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2008年8月14日 (木)

モローのクレオパトラ

最も好きな洋画家は、ギュスターヴ・モローである…ということを以前にも書いたが、久しぶりにゆったりとした時間があったので、何冊かのモローの画集をパラパラと眺めてみた。もっとも好きなのは、やはり「オイディプスとスフィンクス」だが、「出現」で描かれているサロメなどもけっこう惹かれる。スフィンクスの表情にしろ、サロメの表情にしろ、宿命の女たちの存在そのものの重さが、稲妻のように胸に突き刺さってくるからである。

歴史的に見て、そのような意味で男の心をくすぐる女の1人にクレオパトラがいるが、モローは1887年に「クレオパトラ」という絵を描いている。クレオパトラは古代エジプトの女王として知られているが、その時の王朝はプトレマイオス朝であり、アレクサンドロス大王の大帝国が3つに分裂した王国の1つであり、その意味では彼女は生粋のエジプト系ではなく、実はギリシャ系であった。そして、王朝の衰退とローマ帝国の拡大という内憂外患の状況の中、彼女は自分のすべてを捧げてプトレマイオス朝エジプトを守ろうとしていたところもある。

それゆえだろうか、モローの描くクレオパトラは、月の光の中、そのエロティックな肢体にわずかな布をまとい、1人部屋のイスに座って、外を眺めている。その横にはカエサルもアントニウスも存在せず、静かな孤独の空気が漂っている。けれども、モローの描く彼女の表情は妖しい美しさとともに鋭さをも持ち合わせていて、宿命の荒波の中にあっても強い意志を持って生き抜こうとしたクレオパトラの存在感を見事に1枚の絵の中に封じ込めている。

ある意味では、1人の女として平凡に生きた方が楽だったかも知れない。けれども、女王としてエジプトに君臨したクレオパトラは、女としての弱さを、女の武器で補いながら、女王として生きようとした。その矛盾の中にある強さと孤独と哀しさにモローの筆が迫る。宿命の女を描ききるモローの絵の魅力がそこにある。

実在した歴史上の人物としてのクレオパトラ。そして、モローの描いた作品としての「クレオパトラ」それぞれの波動が重なり合い響き合って、感性を揺さぶり続ける。宿命の女の魅力である。

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