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2008年4月30日 (水)

世情…中島みゆき「愛していると云ってくれ」より

人の世は常に動き、変化していく。その変化についていけない人がいる。あるいは、自らの利益のために、その変化を押しとどめようとする人がいる。より多くの人々の幸福のためには変えていくべき方向…というものもあるのだろうが、それを無視して既得権益にしがみつきたい輩もいる。

例えば、ガソリン税関連の法案が、衆議院で再可決された。これだけ問題点が明らかになっているにも関わらず、乱用・不適切な使い方に対する対処の具体的手立ては見えてこないし、なぜ、そのままの税率でなければならないのか…という説明もまったくない。「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たち」なのだろうが、今までと同じようにはいかない。この悪影響がどのような形で噴出するとしても、必ず、弱い立場の人々が辛く苦しい思いをするだろう。彼らが怒りを爆発させたとき、あるいは力尽きて死んでしまったとき、社会は、より悲惨な方向へと向かう。

 

世の中はいつも 変わっているから 頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて その度崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと戦うため

 

そしてマスコミ……。大本営発表の悪夢は「水に流して」しまい「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」ということなのだろうか。ガソリン減税による消費の伸びやコストの削減による経済効果は、なぜ議論にならないのか。無駄遣いが占める割合から、税率の引き下げを求めるような議論がなぜ出てこないのか。制度の不備や問題点が明らかになっている後期高齢者医療制度を「説明して理解を求める」という、「直さない発言」になぜキャンペーンが張れないのか。メディア・コントロールを受けた御用マスコミに堕してしまえば、再び「いつかきた道」を転げ落ちるしかないのだが……。

 

世の中は とても 臆病な猫だから 他愛のない嘘を いつもついている

包帯のような嘘を 見破ることで 学者は世間を 見たような気になる

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと 戦うため

 

アルバム「愛していると云ってくれ」は1978年4月に発売されている。30年も前の歌が問いかけてくるものが、時を隔てた今も心に迫ってくる。

 

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2008年4月29日 (火)

すぐに解散を!!

山口での補選は、自民・公明の与党の敗北で終わった。もはや、民意は明らかである。福田内閣に政権を担当する資格も、能力もない。日本が、先進国・民主国家であるためには、これ以上、政府・与党による暴走を許してはいけない。政府・与党が、恥を知り、力量を自覚しているならば、すぐに解散・総選挙をするべきだろう。

それが出来ないのは、政府・与党に国家百年の計を考えるビジョンも能力もなく、無責任な存在に成り下がっていることにも原因はあるが、同時に、それを徹底的に追求し切れないマスコミの無責任と能力の低下も問題である。

そのような状態で、重要な法案を民意無視の「再可決」で通されてはたまらない。アメリカの独立のきっかけとなったのは、植民地からの代表者のいない英国議会で勝手に植民地への課税が決定されたことがきっかけだった。代表が、国民の意識とかけ離れた選択をしていては、国会はファシズム組織となってしまう。すぐに、解散・総選挙が必要である。

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2008年4月26日 (土)

グレンモーレンジ&ウシュクベ

昨夜は睡眠時間が少し少なめだったので、最初、今夜は大人しくホテルで早く寝るつもりだったのだが、ことウィスキーに関しては豆腐のような根性で、9時半ごろには、誘惑に負けていつものJoe's Barに出かけてしまった。ところが今夜はけっこう客が多く、いつもの指定席ではなく、カウンターの一番端に座った。

カウンターの一番端は、棚においてあるスコッチのラベルがよく見える。ということで、今夜はメニューではなく、ラベルを見ての注文となる。最初のオーダーはグレンモーレンジのマデラ・ウッド・フィニッシュ。緑の懐かしいラベルのボトルが置いてあったので、思わず頼んでしまった。ここでグレンモーレンジを飲むときは香りの甘いシェリー・ウッド・フィニッシュを注文することが多いのだが、今回は緑のラベルの自己主張に敗れた。シェリーWFよりもワイルドな味わいは、けっこう、今夜の気分に合っていた。

続いて目立ったのは、ウシュクベ。ブレンデッドではあるが、ウィスキーの語源となったとも言われるその落ち着いた味わいは、モーレンジのマデラWFとの対比において、けっこう納得できるまろやかさであった。ただ、シングル・モルト派としてはブレンデッドで終わるのはいささか違和感があり、3杯目を悩むことになる。

その間に、少しばかり幕間の楽しみが生じた。いつもスコッチばかり注文している私に、マスターは「たまにはブランデーは?」という。こちらが渋っていると、味見用のグラスにポール・ジローを注いでくれた。ポピュラーではないが、それなりに酒に親しんでいる人間にとっては知る人ぞ知る…の名酒であり、スコッチ党の私も、その名前は知っていた。シングル・モルトを飲みだしてから、ブランデーのまろやかさに飽き足らないものを感じ、ここ何年かはほとんど飲んでなかったのだが、ポール・ジローの繊細でバラエティーに富む奥深い味わいは、スコッチのシングル・モルト党をも唸らせる味であった。

だが、スコッチのシングル・モルト党としては、ブランデーで終わるわけにはいかない。ただ、体調を考えれば、度数の高いものは自重しなければならない。で、結局、グレンモーレンジのポートWFで終わることにした。ハイランド・モルトの名酒はそれぞれに味わいがあり、決してこちらの期待を裏切らない。今夜も楽しいひとときを過ごすことが出来た。

 

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2008年4月25日 (金)

再可決ありきでは…

政府・与党は、まともな議論も改善もせぬまま、既得権益を守る為に、ガソリン税の暫定税率の法案を再可決しようとしている。政府・与党の無策や経済政策の失敗のために食料が高騰している中、多少なりとも家計や景気にプラス効果を与えてくれたガソリン価格の低下をふいにしようとする党利・党略にはまったくもって賛成できないばかりでなく、疲弊している経済をさらに悪化させようとしているのか…と呆れかえるばかりである。

再可決の前に、まず、指摘されている無駄遣いを徹底的に無くし、さらに再発防止の手立てを尽くすことが先である。その上で、新たな税率を確定しなければ、何の意味もない。現状での再可決は、そうした問題点を不問にし、今までどおりの無駄遣いを続けるという宣言とイコールであり、さらに都道府県の財政に恫喝を加えている現状は、チンピラのやり方である。もはや、「責任ある与党」としての役割をまったく果たせない状態になってしまったようだ。

内閣の支持率も低迷している状態で、国民無視の政策を推し進める政府・与党に、与党としての能力も資質もなくなっている。それを自覚しているからこそ解散が出来ないのだろうが、民意を無視している「安定多数」は独裁国家の政治であり、民主政治を基本とする近代国家の条件を満たさなくなってしまう。

まずは、暫定税率の是非を問う意味での衆議院解散・総選挙しかない。無責任で、能力もない福田政権には大切な国政を任せられない。さっさと衆議院を解散するように国民・マスコミによる圧力をかけないと、大切な祖国がさらに荒廃してしまう。本当に、国を思う愛国心があるならば、解散・総選挙しかない。

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2008年4月22日 (火)

何の為の学力テストか

昨年に引き続いて全国一斉学力テストが行われたが、再開して1年も経つというのに、その目的が見えてこない。そもそも、旭川学力テスト裁判などの経緯を経て、1度は中止したものである。私立学校の参加率が前年よりも低下していることなども含めて、なぜ、今、学力テストが必要で、それをどのように使っていくのか…という点がまったく見えてこない。だから、《予想問題》をさせる…などということも起こってくる訳である。

その点、犬山市教育委員会の主張は一貫しているし、納得もできる。例えば、学力テストの結果、点数の悪い地域・学校に重点的に教育予算を増やし、子どもたちの教育環境を整えるための資料として利用するような使い方をするならば、独自の工夫や予算で子どもたちの教育環境を整える努力を続けている犬山市教育委員会も参加するだろうし、《予想問題》など作ったりもしないだろう。

そう考えてみると、多くの予算を使って全国一斉に行われる学力テストの意味も見えてこないし、そんなことよりもその予算を使って教員の数を増やし、30人学級の完全実施や学校カウンセラー、あるいは学校図書館司書等の常設を実現する方がずっと有益である。「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という意識で学力テスト参加を求める犬山市長や文部科学省は、犬山市教育委員会が突きつけている疑問に答える責任がある。

何の為の学力テストなのか。それをどのように使うのか。そして、それが本当に子どもの学力を高める有効な手立てとなっているのか。そして、その為に使われる予算の額と効果はどうなのか。それらの問いに答えられない全国一斉学力テストであれば、税金の無駄遣いであり、やる必要はないだろう。

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2008年4月20日 (日)

桜花…悲しき特攻ロケット

太平洋戦争の末期、悲しきロケットが作られた。特殊攻撃機・桜花である。機首に1200キロの爆弾を積み、一式陸攻に積まれて目標に近づき、ロケット・エンジンに点火して敵艦に向かって飛ぶ。時速900キロを越えるスピードのため、ロケット・エンジンの点火に成功すれば敵戦闘機や対空砲火も補足しきれない。

だが、この攻撃機は脱出装置を積んでおらず、敵の攻撃に成功してもパイロットの命はない。その美しい名前とは裏腹に、桜の花が散るようにパイロットの命を散らせるロケットなのである。菊水1号作戦に始まる海軍の特攻だが、これは「作戦」などと呼べるものではない。そんな無謀な悪あがきをするまで状況を悪化させた政府や軍首脳の無能こそ糾弾されるべきものであろう。

さて、桜花だが、ロケット・エンジンに点火すれば撃墜する術はないが、その攻撃を防ぐ手立てはあった。桜花がロケット・エンジンに点火する前に、一式陸攻ごと撃墜してしまえば良いのである。一式陸攻は防弾の設備が弱く、また重い桜花を積むとスピードも落ちるために、実際、昼間の攻撃ではほとんど一式陸攻ごと撃墜されてしまったらしい。桜花の初陣は1945年3月21日。多くのパイロットの命を犠牲にしたが、日本の敗戦へと至る道を変えることはかなわなかった。

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2008年4月19日 (土)

時代…中島、薬師丸、そして徳永

先日行った行きつけのスナックで徳永英明のVOCALISTというアルバムが話題になっていたので、遅ればせながら今夜聞いてみた。VOCAL2も含めて、様々な女性歌手/ボーカリストのヒット曲を徳永英明が歌っているものである。そのVOCALISTの1曲目に入っている歌が中島みゆきの「時代」である。「時代」は中島みゆきの歌の中でも特に好きなものの1つで、通常のバージョンだけでなくアコースティックギターによるバージョンの入っているアルバムも持っている。高校や大学時代には、よくギター片手で歌った歌でもある。

その後、薬師丸ひろ子主演の映画「ダウンタウンヒーローズ」のイメージソングになったこともあり、薬師丸ひろ子によるシングルも出ている。さすがに、映画までは見に行かなかったが、シングルCDは買った。中島みゆきの少しけだるいような声とは違う、透き通った薬師丸ひろ子の声は、少し軽い気もしたが、時には聞いてみたいという感じの印象だった。

そして、今回の徳永英明。徳永の声はけっこう高いので印象的には、中島みゆきと薬師丸ひろ子の中間くらいで、思っていた以上にしっくりと耳に入ってきた。ある意味では、中島みゆきの少しけだるいような声は悪くはないけれど少し不満もあった。ちょうど、ユーミンの「卒業写真」よりもハイ・ファイ・セット「卒業写真」の方が耳には馴染むように、徳永の「時代」は中島みゆきよりも高くスッキリした声だが薬師丸ひろ子ほども軽くはなく、歌詞にしっくりと馴染むのである。もちろん、それぞれ嫌いではないからこそ、CDはちゃんと持っているのだが……。

この歌の歌詞のように時代はまわり、時代はめぐる。それでも、良い歌は、時代を越えて歌い継がれる。歌手は変わっても、それぞれに味わいのある歌。今夜は、じっくりと「時代」を楽しもうか。

 

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2008年4月18日 (金)

職を賭した違憲判決

航空自衛隊のイラクでの活動に対する違憲判決が出た。憲法を頂点とする法理論から判断すれば、ごく当然の判決なのだが、この判決を最後に裁判官が退職しなければならない現実が、日本における司法権の独立の危機を物語っている。司法権が、自覚と責任を持って行政権や立法権から独立しているのであれば、裁判官は憲法や法律と自らの良心のみに従って判決を出せば良い。そういう現実がないからこそ、裁判官が職を賭して違憲判決を書かなければならないのであろう。

それに対する町村発言や福田発言などは、彼らが総理や官房長官の座にあることが不適格であり、行政のトップである資格がないことを図らずも示してしまった。憲法は、最高法規であり、それに反するいかなる法律も行政も否定されなければならないのが、民主国家・法治国家の大原則であり、かつ一般国民は、勤労・納税・保護する子どもに教育を保障する義務を持つが、公務員はさらに憲法遵守の義務を持つからである。

だが、その情けなくも愚かしい事実をマスコミは徹底的に追求するどころか、きちんと指摘するようなことも出来ていないように見える。それどころか、一部のマスコミは司法権の行政への干渉とでも言いたげなことを言っている。呆れた話である。もう1度、中学校の公民から勉強しなおさなければならない程度の法律知識ではないか。日本人として非常に恥ずかしい。

とにかく、違憲判決は確定した。中学生にも劣るような法的常識のない総理や官房長官にその資格も能力も無いことは明白である。マスコミは、国会は、これに対してどのように動くのか。彼らよりは多少マシな法的知識を持った常識のある国民の1人として注視していきたいと思っている。

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2008年4月17日 (木)

漂流幹線000

『銀河鉄道999』の後で松本零士が雑誌「少年キング」に連載していたマンガが『漂流幹線000』である。働きながら下宿して家族と離れて暮らしている中学生・大山大は、メイビスという不思議な女性の導きによって漂流幹線000に乗る。漂流幹線000は、時間の止まった街や第三次世界大戦後の未来の日本、心や身体の傷ついた人に追い討ちを掛けて人の苦しみをあざ笑う世界など、さまざまな駅に大を連れて行き、そしてまた帰って来る。途中から、大の担任の平田静子先生も大と共に漂流幹線000に乗るようになる。

この辺りの流れは、『銀河鉄道999』と良く似ている。999が宇宙の様々な星に停車するのに対して、この漂流幹線000は、言わば別次元の様々なところに停車するのである。だが、漂流幹線000とメイビスたちの世界【裏球】と敵対する世界【死球】の人々が、【裏球】の秘密を探ろうとして大や平田先生の周辺で様々な工作を始める。時には、大たちが偽の漂流幹線000に乗せられて【死球】に連れて行かれようとしたり、平田先生がさらわれかけたりするのである。

メイビスやその妹のメイビク、メイヒスたちの助けを借りたり、時には彼女たちの危機を助けたりしながら、【死球】との小競り合いに巻き込まれていった大の前に、やがて【魔球】や【天球】からの使者も現れ、大を見守っていく。徐々に明らかになっていく【裏球】やメイビスたちの謎、そして【裏球】と【死球】の決戦……。

全4巻の物語だが、999とは別の、そしてどこかしらメーテルリンクの『青い鳥』をも思わせるような、時々、読み返したくなるマンガである。単行本は、1983~84年にかけて刊行されているので、25年ほど前のマンガだが、時には、今の社会を予見しているような停車駅もあり、またお互いを思いやる温かさに心うたれるところもある。『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『1000年女王』などの作品と比べると映画化やTVアニメ化などをされている訳でもないし、今の感覚からすれば割と短い地味な作品だが、心温まる小品である。

 

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2008年4月16日 (水)

ウルトラマン印象記…バラージの青い石

多くの航空機が次々と墜落する事件の調査のために科学特捜隊は日本を離れる。そして、ヒマラヤを過ぎた辺りの砂漠にある古い町バラージで航空機の事故の原因がアントラーという怪獣のせいであることを知る。アントラーはバラージの神殿にある青い石を恐れ、町を壊滅させるまでには至っていないが、アントラーのために旅人も商人も寄り付けず、バラージは忘れられた町となっていた。

科学特捜隊はテレパシーの超能力を持つバラージの神殿の巫女チャータムにその事実を教えられる。神殿には、ウルトラマンとそっくりの像があり、ノアの神と呼ばれていた。その像は手に青い石を持っていた。ウルトラマンの仲間が過去に、この地を訪れたのか、という思いをハヤタや科学特捜隊のメンバーは持つ。

やがて、アントラーがバラージを襲う。科学特捜隊の攻撃もまったく効かないアントラーを前にしてハヤタはウルトラマンに変身する。ところが、ウルトラマンのスペシウム光線もアントラーには効かず、砂に隠れ、磁力光線や巨大な顎を武器にウルトラマンを攻撃し続けるアントラーにウルトラマンも押され気味である。

ウルトラマンが苦戦を続けるその時、バラージの神殿の巫女チャータムが、青い石を投げるようにとノアの神のお告げがあったと言う。ムラマツ隊長は、チャータムから青い石を受け取ってアントラーに向かって投げると、アントラーは大爆発を起こして死んでしまう。

昆虫を模したアントラーの造形や、スペシウム光線を封じる能力など怪獣としても印象深いが、ストリーも最後まで語られなかった多くの謎を残しつつも、一風変わった結末によって幕を閉じる、なかなか印象深い作品であった。

 

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2008年4月15日 (火)

後期高齢者保険の混乱

75歳以上の高齢者を家族の国民健康保険から分離して年金から天引きをするという呆れた制度改悪が、混乱のままスタートした。政府・与党と厚生労働省の無能ぶりと非道さが、またまた明らかになった。衆議院が解散して野党が政権をとったとしても、今以上に悪くはならないだろうと思えるばかりでなく、厚生労働省を解散した方が逆に薬害なども再発しないだろうし、保険も今よりはましになるのではないか…とさえ思えるくらいである。

自由競争を万能視して、地方や一般国民の生活を破綻させたアメリカ式「グローバリズム」を無批判に追従し、国民生活のセーフティー・ネットを破壊し続けた政府・与党。彼等は、一般の国民、特に経済的弱者にのみ重い負担を押し付け続け、その一方で官僚や政府・与党は責任をゴマカシ、自らの血を流すような改革には手を着けようとしない。これでは、重い負担を強いられ続けている国民は納得できない。

期日に間に合わないような制度では、制度自体に重大な欠陥がある証拠であり、それを推進した厚生労働省の責任は重い。これらの推移を見ても、年金がらみの社会保険庁の仕事ぶりにしても、呆れるばかりでなく、激しい怒りを覚える。なぜ、仕事の出来ない公務員に税金で高い給与や退職金を払わなければならないのか。仕事の不備やミスによる損害は、その仕事に関わった者が責任をとるべきである。したがって、後期高齢者保険については実施を凍結して制度を徹底的に見直し、無駄遣いをまずなくした上で、改めて新しい制度の構築を考えるべきだろう。もちろん、この混乱とその収拾のためににかかった費用は厚生労働省の責任のある部局の職員の給与や退職金を充てるのが当然である。

それをせずにゴマカシ続けても、もはや国民の理解は得られない。それが出来ない政府・与党なら、政府・与党の責任能力は無い。解散・総選挙が筋である。もし、そのような責任のとり方をゴマカシ、回避し続けるならば、人々は、日本の民主政治に絶望する。そしてそれは、テロを生む土壌となる。5.15事件や2.26事件の頃にも民主政治の腐敗と国民の生活の困窮があり、そうした状況が「問答無用」(話してもわからないのだから…)のテロを生んだ。いつか来た道…を再び歩むようなことがなければ良いのだが。

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2008年4月14日 (月)

眠れない夜をどうしよう

昨夜は、日が変わる前に布団に入ったのだが、なかなか熟睡…という感じにはならず、夜中に何度も目が覚めた。久しぶりに朝仕事がない日曜日で、起きるのが遅かったのと、車で片道1時間の映画館に映画を見にいって目が疲れたので、夕食を食べてから2時間ほど仮眠をとったのがまずかったのではないかと思っている。

その意味では、夜中に寝られなくても睡眠不足というほどではなく、日中の仕事も大過なく終わることが出来た。あまり、寝不足という感覚がなかったこともあり、多少寝られなくても気にせずに、そのまま布団の中で目を閉じていた。それだけでも、目や身体は休めることができるし、それなりにウトウトとしてしまったりもするので、気にし過ぎて下手にあがくよりも精神的にもストレスはたまらない。それがまた、ウトウトとするのにはプラスとなる。気にしない…ということで、それなりに心身の休息にはなるのだ。

加えて、ウトウトとしている時間の間に頭の中を駆け抜けるイメージは、けっこう楽しかったりもする。それ自体を味わい、楽しむことも出来るが、詩や小説や童話を書くときにベースとなるイメージに発展する…という楽しさを味わえる場合もある。落ち着ける、穏やかな時間の流れは大切にしたいものである。

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2008年4月12日 (土)

詩を書くこと

先月、ようやく同人誌の編集と発送を終えたが、別の詩の同人誌の原稿締切が近づいている。前回と前々回は、忙しい毎日の中で、どうしても詩が書けずに苦労したが、今回は、とりあえず書いてみた。いつも車で通る道を、たまたま歩いたことで見えてきたものや感じたことが、感性を刺激してくれたようである。これを、そのまま送るかどうかはともかく、とりあえず書けたことで気分的にはかなり楽になった。

   市道の春

 

いっぽ にほ さんぽ

いっぽ にほ さんぽ

 

小さな子どもと歩く道に

小さな春が顔を出す

風にゆれるタンポポ

カラスノエンドウ

ヒメジョオン

 

菜の花の間を

モンシロチョウが飛びまわり

ナナホシテントウが

葉っぱの先へと歩いていく

 

車で通り過ぎるときは

目に入らない春の息吹が

子どもの手をつなぎながら歩くと

とても身近に感じられる

 

春の嵐に散った桜の枝から

緑の葉が顔をのぞかせ

雨上がりの青空に

葉桜の枝が揺れる

 

いっぽ にほ さんぽ

いっぽ にほ さんぽ

 

小さな手がヨモギをつかむ

黄緑色の若葉から

春の匂いがこぼれる

 

この作品を出すかどうかは、まだ決めていない。明日も1日予定が空きそうなので、場合によっては、もう1つか2つ書いてみようか・・・とも思うからである。とりあえず、出来なければ出せる詩はあるし、できれば何か書いてもみたい。この心のゆとりがうれしい。明日の天気はどうだろうか?

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2008年4月11日 (金)

政府・官僚にこそ成果主義の導入を!!

年金記録の問題も解決の目途が立っていないというのに、また高齢者医療制度をいじって厚生労働省の不手際が表に出てきた。まったく呆れた話である。財政どうこうを言うのであれば、仕事の出来ないことを自らの手で証明し続けている官僚たちの給与と退職金を最低賃金程度の水準に削った上で、不手際のカバーのためにかかった費用を負担させてから、分かりやすい形での制度改革に手をつけるべきである。

小泉政権から、安倍政権、そして福田政権と、国民の生活を破壊し続ける自公連立政権が衆議院の解散から逃げ続けて居座っているが、その間に次々と厚生労働省や社会保険庁、防衛省や国土交通省の官僚たちのデタラメぶりがあきらかになってきた。こうしたデタラメなやり方の責任を放置したままで国民への負担増を押し付けること自体が厚顔無恥も甚だしい。というよりも、【国民全体の奉仕者】という日本国憲法の規定に反する違憲行為である。それをゴマカシ、うやむやにしたまま、負担増ばかりを押し付ける。福田政権は、無責任無能政権である。

行財政改革の必要を政府・与党は唱え続けているが、まず、政府・与党と官僚がきちんと痛みに耐え、国民に納得のいくようなスリム化をはかった上でなら、国民としても痛みに耐えながら改革の遂行を支持することができる。けれども、国民が骨身を削り、痛みに耐え続ける裏で、官僚たちがまともに仕事もせずに高給を取り、何度も高額の退職金を手にして「赤字」を叫んでも、まったく説得力がない。財政危機の折から、無能な官僚や政治家にお金を使う余裕はない。第三者機関による厳しい査定で官僚たちの仕事を点検し、社会保険庁などの仕事のできないような組織には、最低賃金のみ支給し、損失補填のために退職金をすべて没収すべきである。

「自己責任」「成果主義」を押し付け、今のような日本社会にしてしまった以上、政府・官僚もきちんと「自己責任」をとってもらうのが筋だし、その評価に「成果主義」を導入するのは当然である。そうした目から見れば、厚生労働省、国土交通省、防衛省などは、その人件費を含めた税支出に応じた仕事は出来ていないし、成果もあげていない。まずは、これらの経費大幅削減から始めるべきだろう。国民の負担増は、それが完了して後に求めるのが筋というものである。

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2008年4月10日 (木)

ひと眠り

前日の睡眠不足と疲れのために、さっきまで眠っていた。およそ3時間。風呂をいった後、あらためて寝るだけのことなのだが、ここでひと眠りが必要なのは、やはり歳をとったということなのだろう。無理は禁物だが、一応、起きられる程度に、体力もあるということか。

仕事の方は、けっこう慌しかったが、気分的にはそれ程ストレスは感じない。ただ、身体としてはまだ慣れていないので、身体を慣らすまで多少時間が必要である。今晩のひと眠りも、ある程度慣れればもう少し短縮できるか、必要なくなるのかも知れない。

ただ、週末辺りから、研究会がらみなどの金にならない仕事が毎週のように入ってくる。3回ほど津に出かけなければならないので、上手に身体を休めて、うまくこなしていかなければ…と思う。

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2008年4月 9日 (水)

春爛漫…森田童子Ⅱマザー・スカイより

人混みの桜吹雪の中を歩いていく時に感じる孤独…そんなイメージが心に浮かんで大好きだった歌がある。森田童子のセカンド・アルバム【マザー・スカイ】の10曲目に収録されている「春爛漫」という歌である。森田童子の6枚のアルバムの中でも、この【マザー・スカイ】は印象に残る歌が多いが、桜の散り始める時期になると、よくこの「春爛漫」という歌が心に浮かんでくる。3分にも満たない短い歌なのだが、繰り返される言葉の中で、イメージがどんどん深まっていく。

 

桜の花びら 踏んで 歩いた 君と肩くんで 熱くこみあげた

春よ 春に 春は 春の 春は遠く

春よ 春に 春は 春の 春は遠く

悲しみは 水色にとけて 青い空の 青さの中へ

青く 青き 青の 青い 青さの中へ

青く 青き 青の 青い 青さの中へ

哀しい夢 花吹雪 水の流れ ンーン ンーン 春爛漫

 

風に舞う淡い紅色の花びら、透き通るほど青い空、美しい風景がどこか哀しい彩を帯びて胸に迫ってくる。周りの春を楽しむ人々の中で一層際立つ、真っ青な孤独。それでも、夢はおろか目的すらも見出せないまま彷徨い、歩き続ける若き日々。中学から高校にかけて、言葉にしきれないもやもやを抱え込んだまま闇雲にあがいていた時間が、この歌のイメージに重なってくる。

もちろん、今はもうそのような【若さ】はない。けれども、必ずしも心躍るだけではない春の姿がそこにある。

 

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2008年4月 8日 (火)

新しい職場

4月から、新しい職場に変わった。何度も経験していることだが、集団や仕事の雰囲気をつかむのに気が張る時期である。それでも、昨年の5月や6月とは違い、だいたい仕事の流れが理解できるので、多少なりとも気は楽だ。それでも、さすがに疲れはたまってきつつあるような感触である。

ある程度歳をとってくると、まず、体力が衰え、体力の衰えが気力や集中力の衰えにもつながってくる。その意味では、若い頃と違って、一晩ぐっすり寝れば疲れが取れる、というわけには行かなくなった。それでも、ある程度経験を生かすことが出来れば、良い意味で上手に手を抜ける。体力の衰えをカバーしつつ、知恵と経験を生かして、それなりの結果を出すというのが年の功だろう。

とは言っても、最初から無理をすると後が続かない。疲れが自覚できるような時は、無理をしないで早めに寝る選択が良い。今日は久しぶりに、日付が変わらぬうちに布団へ入ろう。

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2008年4月 7日 (月)

競争神話の間違い

ミクロの目から見て正しい事が、マクロの目から見ると間違っているということは経済学にはある。例えば、一軒の家/家計の単位で貯蓄が増えるのは悪いことではないが、皆が貯蓄にせいを出してお金を使わないと、消費/内需が減少して全体としての経済状態は悪化する。つまり、マクロの目から見れば、皆が貯蓄することは、必ずしも良い事ではないのだ。

では、【競争】はどうか。地方や国内といった範囲での中小を含めた企業の競争は、価格の低下や技術革新をもたらし、人々の生活を豊かにする。だが、グローバルな【競争】はどうか。ここ10年ほどの世界経済や日本経済の動きを見ていると、「グローバルな競争」という名目の下に国内レベルでの寡占化が進み、中小企業が倒産したり廃業したりして生活賃金の上昇を抑え、家計を圧迫して、かえって国内レベルでの自由競争を抑制する方向に進み、内需を不安定化させて、一般の家計を悪化させている。つまり、国内や地方といった生活する場において人々の暮らしの向上に寄与する競争原理が、グローバルなレベルでは逆に生活に悪影響を及ぼしているのである。

それを考えれば、無批判に【競争】を拡大してそれで良しとする《神話》から脱却しないと、経済格差が人々の生活や環境に与える悪影響が大きくなり過ぎてしまう。なぜなら、「国際競争」の名目で削られるのは、人件費や安全対策、環境対策だからである。その意味では、暴走する「競争原理」をコントロールし、人類の文明を未来につなげる知恵が必要となってくるだろう。

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2008年4月 6日 (日)

わが青春のアルカディア…戦場まんがシリーズより

松本零士の戦場まんがシリーズの4巻目(昭和51年・小学館)の冒頭に、本のタイトルにもなっている「わが青春のアルカディア」というマンガが収録されている。主人公はドイツ空軍のファントム・F・ハーロックⅡ大尉。愛機メッサーシュミットの操縦桿を握り、ドイツ帝国崩壊の日まで不敗のまま敵機を撃墜し続けていた。

その最後の出撃の前にハーロック大尉は、1人の男に出会う。男の名前は台場元、技術交換で日本から来た照準器を開発する技術者だった。2人とも祖国の敗戦を認識していたが、今、自分の果たすべき役割に全力を尽くす誇り高き男たちだった。

味方の交代を援護する為の最後の出撃に際して、ハーロックはメッサーシュミットの胴体部に台場を乗せることになる。上空からの敵機の攻撃で離陸直後に被弾したハーロックのメッサーシュミット。その際に切れかけた昇降舵のワイヤーを台場は自らの身体を使ってつなぐ。ガソリンが尽きてスイス国境の近くに胴体着陸をするメッサーシュミット。そこで、ハーロックは台場が切れかけたワイヤーの代わりになっていてくれたことを知る。その行為に対して、ハーロックは常に戦場を共にしてきた愛機の照準器を台場に託す。生き延びたら再会することを約束して……。

時間的にはわずかでも、決定的な出会いというものは確かにある。濃厚なひとときを共有した信頼に足る相手は、どれ程時と距離を隔てても、親友として深く心に住み続ける。ハーロック大尉と台場の関係はそのようなものだったのだろう。日常的にはそれ程多くない出会いかもしれないが、1度会っただけで相手を信じられる出会いというのも確かにある。そして、その相手の存在が、心の中で輝き続け、自分の生を励まし、力を与えてくれるのだ。

このエピソードは、後にキャプテン・ハーロックの海賊戦艦アルカディア号誕生のエピソードを描いた映画「わが青春のアルカディア」にもそのまま挿入される。もちろん、台場はアルカディア号の設計者大山トチローの祖先ということになり、ハーロック大尉もキャプテン・ハーロックの祖先ということで、2人のつながりの深さを語る為のエピソードとしての挿入になるのだが。

松本零士が描く代表的なキャラクターであるキャプテン・ハーロックは非常に魅力的な男だが、その魅力の1つに友情の厚さがある。ハーロックとトチローの友情は、男として胸を熱くする多くのエピソードに彩られている。このような友情はそれ程多くはないかもしれないが、親友の大切さを感じさせてくれる作品である。

 

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2008年4月 5日 (土)

今宵はグレンフィディック

3月はけっこう忙しかったので、ゆっくりとグレンフィディックを飲む時間が取れなかった。というよりも、ウィスキーそのものを飲む機会がわずか2回しかなかった。そのうちの1回は津でアラン・モルトやストラスアイラを飲んだのだが、もう1回は、送迎会の二次会で、なんとかサントリーの角が飲めたという状況だったので、スコッチ党を自負する身としては悔いの残る1ヵ月だった。

4月も年度初めで仕事が変わったこともあり、多少バタバタしていたのだが、さすがに1ヶ月グレンフィディックから遠ざかっていると、どうしても飲みたくなる。そこで今宵は、およそ1ヵ月ぶりに行きつけのスナックでグレンフィディックとカラオケを楽しむことにした。スプリングバンクやグレンスコシア、グレンモーレンジなどもいいが、グレンフィディックはやはり一番多く飲んでいるスコッチのシングル・モルトであり、幼なじみの親友のようにすっと喉に入ってくる。ある意味では、1番安心して飲めるスコッチかもしれない。

グレンフィディックの通常の飲み方は、シングルのロックである。今宵もいつものようにそのパターンだ。氷を入れたグラスに、グレンフィディックを注ぐ。そして軽くグラスを回す。少し氷が溶けてウィスキーと混ざる微妙な琥珀色の液の揺れが口に含む時の味輪水を連想させる。口に含むと、グレンフィデック独特ののフルーティーな香りと少し水と混ざった際に出る甘味が口いっぱいに広がる。やはり、グレンフィディックは良い。

2時間ほどで、数杯ロックを飲み、10曲ほど歌を歌う。よく顔をあわす常連さんにリクエストをされ、徳永英明の「壊れかけのRadio」や「恋におちて」なども歌った。「恋におちて」の方はカウンター・テナーで小林明子のオリジナルを歌えるので、徳永バージョンは音の高さが中途半端な感じであった。半音か一音音程を上げれば、このアレンジはけっこう歌いやすそうな感触である。が、カバー・バージョンの「わかれうた」は、徳永のアレンジは少し軽い感じがする。やはり、好みとしては中島みゆきのオリジナルの方が良さそうだ。いずれにしろ、徳永の歌を聞いた事がないので、また時間を見てCDアルバムをレンタルしてこようと思った。

そんなひとときを過ごした後、帰宅する。明日は日曜日。少し酔いの回った気分を楽しみつつ、眠りにつこうと思う。

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2008年4月 4日 (金)

北岡さんの伊勢ライブ

4月27日の日曜日、午後3時から、伊勢市民活動センター北館の2階で、堺市在住のシャンソン歌手・北岡樹(みき)さんがチャリティー・コンサートを行う。北岡さんとはけっこう長い付き合いになるが、以前、市内のラテン・バーのライブで出会い、詞を提供するようになった。このblogでも二度ほど記事にした「ぶたないで」という歌も、そのうちの1つである。

「ぶたないで」は幼児虐待をテーマにした詞で、吉田さんというピアニストが曲をつけて、時々ライブでも歌っていたのだが、何しろテーマが重いため、一時期歌わない時期が合ったらしい。ところが、昨今、幼児虐待の事件が多く報道される中、北岡さんは「ぶたないで」のシングルCDを製作し、無料で配布するという活動を始めた。北岡さんの活動は、関西の複数の新聞でも取り上げられている。

その北岡さんが、伊勢志摩の不登校ひきこもりの親の会のメンバーが中心となって実行委員会を作ったチャリティー・コンサートのために伊勢に来る。コンサートが決まったという話を聞いたとき、久しぶりに生で北岡さんの歌を聞けると喜んだのだが、残念ながら、精神分析の講義と重なってしまい、行けなくなってしまった。とても残念である。

北岡さんの低音の歌声は、音楽で抱きしめてくれるように身体を包んでくれる。そうした北岡さんだからこそ、こちらとしても頼まれたものも含めて何曲かの詞を提供したのである。もっとも、曲がついてライブなどでも歌っている歌は、今のところ「ぶたないで」以外は知らないのだが……。

その伊勢でのコンサートもあと3週間ほどとなった。友人や知り合いにポスターやチケットを頼んだりして、こちらも可能な範囲でできるだけのことをしている。私自身は今回は聞けそうにないが、ぜひとも、多くの人に北岡さんの伊勢での歌を聴いてもらいたいと思っている。

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2008年4月 3日 (木)

桜散る…さだまさし【Glass Age】より

市内を車で走っていると、道端の桜の一部は葉桜へと変わり始めている。満開の桜も良いが桜の散る風情もけっこう好きだ。そんな季節に思い出すのが、さだまさしの【Glass Age】というアルバムに入っている「桜散る」という歌である。桜の散りゆくイメージに恋が終わり恋人が去っていくシーンのイメージが重なって描かれる歌。「桜散る 桜散る」と繰り返されるサビの部分が春の美しくも悲しい別れを風景写真のようにイメージさせてくれる。

「愛し過ぎる」ことは「愛さない」ことと同じだろうか。確かに、深く愛すれば、相手を自分の都合で束縛できなくなるような気持ちが生じることがある。けれども、相手を束縛し合う…ということも恋愛の重要な要素の1つである。そうした観点からすれば、「愛し過ぎる」ことは「愛さない」と同じになってしまうのかもしれない。

自分の恋人が、別の人を好きになってしまったとき、それを許容できるか。ほとんどすべての人が許容できないだろう。まして、その好きになった相手まで好きになるなどということは不可能に近い。けれども、「君が愛した人を 僕も愛せる そんな日がくると いいね」とさだまさしは歌う。そこには、相手への深い愛情がある。

 

桜散る 桜散る 想い出を埋め尽くして

桜散る 桜散る もう君が見えないほど

桜散る 桜散る 雪の面影なぞる様に

桜散る 桜散る もう君が見えないほど

 

繰り返される言葉をさだまさしの高い声に乗せて、美しい風景の中に散り逝く恋が見える。けれども、それでも残る深い愛が哀しくも美しい。それを彩るように舞う桜の花びらが深くイメージとして心に焼き付いていく。そんな歌である。

 

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2008年4月 2日 (水)

下がったガソリン

車のガソリンが残り少なくなったので、帰宅前にいつものガソリンスタンドに寄ってガソリンを入れた。今までだと、5,000円では足らなかったのだが、今日は、5,000円でお釣りがきた。気分的にも嬉しかったが、何よりも、その分、別のものに使える、という気持ちになった。

個人的にもそうだが、流通関係の仕事にとってもけっこう朗報だろう。その分、自動的にコストが下がるからである。そしてそれは、輸送費の低下にもつながる。その意味で、社会的に恩恵を受ける人や会社は多いだろう。

当然、浮いた分は別の消費に回ることになる。ニュースでもインタビューに際して「ドライブをします」と答えていた人がいたのは印象深い。与党は財源どうこうの話をあげるが、週刊誌などで明らかになってきた「使われ方」を見てみれば、今までの税率そのものが大いに問題である。まず、おかしな使われ方を徹底的に洗い出し、道路以外のものに使われているものは特殊法人などから「責任ある与党」と政府が、それこそ責任をもって返還させた上で、その分をきちんと差し引いた税率を新たに設定するのであれば、議論は出来る。けれども、今までのままで再可決、などという選択は、決して許容できない。

さらに、ガソリンが下がった分の内需刺激の効果や、それによる所得税や法人税の増収の見込みなどもきちんと議論する必要がある。そうした議論を経てこそ、適正な税率も含めた話が出来るというものだ。

景気の安定は、いかに内需を安定させるかを考える必要がある。競争神話を鵜呑みにして人件費の削減を推し進め、家計の収入を不安定化させる経済政策は間違っていたことがこの20年の日本の状況を見れば明らかである。今回のガソリンの値下がりは、家計の収入の増加には必ずしもつながっていないにしても、小麦や大豆などの値上げもあって支出の面で苦しい一般の家計には朗報である。そうした現実を認識した上で、今後のガソリン税の議論を見守りたい。

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2008年4月 1日 (火)

ゆったりとした1日

3月いっぱいまでの仕事が昨日で終わったので、今日は、思いがけなくゆったりとした1日を過ごすことができた。睡眠も十分とったし、昼は友人のラーメン屋で昼食をとって午後は行きつけの喫茶店で、カフェオレを飲みながらマンガや週刊誌を読んでいた。そして、友人たちにゆっくりとEメールも送ったりもする。久しぶりのゆったりとした時間がある1日だった。

こうした1日が1週間ほどまとまってあれば、詩や小説を書いたり、読みかけの本を読んだり、掃除などもしたり(これだけはあまり気が乗らないが…)したいところだが、明後日からは新しい仕事も始まる。また、忙しい日々の中へと戻っていかなければならなくなりそうな気配である。

それでも、とりあえず明日もゆっくりと寝ていられる。今日の風の強さからすれば、明日も、春眠暁を覚えず…という陽気になるかどうかは微妙だが、ゆったりとした日をもう1日過ごせそうである。遠くへ出かけるほどの気力はないだろうが、桜でも見ながら新しい詩などを作り始められたら良い。今年度が、昨年よりも多少余裕があってほしいと願う。ゆったりとした穏やかな1日も、あと1時間足らずである。

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