« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月28日 (木)

おやすみ…あみんの歌

昨年の紅白歌合戦で、復活した《あみん》が「待つわ2007」を歌っていたが、《あみん》と言えば「おやすみ」という歌も思い出す。作詞と作曲はもちろん岡村孝子。だが、この歌は、《あみん》の1stアルバム【P.S.あなたへ…】にも2ndアルバム【メモリアル】にも入ってはいない。それでも、若い岡村孝子の豊かな感性と《あみん》のハーモニーの美しさを味わえる歌である。

 

泣いているの? 笑ってるの? 黙っていたらわからない

電話してる部屋の外 雨が降っている

あんな男(やつ)と知らなかった 顔など見たくもないわと

返す言葉さがせずに ため息こぼれる

本当は彼にふられたってこと 友達にきいたけど

あなたの泣き声 ききたくなかった

もうおやすみおやすみ 泣きつかれ涙も枯れた夜だから

もうおやすみおやすみ 今夜だけは朝まで子守歌うたうから

 

人生の分岐点で悩む時、自分を支えてくれる同性の友人の存在……。その温かさが、胸に染む。珍しいテーマを扱っているが、それがまた女性の感性の一端を覗かせてくれるようで興味深い。詞の内容は少し重いが、《あみん》の高く澄んだハーモニーが、それ程重くならずに聞かせてくれる。その辺りは「待つわ」とも共通するかも知れない。

この「おやすみ」の後、《あみん》は活動を停止し、その後しばらくして、岡村孝子はソロで歌いだす。その際に「あの日の風景」や「未知標」といった歌はソロになってからのアルバムに収録されたりもしていたが、「おやすみ」はそうはならなかった。もしかすると、「待つわ」と「おやすみ」は《あみん》としてこそ歌える歌なのかもしれない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

春の足音

週末ごとに雪に見舞われた2月も、もうすぐ終わる。時々、寒さの揺り戻しはあるが、少しずつ温かくはなってきているようである。市内を走っていても、2月の初め頃から菜の花が咲いているのをあちこちで見かけた。この冬は、温かい伊勢志摩でも何度か降雪を経験したが、それでも菜の花が咲いていることを考えれば、やはり温かいのだろう。

先日、仕事で市内を車で走っていたところ、菜の花だけではなく、梅の花もところどころで見かけるようになった。深夜や早朝はまだまだ寒いが、確実に春の足音が近づいてきているのだろう。もう少ししたら、桜の開花も見られそうである。

春といえば、別れと新しい出会いのシーズンでもある。別れは少し寂しいが、それでも次の再会が楽しみにもなる。そして、新しい出会いは、何をもたらしてくれるだろうか。

年度という分け方で考えると、今年度はいろいろと変化の多い年度であった。例年になくシンドイ思いもしたが、また、新しい出会いもたくさんあった。そういった意味では、出会いの多かった年度なのかもしれない。その出会いを活かしつつ、また、新しい出会いにも期待したい。

温かな日差しと青い空。春の足音は着実に近づいているようだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年2月24日 (日)

日本の青空…憲法の真実

2月23日から月末まで、伊勢市の映画館で「日本の青空」という映画が上映されている。日本国憲法制定の際に、GHQ原案の元となった憲法私案を作った鈴木安蔵を中心とした憲法研究会の苦労を描いた地味な映画である。けれども、憲法研究会の存在も、憲法九条の平和主義を幣原が先に口にしているという点も、「改憲論者」たちが、口を閉ざしている歴史的な事実なのだ。この映画は、その歴史的事実を元にして作られた作品である。

ある小さな出版社で働く派遣社員が、憲法の取材をしていく過程で、偶然、鈴木安蔵の存在を知る。そして、取材を続けていく過程で憲法研究会の存在を知り、さらにはGHQの文書も目にして、日本国憲法制定の真実へと迫っていく。

その過程で、過去の鈴木安蔵の姿が明らかになっていく。映画は、現在と過去を行きつ戻りつしながら、淡々と憲法の制定過程を描いていく。鈴木安蔵は、植木枝盛らの自由民権運動家たちの憲法草案をしっかりと研究し、十分に理解した上で、憲法研究会の仲間たちと草案を作っていく。その過程で、鈴木安蔵の苦労と、それを支えた妻・俊子の苦悩と悲しみが描かれ、家族と仲間たちに支えられて完成した憲法草案は、日本政府とGHQに届けられる。

日本政府の対応はおざなりであったが、GHQのスタッフは憲法研究会の草案を高く評価し、政府の提出しようとする原案(松本試案)の後進性に対して、憲法研究会の作った憲法草案からGHQ案が作られていく。民主化を進めたい憲法研究会のメンバーとGHQスタッフの努力、日本政府の対応・抵抗……。地味だが、淡々と流れていく映像には、リアルな歴史の息吹が感じられる。

これは、決して派手な映画ではない。けれども、押し付けられた「押し付け憲法改正論」が幅を利かせる昨今の政治状況の中で、日本人として見ておきたい映画である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月22日 (金)

中高年の危機と成熟

もう、30代の前半までのようにはやれない…と感じ始めるのはいつ頃だろう。それは人によって多少なりとも異なるが、体力や気力の衰えを実感し、それを認めてその変化を引き受けることから中年期のアイデンティティの再確認は始まる。

特に、先端技術と情報化の急速な変化が日々更新される現代社会において、適応能力の衰え始める中高年は自信を失って、自分自身のアイデンティティを見失ってしまうことも少なくない。けれども、人生の後半にさしかかったところで、今までの自分の生き方を見つめ直し、これからの自分の生き方を考えていく作業は、ある意味ではとても大切である。

先端技術の変化と情報化の流れは、精神や肉体が柔軟さを失って年老いていく自分の現実とすり合わせたとき、確かに適応するのに時間がかかるし、若い頃のようにはいかない。けれども、そうした流れを見ながら距離を置き、その上で、今までの人生の中で自分自身が積み上げてきたものを土台にして活かしながら、これからの人生を渡っていけるように自分を変えていくことは、自分の人生を豊かなものとして終えるために必要だろう。

ただ、これは口で言うほど簡単なことではないし、それに失敗すれば精神的なダメージも大きいだろうし、そのダメージによって鬱になったりすれば、自殺などという道を選んでしまうこともあり得る。だからこそ、人はある程度生きていればそういった道を通るのだと知ることの意味は大きい。そして、それを知った上で、歳を重ねていく自分とそれなりに折り合いをつけながら、豊かな後半生を送れるように自分を変えていく努力が大切になってくる。それはもちろん簡単ではないし、若い頃とは異なり、自分を変えるのにもずっと時間はかかるだろう。けれども、人はいくつになっても自分を変えることはできる。

若い頃の変化は、【成長】のための変化である。それに対して、中高年の変化は、【成熟】のための変化だと言えるだろう。中高年の危機を【成熟】のための肥やしとして受け止め、活かし、死の瞬間にはそれなりに納得できるような人生を送りたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月20日 (水)

漁船をよけられない「最新鋭」イージス艦

自衛艦が漁船と衝突し、当然の事ながら、漁船は沈没した。食事を採りながら聞いていた夕方のニュースによれば、漁船の側にはまだ行方不明の方もいるらしい。事故がまた繰り返されたわけで、痛ましい限りである。

ただ、漁船とぶつかったのが最新鋭のイージス艦だ、というのが非常に気になる。敵のミサイルをレーダーなどで追跡し、撃墜するというのがイージス艦の役割であり、当然、他の艦船とは段違いの優れたレーダー設備が搭載されているはずである。しかも、最新鋭なのだ。

規定に寄れば、レーダーを常に確認しているところが存在するだろうし、肉眼で確認する見張り要員も複数存在したはずなのである。それを考えれば、最新鋭のイージス艦が民間の漁船と衝突するような事故が起こる筈がない。

もちろん、今の時点で事実確認と原因の究明ができている訳ではない。けれども、あってはならないし、技術・性能面からすれば絶対に起こらない事故である。原因に、複数の人為的なミスがあったのだとすれば、それはそれで自衛隊への信頼を揺らがせる重大な事件でもある。一刻も早い原因の究明と、再発防止のための具体的で有効性のある手立てが待たれる。

こんな「最新鋭」イージス艦で、大丈夫なのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月19日 (火)

おやすみ…谷山浩子の歌

昨夜は都合で布団に入るのが遅くなり、少し睡眠不足気味だったので、夕食の後、谷山浩子の【Mezzo Piano】というアルバムを聞きながら、灯りを消してウトウトしていた。このアルバムは以前も取り上げたが、歌の入っていないピアノアルバムなので、こんなシーンにはピッタリなのである。その中のラストの曲が《おやすみ》である。谷山浩子の奏でるピアノを聞いていたら、歌詞がそのまま浮かんできた。

 

 

おやすみ ぼくの 大好きな人 遠くはなれて 会えないけれど

おやすみ ぼくは あなたのことを おもっているよ どんな時でも

淋しくないか ひとりの夜は 話す相手は いるのだろうか

おやすみ 今夜 あなたのために 灯りをひとつ ともして眠るよ

 

 

側にいない愛する人を思いながら歌う、その言葉の一つひとつが、しんみりと心に染み込んでくる。できるなら、一緒に眠りたい。けれどもそれがかなわぬならば、せめて祈りだけでも届けたい。寒い冬の夜、歌に込められた温かな想いが心をふるわせる。愛する人の幸せと、世界の人々の平安を祈りながら床に就きたい。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月18日 (月)

欲しいのは時間 !?

昨年の4月から、わりとバタバタした日々が続いている。数日で良いのでゆったりと過ごしたいのだが、土日もけっこう予定が入っていて落ち着かない。特にこの一月はそう感じる。パーマンのコピーロボットでも欲しいくらいである。

仕事をはじめ、ゆったりした時間を蚕食してくれる(!?)様々な予定の1つひとつは、それ程嫌い…という訳ではない。けれども、それが集まってゆったりとした時間をとれない今の状態か好きではないのだ。

結婚していた頃、年に1度は1週間ほど妻の母国で過ごしていた。離婚したことに後悔はないが、1つだけ、予定が追いかけてこない1週間を失ってしまったことが多少辛い。もちろん、電話は旅行中の国にまで追いかけてきたのだが、こちらが日本にいない、という事を知ると、相手が諦めてくれるので、年に1週間というわずかな期間であっても、ゆったりとした時間を楽しめたのである。

けれども今は、日々、細切れの時間の中を何とか泳いでいるような感じになる時がある。結局、時間的なゆとりがないのである。予定の入っていない時間をぼんやり、のんびりと楽しみたい…と思うのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月17日 (日)

戦艦ヒューベリオンと戦艦ブリュンヒルト

アニメ「銀河英雄伝説」で、自由惑星同盟軍きっての知将で不敗の英雄ヤン・ウェンリーの乗る13艦隊/ヤン艦隊の旗艦がヒューベリオンである。同じ自由惑星同盟のリオ・グランデ(ビュコック元帥の旗艦)などと比べて、やや小ぶりでスマートな艦で、船体の色が他の艦に比べて青っぽいのが特徴的である。

ただ、ヤン・ウェンリーは、つねにヒューベリオンに乗って戦っているわけではなく、ユリシーズやレダⅡに乗ったりもしているし、メルカッツ提督がヒューベリオンに乗って艦隊を指揮する場合もある。魔術師ヤンにとって旗艦と言えども、それへの拘りはそれ程でもなかったというところだろうか。その意味においてはヤンらしい使い方と言えるかも知れない。

一方、銀河帝国軍の常勝の英雄ラインハルトが乗るのが白い戦艦ブリュンヒルトである。ヤンと異なり、ラインハルトは常にブリュンヒルトに乗って戦場を翔る。純白の戦艦ブリュンヒルトは、ラインハルトに相応しい輝かしさを持つ戦艦で、ラインハルトの栄光を象徴する旗艦でもある。

宇宙戦艦と言えばヤマトやアンドロメダ、アルカディア号などの艦上に砲塔を据えた松本アニメの戦艦のイメージが強かったが、銀河英雄伝説に登場する戦艦は自由惑星同盟軍、銀河帝国軍のいずれも、そうした砲塔を持たない。艦首等に砲を集中させ、スッキリとしたデザインになっている。それでも、艦隊として動くことで【宇宙戦艦】として納得してしまうところがある。そのリアルな宇宙艦隊の動きが、アニメ「銀河英雄伝説」の魅力ともなっていると言えよう。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月16日 (土)

今宵はタリスカー

今晩も津に泊まり、となったので、いつものJoe's Barに出かけた。とりあえずはグレンモーレンジのシェリーウッド・フィニッシュをたのみ、その後はタリスカーの10年とDouble Matured を飲み比べた。

10年は癖はあるが、その野生的な味わいがけっこういける、という感じでDouble Maturedの方は、その癖をうまく残しながらも上品に仕上げていて、その味わいがまた奥深くてよい。けっきょく、それぞれを交互に飲みながら、タリスカーを満喫するという感じであった。

飲みながら、タリスカーが日本でもけっこう馴染み深いブレンデッド・ウィスキーに入っていたことを思い出したが、それが何だったか思い出せない。ホワイトホース? バランタイン? ジョニー・ウォーカー? その辺りまで絞り込めたのだが、そこから先が進まなかった。

マスターに聞いてみたが、マスターもすっと出てこなくて、結局、調べてくれた。それによると、ジョニー・ウォーカーの赤に使われていたことが分かった。こんなことを考えながら味わうウィスキーもまた楽しいものである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

信頼と嫉妬

離婚してしまった元妻と「遠距離結婚」をしていた頃、電話の会話の中で「遊んでもいいよ」などという発言が飛び出し、「それは違うぞ!!」と怒った事があった。このように一見「もの分かりの良い」元妻は、結局、自分のことしか考えていなくて、離婚となった。

その後、別の新しい相手と遠距離恋愛を楽しむ羽目になったが、けっこうヤキモチ焼きで疲れてしまったことが何度かあった。ある意味では、嫉妬をしてしまうという感情は相手を信じきれていないということでもあるのだが、相手に対して強い執着がなければ逆に嫉妬されることもない。そうした点からすれば、嫉妬が恋愛のスパイスとして働くのも大いに納得できる。その意味では、多少の嫉妬は、時としてカワイイと感じられたりもするものである。あくまでも、日常生活や仕事に大きな支障が出なければ…であるが。

相手を心底信頼できれば、嫉妬はしなくて済む。だが、相手に執着していなくても嫉妬はしない。その辺りが難しいところだが、時には嫉妬を感じることがあっても、基本的には相手を信頼していられる…というスタンスが恋愛でも結婚生活でも一番良いのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月12日 (火)

リンカーンの誕生日に

2月12日はリンカーンの誕生日である。もちろん、南北戦争に勝ち、奴隷解放宣言を出したリンカーン大統領のことである。ゲティスバーグの演説の中にある「人民の人民による人民のための政治」というのは民主政治を簡潔に説明している有名なフレーズである。

さて、リンカーンの指導した南北戦争だが、実は、経済的には、自由貿易を取るか保護貿易を取るか…という選択をめぐっての内乱という一面も持っている。奴隷制による綿花の栽培によって原料を輸出する南部にとっては自由貿易体制の方が利益を得るのには都合が良かったのだが、イギリスに遅れて産業革命が進む北部にとっては自由貿易体制は育ちかけている自国の産業の育成にはマイナスであった。したがって、北部の工業地帯は、輸入製品に関税をかけて自国の産業の育成を図ると同時に、奴隷から解放された黒人を労働者として雇い入れる方が良かったのである。

ただ、そうした思惑が北部の側にあったとしても、人権の歴史から見た時の奴隷解放宣言の重要性は色あせるものではない。人は誰もが平等であり、その人権は人種や民族の違いがあっても大切にされなければならない。それは、民主政治を行う国々には絶対に不可欠の条件である。

けれども、自由貿易体制が無条件に良い事なのか…という点については、南北戦争の歴史を振り返ってみれば、必ずしも無条件に良いとは言い切れない部分もある。もちろん、世界恐慌後の保護貿易/ブロック経済が第2次世界大戦の重要な原因の1つであったという事実もあるのだが、格差の拡大による生活の破壊や生存権の圧迫を目にすると、関税の全廃は、また別の新たな問題を生み出す可能性も持っている。

一部の企業のために…ではなく世界の普通に暮らしている人々の生活を守るために、環境への負荷や移動のコストの大きいシステムの再考は必要ではないだろうか。リンカーンの誕生日に、ふと、そんなことを考えてしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月11日 (月)

雪が降る日に…かぐや姫の歌

9日の土曜日は研究会の関係で滋賀県に行った。8時過ぎに志摩を出たのだが、11時前に京都についた頃には雪が降っていた。さすがに近鉄特急は時間通りであったがJR湖西線は11時過ぎには遅れが出始めていた。志摩などはめったに雪が降らないので、雪景色を見るのは風流だと思うのだが、雪の中の移動は慣れてないためにけっこう大変である。それでも、雪景色を見ていると思い出す歌がある。その1つが、【かぐや姫】の「雪が降る日に」である。

【かぐや姫】は中学の頃から聞き始め、「神田川」や「赤ちょうちん」、「22才の別れ」などをギター片手に良く歌っていたが、そういう趣味の仲間と歌う時には、パートの別れる「雪が降る日に」なども歌っていた。

 

雪が降るよ やまずに昨日から 昨日から 窓の外は何も見えない 見えない

約束を信じてた 約束を信じてた 昨日の夢は 終わるよ

雪の上に 足跡続くよ 続くよ 私を連れてゆこうと あなたは言ってたのに

足跡を追いかけて 足跡を追いかけて 昨日の夢は 終わるよ

昨日の夢は 終わるよ

 

高く伸びる声が印象深い歌だが、繰り返しのフレーズが多く、けっこう単純な歌である。けれども、別のパートの「雪やこんこん あられやこんこん ふってもふっても 何も…」といった言葉が重なると、けっこう面白い効果がでる。あるいは、それがあるからこそ、メインの詞は繰り返しが多くて単純になっているのかもしれない。

最近は、ギターを片手にこの歌を歌うことはめったにない。それでも、雪の日には、不意に耳の奥に聞こえてくる歌なのである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月10日 (日)

バクチ経済と生産経済

G7が、強力な手立てを決定しきれぬまま閉会したことを受け、金融市場の流動化/不安定化への懸念が出ているらしい。ある意味では、当然だろうという気がしないでもない。グローバル資本主義、金融資本主義などと難しそうな呼び方をしていても、投機的な目的で株を売買するバクチ経済なのだ。しかも、実物の「資金」ではなく、情報・データのやり取りで「取引」を進めているので、制度そのものの中に【粉飾】や【バブル】を内包している。

それが、生産経済に従属している間は、現実の生産・流通・売買がしっかりと地に足をつけた動きをしている限り、多少のバクチ経済の揺れはあっても、システムとしての安定はそれ程揺るがない。けれども、今のマクロの動きを見ていると、明らかにバクチ経済が肥大化している。そのため、どこかでバブルを起こし、そのバブルに依存することで肥大化した電子マネーの取引量を増加させようとしているように見える。

サブプライムローンの問題にしても、一部の経済学者はずっと以前からサブプライムローンがバブルと化していて、それが弾ける可能性・危険性を指摘していた。そして、バクチ経済が優位になっている現状からすれば、バクチ経済においてバブルが弾けると生産経済にも多大の悪影響を及ぼす危険はあった。

原油や小麦の高騰にしても、バクチ経済の投機資金が先物市場に流れこむことで引き起こされている面があり、これなどは生産経済がバクチ経済よりも優位にたっていれば人々の生活への悪影響はもっと小さかたろう。

そうした点を考慮すれば、バクチ経済を野放しにすることは、一般の人々の生活をさらに圧迫し、人類の文明を壊滅の危機に追い込みかねない。バクチ経済への過度の依存は、現場で働く人々の賃金を抑制して家計の収支バランスを悪化させ、、一般の人々の生存権を圧迫するだろう。そうした状況では、生産のために必要なモチベーションは低下し、治安も乱れてくる可能性が高まる。人類の英知を結集し、そうした事態に陥ることがないようにしていけると良いのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年2月 8日 (金)

タレントよりも政治家の言葉を追求すべき

若い女優や若い歌手の「失言」が問題になっているが、逆に、政治家や大企業の経営者たちなどの、より社会に大きな影響を与える人々の問題発言については、けっこううやむやにされてしまっていることが少なくない。これは、どういうことだろう。

確かに、売れている歌手や女優はTVなどの露出度は高いし、ファンも多いだろう。けれども、その発言によって制度や法律が変わることはまったくないし、その意味において、彼女たちが「A」と言おうが「B」と発言しようが、多くの国民の日常生活には直接的な影響はほとんどない。

それに対して、総理大臣や大企業の重鎮の発言は、それによって国民の日常生活や社会の方向性が変わる事もあり、「公約」などをいいかげんに扱われては国民は大いに迷惑をする。

にも関わらず、政治家や大企業の経営者の発言・失言に対する追及は、信じられないほど甘い。芸能人のスキャンダルを追う半分の情熱と経費と人手と時間をかければ、今よりももっと政府や企業へのチェックが厳しくなり、国民を無視した強行採決や再可決などは絶対に出来なくなるのではないだろうか。何を取材し、何を報道するのか。日本のマスコミは、力点の置き方を根本的に間違えていないだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 7日 (木)

『ルポ 貧困大国アメリカ』を読む

ブッシュ政権の暴走と世界レベルでの格差の拡大による問題が人類の文明を危機に向かわせていると感じることが最近は多い。その一方で、今までに出会っているアメリカ人の思いや考えには共感を覚えることも少なくない。このギャップの原因を考えるに際して、ブッシュ政権がアメリカ人民のための政治を行っていないことによるのではないか、と何となく感じていたが、それが正しかったのだ、ということを様々な実例によって示してくれたのがこの本である。

例えば、マイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」や「華氏九一一」などの映画は、低所得者層がいくら働いても十分な収入が得られず、家族と共に過ごす時間を奪われてしまい、子どもたちにとって家庭が安心できる場ではなくなって心の安定が失われていく現実や、働き口がないために軍隊に入り、戦場へと送られる一方で、戦争を決定した人々が、誰一人として身内を戦場に送っていないという矛盾を、映像を通して分かりやすく見せてくれる。が、この本を読んでいくことで、それらがバラバラの問題ではなく、構造的なものである……ということが浮かび上がってくる。産業の空洞化と収入の低下による家族・地域の崩壊と、医療・教育システムの「民営化」による社会権・生存権の圧迫が低所得者層に「軍」以外の就労の選択肢を失わせ、望んでもいない戦争に駆り出される。その結果、戦場での「人権侵害」と「環境破壊」が連鎖的に拡大していく。だが、一部の企業のみは、そうした破壊と荒廃の上に莫大な利益を積み上げている。ある意味では、何ら生産に寄与する事なく大量に「消費」を続ける「戦争」は、戦いに必要な「商品」の生産に関わる企業にとっては莫大な利益を約束してくれる「オイシイ商売」なのである。

ブッシュ政権の政策は、大企業や投資家を優遇することによって、国際的な金融資本主義の経済戦争で「アメリカ」の優位をもたらしたが、それは同時にアメリカの医療制度や社会保障、教育制度を解体して中産階級を壊滅させ、多くのアメリカ人民を、健康に働き続けなければ生活そのものまで危うくなるような余裕のない状態に追い込むものであった。つまり、「アメリカ」の利益が、アメリカ人民の幸福を奪い、さらにそれがより多くの世界の人々の生活や生存権を圧迫する方向へとつながってしまう状況を生み出してしまったのである。

企業や投資家の「利益」を最優先に考えた時、「安全」や「環境」や「人件費」などは、「利益」を圧迫する「負担」となる。それを抑制できれば、短期的には「利益」を上げられるが、長期的な視野に立てば、地域や人々の生活を荒廃させ、環境を悪化させて、「拠点」と「市場」を別の場所に移す必要が出てくる。その「別の場所」でも同じ事を繰り返せば、後には次々と「荒廃」だけが残り、その面積を広げていくだけとなる。けれども「別の場所」は無限に存在する訳ではない。グローバル化の進展の中で、地球はどんどん狭くなっている。「別の場所」はどんどん無くなりつつあるのだと言えるだろう。そうした意味からすれば、ブッシュ政権の「アメリカ」が依拠している経済構造はすでに限界が見え、方向の転換を図らない限り、人類を滅ぼしてしまう危険でやっかいなものなのである。

そしてそれは、我々日本人にとっても、決して他人事ではない。小泉~安倍~福田と続いている自公連立政権は、ブッシュ政権の「アメリカ」の言いなりで、国民の利益よりも「アメリカ」の利益のためになる政策を推し進めている。この流れに抗い、新しい道を摸索する事は、私たち自身のみならず、日本の未来、人類の未来について考え、それを守る事にもつながっているのである。

               〔完〕

【TEXT】
  『ルポ貧困大国アメリカ』
      堤 未果 作 2008年 岩波新書1112

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 6日 (水)

走れ!! サイクロン

仮面ライダーの乗るスーパー・バイク、それがサイクロンである。仮面ライダー1号・本郷猛がショッカーと戦い始めた当初は、サイクロンはライダーに変身する為にベルトに風を受けなければならず、サイクロンはその際に重要な役割を担っていた。ライダー1号の変身に必要なだけの風をサイクロンで疾走する事によって得ていたのである。

ところが、ライダー2号・一文字隼人の登場によって状況は変わった。一文字隼人は、変身のポーズのあとジャンプをして変身したので、サイクロン自体は変身に必要不可欠なものではなくなっていた。それでも、ライダーがショッカーと闘う時には、サイクロンは大切なパートナーだった。敵を追跡し、敵をけちらし、縦横無尽に駆け回る。サイクロンがなければ、サイクロンなしでも変身できた一文字隼人と言えども、その戦闘力は明らかに低下しただろう。

ところで一文字ライダーの乗るサイクロンだが、最初、一文字ライダーが登場した時、彼はショッカーの怪人サボテグロンとの戦いにおいて、本郷ライダーの乗っていたサイクロンを駈ってサボテグロンと闘っていた。ところが、途中、一文字ライダーの愛車は変わる。改造サイクロンの登場である。個人的には、サイクロンというとこの改造サイクロンの印象が強い。後ろから見たフォルムもなかなかカッコよく、まさにライダーの乗るスーパー・マシンという印象と共に、バイクらしいマシンでもある。

その後、パワーアップし、サイクロンなしで変身できるようになった新1号ライダー本郷が再登場するが、やがて彼は別のサイクロンに乗る。新サイクロンの登場である。それから、ライダー1号と2号のマシンは新サイクロンになる。止まる時にはパラシュートなどもついているので、いかにも性能のアップしたニュー・マシンという印象である。けれども、「バイク」という感じは、改造サイクロンの方があったように感じられた。

ただ、いずれにしても、サイクロンなくしてライダー1号と2号を語ることはできないし、サイクロンがあってこそライダーのアクションも一層輝きを増す。サイクロンは、仮面ライダーの影の主役だったのかもしれない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 5日 (火)

戦士の銃No.4/星野鉄郎の銃

銀河鉄道999の主人公、星野鉄郎が持つ、一撃で機械化人を倒すことができる銃、それが戦士の銃だ。鉄郎は、土星の衛星タイタンで、老婆からこの銃をもらう。少年キングに連載されていた原作コミックでは、この老婆の息子はタイタンで老婆の目の前で亡くなっている。だが、映画「銀河鉄道999」では、この老婆こそ宇宙海賊キャプテン・ハーロックの親友で、アルカディア号の設計者でもあり、クィーン・エメラルダスの恋人でもあった大山トチローの母親であった…ということになっている。

映画の設定では、トチローはタイタンの母親に帽子とマントとこの戦士の銃を形見として残していった。そして、共に機械伯爵を追って、惑星ヘビーメルダーで鉄郎とトチローは出会うのである。そして、鉄郎は、トチローの最期を看取り、戦士の銃を手に機械伯爵の居城である時間城にのりこみ、山賊アンタレスの助けもあって機械伯爵を倒す。

一方原作マンガ、およびTVシリーズでの「メーテルの旅」というエピソードでは、鉄郎はこのシリアルNo.4の戦士の銃の未来の持ち主であるレドリルと出会う。メーテルは、その時もNo.4の戦士の銃の持ち主であるレドリルと一緒に銀河鉄道999で旅をしている。ただ、鉄郎はその後も、戦士の銃を手に旅を続けている。それは、今も続くエターナル編でも同じである。No.4の戦士の銃は星野鉄郎の銃なのである。

ちなみに、No.1の持ち主はハーロック、No.2はエメラルダスである。では、No.3は……。もしかすると以前は知っていたかも知れないが、今は記憶にない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 4日 (月)

企業は司法を無視できる!?

日教組大会の総会が、予約したプリンスホテルの身勝手な取り消しで中止に追い込まれた。度重なる司法判断を無視して…である。発展途上国の小さなホテルでも、裁判所の度重なる判断を無視するようなことはないだろう。これは、集会・結社の自由に対する挑戦であると共に、国家権力の司法の権威に対する挑戦でもある。

もちろん、新聞はこぞってこの問題を取り上げたが、政府・与党は何をしているのか。国内の一企業が国家権力の司法権の権威を傷つける暴挙に出たのである。放置すれば、一企業の勝手で、司法判断も無視できる…ということになってしまう。政府として、公的機関の全てが、このホテルの使用を今後一切しない、当然、与党も絶対にこのホテルのグループを一切使用しない、というくらいのことをぶち上げて、愚かな企業の判断に対するペナルティーを科さないと、政府の権威そのものが地に落ちてしまう。となれば、もはや企業は、司法判断には従わなくなるだろう。

最近の司法判断の中には、確かに疑問に思うものもそれなりにある。けれども、日本が法治国家であり続けるためには、譲ってはならない一線というものがある。そんなことも分からない無責任な政府とは思いたくないのだか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 3日 (日)

最後の一葉…12ページの詩集より

太田裕美のアルバム「12ページの詩集」の6曲目に「最後の一葉」という歌がある。もちろん、有名なO・ヘンリーの傑作短編小説『最後の一葉』を元にして作られた歌だ。作詞/松本隆 作曲/筒美京平で、シングルにもなっている。もう30年以上も前の歌だが、たまに、聞きたくなる時がある。

 

この手紙着いたらすぐに お見舞いに来てくださいね

もう三日あなたを待って 窓ぎわの花も枯れたわ

街中を秋のクレヨンが 足ばやに染めあげてます

ハロー・グッバイ 悲しみ青春 別れた方があなたにとって

倖せでしょう わがままですか

木枯しが庭の枯れ葉を 運び去る白い冬です

おでこへとそっと手をあてて 熱いねとあなたは言った

三冊の厚い日記が 三年の恋 綴ります

ハロー・グッバイ さよなら青春 林檎の枝に雪が降る頃

命の糸が切れそうなんです

生きてゆく勇気をくれた レンガべいの最後の一葉

ハロー・グッバイありがとう青春 ハロー・グッバイありがとう青春

凍える冬に散らない木の葉 あなたが描いた絵だったんです

 

歌詞では、恋人同士の話になっているが、原作では壁の葉は嵐の夜に老画家が命を削って描いた作品であり、若い娘が悪性のインフルエンザから回復するのと引き替えに老画家は肺炎のために危篤に陥っている。物語としては原作の方が深みがあるが、アイドルの歌としてはこれで良いのだろう。イントロのピアノソロの音と、ピアノを弾きながら太田裕美が歌い始めるシーンが心に浮かび上がる。青春時代の1ページである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 2日 (土)

ゆっくり寝られる朝

津の帰り、友人から電話があった。久しぶりに名古屋から帰ってきたというので、そのまま友人宅により、彼を乗せて知り合いの居酒屋へ「夕食」を食べに行った。もちろん、彼の夕食である。ところが、知り合いは風邪でダウンしているとの事。それでも、友人には通常昼間に出す定食を用意してくれて、こちらは軽くヤキソバをたのんだ。しっかり、顔を覚えてもらっているようである。そこでしばらく話をしながらゆっくりする。友人とは、12月以来である。こちらも、「寒い」と感じるのだが、名古屋あたりはもっと寒いようだ。

帰宅せずにそのまま友人のところに寄ったのは、明日は予定がたまたま空いたからである。今晩、多少夜更かしをしても、明日の朝はゆっくのと寝ていられる。土日に、特に予定がつまっていない…というのは本当に久しぶりである。

最近は、土日にも予定がつまっていることが多く、ここ何ヶ月かは、ゆっくりと朝寝坊を堪能した記憶はない。そのつもりでいても、結局、7時前には目が覚めてしまい、9時半ごろには起きていてパソコンを開いていたりするのだ。あるいは、仕事の準備をしていることもある。けれども、明日はしっかり朝寝坊をしよう。目が覚めても、布団の中にこもってウトウトする時間をじっくり味わうために……。

久しぶりの朝寝坊を、心ゆくまで堪能したいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 1日 (金)

グレンフィディックの夜

忙しい毎日の中で、心身に疲れがたまっている。と言うか、若い頃は一晩眠れば疲れは取れたのだが、さすがに、とても若いとは言えなくなった今では、一晩寝ても疲れが残ることが少なくない。やはり、土日に休養日が取れないことが響いているのだろう。

とは言っても、なかなか日程調整ができないので、明日がそれ程早起きしなければ良い事もあり、せめて今夜くらいはゆっくりしたいと思った。となれば、頭に浮かぶのはグレンフィデック。ウィスキーの世界の我が親友である。グラスに氷を入れて、少し色の薄い琥珀の液体を注ぐ。トク、トク、トク…という音と共に芳香が辺りに漂う。何とも言えない珠玉の時間である。

もちろん、スプリングバンクやローズバンク、グレンスコシアなどのキャンベルタウンの名酒たちも好きなのだが、キャンベルタウン・モルトの風情は、親友というよりも恋人…と呼びたい甘い味わいがある。今日は、恋人よりも親友との語らいを楽しみたい雰囲気なので、チョイスとしてはグレンフィデックなのである。

外は寒く、明日は早くなくても良いので夜は長い。久しぶりにグレンフィディックとの語らいを楽しみたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »