« おやすみ…あみんの歌 | トップページ | おやすみ(Good Night)…ふきのとうの歌 »

2008年3月 1日 (土)

卒業…1つの区切りとして

3月1日は、例年、県下の高等学校で卒業式か行われる。私も、かなり昔のことになるが、3月1日に伊勢市内の公立高校を卒業した1人である。もちろん、3月末までは、在籍していた高校に籍があるわけだが、卒業式は形式的にだけでなく、精神的にも1つの区切りとして作用していたのではないかと思う。私は、母校の校歌が好きだったし、またいまだに母校の校歌は洒落た校歌だと思っている。けれども、卒業式を最後に、高校生として母校の校歌を歌うことはなくなった。もちろん、正月に行われた同窓会では皆で校歌を歌ったのだが……。

ところで、《卒業》というと、象徴的には、それまで庇護されていた立場から踏み出し、自立していくような形でも使われる。その際には、深く関わってくれた人からの《卒業》であったり、よりどころとなり守り育んでくれた組織やグループからの《卒業》であったりするわけだが、当然、それなりの別れも伴うわけで、辛さや悲しさを感じることも少なくない。それでも、《卒業》である以上、その先には「未来」や「夢」や「希望」が存在する。新しい出会いや関わりがその先には待ち受けていることを、そこはかとない不安と共に感じるからこそ《卒業》という言葉を使いたくなるのだろう。

ただ、《卒業》の場合は、その組織や人と完全に関係が切れてしまう訳ではない。例え、自立への歩みを進めていようとも、時には戻って心を休めたりエネルギーを充電したり出来る「場」として信じられるからこそ《卒業》なのである。卒業生が、時々、母校に遊びに来るのを見かけることがあるが、そこには母校という場への愛着と自分を育んでくれた人々への信頼があるからだろう。

《卒業》していく者にとって、それは「新たな出発」である。が、そこに、自分を育んでくれたと信じることの出来る人々や場の存在があってこそ《卒業》できるのである。送り出す側としては、その信頼感に愛情を持って応えながら、背中を押してやりたい。それは、《卒業》していく者を信頼し、より深く愛することでもある。胸に、少しの寂しさや悲しみを抱えながらも、心から卒業を喜べる人間/大人になれると良いと思う。

|

« おやすみ…あみんの歌 | トップページ | おやすみ(Good Night)…ふきのとうの歌 »

コメント

私の地元の高校も3月1日が卒業式でした。天気はぱっとしませんでしたが。
卒業は例え形式的であっても次のステップのスタートであるが故に羨ましいです。年とって何から卒業したらいいのか、だんだん分からなくなってきた者としては。

投稿: 直江津いちご | 2008年3月 3日 (月) 00時00分

「若さ」からの卒業、最前線からの卒業…というのが中高年の区切りかもしれません。アンチ・エイジングという言葉を時々聞きます。老け込まないように…という部分は良いと思うのですが、「若さ」から卒業できないでいる…という部分は問題かも知れません。

投稿: TAC | 2008年3月 3日 (月) 00時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/120394/10863394

この記事へのトラックバック一覧です: 卒業…1つの区切りとして:

« おやすみ…あみんの歌 | トップページ | おやすみ(Good Night)…ふきのとうの歌 »