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2008年1月 7日 (月)

欲望の暴走が世界を破壊する

現代資本主義の経済システムは人間の欲望エネルギーを利用することによってここまで来た。「必要だから買う」社会で「必要なものを安く」提供する時代から、「必要でなくても買わせる」時代へと変化したと感じたのは80年代後半くらいだろうか。その辺りから、資本主義の強さは欲望の強さなのかも知れないと思ったものだ。

ところが、最近、上座仏教関係の書物を読んでいく中で、「欲望」が自分自身ばかりでなく周りをも破壊していく…とする内容の文章を目にした。若い頃もいくらか仏教関係の本は読んでいたので、こうした記述は初めて目にしたわけではない。けれども、人生経験を重ねる中で実感として深く感じるようになっていたからこそ、あらためて印象深く感じた…ということなのだろうと思う。

そうした意識で、今のグローバル資本主義を見つめてみると、神を殺して欲望の暴走に歯止めが効かなくなったからこそ、これ程までに人々と環境を痛めつけ続けるのではないかと思われる。1人の人間が生きていく上で、富が際限なく必要なわけではない。けれども、「競争」が富の集中に拍車をかけ、それが弱者の生存権や環境を痛めつけても見えなくなるほど心のゆとりを奪っているのではないか。そんな風にも感じられる。

過度の競争は、競争の渦中にあるものばかりでなく、それに関係ないものまで巻き込んで破壊と荒廃を広げていく。なぜ、イラクが戦場にならなければならなかったのか。なぜ、労働者の賃金を下げ、人件費を下げなければいけないのか。「競争に勝つ」ことは人生の究極の目的とは言えないだろうし、社会生活に不可欠のものでもない。「競争に勝つ」ことを目的化してはいけないのだ。

「競争に勝つ」事を目的化してしまうと、手段を問わなくなり、勝ち続けなければならなくなってしまう。それは、「超兵器R1号」でのモロボシ・ダン(ウルトラセブン)の言葉を借りれば「血を吐きながら走り続けるマラソン」になってしまう。かつての東西冷戦の時代の軍拡競争も「血を吐きながら走り続けるマラソン」だった。人類は、経済でも「血を吐きながら走り続けるマラソン」をしたいのだろうか。

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