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2008年6月28日 (土)

心の闇を考える

心の闇を考える
 
一般の感覚からすれば、一見、不可解な「凶悪犯罪」のニュース報道が続いている。その象徴的な事件の1つだったM死刑囚の死刑は先日執行されたがその頃からの報道に登場していた【心の闇】に対するマスコミの扱い方については、かねてから不満を感じていた。

私自身も【心の闇】ということについては良く考えるし、他者との話の中で使ったりもする。が、そのスタンスは「まだまだ明らかにはならない部分もあるから、それを考え続けていくために、とりあえず【心の闇】という言葉を使っていこう」というものであり、今後とも追及の努力を続けていかなければならない、という前提がある。
 
ところが、昨今のマスコミの報道においては《心の闇》という言葉によってそれ以降の追及をうやむやにし、「不可解」な罪を犯した青少年を、「自分たちとは異なる異世界人」とすることによって問題の背景や本質に迫る取材や報道をごまかそうとしているように感じられる。そのスタンスは、ある意味では「大人たち」にとっては非常に都合が良い。事件が「異世界人」の手によって起こされているのなら、「私たちとは違う存在」のせいだから、私たちは「異世界人」さえ排除すれば、私たちの社会の安定は守る事ができるし、私たち「大人」に何の責任もないことになる。それは、「今、ここにある現実」から目を逸らすのには非常に都合のいい理論である。

けれども、その「異世界人」たちは、確かに私たちの世界に存在しているし、なおかつ、私たちの社会のシステムが、まともな環境の下では開花せずにすんだかもしれない不都合な心の因子を開花させてしまった可能性があるのだ。だからこそ【心の闇】は思考停止のためのブラックボックスではなく、問題に取り組むための出発点にしなければならない。社会の矛盾は、もっとも弱い存在にもっとも強烈な形で襲いかかる。その過程にこそ、大人の責任で解明していかなければならない【心の闇】が存在する。真実というものが本当に存在するかどうかは分からないが、少なくとも、真実に迫ろうとする意思と努力は、大人としての責任を果たし、人間として誠実に生きていこうとするのであれば絶対に必要であろう。

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2008年6月27日 (金)

夕張・大阪は賃金カット、では官僚と国会議員は?

破産した夕張の市職員は、賃金がカットされ、それでも地元のために頑張っている。そして、大阪も職員の賃金カットの議論が現実のものになろうとしている。ところが、である。福田首相は、消費税を上げなければならないとの発言をしているが、それ以前に当然しなければならない議論が抜け落ちている。それは、官僚や国会議員、それに首相や大臣・副大臣等の賃金カットである。

消費税を10%に上げるというのならば、当然、その前に徹底的に不明瞭な支出、おかしな支出をなくし、組織の賃金をカットするべきだろう。実際、夕張市はそれを行っている。なぜ、首相や大臣、それに官僚がそれをしないのか。まず、上からそうした姿勢を見せるのが筋である。加えて、水門を空けるように地裁の判決が出た諫早湾の干拓事業など、国家プロジェクトとして本当に必要な支出なのかの洗い直しやチェックの必要もある。

だいたい、年金の照らし合わせなど、社会保険庁の全職員およびOBの責任であって、年金を払っていた国民には何の責任もない。それを、国民の支払っている税金で照らし合わせ作業をすることがおかしいではないか。原因は、社会保険庁職員およびそのOBがまともに仕事をしてなかったからであり、その尻拭いは、彼ら自身がするべきである。それが自己責任というものだし、民間ではそれが当たり前である。それらも含めて、税金の使い道には厳しい目を向け、不要な支出をきちんとカットできてこそ増税を議論する資格がある。

それに、暴走投機マネーがガソリンや食料品の高騰を招いた点から考えれば、投機マネーに有利な形で改悪した累進課税制度を放置したままで消費税を上げる論議を始めるのもおかしい。国民の生活を考えれば、投機マネーよりも累進課税制度の改革によって低所得者層の可処分所得を増やした方が国内レベルでの消費はあがる。逆に、消費税のupなどは、国内消費のマインドを減退させてさらなる不況を招きかねない。

だが、不思議なことに新聞やテレビの報道では、なかなか、そこまで突っ込んだ議論を耳にすることはない。マスコミは日中・太平洋戦争前と同じように、自らその責任を放棄してしまっているのだろうか。この国の将来を考えれば、民意を無視した居座り無能政権には早く退場してもらわないと、未来に大きな傷を残すことになりかねないのだが。

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2008年6月24日 (火)

慌しくない「時間」を求めて

友人が10日間のタイ旅行から帰国した。現地の知り合いに少し案内してもらうように頼んでおいたが、楽しい時間を過ごして帰国できたようで何よりである。ただ、正直なところ、慌しい日本を離れてゆったりとした時間を過ごせるということが、多少、うらやましくもあった。

結婚していた時期、年に一度、それも1週間ほど、元妻の実家で過ごした経験があるが、時間に追われ、予定に追いかけられていた日本での生活から開放されてゆったりとした時間を誰にはばかることもなく過ごすことができた。離婚したことに後悔はないが、そのようなゆったりとした時間を失ったことが多少残念ではある。

それ程に、日本での「時間」は慌しい。特に、ここ数年は、その傾向が強まっている。ありがたくない話である。寝て、起きて、食事をして、本を読み、夕方はお寺の鐘の音に耳を澄ます。そんな時間があれば、いろいろな文章も書けるだろうし、何よりも自分の心に自然にゆとりが生まれてくる。けれども、それを手にすることが難しい自分自身の現実が存在する。そしてそれは、私個人にとどまらず、けっこう多くの日本人が感じている「現実」であるように思われる。私自身は、そうした「現実」を意識した上で、少しでも「心のゆとり」を失わないように心がけているだけマシな方かも知れない。

ただ、自分自身にとっても、今の日本人にとっても、そうした社会や経済の在り様はプラスにはならない。個人の努力だけで解決できる問題ではないが、日々の生活や生き方に「ゆとり」が持てる社会にしていくような努力は必要だろう。

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2008年6月21日 (土)

ダメおやじ…見えない糸

古谷三敏が週間少年サンデーに連載していたマンガ「ダメおやじ」の14巻の6話目に「みえない糸」という話がある。ダメおやじが、大和グループのヒミコにユートピアを作るという夢/課題を託されて旅に出ている途中、ウンチクというバーのある町に滞在して、ウンチクに通いつめていた頃の話である。このウンチクというバーのマスターと常連のメガネさんは、後の古谷三敏の「レモンハート」というマンガの原型になっているが、この話にはメガネさんは登場しない。

ウンチクのマスターが、予定していた金(10万円)が入らず、骨董屋から買うつもりでいた皿を断るところから話は始まる。ところが、骨董屋はその代金を見越して石屋に墓石を注文していて、その代金が入らなかったため、墓石の支払いが出来なくなり、石屋はその代金を見越して買おうとしていた息子の車が買えなくなり、車の持ち主の出版社の社員はハワイ旅行をキャンセルせざるを得なくなって…という形で負の連鎖が広がっていく。

ところが、植木屋が遅れていた金をやっと作ってウンチクのマスターに支払いに来ると、すべてが好転して、結局、そのお金はそのまま植木屋に戻ってくる。八方丸く収まって、みんなはウンチクのカウンターで乾杯をするのだが、その経過をすべて見ていたダメおやじは、最後に「世界の経済ももとをただせばこれと同じなんじゃないのかな……」とつぶやく。ある意味では、分かりやすいが地味な話である。

とは言うものの、今あらためて読んでみると、けっこう含蓄の深い内容となっている。この関係の取引が丸く収まったのは、すべてが実際のモノやサービスをお金を介して取引する実体経済のレベルの話だからである。だが、ここに投機マネーが絡まってくると、取引額は増加するだろうが、欲望が疑心暗鬼をも生じさせて取引そのものが崩れてしまう可能性が生じてくる。それが、「今」の世界経済の状態である。

追加証拠金制度などを見ても、株などの投機の取引においては実際の紙幣が動くわけではなく、「情報」が行き交っているだけである。だからこそ、手元にある「紙幣」以上の取引が可能になり経済が拡大するわけだが、投機経済はその意味において虚構経済であり、「情報」の信頼性が失われれば「実体」を得られなくなりかねない不安定さをその奥に抱え込んでいる。だからこそ、実体経済と投機経済の乖離の幅が拡大し続ければ、地球レベルで、人々の生活を圧迫しかねないのである。

例えば、先物取引は、もともとは生産者のための価格安定の機能を持っていたために、生産者を守る働きもあった。ところが、買う側が主導権を握っている現在では、価格の高騰が必ずしも生産者の利益には結びつかず、実体経済を圧迫し続けている。ところが、「情報」はあくまでも「情報」に過ぎず、ハッカーなどの攻撃によって情報が破壊されたり、実体経済の側が「情報」とのリンクを拒否したりすれば、モノもサービスも失ってしまうことにもなりかねない。その意味において、現代の状況は危険なのである。国のレベルを超えてこの問題に取り組む必要があるだろう。

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2008年6月19日 (木)

生活破壊に増税発言の無責任総理

鉄道ネットワークが十分に張り巡らされておらず、自動車に頼らざるを得ない地方都市に住んでいると、ガソリンの高騰の悪影響がじわじわと他の消費活動にも響いてきている。内需を拡大することが景気の安定にもつながってくるというのに、無能・無責任の福田総理は、消費税増税の発言まで行い、選挙での大敗を気にする与党からも批判の声が上がっている。呆れてものが言えない…というのは、まさにこのことだろう。

増税の議論の前に、まず、身を切るような支出の削減こそが必要である。例えば、国会議員や上級官僚の給与・退職金の削減や、自分たちだけに厚い年金制度の国民年金との統合、世界レベルにおいては上位を占める軍事予算(いわゆる防衛予算)の削減だけでも、それなりに福祉や教育予算は増やすことが出来る。ましてや、年金問題については税金からの支出を許さず、社会保険庁の職員およびOBの給与と退職金などで補填させるようなことは最低限実行せねば国民としては納得できない。

ところが、それらは「聖域」において手をつけずに、増税…というのだから、開いた口がふさがらない。国民生活をこれだけ痛めつけ、不安を増大させたまま増税を行えば、一般の国民の生活はさらに苦しくなり、消費が抑制されて内需が落ち込み、大不況を招きかねない。大企業が、一億の金を一度動かすよりも、中小企業や生活者の中で50万円が200回動く方が一般国民の生活は豊かになる。そのためには、家庭内の可処分所得を増やすことが必要である。

当然、手立てとしては、家計の収入を上げて社会保障を充実させ、物価を下げる政策を実行することになる。その上で生活に悪影響が出ない範囲での増税というのならば、国民も納得できる。実際、あるヨーロッパの国では、政府が減税しようとしたら福祉サービスの低下を懸念する国民がそれに反対した…というような例もある。

だが、福田政権のやっていることや首相の発言において、国民生活への負担・不安は強まる一方であり、とても、安心して消費できるような状況ではない。必要なのは、破綻した年金改革・医療改革・福祉改革の【改革】と高額所得者、特に投機関係の所得への累進課税の強化、そして最低賃金の引き上げであり、それらによって生活を守ることで家庭内の可処分所得を増やし、内需の安定をはかることである。

小泉・安倍・福田と続いた「改革」の羊頭を掲げた政策は間違いだった。国を守るには、一刻も早い路線転換が必要であろう。

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2008年6月17日 (火)

6月の子守唄…ウイッシュのハーモニー

その存在を知ったのは80年代で、彼女たちが活躍していた頃ではなかったが、かつてウイッシュという女性フォーク・デュオがいた。「御案内」というベスト・アルバムによって、その歌声を聴き、高く澄んだハーモニーに魅せられた。

その中でも、「6月の子守唄」という歌が、多分、当時はまだ結婚していなかったのではないかと思われる若い女性のイメージの中にある母性を美しく描いていて、特に好きだった。この「6月の子守唄」は、後に《あみん》が「メモリアル」というアルバムの中でカバーしている。《あみん》の声とハーモニーも、もちろん悪くはないのだが、ウイッシュの方がより高く澄んだ印象である。

 

星がひとつ空から落ちてきた

6月の子守唄をうたう母のもとへ

さわるとすぐにこわれそう

ガラスのようなおまえだから

風がわるさせぬように

悪魔がさらって行かぬよう

そしておまえが 目をさましたならば

一番はじめに私が見えるよう

 

この頃はまだ、女性と母性の間に違和感や距離感はなく、少女は結婚して母性豊かな母になると信じられていた。だからこそ、幼児虐待のニュースも耳には届かず、「自分の子が好きになれない」などという苦悩の言葉も聞くことはなかった。けれども、女性の社会進出の希望を企業の欲望が利用して、人々から家族が共に過ごす時間を奪い続けた今、こうした牧歌的なイメージは、ストレートには受け入れがたくなってしまった。

それでも、いや、それだからこそ、この歌の美しいハーモニーが心に染みてくる。この歌の中に織り込まれた真っ直ぐな愛情と母性を、私たちの社会が失わずにすめばいいのだが。 

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2008年6月16日 (月)

500記事…もう1つのblog

日曜の記事でもう1つのblog【TAC文芸樹】の記事数が500となった。1日1記事ということで続けてきたので、そちらのblogを開いてから500日ということになる。特にこの1年はいろいろと大変なことも多かったので、続けられたことがうれしい。

【TAC文芸樹】の方は、今まで書きためたり新たに創作したりした小説・童話・詩・詞をupしているのだが、今回連載中の小説が完結したら、少しペースを再考しようか…と思っている。第一部を掲載した長編SF『超銀河アローン』の第二部や詩の形でupした『未来伝説スザーん』の小説版をはじめとして草稿段階の小説がまだまだいくつかあるのだが、原稿化の形まで整理がすんでいないので、その整理の時間をとりたいのである。

忙しい毎日が続いているが、まだまだ過労死の予定はない(!?)ので、無理しない程度に、ぼちぼちと書いていきたいと思う。

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2008年6月12日 (木)

やはりグレンフィディック

先日、ほぼ2ヶ月ぶりにグレンフィディックを飲んだ。忙しかったこともあり、信じられないことだが5月は1滴もスコッチを口にしなかったので、さすがに飲みたい気持ちを抑えられず、グレンフィディックの登場と相成った訳である。もちろん、家にはベルやティーチャーズなどもあつたのだが、久しぶりのスコッチとなると、やはりシングル・モルトの名酒が良い。そんな訳でチョイスはグレンフィディックとなった。

少し寝不足の日が続いていたので、回るのは早かったが、それでも気がつけば、ロックで4杯目を飲んでいた。適度な癖と豊かな味わい……。焼酎が流行の昨今の日本の風潮ではそれほど有名とはいえないかもしれないが、さすがに世界レベルの名酒である。一口飲んだ瞬間「五臓六腑にしみわたる」という言葉が頭に浮かんだ。この味わいがあるからこそ、グレンフィディックを選んでしまうのである。

それでも、疲れのたまっていた身体に、ロック4杯は少しきつかったかも知れない。30分ほどで、コテンと眠ってしまった。心地よい眠りだった。

 

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2008年6月 9日 (月)

厳罰化よりも絶望への手立てが大切

秋葉原で無差別に多くの人々が殺傷される痛ましい事件が起きた。犠牲になった人々の痛みや無念さを思うと言葉がない。理不尽にも亡くなった人たちの冥福と傷ついた人々の回復を心から祈りたいと思う。

だが、無差別殺人が繰り返される日本社会の病理を、個人的な「心の闇」という言葉で片付けて厳罰化を進めても問題は解決しない。ある意味では、自分では自殺できないが大量殺人をすれば死刑にしてもらえる…という思いが、この種の事件を引き起こしているようにも見える。もちろん、そうした発想が正常ではない…と言える訳だが、厳罰化が歯止めになるどころか無差別殺人を助長しているのではないかと思われるのである。

もちろん、被害者の家族として極刑を望む心情は良くわかる。だが、加害者が死刑を望んで事件を起こしたのだとすれば、その願いを適えることは加害者に対する歯止めの意味をなさないことにつながるのではないだろうか。その意味では、終身刑などを設定し、加害者が逃げたがっている「現実世界の生」につなぎとめ、償わせることの方が、加害者にとって厳しい対処ではないかと考えられなくもない。

それに加えて気になるのは、加害者を絶望に追い込む日本社会の病理の問題も気になるところである。これは、年間の自殺者がこのちところずっと年間3万人を超えて高止まりをしていることと同根のものであろう。一部の金持ちだけが潤い、多くの人の生活環境を悪化させて、弱者が疲れ果て絶望しなければならないような状況に追い込もうとする社会。そこの部分の手立てをどうにかしていかなければならないだろう。

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2008年6月 6日 (金)

明日は神戸へ

明日は、朝から神戸へ出かける予定がある。東海地方と近畿地方の民間教育研究団体の合同研究集会があり、そこの課題別分科会の1つに出席することになったからだ。県内のささやかな教育サークルの事務局長と全国委員をしている関係で、県内の民間教育研究団体の連絡協議会の会議に出席を重ねている中で、今回はたまたま日程が空いていたために、1日目だけ参加することになった次第である。

ただ、仕事の関係で、全日程参加することはできないので、明日の朝家を出て、夕方の課題別分科会が終わり次第帰ってくる予定である。相変わらず「私のささやかな休みはどこへ行った?」状態が続いている。

いつまでも若くないので、最低限の休みは何とか確保したいところなのだが、抜けてしまうと大穴が開いてしまったり、集団(およびその活動)そのものの存続にも関わるものもあり、「辞める」とは言い出せないものもいくつかある。藤子不二夫Fの「パーマン」に出てくるコピー・ロボットが1つほしい…と思うことが度々ある。ただ、今のところ何とかやれているので、たまにはこうして愚痴をこぼしつつも続けている。

とは言っても、疲れがたまってくると回復に要する時間は以前よりも長くなってきている。明日はとりあえず電車の中で寝るつもりだが、1つしかない自分の体のことも考えて、多少、健康には留意しなければ…と思う今日この頃である。

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2008年6月 1日 (日)

クラスター爆弾、ガソリンの高騰…決断力のない無能政権

クラスター爆弾禁止条約の採択の過程で、日本政府のお粗末な対応が目立った。平和憲法を持ち、専守防衛の自衛隊を持つ日本としては積極的にクラスター爆弾を禁止する側に立ち、英米を説得するべきだった。それこそ、「決断力」を持つ政府の姿である。にもかかわらず、実際はどうだったか。国民の信頼を得ないまま政権に居座る福田政権はそれをせずに放置して、内外の反対の高まりでしぶしぶ禁止する側に回った。国際情勢も、国民の思いも読めずに右往左往して、決断力のなさを内外に露呈してしまった。選挙があれば絶対に選ばない政権だが、ここまで無能だと、国民として恥ずかしい限りである。

イラクでの戦闘の結果明らかになったように、クラスター爆弾は、一時的な破壊に加えて不発弾による二次的な被害が問題である。従って、敵地での使用は自国民には被害が出ないが、専守防衛の自衛隊が使うのは当然国内、という事になるので、戦闘終了後も国民に多大の被害をもたらす可能性が高い。それが明らかになった以上、クラスター爆弾は積極的に禁止する側に回るべきだったのである。それをすれば、国内外を問わず、その【決断】が賞賛されただろう。正しい決断と間違った決断の撤回は早い方がよい。それをするのが、本当の意味での「決断力」である。

同じように、四月末、自公政権はガソリン税を再可決した。そして月が変わった今日、道沿いの多くのガソリンスタンドでガソリン価格が高くなっていた。原油の高騰が原因だが、これだけガソリンが高くなっては、必要最低限な場合を除いて車の使用は抑制せざるを得なくなる。車がますます走りにくくなる状況を招きながら、道路を作る。大いなる矛盾である。これも、「判断力不足」や「決断力不足」のなせる業であろう。食料品の高騰もあって、人々の生活はますます苦しくなっていく。国民の生活に被害がなければ、多少の無能や決断力不足は許容できないでもないが、これだけ国民生活を悪化させてしまっては、許容不可能である。明日にでも、衆議院の解散と総選挙を求めたい人は少なくないと思うのだが、マスコミの反応はカタツムリの動きよりも鈍い。トップの判断力・決断力の不足ゆえだろう。

それが、日本の傷をさらに深く大きくしていく。治療は、1秒でも早い方が良い。日本の未来を真剣に考えれば、洞爺湖サミットなど待たずに、無能総理をさっさと引き摺り下ろさないと……と思うのだが。

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