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2008年9月20日 (土)

「銀河英雄伝説」から【国民のための政治】を考える

リンカーンは、ゲティスバーグの演説で【民主政治】を「人民の、人民による、人民のための政治」だと定義したという。ところで、今の社会を見た時、特に「人民のための政治」という部分がなおざりにされているように感じられる。二代続けて、途中で政権を投げ出すような党首/首相をえらび、国民の職の安全を軽く考えて、けっきょくたかだか5日前に「辞任」するような無責任大臣を選んで何の反省もないような政権与党にとって、一般の国民などは利用して水から甘い汁を吸うための道具としか考えられないのかも知れない。

そうした状況に多くの人が苛立ちを覚えているだろうが、「改革」は遅々として進まず、「改革」という名を冠した「改悪」が国民の生活を破壊し続けている。そうした現実を見ていると、独裁でもいいから…という思いが頭を掠めることがある。そしてその後で「銀河英雄伝説」を思い出してしまう。「銀河英雄伝説」のラインハルトは、戦争の中でその優れた知略と才能を発揮して武勲を重ね、銀河帝国ゴールデンバーム王朝を倒して、新銀河帝国ローエングラム王朝を樹立する。

ラインハルトは独裁者だが、彼は旧王朝の貴族特権を廃止し次々と行財政改革を推し進める。だが、それは一般国民にとって旧帝国と比較して公平・公正な方向への上からの改革であり、ラインハルトは国民の支持と敬愛を一身に集める。兵士達は歓喜と尊敬をこめて「マイン・カイザー/我が皇帝」と呼ぶのである。

一方、銀河帝国と敵対する自由惑星同盟のヤン・ウェンリーは、腐敗した政府に足を引っ張られながらその知略と詭計で何度となく帝国軍を撃破・撃退するが、最後には自由惑星同盟政府に裏切られて命の危険にさらされ、仕方なく流浪の身となる。ヤンは、腐敗した民主政治を守るために、最後まで国民のための専制政治と戦うことになる。国民にとっての幸福はどちらなのか……という思いを胸に抱きながら。それでもヤンは、民主主義の理想を捨てず、ラインハルトとの停戦の交渉の途上で暗殺者の手によって命を落とす。

さて、独裁者と呼ばれる政治家は現代も存在しているが、中には国民の絶大な支持を得ている政治家もいる。反対派に「人気取り」と非難されても、その政策の結果、一般国民の生活がそれなりに改善された事実が存在するからである。生活を改善された国民が支持している独裁者は、一般国民の生活の困窮に目をつぶり「民主主義」を自称して結果として国民生活を破壊する「改革」という失政のツケを国民に押し付けている政治屋たちよりも、ずっと「国民のための政治」を行っていると見えなくもない。

ある意味では、民主政治は、国民に厳しい政治システムである。それは、国民の一人ひとりが自立し、自覚的に自らの代表としての政治家を選出する能力を試されるからである。ただ、その支えとしてはきちんとした情報公開が前提となる。逆に、腐敗した政権ほどメディア・コントロールを強めて、事実を国民に知られることを恐れる。戦争中の「大本営発表」などはその最たる例だが、現在の日本のマスコミは、それを笑えない状況に陥りつつあるように思われる。国民の1人として忸怩たる思いである。

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