのである。

富の蓄積が欲望を刺激し、より多くを求めるようになる。現在のグローバル資本主義の姿もそれと同じではないだろうか。とすれば、平和への道は、過度の富の蓄積を制限し、欲望を制御することだとも言える。人類に、その英知はあるのだろうか。

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