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2008年3月28日 (金)

国民を愛してこそ愛国心を語れる

今回の学習指導要領の改訂で、密室の中から突然「愛国心」がらみの強制が追加され、中教審の委員からも不満や不信の声があがったという記事を新聞で読んだ。無責任かつ国民を無視した反民主的な話である。小泉内閣から安倍内閣、そして福田内閣と続いた自公政権が、どれだけ一般の国民を無視し、苦しめる政策を推し進めて国民生活を破壊してきたかは、年金崩壊、医療崩壊、生活破壊、自殺者数の高止まりなどの現実を見れば明らかである。

ある意味では、政府が国民を愛し、大切にしていれば、国民の誰もが自然に国を誇りに思い、愛し、大切にするだろう。「愛国心」など強制する必要はない。けれども、それをしていないからこそ、国民に対し「愛国心」を強制しなければならなくなる。何度も書いていることである。つまり、ここまで「強制」が進んできたのは、それだけ国民無視の政策を続けてきたという証拠なのだろう。

ガソリン税の問題にしても、明らかになってきた本来の使途に関係ない使われ方をきちんと調査・説明し、不正な部分はその責任を明確にして、関係者にそれを返還させた上でないと、税の一般財源化や税率の議論はできない。それが、まっとうな手続きである。福田内閣のやり方は、そうした基本を無視して、ただゴリ押しをしようとしているだけである。学習指導要領の「愛国心」の問題も、ある意味では、そうしたやり方をそのまま続けているだけ、と言える。

だが、そんなことをしていて、日本の未来が開けるのか。答は否である。「君が代」を無理に歌わせるよりも未来の日本を背負う子どもたちにつけなければならない大切な力がある。例えば、コミュニケーション能力、例えば他者に共感し、対話できる力…もっとも、首相をはじめ与野党の国会議員の中にもこれらの能力に欠けている人は多いが……。

まずは、国民が安心して生活できる社会/国を作ってから、愛国心を語るべきであり、それを無視し、現場の声を無視しても、現場が混乱するだけだろう。そして現場が混乱すれば、結局は、そのツケは子どもたちに回り、日本の未来にもマイナスとなる。本当の愛国心は強制では育たない。

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2008年3月24日 (月)

NHKの間違い

NHKの番組で「とことん石ノ森章太郎」を見ていた。昨夜の《仮面ライダー》に続く《キカイダー》や《ロボット刑事》はいずれも夢中になって読んでいたマンガであり、当然、我がコレクションにもすべて揃っている。

だが、マンガ版のキカイダーを紹介しているナレーションで、プロフェッサー・ギルがシャドーの一員のような言い方をしていた。ファンをなめてはいけない。ギルはダークの首領であり、シャドーとは別の組織である。しばらく考えたが、インターネットでアクセスして、それを怒りと共に指摘した。その後の放送で訂正をするかと思ったが、そのまま終わってしまった。原作者の石ノ森先生にも、またファンにもふざけた態度である。

加えて、アシスタントのアイドルが良くない。とちったり言い間違えたりで、しかもそれ程石ノ森作品に詳しい訳でもない。ファンとしてはどうもスッキリしない。結局、放映される過去のVTRが楽しみで辛うじて見続けたという感じになってしまった。期待していた分だけ、落胆もまた大きかった。

ただ、改めて見直してみると、やはり「石ノ森ワールド」は面白い。技術がそこまで追いついていなかった…という部分もあるが、そのギャップを埋めようと努力していた人々の息遣いが映像からも伝わってくる部分がある。逆に、技術は進んでいるにも関わらず、熱気の方が以前のものよりも劣っているのではないかと思われるものもあったりして、その辺りもまた面白い。それらもすべて含めて、石ノ森章太郎という存在の大きさを再確認したことはこの番組そのものの出来はともかくとして、大きな収穫なのかもしれない。

 

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2008年3月22日 (土)

アラン・モルトとストラスアイラ

今宵も、津に一泊と相成ったので、いつものJoe's Barに出かけた。カウンターに座ったとたん、バーテンの女の子が「アラン・モルトが入りましたよ」と言う。軽く飲めたアラン島のブレンデット・ウィスキーであるロック・ランザが頭に浮かび、さっそくショットで注文した。アルコール度数は少し高かったが、飲み口は軽く余韻もそれ程ない。逆に言えば、モルトとしてはその軽さが一風変わっていて心地良くもある。ロック・ランザの軽さと通じるところだ。軽さを味わいたいときには、けっこう良いチョイスということになる。たまには、こういう軽い味わいのモルトも悪くない。選択肢の一つとして置いておくのに良いスコッチを体験した…という感じである。

続いてのチョイスは、ストラスアイラ12年。最も愛飲するグレンフィディックと同じスペイサイドのモルトである。ただ、グレンリベットなど他のスペイサイド・モルトはいくつか味わったことはあるが、ストラスアイラは飲んだ記憶がない。その意味ではけっこう楽しみであった。

ひとくち口に含むと、フルーティーな香りが広がる。感じとしては、グレンフィデックの味わいとも通じるところがある。愛飲しているグレンフィデックをわざわざ場所を移した津で味わう気はあまりないが、その代わりとしてストラスアイラはけっこう面白そうである。その意味において、なかなか勘のさえたチョイスだったかも知れない。グレンモーレンジなどと共に、また時々飲むのも良いかも知れないと思う嬉しい味わい。明日の予定のことを気にしてショット2杯で自重したが、今宵も楽しいひとときだった。
 

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2008年3月20日 (木)

ウルトラセブン印象記…セブン暗殺計画

ウルトラセブンの強敵としてキングジョーと共に双璧をなすのは、やはりガッツ星人だろう。地球侵略の心理的影響も含めて、ウルトラセブンを地球人の前で処刑する、という作戦を立て、セブンの能力をさぐるために、まず怪獣アロンを送り込み、セブンの能力を調べ、その対抗策を練る。そして、万全の準備をした上でセブンを捕えてしまう。そして、夜明けと共にセブンを処刑すると宣言するのである。

エネルギーの尽きたセブンは、宇宙ステーションの回線を使ってウルトラ警備隊にエネルギーの補給を求める通信を送る。それを解読したウルトラ警備隊と地球防衛軍の戦いが開始される。まず、セブンの求めるマグネリウムエネルギーの合成、そしてセブンの居場所の特定と、セブンへのエネルギー補給を12時間ほどの時間で完了しなければならない。ウルトラ警備隊の必死の努力が始まる。

マグナリウムエネルギーの合成に必要なダイモード鉱石を持つのはフルハシ隊員と、彼の幼馴染の女性。危うく、ガッツ星人に妨害されそうになるが、幸運と努力でマグナリウムエネルギーの合成に成功したウルトラ警備隊は、空中に見えていたセブンが幻影であったことを知り、セブンの捜索を続ける。セブンに頼るのではなく、人間の力を結集して事態を打開する努力を続ける。この展開は、「零下140度の対決」を彷彿させる。そして、見事セブンのエネルギー補給に成功し、セブンは危機を脱するのである。

危機を脱したセブンは、ガッツ星人の円盤群と母船に反撃を開始し、一気にそれを破壊する。ウルトラ警備隊の活躍に焦点をあてた前編・後編にまたがる展開は、手に汗にぎる面白さで、実に見ごたえのあるエピソードとなっている。怪獣や宇宙人をヒーローが倒す…というだけではなく、それに関わる人間の描き方の深さが、ウルトラセブンの色あせない魅力の1つだろう。

 

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2008年3月15日 (土)

春よ、来い

日差しや空気がすっかり春めいてきたが、この時期になると思い出す歌の1つが「春よ、来い」である。NHKの朝の連続ドラマの主題歌だったのだが、1994年の歌であり、もう10年以上も前に作られたものということになる。ドラマそのものの印象はあまり残っていないが、この「春よ、来い」という歌はけっこうすきで、今でも春の初め頃にカラオケで歌うことが多い。日本的な音階が続くイントロの後、1番の冒頭の歌詞は、いかにも早春…という風景のイメージが頭に浮かぶが、続く2番の歌詞は、変わらぬ想いが綴られ、こんな愛し方をしたくなる。

 

君にあずけし我が心は 今でも返事を待っています

どれ程月日が流れても ずっとずっと待っています

それは それは 明日を越えて いつか いつか きっと届く

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まる時 夢をくれし君の まなざしが肩を抱く

夢よ 浅き夢よ  私はここにいます 君を想いながら ひとり歩いています

流るる雨のごとく 流るる花のごとく…

 

時は流れ、人の心もまた移ろい行く。それでも、愛する人を信じ、愛を信じて待っていたい。そうした瞬間の想いは、多分、真実だろう。けれども、時と場所を隔てたとき、待ち続けられる人はそれ程多くはいない。そして、一方が待ち続けられても必ずしももう一方は待つことに耐えられないことも少なくない。その意味において、お互いに待ち続けられる…というのは奇跡に近いかもしれない。それでも、そのような関係がある…ということも信じたい。それは美しい夢である。

その夢を実現できる強さが、人にはあるのか。答は、自分自身の心と行動に聞くしかない。けれども、待つことの出来る自分でありたいとは思っている。

 

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2008年3月14日 (金)

ようやく春めいて

少し前からコタツの電源を入れなくても、夜の寒さが苦にならなくなり、寝るときに着る布団も1枚となった。日中は、晴れればけっこう暖かくなり、上に羽織る服も、そろそろ冬物よりも春物…という感じになってきた。もう1度くらいは寒さがぶりかえすかも知れないが、道を走っていても、アブラナ以外にも、梅の花が開いているのを車の窓越しに見かけるようになった。冬が嫌いというわけではないが、やはり春は良い。

だが、風邪の方は1週間たっても全快とはいかず、こうしている今も、喉の辺りが今ひとつスッキリせず、咳が続くこともある。ちょっと、しつこい風邪のようだ。それでも、熱も上がらず、身体を動かす際にもあまり支障は感じない。全快まであと一歩…というところなのかも知れない。

明日は、午前中は何も予定が入っていない。春眠暁を覚えず…などという漢詩もあったが、ゆっくりと朝寝坊を楽しむのも良いかも知れない。

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2008年3月11日 (火)

春なのに…卒業式の日に

今日は、市内の中学校で卒業式が行われた。卒業式の時期…というと「蛍の光」や「仰げば尊し」といった歌以外にも、H2Oの「想い出がいっぱい」や海援隊の「贈る言葉」、ハイファイセットの「卒業写真」、高橋由美子の「いつか会おうね」、NHKみんなの歌の「ありがとうさようなら」といった歌が頭に浮かぶが、「春なのに」もそうした歌の1つである。作詞・作曲は中島みゆき、それを若い頃の柏原芳江が歌っていた。我が家のCDコレクションの中には、中島みゆきの「春なのに」はあるが、残念ながら柏原芳江の「春なのに」はない。この辺りは、ちょっとした愛嬌だろうか。

だが、イメージとしてはやはり柏原芳江の歌の方が強い。中島みゆきが歌うには、歌詞が可愛らしすぎて、どことなく違和感があるからかもしれない。それでも、逆に、中島みゆきがこのような歌詞を書けるというのも驚きだった。その意味でも、若い頃に聞いた、卒業シーズンの、印象深い歌の1つである。

 

卒業だけが理由でしょうか 会えなくなるねと 右手を出して

さみしくなるよ それだけですか むこうで友だち 呼んでますね

流れる季節たちを微笑みで送りたいけれど

春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます

春なのに 春なのに ため息またひとつ

卒業しても 白い喫茶店 今までどおりに会えますねと

君の話はなんだったのと きかれるまでは言う気でした

記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます

春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます

春なのに 春なのに ため息またひとつ

 

シーンとしては、やはり過去の時代のものだろうか。この歌に思いを重ねて聞いていた時代があった。可憐だった頃の柏原芳江の声がまた、胸に迫った。けれども、今の子どもたちの感性とは微妙にずれている気がしないでもない。

それでも、子どもたちは長く共に過ごしてきた仲間たちと別れ、それぞれの未来へ向かって歩き出す。新しい出会いが当然待ち受けている訳だが、その前に、自分を育んでくれた「場」や人々との別れがある。後に、また出会い直しが出来る場合もあるが、そういう機会がない場合も出てくるだろう。だが、子どもたちが生きて成長していくために「卒業」は避けては通れない儀式である。今日、巣立って行った中学生たちの未来が、明るいものになるように祈ると共に、大人として自分のしてあげられることをきちんとやっていきたいと思う。

 

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2008年3月 9日 (日)

可処分所得を増やせ!!

景気の先行きか怪しくなってきた。小泉~安倍~福田と続いた経済政策の失敗がやはり大きいのだろう。この3代の政権は、「国際競争力」を口実に大企業や高額所得者を優遇して一般国民の負担を重くする政策を続けてきた。結果として、一般の家計の可処分所得は減少し、「好景気」という言葉にも拘らず内需は伸び悩み、景気を安定して浮揚させるには至らなかった。

ガソリン税の問題も、その廃止によって家計や企業への圧迫を緩和することによる可処分所得の増加とそれによる内需の好転…という議論はあまり聞こえてこない。内需の好転は、所得税や法人税の増収にもつながる訳だが、そうした視野にたった議論が国会はもちろんマスコミの報道からも出てこないのはなぜだろう。

はっきり言って、大企業の利益を優先して、労働者の賃金を抑え込んだ経済政策そのものが失敗だったのだ。そういう形で内需を抑制したからこそ外需に頼らなければならなくなり、それが一層国内の産業の衰退を招き、「安い外国製品」の輸入の背後にあるリスクに無頓着であったために様々な問題が起きたのだろう。

確かに、物価が上がるのは痛い。けれども、それ以上に家計の収入が上がれば生活は安定するし、生活が安定すれば家計支出は増加する。それは、内需の増加にもつながるし、その結果、内需に関わる企業の業績も好転する。それによって、税収の増加も見込めるようになるだろう。

ところが、そうした議論ではなく、ガソリン税の存続や消費税率を上げる等の内需を抑制する議論しか聞こえてこない。間違った経済政策を修正せずに、いっそう状況を悪化させたいのだろうか。政府・与党や官僚のメンツのために国を滅ぼしては、何をしているのか分からない。方向転換が出来ないのなら、さっさと解散総選挙を行い、国民に信を問うのが「責任ある与党」の最低限の「責任」だと思うのだが……。

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2008年3月 6日 (木)

惑星ロボ ダンガードA

松本零士が関わった唯一のロボット・アニメ、それが「惑星ロボ ダンガードA」である。松本零士自身は、このアニメに関わることで、自分が巨大ロボット・アニメに向いていないことを自覚し、以後は、ロボットアニメから手を引いてしまう。けれども、ダンガードAの母艦である宇宙空母ジャスダムや敵ドップラー軍団の人間模様を描くことでその面白さを再認識し、それが「宇宙海賊キャプテンハーロック」や「銀河鉄道999」などのアニメに生かされていく。そうした意味では興味深い作品である。

だが、このロボット・アニメは本当に変わっている。まず、ダンガードAは200mの巨大ロボットである。そして、このダンガードAは物語の最初から登場せずに、主人公である一文字タクマがダンガードA/サテライザーのパイロット候補生として訓練するところから物語はスタートし、なかなかダンガードA自体が登場しない。原作マンガにいたっては、最後のシーンにサテライザーが変形したダンガードAを惑星プロメテと地球の友好の証としてプロメテの大地においてくるシーンに登場するのみである。その意味では、ヒーロー・ロボットとしての存在感がマジンガーZやジャイアントロホ゛、エヴァンゲリオンなどのそれと比べて今ひとつなのである。

それでも、ドップラー軍団から脱出してきた仮面のパイロット/キャプテン・ダン(実は記憶を失ったタクマの父・断鉄)とタクマのドラマや、新しく発見された太陽系の新惑星プロメテに向かうドップラー軍団の母船と宇宙空母ジャスダムの競争、およびその中でのそれぞれの集団の人間模様など、巨大ロボット・アニメとして見ずに楽しむとなかなか面白いエピソードが数多くあって楽しい。ロボット・アニメとしては型破り過ぎて違和感を覚えるかも知れないが、松本アニメの宇宙船モノという見方をすれば、宇宙戦艦ヤマトやキャプテンハーロック、銀河鉄道物語などにも通じるものがあって興味深い。

松本アニメのファンとしては、なかなか見るところの多い、別の意味で興味深いロボット・アニメ…それが惑星ロボ ダンガードAなのである。

 

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2008年3月 3日 (月)

風邪か花粉か

今日は今ひとつ体調が優れず、頭もぼぅ~としている。特に鼻水・くしゃみといった症状がでているので、風邪だろうか、それとも花粉症だろうかと悩んでしまった。ただ、夜の仕事が終わった段階で熱を測ってみたら、37度を少し越えていた。大したことはないのだが、微熱もあるとなれば、風邪の疑いが強い。

風邪は、身体からの「休みなさい」というサインであることも少なくない。今日はもう、早く布団に入ろうと思う。そして、朝の状況によってはいくつかの仕事をキャンセルしなければならない。仕事のキャンセル…ということになると少しひっかからないでもないが、調子が悪いときに無理をして悪化させると、返って迷惑をかける部分もある。あくまでも様子を見てだが、体調管理のためにきちんと休むことも大切だろう。

風邪はともかく、花粉の方も少し気になる。マスクが必要になるほど重い症状にはならないが、それでもくしゃみがとまらなくて困ることはある。そろそろ、いつも飲むウーロン茶に甜茶をブレンドして飲み出そうか…というところである。シジウム茶も良いという話を友人から聞いたが、シジウム茶の方はけっこう癖が強いので、とりあえずは甜茶がメインだろうか。日常生活に大きな支障が出るほどではないので、少し注意して…という程度で今年もやっていければいいと思う。

1つしかない自分の身体だが、丁寧につきあっていけば一生使える。一息つくことも、大切にしなければ……。

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2008年3月 2日 (日)

おやすみ(Good Night)…ふきのとうの歌

谷山浩子、あみん…と「おやすみ」という歌について取り上げたが、わがCDコレクションの中にはもう1つ「おやすみ」という歌がある。《ふきのとう》の【水車】というアルバムの8曲目に収録されているのが「おやすみ(Good Night)」という歌である。これは、男がその恋人に歌う形の歌詞になっている。作詞・作曲は細坪基佳である。

 

あなたと僕の 愛がどれほど強いものか きっと誰もわからない

あなたと僕の 胸のふるえが聞こえてくるんだ ずっとこのままでいよう

おやすみ僕の腕を枕に 僕には何もあげるものがないけど

あなたのために強くなってゆくよ これから

若いだけの あやまちじゃない 僕の言葉も あなたのぬくもりも

あなたと僕の 甘く哀しい愛の夢は 暗い闇の中から

おやすみ僕の腕を枕に 僕には何もあげるものがないけど

あなたのために強くなってゆくよ これから

 

時間にして3分にも満たない短い歌である。けれども、ふきのとうの澄んだハーモニーが歌い上げる世界は、はかなく優しい。心で想い合っていても、現実の様々な問題や矛盾が心を通わせる2人に襲いかかってくることは多い。そのような苦難を越えていくためには、優しさだけではなく強さも必要となる。2人の未来を切り開いていくためには、2人が共に強くなっていかないと先へは進めない。しかし、その「強さ」を支えるのは、お互いの想い/信頼であろう。

本当に短くはかない歌である。けれども、恋をする気持ちの素直な優しさを思い出させてくれる温かな歌である。

 

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2008年3月 1日 (土)

卒業…1つの区切りとして

3月1日は、例年、県下の高等学校で卒業式か行われる。私も、かなり昔のことになるが、3月1日に伊勢市内の公立高校を卒業した1人である。もちろん、3月末までは、在籍していた高校に籍があるわけだが、卒業式は形式的にだけでなく、精神的にも1つの区切りとして作用していたのではないかと思う。私は、母校の校歌が好きだったし、またいまだに母校の校歌は洒落た校歌だと思っている。けれども、卒業式を最後に、高校生として母校の校歌を歌うことはなくなった。もちろん、正月に行われた同窓会では皆で校歌を歌ったのだが……。

ところで、《卒業》というと、象徴的には、それまで庇護されていた立場から踏み出し、自立していくような形でも使われる。その際には、深く関わってくれた人からの《卒業》であったり、よりどころとなり守り育んでくれた組織やグループからの《卒業》であったりするわけだが、当然、それなりの別れも伴うわけで、辛さや悲しさを感じることも少なくない。それでも、《卒業》である以上、その先には「未来」や「夢」や「希望」が存在する。新しい出会いや関わりがその先には待ち受けていることを、そこはかとない不安と共に感じるからこそ《卒業》という言葉を使いたくなるのだろう。

ただ、《卒業》の場合は、その組織や人と完全に関係が切れてしまう訳ではない。例え、自立への歩みを進めていようとも、時には戻って心を休めたりエネルギーを充電したり出来る「場」として信じられるからこそ《卒業》なのである。卒業生が、時々、母校に遊びに来るのを見かけることがあるが、そこには母校という場への愛着と自分を育んでくれた人々への信頼があるからだろう。

《卒業》していく者にとって、それは「新たな出発」である。が、そこに、自分を育んでくれたと信じることの出来る人々や場の存在があってこそ《卒業》できるのである。送り出す側としては、その信頼感に愛情を持って応えながら、背中を押してやりたい。それは、《卒業》していく者を信頼し、より深く愛することでもある。胸に、少しの寂しさや悲しみを抱えながらも、心から卒業を喜べる人間/大人になれると良いと思う。

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